消える女
プロローグ
貴方は、長年の友人に対し「…もう無理」と思った事はありますか?
私は、つい最近ありました。
これから話す事は、私の身の回りに起きた出来事です。
もしかしたら、貴方にも思い当たる節があるかもしれません。
今夜も外は長雨です。足元が悪い中、飲みに出掛ける事は躊躇われるでしょう?
良かったら、私の話を聞いていって下さいな。
Ⅰ
朝、ポコンと通知音が鳴る。私はスマホのメッセージアプリを開く。Cからのメッセージが入っていた。
『おはよ~。今日もゆで卵売り切れてた~』
『おはよ。手軽に食べられるから、今、味付き玉子人気らしいよ。』
そう打ち込んで、私はスマホを鞄に入れて車に乗り込む。いつも通りの朝だ。裏道を通り、手動の信号を押して、自分のタイミングで国道に乗る。お気に入りのBGMを流しながらの通勤で、これから始まる一週間のモチベーションを上げる。
会社の駐車場について、いつもの植え込みの脇に駐車する。この時期はアジサイが綺麗だ。ふと鞄を覗くと、スマホにまたCからのメッセージが 届いていた。
『仕方ないから、サンドイッチ買った。今、休憩室で食べてる』
『そっか。今日も一日、頑張ろうね』
そう打ってから、車を降りる。私達はもう三十歳だ。いわゆるアラサー。正直、微妙なお年頃だ。友人の大半は結婚して、子供がいる。子供を産むことを考えると、結婚について考えた方がいいのかもしれないが、私もCも結婚はまだどころか、付き合ってる相手もいない。お互い正社員だった時期はあるものの、社会情勢やらなんやらでクビを切られ、今は派遣社員として働いている。クビを切られる時、会議室で上司はこう言った。
「ごめんね…。本当は君にはもっと長く勤めてもらいたかったんだけど、経営が苦しくて…。君は女の子でまだ若いし、これからお嫁に行くだろうし…。そう考えると、今、家族やローン返済を抱えている男性陣を引き続き雇用してあげないといけないから…。」
「分かりました。仕方ないですよね…。」
口ではそう言ったけど、はらわたは煮えくり返っていた。私の隣の机に座る仕事の出来ないY谷は残留で、私は解雇なのか!と。得意先に送るパンフレットを忘れ、丁寧に詫び状を書いて送るのはいつも私。期日までのチケット発券も旅行ルートの日程表も作ってないY谷を同じグループだから、とフォローしてきたのは私なのに!女というだけでいとも簡単に首を切られる。女性の社会進出を謳いながらも、この世は所詮男社会なのだ、と思い知らされた。
そこから、正社員では働けていない。この国では、新卒で入った会社選びを失敗した瞬間、いきなり難易度がハードモードに跳ね上がる。ゲームなら、『強くてニューゲーム』は大歓迎だけど、リアルでは勘弁して欲しい。ニートで食べていけるなら、それがいい。私も一日中引き篭もってゲームをしていたい。でも…、何をするにもお金が必要だ。働かなければならない。だから、仕方なく派遣会社に登録した。それまでは電車通勤だったけど、親に譲ってもらった軽自動車で通勤出来る範囲に特殊印刷会社の募集があったから登録した。採用されたので、そこに勤め始めた。どんな仕事なんだろうと思って行った工場は、私も知っているキャラクターのメタルカードなんかを作っていた。
私は工場で作られたそれらをまとめてパッキングする作業をやっていた。親戚の叔母さんには「大学を出たのに、工場勤めなの?」と小馬鹿にされたが、昔とは時代が違う事に気付いて欲しい。
たまに好きなゲームのキャラクターが流れてくるので、勝手に応援されてる気分になる。そうなるとモチベーションが上がる。私は頼まれてもないのに、仕事の効率化を図った。大きなシートから細かくカットされるカードをいかに素早くまとめられるか、そのノウハウをまとめて、同じ班の人に配った。「そんな事したって、時給は変らないのに」と笑う人もいたが、どうせやるなら効率は上がった方がいいじゃないか、と思って気にしなかった。
ある日、工場に行ったら、私を笑った人がいなかった。工場長による朝礼で、流れてくるレアカードを不正に持ち出して、ネットオークションに出品していたのでクビにしたという話を聞いた。今後は手荷物はビニールバッグに入れて現場に入るように言われた。楽して稼ごうとする輩は、どこにでもいるものだ…、と少し呆れた。
そんな日々が二年続いた時、工場長から呼び出された。はて、私はレアカード窃盗などしてないぞ…と思ったら、他にもお偉いさんがいた。どうしよう、何かやらかしたか…と小さくなったら、開口一番褒められた。
「君が作った作業の工程表が分かりやすくて、実にいい。派遣じゃなくて、ここの正社員にならないか?」
そう言われ、提示された条件は凄く良かった。私は二つ返事で頷いた。そこから、工場の事務職になった。頑張りを認めてもらえたのが嬉しくて、友達にメッセージで報告した。
『正社員おめでとう~!!あっちゃんの頑張りを見てる人は見てくれてるんだよ!やったね♪o(^0^)o』
『おめでとう!本当に良かった!!その会社、見る目あるぅ~(キスマーク)』
『努力は報われる!おめでとう!今度、お茶しようね♪』
『正社員いいな~。ずるい…』
『おめ!今度、有給使って、また一緒に旅行行こ~!でも、九月に資格試験があるから、それ過ぎるまでは待っててケロ…。なんにせよ、めでたい!彩の頑張りに乾杯♪』
『彩ちゃん、すご~い!彩ちゃんの良い所に気付いてくれる会社に拾われて本当に良かったね!おめでとう♪でも、彩ちゃん、頑張り過ぎちゃう所があるから、無理はしないでね。私が帰省した時に、会えたら会おうね。』
皆、忙しいだろうに、すぐにリプが返ってきて嬉しくなった。学生時代みたいに、すぐには会えないけど、こうやってメッセージアプリで共感してもらえるだけでも一人暮らしの身には充分ありがたい。
***************
その後もオタクの皆様のお陰で会社の業績は右肩上がり。臨時ボーナスを貰える事もあり、私は今の境遇に満足していた。Cからは相変わらず、毎日沢山のメッセージが送られて来る。他愛のない内容の、主に愚痴だ。以前はマメにリプを返していたが、この春に三十五歳になったら、だんだん面倒になってきた。この歳になると、十代の様にひっきりなしにメッセージをやり取りするような時間は無い。貴重な自由時間をつまらないリプ返で潰されたくないと思うようになる。一例をあげようか。
『ね~ね~』
『何?』
『腕時計買っちゃった♪』
『良かったね』
『前から欲しかったのが、アウトレットにあったの♪』
『ラッキーじゃん♪』
『赤くてかわいいんだよ~』
『コーデのアクセントになるね』
『でも、ベルトが少しきついんだよね~。(腕時計の写真添付)』
と言う感じで、短文が延々と続く。
『アウトレットで欲しかった腕時計買ったから、見て~♪(写真添付)』
で良くないか?昔、英語の授業でやった5W1Hじゃないけど、要点をすっきりまとめて一度で済ませて欲しい、と人生の折り返しが近付いたアラフォー女は思う訳だ。そういう絡みは、皆がやっているというツブヤイターでやって欲しい。
私は私なりに忙しいのだ。というのも、事務職になって以降、かなりパソコンを使うから、少し前からエクセル関数の勉強を始めた。やるからには、効率よくやりたいのが私の信条だ。ゲームのレベル上げや資金稼ぎと一緒で、いかに短時間で効率よく出来るかを考えながら生きている。何しろ、一日は二十四時間しか無いのだ。朝起きたらすぐに着替えて洗濯機を回してから、朝食の準備をする。食べ終える頃には洗濯は終わっているから、パジャマ等を干してから会社に行く。時間は有限だから、いかに効率よく使うかが人生を分けると思っている。こんな時、昔読んだ童話のように、私にもカメの時間を分けて欲しくなる。
そしてまた、やるからにはきっちり集中してやりたい派だ。平日は夜一時間が限度。その集中している時に、ポコポコひっきりなしにメッセージの通知音が鳴るのは気が散る。私はCからの通知をOFFにした。一時間後、お風呂に入る前にメッセージアプリを立ち上げたら、Cからのメッセージが十五件も入っていた。げんなりした。
土日は近所の図書館に開館と同時に入って、学習スペースで受験生に紛れて勉強している。家だとゲーム機やテレビが気になって集中できないからだ。受験生が纏う緊張感と図書館という場所が持つ静寂さが気を引き締めてくれる。私も負けないぞ、という気分になって集中できる。お昼まで大体三時間勉強してから、買い物をして帰宅する。帰宅後はゲームもするし、お昼寝をする事もある。家でのんびりと体を休めて、月曜からの仕事への気力や体力を回復しているのだ。
遅めのお昼ご飯を食べて、電源を落としたままだったスマホの電源を入れてメッセージアプリを立ち上げたら、Cからまた怒涛のメッセージが入っていた。どれもこれも緊急性のない物ばかり。流石にうんざりして、メッセージを送った。
『おつ。最近は資格の勉強で忙しいから、通知切ってるよ。あんまり返信できないと思うから、よろしく。』
『オケ。返事は返せる時でいいよ~。』
…そういう事じゃないんだけどなぁ…。察してくれないかな?と思っていたら、追加でメッセージが来た。
『私も何か資格とろうかな~』
…ウソばっかり。もうその手にはのらんぞ、と思って私はメッセージアプリを閉じた。過去何度、Cがそう言ったことか。最初は簿記三級をとる、と言うので、「私もとるから頑張ろ!」とメッセージを送った。参考書と問題集を買い、一緒に過去問も買いに出掛けた。四月の出来事だった。私は黙々と問題集を繰り返し、十一月に受験した。Cは「まだ不安だから、今度受験する」と言っていた。一回で受かった私は「この参考書が分かりやすかったよ」と問題集を貸した。その後も二月、六月と試験はあった筈だがCが受験したという話はついぞ聞かなかった。やる気が無いんだな、と思ったので参考書は返してもらった。そんな事が三回あった。
私が派遣として印刷会社で働いている間、Cは派遣期間が終わって、いったんフリーになった。履歴書に書き込む資格が何もない、と嘆くメッセージが頻繁に来ていたので、私はそれぞれの業種別にあるといいと思われる資格を書き出して、Cに送った。
『一般事務なら、矢張り最低でも簿記三級はあった方がいいんじゃないかな?事務とか関係なく、税金やお金全般に対しての知識を持つならFP、今更薬剤師にはなれないけど、ドラッグストアで時給が少し上がるのは登録販売者で、介護職ならヘルパー資格etc…』
『あ~、介護とか、キッツいのはパス!なんかこ~、楽して稼げるのがいい!パソコンはそこそこ使えるし、なんかいい所見つからないかな~。』
それを見て、私は溜め息をついた。楽して稼げる仕事なんか、そうそうある訳ないじゃない…。そして、雇う側としては、どれ位出来るかのスキルを測る為の物差しとして資格の有無を見るから、口だけで言っても説得力無いのにな、と思った。
その後、特に資格を持たないCの就職活動は難航した。そして、ハローワークに出向いた際に声を掛けられたという生保業界で働くと言い出した。Cからその旨を告げる電話がかかってきた時、私はとめた。以前、近所のお姉さんが働いていて色々と話を聞いていたからだ。
「やめときなよ。最初の三か月はお給料はいいけど、基本、個人事業主扱いで、キツイよ。あの業界が全部そうとは限らないけど、基本は新卒で入った子がお祝儀で親戚一同に入ってもらって、その後は契約とれなくて辞めるパターンが多いってよ。会社としては、新卒の給料分はその親戚が入った保険料でペイ出来るっていうウワサだよ。金融の知識バリバリでトップをとってやろう、って野心があるタイプ以外には向かないよ。」
「すぐに次の派遣が決まった彩には分からないんだよ!」
なかなか次の仕事が決まらなくて苛立っていたCはそう言って、働き始めた。案の定、勤め出してから愚痴メッセージが連日来た。
『丁寧に教える、って言ったのに、先輩が全然教えてくんない!』
『試験に受からないと営業に行かせられないから、って宿題沢山出された!』
『今使ってる鞄が可愛すぎるから、違う鞄にしろ、ってダメだしされた』
…言わんこっちゃない、と思いながらも『頑張れ』と返した。
『営業に行けそうな友達いたら書いて、って言われたから、勝手にリストに彩の名前書いちゃったけど、ごめんね』
そのメッセージを読んだ時、ゾッとした。今は、個人情報だなんだと煩い世の中なのに、本人に確認する前に勝手に住所、名前、電話番号を書かれた事に嫌悪感を覚えたのだ。
『悪いけど、もう既に保険には入ってるし、頼まれても入れないから。』
ぐっと怒りをこらえて、そう返した。
『ですよね~ww』
その『ww』は何だよ!ってツッコミたかったけど、しなかった。下手にツッコミを入れて、またメッセージのやり取りをしたくなかった。そこから、十来たら九、八来たら六、位に返信の数を徐々に減らしていった。
『ツブヤイターで知り合ったフォロワーさんが「保険に入りたい」って言うから、今度お茶してくる!』
『経費で落ちるっていうから、ホテルのラウンジでフォロワーさんとお茶してきた!』
『やっぱり、「保険はまた今度にします。」ってー。景気づけに名刺入れを新調したよ!これも経費で落ちるらしい。領収書をとっとかないと!』
Cからのメッセージを読んでいて、不安になった。Cは「経費で落ちる」の意味を正しく理解しているのだろうか?会社勤めの正社員なら、会社の「経費で落ちる」=自分の懐は痛まない。だが、個人事業主の「経費で落ちる」は税金を節約する為、出した利益から引く物だ。その違いを分かっているのだろうか?
案の定、三か月を過ぎても契約が一つもとれないCに対して、会社のアタリはきつくなったらしく、また怒涛の愚痴メッセージが入るようになった。
『給料保障するって言ったくせにガクッと下がった!』
『こんなに契約とれない人初めて、って言われた!ロクに教えてもくれないくせに!』
『経費とかは個人で確定申告するように言われた!何それ!』
それを見て、「言わんこっちゃない…」と思ったが、当たり障りのないレスをしておいた。
結局、半年もたたないうちにCは生保の仕事を辞めた。また派遣登録をして、面接に行くという。
『いい所がみつかるといいね』
精一杯の優しさでそう返した。
Ⅱ
私とCは小学校が同じだった。小三の時に初めて同じクラスになって、存在を知った。Cはふくよかな体を持っていた。赤いプラスチックフレームの眼鏡を掛けていた。漫画とアニメが好きで、休み時間はいつも絵を描いていた。たまたま私も持っている漫画をCも持っていたので声を掛けた。Cは良く喋った。話しているうちに分かったのは、うちもCも父親がタクシー運転手であるという事だ。なんとなく、親近感を持った。同類だと思ったのだ。
それからは、帰り道が途中まで同じだったので、一緒に下校したりした。
中学校に上がって、夏服になった頃、Cがとあるグループに囲まれているのを目にした。
「ね~、ね~。なんで、ジャンパースカートの襟の所が丸いの~?」
「四角くなくていいの~?校則違反じゃん!」
そう言って笑いながらCが軽く小突かれていたのを見た時、私の中の正義感が立ち上がった。その頃は、博愛主義者に憧れていたのだ。
「ちょっと!やめなさいよ!先生が何も言ってないんだから、貴方たちが口を出す事ないでしょう!」
Cの前に立って、大きな声で言ったら、女子グループは去って行った。
「彩、ありがとう…。」
Cの目は潤んでいた。私は知っていた。制服を新調するお金が無いから、いとこのおさがりで済むジャンパースカートは譲ってもらった事を。その際、襟が四角と丸で違う事に気付いて親に言ったところ、学校に確認して「紺なら大丈夫です」と言われた事。このお年頃は違いに敏感だ。変に悪目立ちしたくない。だけど、常に「お金がない」と言ってる親に「これでいい」と言われたスカートを嫌だから買い直してくれ、とは言えなかったC。夏服の間は憂鬱だっただろう。
この一件があって以降、Cはいやに私に懐いてきた。クラスが違うのに、休み時間に毎回会いに来る。放課後、部活で会うのだから休み時間にまで来なくていいじゃないか、と言ったら苦笑いをしていた。
今なら分かる。自分のクラスには居場所が無いから、私の所にいたかったのだ、と。
中学三年になって、受験生になった時、Cが言って来た。
「ね~、彩はどこ受けるの?」
「H高。今の偏差値だと厳しいって、担任の竹じぃに言われたけど、出来るとこまで頑張ってみるよ。Cは?」
「ん~。近くて入れる所かなぁ。私、勉強苦手だし。無理して上のレベルに入っても、入ってからがしんどいジャン!」
「…そうかもね…。ま、お互い頑張りましょ。」
それは私に対する当てつけかしら、と思ったけど聞き流した。他人を変えるより、自分が変わる方が早いと知っていたからだ。塾に行くお金は無かったし、家ではまだ小さい弟が煩いから、夏休みも勝手に登校して教室で勉強していた。分からない所は職員室にいる先生達に聞きに行った。それなりに可愛がってもらえていたと思う。司書の先生と特に仲が良かったので、夏休みも特別に図書室を開けてもらって、沢山本を借りて読んだ。シリーズ物の文庫を順番に読んでいくのが好きだった。
努力の甲斐あって、私は隣の市にあるH高に受かった。Cは市内のA高に受かった。私達は別々の学校に通うようになり、疎遠になった。中学校の友達関係なんて、そんなものだ。その頃はまだ携帯電話を持っていなかったので、たまに実家の電話にCから電話があったそうだが、部活で毎日帰りが遅く、土日も部活漬けだった私は出た事が無い。高校時代はせわしなく過ぎた。受験の時期を乗り越えて、私は大学生になった。ゴールデンウィークでたまたま家にいた時にCからかかってきた電話で、春からCが社会人になった事を聞いた。
「本屋の社割があるんだ~。彩の欲しい本があったら、言ってね。お安く提供するよ♪」
「ありがと。その時はよろしくね。」
そう言ったけど、遠方の大学に片道二時間かけて通っていたし、学生生協があったので、Cに連絡する事はなかった。通学時間が長いのはきついけど、私は学生生活をそれなりに満喫していた。初めての彼氏も出来た。
自分で稼ぐようになったCも楽しい毎日を送っているようだと暑中見舞いを読んで知った。Cの毎日も充実しているようで、Cからの電話は殆ど来なくなった。
一度、「大学がどんなところか見てみたい」というCを学園祭に招待した。バンドをやっている友達のステージを見たりして、構内を歩き回った。
「いいな~。うらやましいな~。私も大学生になりたかったな~。あ~ぁ!うちが貧乏じゃなかったらな~。」
Cはずっとぼやいていた。
やがて、大学を卒業した私は、小さな旅行代理店で働き始めた。忙しいけど、楽しい毎日だった。自分が企画したバス旅行の引率は楽しかった。
だけど、そんな毎日はあんまり長く続かなかった。不況になったのだ。不況の際、真っ先に削られるのは遊興費だ。うちの会社は経営が傾いた。そうして、前述した首切りにあった。仕方ない。会社都合だったから、三か月待たずに失業保険を貰えたのだけは助かった。
そうして、今に至る。嫌な事もあったけど、今の生活は安定している。先日出た臨時ボーナスで自動車税の支払いと車検代が賄えた。ありがたい。派遣だった私を拾ってくれた恩義に応える為にも、頑張って資格をとっておきたい。試験は来週の日曜日だ。
Ⅲ
試験を終えて、ぼーっとしていた。お気に入りの紅茶を飲んでいたら、Cからのメッセージが入った。
『ね~ね~。今度時間があったら、お茶しない?』
いつもだったら断っただろうが、試験から解放された私は気分が良かった。
『今度の土曜日の午後ならいいよ』
『りょ。じゃ、T駅の改札口の待ち合わせでどう?』
『十四時でいい?』
『おけ!楽しみにしてる♪』
そんな訳で、土曜日。午前中に二週間前に借りた本を図書館に返してから、私はT駅に向かった。予定より早く着いたのでCにメッセージを入れると、駅前の喫茶店にいるというので向かった。そのままドリンクを注文して私も席につく。
「久しぶり。その後どう?」
「ん~。一緒に仕事してる社員の人が私の事嫌いみたいで、もう一人の派遣と文句言ってるよ。こないだ席替えがあってさ~」
また愚痴か…。会って早々、嫌な気分になった。高校以降の友人は久しぶりにあったら、先ずは楽しい話題を提供してくれるのにな、と思う。転勤族の旦那さんと結婚して遠方に行ってしまった親友Mは帰省した際、必ずお土産をくれながら地方あるある話をしてくれる。出張の多い旦那さんなので、育児はほぼワンオペで大変らしいが、育児をする中で分かった事を教えてくれて為になる。先日も「今まではうちの子車酔いしなかったんだけど、いきなり酔うようになっちゃって…。なんでだろう、って調べたら三半規管が発達したからなんだって!すごいと思わない?うちの子、リアルでレベルが上がったんだよ~。あのゲームのレベルアップ音が聞こえた瞬間だったよ~」と笑いながら言っていた。独身と子持ちで立場は違うけど、話していて楽しいし、会話が尽きる事はない。
業種の違う友達の話は面白い。一人は「マッドサイエンティストになりたい」と言っていた白衣の美女だが、夢を叶えて今は研究機関に勤めている。いろんな実験の話を聞くのはとても楽しい。また違う友人はデザイナーで、自分がデザインしたパッケージの商品を宣伝と称してプレゼントしてくれる。「良かったら、SNSで紹介しておくれ」と言うが、私はSNSをしていないので力になれず、申し訳ない。こちらの業界の話を聞くのも面白いし、彼女の趣味のロードレースの話を聞くのも好きだ。私が印刷業界にいて、少しだけ分野が被る事もあり、特殊印刷の話に花が咲いたりもする。
そんな中、Cの話だけがつまらない。もうずっと変わらない漫画とアニメ。そこに加わったのはいわゆる2・5次元の舞台の話だけだ。十代の子と話しているような薄っぺらさを感じる。
そんな中、Cが言った。
「そう言えばさ。彩はツブヤイターやらないの?」
「見てないし、やらないね~。全世界に向かって呟きたい事なんて、私にはないよ。メッセージアプリで充分だよ。」
「そ~なの?色んな人と繋がれて楽しいよ?ほら、昔『●●●』を描いてた漫画家さんを私フォローしてるんだけど、たまにリプもらえたりするんだよ。」
そう言って、その漫画家さんのアカウントを見せてくれた。
「へ~、すごいね。今は、そんな人とも繋がれちゃう世の中なんだね~。そうだなぁ…。私もさっちゃんがまだ生きてたら、メッセージ送りたくて始めてたかもね。」
「さっちゃん?あぁ!中学の時に彩が好きだった!え?何?まだ好きなの?」
笑いながら言われて、カチンときた。私の中でさっちゃんことサクラは唯一無二の無敵のアーティストだ。この先の人生でも、さっちゃん以上に好きになるアーティストは出ないだろう。それ位、大好きで、かなりの影響を受けた。だけど、病気で亡くなった。死後、スキャンダルがでたけど、生きてた頃のさっちゃんが汚されるような気がして、その記事は絶対に読まなかった。
「まだって何?私は、好きな人はずっと好きよ。」
「愛が重い~。今はカッコイイ俳優もアイドルも沢山いるのに~!もったいない!ほら、こないだ行った舞台の円盤持ってきたから貸すよ!見てみてよ!この俳優さんが私の推しでね~。あ、でも、彩はこっちの人の方が好きそう…」
そう言って、一ミリも興味の無い舞台の話を延々と聞かされる。おかげで円盤を見る前にストーリーは全部把握した。盛大なネタバレである。結末が分かっている物を見る事程退屈な事はない。勘弁して欲しい…。私はネタバレをされるのが大嫌いなんだ。
カラン、と飲み干したドリンクのおかわりを注文した時、Cが話題を変えた。
「そういえば、彩。最近、本読んでる?」
「うん。昔ほどは読めてないけど、勉強しに図書館に行ったついでにちょこちょこ借りて読んでるよ。最近また読み返したY氏のシリーズがやっぱり面白かった。」
「へぇ…。どんなの?どこから出てるシリーズ?」
「あのね…」と言いかけて、私は鞄に読書ノートを入れている事に気付いた。いい歳をして、と笑われるかもしれないが、『三つ子の魂百まで』。小学校の時から、読んだ本を記録している。昔は細かい感想まで記入していたが、今はタイトル、作者名、出版社と気になった箇所やすごいと思ったトリック等をメモしているだけだ。面白いと思った本には二重丸をつけているので後で読み返したい、と思った時に重宝する。そんな訳で、私は鞄から水色のギンガムチェックのノートを取り出した。
「何それ?」
「読書ノート。これに出版社とか全部書いてるんだ。あ、あった。Y氏のシリーズはこれね。」
「すご…!ちょ、ちょっと見せて!」
Cは食い入るようにノートを見た。パラパラとめくってから言った。
「なんだか、どれも面白そう…。ねぇ、このノート貸してくれない?」
「ごめん。読んだらすぐに書いておきたいし、裏は見付けたら買いたい本のリストになってるから、貸すのは無理。」
そう言うと、Cは言った。
「あ!じゃぁ、すぐそこにコンビニあるからコピーさせてもらっていい?それなら、すぐに返せるし。」
「いいよ~。」
「じゃ、いますぐとって来る!彩はここで待ってて!」
そう言うとCはノートと鞄を持って走って行った。暫くして、コピーの束を抱えて戻って来た。
「ありがと、彩。これからの参考にさせてもらうね。」
「どうぞ、どうぞ。それにしても、K御大が亡くなっちゃったのが残念過ぎる…。」
「分かる!私、I氏のシリーズ大好きだった!Gサーガもかなり後半まで読んでたわ…。」
「私はBシリーズが好きだった~。Gサーガはさ、構想百巻って言うのを読んだ時に「完結してから一気に読もう」と思って早々に読むのをやめといたからダメージは少ないんだけど…。あと一冊で完結の筈だったTサーガがっ!三巻の表紙で王子の秘密が明かされるって言うから滅茶苦茶楽しみにしてたのにぃ~!なんで、後一冊を書いてくれなかったんだ…ううっ。」
そんな読書話で盛り上がって、一緒に本屋に行った。欲しい本リストに入れていた文庫本を見付けたので買って、一緒に晩御飯まで食べて帰った。
***************
帰宅後、ポストに転居葉書が入っていた。転勤族の旦那さんと結婚したMからだった。また一人で引っ越しの荷作り&荷解きをしたのだろうか?だとしたら、お疲れでちょっとは愚痴を吐いてスッキリしたい頃かな?そう思ってメッセージを送った。
『久しぶり!今日、葉書が届いたよ。引っ越し作業お疲れ様!良かったら、少し話しない?今、電話しても大丈夫?』
すぐにリプが来た。
『ひさしぶり!電話ダイジョブ!今、子供が寝たから、部屋移動するね。お茶入れてから話したいから五分後にかけてもらってもいい?』
『りょ』
五分後、ワンコールでMが出た。
「ひさしぶり~!彩ちゃん、電話ありがと~。こっちに来て二週間経ったけど、まだママ友出来てないから、人との会話に飢えてたよ~!うぅ~、友達と話せるの嬉しい~。」
「…そんなに感謝されると照れちゃうな~。新しい土地はどう?」
「ん~。今までずっと西に住んでたから寒い!(笑)まだ知り合い出来てないけど、今回ばかりは転勤で引っ越せて良かったと思ってるんだ~。」
なるべく長く同じ土地に住みたい、と以前言っていたMにしては珍しい発言だったので驚いた。
「Mがそんな事言うなんて、珍しいね。何か、嫌な事でもあった?」
「んん~…。久し振りに話す友達に愚痴とか嫌な事話すのは、ちょっと気が引けるんだけどさ…。その…良かったら、聞いてくれる?」
「そんなの気にしないでよ!私が困ったり悩んだりした時に、いつも話を聞いてくれたのMじゃん!吐き出して楽になりなよ!」
「ほんと?長くなるかもだけどいい?今日は旦那も出張でいないんだ~。」
「無問題!」
「ちょ…なんで、そこだけチャイ語で言ったの?」
「ノリ?(笑)」
「も~。ホント、彩ちゃんのそういう所、好き。あのね、私、前の土地で幼稚園の役員やってたんだけどね――」
そう言って、Mは話し始めた。
西日本のとある県でMは子供を産んだ。三歳から近所の幼稚園に通わせていたらしい。入園式後、早々にPTAの役員決めがあった。「うち、まだ下が乳児で…」と辞退する人が多く、なかなか決まらない事にしびれをきらせた前役員の一人が「この中で、一人っ子の人は起立して」と言った。立ち上がったのはM一人だった。問答無用で、役員に決定したらしい。もう一人はくじ引きで決められた。
「魔女狩りみたいだったけど、誰かがやらなきゃならないから、それは別にいいんだよ。済んだ事だし。友達も出来たし。昔、生徒会やってたから、行事の司会進行も慣れてるし。」
Mはポジティブだ。で、問題はその先にあったらしい。Mの子と一緒のクラスに、特別学級に入れる程ではない軽度の知的障害を持った子がいたそうだ。Zとしよう。親は健常な下の子を溺愛していて、長女のZはネグレクト気味。多動でじっとしていられないので、親が迎えに来るまでは誰かが手を繋いで待ってあげないといけなかった。役員だったMは良くZの面倒を見てあげていたそうだ。やがて、ZはMを「ママ」と呼ぶようになる。「私はZちゃんのママじゃないよ~」とやんわり言うも、Mの子が嫌がる位にZはMにまとわりついてきたという。
「もう困っちゃってさ~。Zちゃんママに言っても「うちの子、Mさんが大好きで~」って言うばかりで、らちがあかなくて…。でも、そこまで仲は良くなかったから、ケイタイの番号は絶対に知られないように周りにも口止めして、休日は他のママ友と家族ぐるみでお出掛けしたりしてたんだけどね…。ある日の午後に、ドアのピンポンが鳴ったんよ。うち、オートロックのマンションだったし、マンションに住んでる皆と仲良しだったから、マンション内の友達の誰かかなって思って出たら、Zちゃんママが立ってたの。吃驚してたら「今度、下の階に引っ越して来たから、これからZのこと、よろしくね」って言われて…。Zちゃんが熱出してお休みの時とか、担任の先生に「プリント持って行って」って頼まれるし、園長先生からも「しっかりしてるMさんがZちゃんと同じマンションにいるなら安心ですね」ってやんわりお世話係を押し付けられるし…。もうホント!ノイローゼになりそうだったの!だから…いつもは旦那に転勤の辞令が出たら「ヤダな~」って思ってたんだけど、今回ばかりは「渡りに船!」とばかりにさっさと引っ越し先を決めたんよ…。」
溜め息と共に言われた。なんだそれは…。ちょっとしたホラーだった。
「こ、こっわ…。同じマンションに引っ越してきちゃうとかあるんだ…。ある意味、ストーカーじゃん!」
「あったんだよ~!!そんなのネットの作り話だと思ってたけど、ホントに…。」
「よくMのマンション分かったね。」
「あ~、田舎はほぼ持ち家だから、マンション自体が少ないんよ。で、徒歩圏内で行ける幼稚園だし、うちの前で良くママ友と話してたし。都会と違って、ポストには名前を出しておくのが当たり前だから、特定は容易だったんだろうねぇ…。」
「あ~…。でも!今は解放されて良かったじゃん!」
「うん…。でもさ、前住んでた所って、至る所に蓋の無い用水路があるんよ。それもおっきいやつ。私がいなくなった後に、もしZちゃんが転落して死亡事故が起きたりしたら、私は自分を責めてしまいそう…。」
「なっ…!Mは関係無いじゃん!」
「そうなんだけど…。娘と同い年だし、あんなに懐かれてたし…。せめて、Zちゃんママがもう少し愛情をかけてあげるか、それなりの支援学級に入れてくれていたらいいのだけれど…」
そう言って、電話口の向こうでお茶を啜った。それで気分が落ち着いたのか、続けた。
「ごめんね…。こんな…言われても仕方ない愚痴に付き合わせちゃって…。自分がZちゃんを見捨てたみたいに思っていたの。聞いてくれてありがとう。折角電話してくれたのに、嫌な気持ちにさせちゃってたらゴメン。今度、こっちの名物の笹かまぼこ送るから、それで許して。」
そう言って、小さく笑った。こんな時、電話で話すのがもどかしくなる。知り合いのいない土地でいつも頑張っているMに直接会って、「大丈夫だよ!」って言ってあげたくなる。旦那さんは会社の人がいるから、全く知らない土地という訳ではないのだろう。でも、Mは?引っ越す度に人間関係はゼロからやり直し。毎回、PTA役員を押し付けられては忙しくしてる。私だったら、イヤだなぁ、って思う。でも、Mは言う。
「数年毎の長い旅行をしてると思えば楽しいよ?いろんな場所に行けるし。悪い事ばっかじゃないよ。各地に友達も出来るしね。遠くの親戚より近くの友達に助けられる事の方がずっと多いよ。将来、うちの子がいじめにあったとしても、「今いる場所だけが全てじゃない。嫌なら、他の土地に行けばいい」って身をもって言えるから、そういう意味では、ずっと同じ場所にいるより、良かったと思うよ。大学に入った時も思ったけど、世界は広いって思えるから。」
「あぁ、それは分かる…。」
私もそれは肌で感じた。ただ、住んでる場所が近いというだけで付き合っていた小中学校の友達より、ある程度能力が一緒で、より広い県内から集まって来ていた高校の友達の方が話が合う。大学では専攻分野が絞られるので、より顕著だ。
「今度は、やっかいなママ友に目をつけられないといいね。」
「ホントね…。も~、どうせモテるなら学生時代に乙女ゲームみたいなハーレムが良かったわ(笑)」
「それは皆、思う(笑)」
「ま、ゲームと現実は違うんだけど。うちの人も、結婚した時より十キロもデブになって、やんなるわ。」
「それは、Mの作るご飯が美味しいから~!ハイ、惚気乙!」
「そんなんじゃないって~!(笑)は~、ありがと。彩ちゃんとこうやって、バカ話して笑ったら元気になった。やっぱり、持つべきものは友だね。」
「ううん。こっちこそ、久し振りにこうして話せて楽しいよ。」
「ありがと。彩ちゃん、その後はお勤め順調?」
「うん。お陰様で順調。先日、仕事に役立つかと思ってエクセルの試験受けてきたよ。受かってるといいな。」
「わぁ、すごい!彩ちゃんはホント、頑張り屋さんで尊敬するよ。でも、無理はしないでね。学生時代みたいにメニエールになったりしないか心配だよ…。」
「あったね~。あの頃は色々溜め過ぎてた…。でも、今はもう力を抜く事も覚えたから大丈夫だよ。」
「そっか。なら、良かった。私も落ち着いたら、何か資格でもとろうかなぁ…。でも、今は子育てで忙しいからな~。最近は、あんまり自分の読書も出来てないよ。今、読んでるのは基本児童書で、後は片付けや断捨離のハウツー本ばっかだわ。馬鹿になりそう…。」
「落ち着いたら、ゆっくり読めばいいよ。その時は私がオススメ本を紹介しよう。」
「ホント?図書委員長だった彩ちゃんのオススメなら、外れはないね。その時はよろしく。」
「まかせて!じゃ、もう遅いから、切るね。」
「ホントだ…。今、時計見て吃驚した…。もう二時間近く喋ってた…。長々と付き合わせちゃってごめん…。」
「ううん。久し振りに楽しい時間だったよ。また、帰省した時にはお茶でも飲もうね。」
「うん、ありがとう。おやすみ。」
「おやすみなさい、またね。」
久し振りの友との楽しいひとときだった。通話を終えた後、私はネットショッピングのサイトを開いた。遠く離れた土地で頑張るMになにか甘い物でも差し入れてあげようと思ったのだ。個包装になっているバームクーヘンを選び、転居葉書にある東北の住所を打ち込んだ。
二日後、うちに冷蔵で荷物が届いた。中にはかわいい便箋にお礼の言葉が書かれた手紙とMの住んでる県の名物だと言う笹かまぼこが入っていた。
早速、お礼のメッセージを送った。Mからも先日送ったお菓子が今日届いた、とレスが来た。
『ちょ…タイミング一緒ww』
『これが以心伝心ってやつ?』
『やだ…照れちゃう(/ω╲)』
『シンクロ!』
そんなやり取りをした後、夕飯に美味しくいただいた。離れていても、友達っていいなぁ、と思った出来事だった。
Ⅳ
一緒にお茶をした日以降、Cからのメッセージはがくんと減っていた。「おはよう」と「おやすみ」だけ。もしかしたら、彼氏が出来たのかもしれない。私へのメッセージ爆撃がなくなったのは良いことだ、と前向きにとらえていたら、Cからメッセージが来た。
『彩、ごめ~ん。彩の読書ノートにあった本を探してるんだけど、良かったら表紙の写真撮って送ってくんない?』
『図書館で借りたのもあるから、全部は無理だけど、持ってるやつならいいよ。何の本?』
『えっとね~』
打ち込まれたタイトルは、私の好きな詩人が探偵となって事件を解決する新書だった。今は文豪がブームらしく、文豪が出てくるゲームがそこそこある。それは、そんなブームになっているゲームの小説ではない一冊だ。有名なミステリ作家がかなり初期に書いた本。詩人好きな私がタイトルに惹かれて図書館で借りた後、読んですぐに本屋に買いに行った思い出の一冊。何しろ滅茶苦茶面白かったのだ。事件にインスピレーションを得て、詩作しているのがツボだった。そんな思い出話を添えて、新書の写真を撮って送った。勿論、初版帯付きだ。
『サンキュー!』
すぐにお礼のメッセージが来た。
『無事に見つかるといいね。なかったら、貸すよ』
そう返した。
その後、何度か同じようなメッセージが来た。その度、私は手元にある本の表紙を撮ってはCに送った。それはミステリだったり、詩人の全集だったりした。
「明治の使節団の旅行記の写真を送って欲しい」というメッセージが来た日、私は丁度、先日受けた試験の合格通知を手にした。嬉しかったので、合格報告と共にCに写真を送った。この旅行記は廉価版だ。ハードカバーで出ていた時の半額以下になっていた事もあり、発売当時、小躍りして一気買いした記憶がある。そんな思い出エピソードを添えて、「これ面白いんだよね~」と送った。
私に頼まなくても、ネットで検索すれば一発だろうに…。でも、こうやってメッセージを送ってくる事が、Cなりの「ちゃんと読んでるんだよ」っていうアピールだと思ってた。
『サンキュー!合格おめでと~!ところでこのワンピース、ポチっちゃった。可愛くない?』
そう言って、送られてきたスクリーンショット画像の上に、Cの物と思われるツブヤイターのアカウント名が表示されていた。合格通知を手にして浮かれていた私は、それまで興味が無かったツブヤイターを覗いてみようと思った。覗いてみて、面白かったらいきなりCをフォローして吃驚させてあげようと思ったのだ。
表示されていたアカウント名をメモってから、自分のスマホに打ち込んで検索する。すぐに見つけて開いた時、目を疑った。
そこに、私がCに送ったばかりの写真があったからだ。吃驚して、一瞬息が止まった。大きく深呼吸してから、ゆっくりと画面にある文字を読んだ。
『久しぶりに引っ張り出して読んだ旅行記。コレ、ハードカバーの半額以下で発売された時、嬉しくて一気買いしたよね(^^)b』
さっき、私がメッセージで送った内容が書かれていた。震える指で、スクロールする。その下はさっき私に送られてきたワンピースの写真だ。どんどんスクロールした。コンビニのキャンペーン、宝石やネイルなどのプレゼント応募、ランチの写真、可愛い動物動画、日々の呟きに交じって、見覚えのある写真がいくつもあった。全部、私が撮って送った本の写真だ。その写真に添えられたコメントも見覚えのある物ばかり…。背筋が凍った。言いようのない恐怖を感じた。Cは一体、何のためにこんな事を…。
一旦落ち着こうと思って、コーヒーを入れた。一口すすってから、今度はゆっくりと呟きを読む。画面をスクロールしようとして間違ってタップしてしまったら、その呟きに対するコメントも見られる事に気付いた。成程、この吹き出しマークの横にあるのが、この呟きに対するコメント数なのかと思った。そこから、時間はかかるけど、それらを一つ一つ読んでいった。圧倒的にコメントが多いのは、本に対する呟きだった。コメント欄は@読書垢とついた人からのコメントが多かった。読んでいると「この人とは感性が似ている」と思う人がいた。Bだ。成程、こんな風にやり取りをしているのか。夢中になって読んでいたら、お腹が鳴った。そこで我に返った。気付けば深夜だった。夕飯もとらずに、読み耽っていた。
そうして分かったのは、Cが読書に対する呟きをするようになってから、圧倒的にコメント数及びフォロワーが増えたという事だ。これは私に対するメッセージが減った時期とリンクする。それまでは、「#これを見た人はやる」を「見たから、やってみた」と呟いてもせいぜいコメントは多くて3。グッズ譲渡のやりとりでやや増える。後は、自分がフォローしてる人が何か呟いたら、ほぼ全部に食い気味のコメントをしていたが、それに対するリプはまばらだった。「#●●好きさんと繋がりたい。♡でお迎えに上がります」にもやたらと反応していた。なんだろう…。見ていて、息苦しくなった。こういったSNSツールは自己顕示欲の顕れだとネットニュースを読んで知ってはいたが、正にそれだった。淋しくて、誰かに構って欲しくてたまらない。誰でもいいから、自分にコメントしてくれる人にすがりつく淋しがり屋のモンスター…。
脳裏に、好きな詩人の言葉が浮かんだ。
「人は、一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。」
萩原朔太郎が詩集『月に吠える』の序に書いている一文だ。高校時代、初めてこの一文を読んだ時に震えた。この世界の真理だと思ったからだ。大学時代、親元を離れて一人暮らしをするようになってから痛感した。辛い目に遭った時、体調が悪い時、いいようの無い不安に駆られて泣きたくなる夜に、いつもこの言葉を思い出して、孤独から逃れようと朔太郎や中原中也の詩集を読んだ。詩人の言葉に勇気づけられた。
そうして、思った。自分の心の落ち着け方をみつけよう、と。学校で教えてくれる義務教育は大事だ。国語算数理科社会等の異なる分野を学ぶ事で、物事に対するアプローチ法を学ぶ。けれど、実社会において、何よりも大事だと思ったのは心を平穏に保つ方法だ。
大学時代、色々あってメニエールになった。辛かった。横になるだけで何も出来ない私の所にMがよく来てくれた。食べられそうなお粥を作ってくれたり、「綺麗だったから」と実家で咲いた花を持って来てくれた。そうして、何をするでもなく、ベットに横たわる私の隣にいてくれた。
「彩ちゃん、辛い事はなぁい?何かあったら、何でも話してね。溜め込み過ぎるのは良くないよ。そうだ!お腹にガスが溜まりまくって、手術する時にお腹が破裂しちゃった男の人の話でもしようか?」
そんな、実話か作り話か分からない話を真顔でしながら傍にいてくれた。あの頃、私はMに救われた。他愛の無い話から始まり、心に溜まったもやもやを少しずつ吐き出した。それらをただただMに聞いてもらう事で精神的に救われたのだ。思えば、大学生になり、急に男女関係が身近になって、そういうぎすぎすした関係に巻き込まれた私は疲弊していた。付き合ったら全部の時間の私を束縛したい彼と、どんなに好きでも一人の時間を大切にしたい私とでは価値観が違ったのだ。それを相談していた先輩が私を「都合のいい相談女」だと思い込み、襲われそうになった。怖かった。彼氏はそれを「浮気」と決めつけて新しい彼女を作った。サークル内の色恋沙汰が嫌になった私は所属していたサークルを辞めた。年度途中で新しいサークルに入るのは、いかにも「訳アリ」だ。だから、以後、どこにも所属しなかった。そんな憂鬱な毎日から来るストレスが限界を超えたのか、体が変調をきたした。そうして、私はメニエールになったのだ。病は気から、というのはある意味、本当だ。健康でいる為には、心を平穏に保たねばならない。自分の心を満たしてくれるものを持つ事が大事だ。私にとってのそれは、好きな詩人の紡いだ言葉であり、大好きなアーティストの歌でもある。だが、それらはもう増える事はない。何故なら、皆、故人だからだ。だから現在進行形で大事なのは、Mをはじめとする友人達だった。
けれど今、その中の一人が、私の心を大きく乱した。Cは私の心を大きく揺さぶるストレスの元凶になっていた。Cに対して、たまらない嫌悪感を抱いた瞬間だった。そうして、ハッと思い至る。
Cは私の「友人」なのか?と。
派遣から正社員になった時の事を思い出した。あの時、皆が「おめでとう」と言ってくれた時、Cだけは「ずるい」と言った。それを皮切りに思い出すのは、Cの嫌な面ばかりだった。努力を嫌がるくせに、人より優位に立ちたいと思っている所。何か言えば、言い訳ばかりで、親や社会を悪者にしての愚痴ばかりの人生。十代から殆ど何も変わっていない人間としての薄さばかりが目について、反吐が出そうになった。
その後、一晩中ネットサーフィンしていて分かった事は、ネット上においては『パクリ』行為が横行しているという事だ。誰かのバズった呟きをあたかも自分が発したように呟く。同じネット上にある呟きならば、過去に見た誰かが「それ、パクリですよね?」と指摘する事もある。だが…、アナログの、極めて個人的な呟きをパクられた場合はどうすればいい…?
Ⅴ
私が呟きを見た事を知る由もないCから、またメッセージがきた。
『このノートにある復刻版の詩集の写真を送ってくれない?』
『ごめん。それ大学の同期に貸したまま、まだ返してもらえてないんだ…(涙)』
嘘をついて断った。どうせまた勝手にツブヤイターに載せる気なんだと思ったら、耐えられなかったからだ。その詩集は部数限定の大事な本だから、人に貸したりなんかしない。大事に本棚に並べ、時折、そっと箱から出して読むものだ。汚されたくなかった。
十分後、Cのツブヤイターを覗きに行った。案の定、少し前にその詩集についての私のメモを呟いていた。そして、それに対するコメントがあった。
『それって昔、軽井沢にある高原文庫で限定500で売られていた物ですよね?現物あったら是非見たいです。いつもみたいに写真UPして下さい。』
私に断られて諦めたのか、Cがリプを返していた。
『ごめんなさい。探したけど、見当たらなくて…。よく考えたら、大学の同期に借りパクされたままです(><)』
『その友人、ひどいです!いますぐ返してもらいましょ!勝手に売られたりしてたら困りますよ!』
そんな感じでやり取りは続いていた。Cは高卒で働き出したから大学なんて行ってないのに…。リアルでないネットの世界なら、学歴を偽るのも自在だ。ネットゲーム界ではネカマも多いと聞く。私がやっているオンラインゲームでも、可愛い女キャラのアバターの中身はきっと小汚いおっさんなんだろう。性別も学歴も呟きも全部、ウソで固めた虚構の世界。でも、きっと皆同じ。誰かに迷惑をかけない限り、なりたい自分でいられるのがネット空間だ。
Cからは相変わらず、同じ内容のメッセージが来る。来る度に私のストレス指数が上がる。いっそ全部知っているとぶちまけてやろうかと思ったが、ぐっと堪えてメッセージを送った。
『それは図書館で借りた本だから、手元にないな~』
この文言で、私はCの要求の全てを断った。
Cのツブヤイターを見ていると、Cの焦燥が手に取るようだった。
『最近は仕事が忙しくなって、あんまり本が読めません…。読書関係の更新は遅れるかも~。でも、皆さんのオススメ本は教えて下さい♡』
十日ほど考えてから、私は二台目となる格安スマホを契約した。そして、そのスマホでツブヤイターのアカウントを作った。好きな作家のアカウントを手始めにフォローした後、読書垢でフォロワーがそこそこいて、趣味があいそうな人をフォローした。Cのアカウントでリプを送っていたBというアカウントも見付けてフォローした。合計五十人程フォローした。
『豆狸の読書垢です。読んだ本・好きな本について、気ままに呟く予定です。』
プロフィールに書いた一文をそのまま一発目の呟きにして、好きな本について、五冊ほど呟く。その中の一冊は例の限定部数の復刻詩集にした。全部、写真と共にUPする。
『友人と旅行に行った際、我が儘言って、高原文庫に寄って買った思い出の詩集。ポストカードのセットも復刻原稿も一緒に買った宝物♪いつ見ても、可愛い文字で癒される♡』
『大好きな作家さんと装丁師さんのコラボの一冊で私得でしかない。作中の雨の描写がとても好き♡』
『すごいと思った叙述トリック。最後まで読んでから、冒頭に戻ってはいつも震える…』
『原作の物語と原作者の執筆風景が交互に書かれてる。あの偉大な原作が口述筆記された現実を知り、衝撃を受けた一冊。』
『頭悪いけど数学好きな私が楽しめる数の不思議に触れる本。童話風なので読みやすい。』
お風呂に入って髪を洗い、ドライヤーまで済ませてから、ツブヤイターを見たら一時間で十人ほどのフォロワーが出来ていた。本好きは目ざとい。
『うらやましい!私も復刻本欲しかったです!ポストカードはまだ売っているので買いました(^^)』
『叙述トリック好きなら、A氏の作品も読んでますか?』
『これ、Y氏が新聞で連載してたお話ですよね?僕、リアルタイムで読んでましたよ。勿論、本も持ってます』
そんな感じでコメントが書き込まれていたので、一つ一つ丁寧に返した。本好きは自分の好きな本について語るのが好きだ。すぐにリプが返ってくる。
限定詩集の詩人が描いた絵にコメントした後も同じ人からリプが返ってきたので
『小説家Mを父に持つKが詩人たちの絵について書いたエッセイがなかなか良かったですよ』
と返した。
『見付けて読んでみます』
と返ってきたので、その日はひとまず終了とした。
そんな感じで連日、本に対してちょこちょこ呟いていたら、例のBにフォローされた。
『詩人好きなので、親近感を持ちました。お好きな詩人は誰ですか?』
『不動のツートップは中原中也と立原道造。後は萩原朔太郎、室生犀星、富永太郎、大手拓次等が好きです。詩人ではないかもしれませんが、画家の山口薫の詩も好きです。』
『画家なのに詩を書いているのですか?』
『キャンバスの裏に詩作したり、雑記を書いているのですが、なかなかに痺れる文章を書くのです。詩画集は出版年が古く、もう手に入らないので、神田古書店街で文章も収録した展覧会の図録を買いました(写真添付)』
『面白そうな情報ありがとうございます。見付けて読んでみますね』
そんな感じで交流していた。いちいちリプを返すのは大変だったが、これも目的の為だ。
ある日、Bからコメントが来た。
『豆狸さんと読書の趣味が結構被ってるので、この方のツブヤイターを覗いてみたらどうですか?』
そこにあったのは、Cのアカウントだった。遂に来た。
『わ~♪でも、勝手にフォローしたら失礼ですかね?』
『私が一言、添えておきますよ(^^)b』
そうして、Bの口添えのもと、私はCをフォローした。
『Bさんが、本の趣味があうんじゃないか、って紹介して下さいました~。よろしくお願いします。』
『こちらこそ、よろしくです~♪』
『Cさんも限定500で出た詩集をお持ちだとか?いつ頃、買われました~?』
次の瞬間、ポコン、と私のスマホの通知音が鳴ってメッセージが表示された。
『例の限定詩集っていつ頃買ったもの?もう手には入らないの?』
既読はつけなかった。格安スマホの方で、ツブヤイターに続けて打ち込む。
『過去の呟き拝見させていただきました。K氏の例の詩人探偵本の初版をお持ちだなんて、かなり昔からK氏がお好きなんですね。私も初版で持ってます♡どのシリーズがお好きですか?私、K氏のミステリも好きですが、パロディも大好きなんですよ♡』
『明治の使節団の旅行記まで読んでるなんて、Cさんて読書の幅、広いんですね~。すご~い!尊敬します。私も少し気になったので読んでみたいのですが、何巻が一番オススメですか?』
そんな感じで、うざい位に突っ込んだ呟きを書き込んでやった。いつもは食い気味にリプを返すCがリプを返さない。代わりに、私のスマホが連続して通知音を鳴らす。
『K氏のシリーズで一番面白いの、何だった?』
『以前、言ってた明治の使節団の旅行記で一番面白かったの何巻?』
私が格安スマホでした質問が、私のスマホにC経由で届く。滑稽だった。リプが返ってこないのを確認して、私は格安スマホの電源を落とした。ついでに通常のスマホの電源も落とした。いつになってもメッセージに既読が付かず、痺れをきらしたCから電話がかかってきたらたまらないと思ったからだ。明日の朝になったら、「知らないうちに電池切れしてた」と言おう。
その晩は、お気にいりの詩集を読んでぐっすり眠った。久し振りに目覚まし時計のベルで目覚めた。朝食を食べ終わってから、スマホを立ち上げたらCから三十件のメッセージと大量の着信記録に留守電が残っていた。電源を落としておいて正解だった。
『ごめん…。知らないうちに電池切れしてたわ…。今日からしばらくは繁忙期で帰りも遅いから、メッセージは返せないと思う。暇になったらまた連絡する。気になる事は自分で調べてね!』
嘘である。今、うちの会社は特に忙しくない。が、嘘も方便だ。それに、私がこれから忙しくなるのは本当だ。
会社から帰宅後、格安スマホを立ち上げてCのツブヤイターをチェックする。他の人にリプは返しても、私のアカウントへの返事はなかった。私は懲りずに、他の本や作家に対してのコメントを装っての質問をした。私のメモを丸写ししただけで、読んでも無いCには到底答えられないような内容ばかりだ。
溜まっていたアイロン掛けを済ませて、Cからのリプを確認しようと思ったら、Cの呟きが見られなくなっていた。どうやら、ブロックされたようだ。ちやほや構って欲しいけど、自分にとって都合の悪いフォロワーはいらないらしい。
だが、そんな事は想定済みだ。だからこそ、私はBを介してCに紹介してもらったのだ。私は早速、Bにメッセージを送った。
『折角、Bさんに紹介してもらったのに、Cさんにブロックされちゃったみたいで…ぴえん。趣味があいそうだと思って、がっつき過ぎましたかね…(涙)』
『Cさん、そんな人じゃないから、私から一言言っときます。間違って操作しちゃったんじゃないかな?』
自分のスマホで見に行った。Bさんが早速コメントを送ってくれていた。
『豆狸さんを間違ってブロックしちゃってませんか?折角趣味が合いそうな読書友達見付けたのに…って泣いてましたよ』
『ホントだ…。迷惑アカウントを消した時に、間違って豆狸さんもブロックしちゃってました…。教えて下さり、ありがとうございます。』
他人に指摘された事により、ブロックはしぶしぶ(?)解除された。
『わ~!Cさん!また繋がれて良かった~♪こんなに読書の趣味が合う人にはなかなかめぐり逢えないと思うので、たくさんお話して下さいね♡』
そうして、再びCがこれまで写真付きで呟いた本に対してのコメントを送った。
『私がネタバレ嫌いなので、未読の方にネタバレしないように呟くんですけど、K先生の鈍器本四冊目の775頁のシーン最高じゃないですか?Cさんは何冊目の何頁がお好きですか?』
このコメントに対し、同じ鈍器本好きな読書垢から沢山、頁指定のコメントがついたが、肝心のCからは無かった。過去に『シリーズ全冊持ってます♪』と写真をUPしただけに『手元に無くって…』は通用しない筈。さぁ、どう出る?
『先日、布教しようと全冊まとめて友人に貸してしまったので、今はお答えできません。ごめ~ん!返ってきたらリプします』
ふ~ん…。そう来たか…。
『待ってます♪』
Cにそう返した後、私は頁指定してきたK先生オタクと思われる読書垢の方々に丁寧に返信した。顔も名前も知らない人達だが、Cを追い詰める際に味方になるのは、こういう人達だ。
そんな生活を続けていたら、ある日、帰宅後に覗いたCのアカウントに異変が起きていた。一晩にして、フォロワー数が一気に減っていたのだ。不思議に思ったが、タイムラインを遡って疑問は一気に解決した。昨晩、Bさんが呟いていた。
『薄々思ってたんだけど、Cさんって本当はあんなに本を読んでないんじゃないかな?初版で持ってて大好きって言う割に、同じく大ファンを公言する豆狸さんに全然リプ返しないし…』
それに対して、いくつも書き込みがあった。
『ほんそれ!本の写真と簡単な感想はあげるけど、ちょっと突っ込んだ事聞くと黙るよね~。ま、最近じゃ写真もあげなくなったけどさ』
『誰かの呟きをパクッてんのかね?』
『本好きにあるまじき行為!許すまじ!フォロー解除!』
『私も~。その点、いつも丁寧に返してくれる豆狸ちゃん好き♡』
『完全同意』
そんな感じで大量離反が起こっていた。どうせなら、それをリアルタイムで見たかった!
大量のフォロワーが去った後のアカウントは、なんか惨めだ。一連の流れを見ていたフォロワーもCの人間性に疑問を持ったのか、ボロボロと離れていった。
Ⅵ
『お~い?彩、生きてる?繁忙期終わったら、私の愚痴を聞いて~!』
スマホのメッセージアプリの通知音がまた煩い位に鳴るが、あえて通知はOFFにしない。通知音と共に画面に一瞬表示される内容を見るだけで、今のCの状況が大体分かる。
『ツブヤイターで変な奴にフォローされていやがらせされた!』
『豆狸、マジムカつく!死ね!』
その豆狸は私だけどね…と思いながら、私はスマホの電源を落とす。それから、格安スマホでMにショートメールを送る。
『彩です。ワケあって、ケイタイの番号が変わります。時間あるなら、今電話してもいい?』
『早速、番号登録し直しました。電話大丈夫です』
「もしもし、元気?」
「どうしたの?彩ちゃん、元気ないね…。何か、嫌な事あった?」
自分ではいつもと変わらず言った筈が、Mは敏感に感じ取った。
「どうしたの?梅雨が近付いて、低気圧に悩まされ出した?あ!まさか…またメニエールになっちゃったの?」
心配してくれる遠方の親友に心配を掛けまい、と私は言葉を続ける。
「そんなんじゃないよ~。ただ、ちょっと…イヤな事があってさ。Mの声聞いて癒されようと思っただけ。」
「うわ~。ありがとう、って言いたい所だけど、私も今、凹んでるから彩ちゃんの事、元気づけられないかも…。」
「どうした?」
「あのね~。先日、保護者会があったのね。保護者会の後に、PTA役員の仕事があってさ、娘は同じクラスの子と遊んでるって言うから、その子のお母さんにお願いして、仕事してたんよ。一仕事終えて帰ろうとしたら、お気に入りの傘がなかったの!誰かにパクられたみたい…。超ショック…」
「ええl!それって、もしかして――」
「そう、MOMAショップで一目惚れして買ったスカイアンブレラ…。諦めきれなくて、こないだ発行された保護者へプリントに「傘の取り間違いが起こっているようなので、今一度ご確認下さい。間違った方は教務室前の傘立てにそっと戻しておいて下さい」って一文を入れてもらったんだけど、一向に返ってこない…。もぉ~!マジ凹む!ちゃんと持ち手に地方キャラのビニールテープ巻いて目印つけといたから、間違えようがないと思うのに!もぉやだ~!やりたくないPTAの仕事頑張って、いざ帰ろうとしたら、雨なのに傘が無いってどういう事!何より、同じ空間にいた誰かが、私の傘を盗んだのかと思うと周りを信用できない!人間不信になりそう…」
「……」
なんて事だ。いつもはポジティブなMが落ち込んでいた。スカイアンブレラはMが珍しく「素敵な傘買っちゃった♪」と画像付きで報告してきた内側が青空になっている傘だった。しかも悩みのタネは私同様、パクリ問題だ。
「…分かるわ~…。」
私は深い溜め息と共に言葉を吐き出した。
「私も、少し前にパクられた…。」
「うそっ!彩ちゃんも?こんな所までシンクロしなくていいのにね~。何なの?今、泥棒行為が流行ってるの?不景気のせいかな?どうしよう…」
オロオロするMに私は言った。
「あ~。でも、私の場合は犯人分かったし。」
「すご!じゃ、取られた物は取り返せたんだ。」
「ううん。勝手に使われちゃったから、ある意味、もう戻ってはこないかな…。」
「ひっどーい!人の物を勝手に使うって、犯人はどんな神経してるのかしら?使う度に、元の持ち主の顔が浮かんで罪悪感に駆られたりしないのかしらね?」
「う~ん…。しないんじゃないかな?うちの会社に前、勝手にレアカード盗んでネットで売りさばいてた奴がいたんだけど、見つかった時も「バレちゃった!テヘ!」みたいな態度で特に反省とかしてなかったみたいよ。思うに、そういう奴って、最初から何かが欠落してるんだよね。「こうしたら、こうなる」っていう予測が出来ないっていうか、しないって言うか…。で、私が最近、理解したのは、そういう人は一生変わらない、って事。だから、私、そういう人とは距離を置こうと思うの。」
私なりの決意表明だった。私をこれをMに聞いて欲しかったのだ。
「あぁ。言われてみれば、確かにそうかも…。相手の為を思ってどんなに言っても『暖簾に腕押し』で、響かない人には響かないんだよね…。そのうち、言ってるこっちが馬鹿らしくなる。あ~!私もそうしよ!引っ越す度に「新しい土地に馴染むためにも役員をした方がいい」って言われてやって来たけど、結局引くのはババばっかりで馬鹿みたい!もう来年以降は断る!やってられるか~!」
そう言うと、Mはアハハと笑った。
「ありがと。何だか、彩ちゃんと話したら、スッキリしたよ!よっし!私、これから断捨離するわ!色々読んでた片付けのハウツー本に書いてあったの。昔は、物が無かったから何でもかんでもとっといた方が良かったけど、今はそんな時代じゃないんだって。むしろ持たないのがカッコイイんだって。確かに、ミニマリストとかいるよね。でもさ、日常生活をする上で物が無いのは不便だから、自分がときめく物で周りを固めるといいんだって!」
「なるほど~。確かに好きな物に囲まれての生活は素敵そうだ。」
「だよね♪」
そんな話をして通話を終えた。無事に決意表明が出来た私は一仕事終えた気分で、身の回りの荷物をまとめ始める。これから、引っ越しをするのだ。スマホのメッセージアプリが出来てから、Cとのやり取りはほぼ全部それで足りている。今の住んでる住所を教えた事はない。だが、S駅近くの茶色いマンションの五階と言った事はあるから、訪ねて来てしまうかもしれない。それは嫌だ。もう私はCと関りを持ちたくない。
だから、引っ越す事にした。Cの人生から私は消える。住んでいる場所が近いと言うだけで始まった小学校からの付き合いだったけど、人間性が違い過ぎた。どんなにCに言っても、Cには何も響かない。そうして、己は一つも変わらずに、周りに愚痴を吐き散らすのがCの生き方だ。ずっとそれを聞かされ続けるなんて、ごめんだ。
言葉には、言霊が宿ると古典の授業で習った。良い言葉には祝福が、悪い言葉には怨念のようなものが宿る。Cの吐く言葉の全ては呪詛みたいな愚痴だ。吐き散らされる愚痴で、周りも嫌な気持ちにする。
大学に行きたかったのに家が貧乏だから行けなかった、と嘆いていいのは、二十代前半までだろう。それ以降は、そんなに行きたいのなら、自分の稼いだお金で行けばいい。現にそうやって大学生になった人を私は知っている。自分の人生は、自分の手で切り開いていくものだ。何故なら、人は永遠に孤独な生き物だからだ。努力の全部は実らないかもしれないが、頑張った分、それなりに得る物はあるし、頑張りを見ていてくれる人はきっとどこかにいる。運はそうやって、引き寄せる物だ。ただ、毎日をダラダラ過ごし、人に依存しているだけじゃあ、絶対に開けない。
Ⅴ
引っ越しにあたって、貯まっていた有休を一気にとった。これから一週間はお休みだ。引っ越しは、生憎の雨だったが気にしない。私の心はスカイアンブレラの様に晴れやかだった。勤め先に近いクリーム色のマンションの四階にある一室がこれからの私の城だ。
荷解きをしないまま、私は車に乗り込んだ。携帯ショップに行き、スマホを解約した。それから、Cに借りていたDVDをプチプチのクッションのついた封筒に入れて、ポストに投函した。封筒には名前だけを書いた。それから、思いついて高速に乗り、Mのいる県までドライブをした。近くまで行ってから、メッセージを送り、今から少し時間をとれるか聞いた。
『昨日から旦那が中国に出張中だから、いつ電話してもいいよ~。なんなら、泊まりに来ちゃう?(笑)』
『おげ!』
そう返して二十分後、カーナビで辿り着いたMの家のインターホンを押してやった。
「彩ちゃん!?」
ビックリしたMが玄関を開けて、飛び出して来た。
「本物だ~!彩ちゃん、会いたかった!」
「私も!だから、会いに来ちゃった!」
私達は、アジサイの植え込みの前で固くハグした。
「元気だった?」
「うん…。色々あったけど、Mの顔見て元気になった。ちょっと色々吐き出したくて、はるばる会いに来ちゃったよ~。大人になるっていいね。自分で稼いだお金で車を運転して、こうやって友達に会いに来られる。ハイ、これ引っ越し蕎麦代わりのお土産!」
私はそう言って、途中で買って来たお菓子と高級ステーキ肉を差し出した。それを見たMの子が目をキラキラさせて叫んだ。
「あやちゃん、すごぉ~い!あやちゃんのくれるものは何でもおいしい!」
「アハハっ!そうか、あやちゃん、すごいか~。ありがとね。」
私はMの子の頭を撫でる。
「あ、彩ちゃんそこに車入れて。うちに入って。これから夕飯作る所だったから、今日は彩ちゃんが持ってきてくれたこれでビフテキよ!」
「アハハ…。ビフテキっていつの人だよ!笑わせないでよ、明治かよ!」
久しぶりにお腹の底から笑った。
Mの子は、ステーキを頬張った後、私の持って来たチョコとバームクーヘンももぐもぐ食べて、お腹がまあるくなってから、Mにお風呂に入れられて寝た。
「ありがとー。色々、気を使わせちゃって、ごめんね。事前に連絡をもらってたら、こっちも色々用意できたのに…。」
「ん~ん…。こうやって、急に来たのに、パジャマ貸してくれて泊めてくれる友達がいるってありがたいよ。なんかさ~、こうしてると、大学時代に戻ったみたい。」
「ふふっ…。ホントだね。なんか~、今日の彩ちゃんは楽しそう♪色々吹っ切れた顔してるね。」
「うん!私、引っ越しついでに断捨離を済ませて来たの。だから、とってもいい気分!今日は飲みたい気分だわ。」
「あ!じゃぁ、少しだけ飲む?旦那のだけど、山崎があるんですよ!」
「を!いいねぇ~!じゃ、ちょっとだけいただいていいですか?」
「勿論!あ!そうだ!折角だから、これ、一緒に使お!」
そう言って、山崎のボトルと一緒に持って来てくれたのは、カッティングが美しい切子のグラスだった。
「うわ~!何これ!超いいじゃん!」
「ほら、こないだ、傘パクられた後に断捨離するって言ったじゃん。それまではさ、どうせ引っ越しも多いし、引き出物や景品でもらったコップで充分って思ってたんだけど、先日、街中行った時に、これ見て一目で気に入っちゃって…。自分では気が付かなかったんだけど、口開けて見てたらしーの…。それ見た旦那が「Mちゃん、そんなに欲しいなら買う?」って聞いてくれたんだけど、値段見たら高くて…。その日は買わずに帰ってきたんだけど、諦めきれなくてさ…。次の日、旦那の帰りが遅いな、って待ってたら、これ、買ってきてくれたの!もう嬉しくてさ~。「なんで?なんで?」って聞いたら「Mちゃん、あんまり物欲無いのに、このグラスは物欲しそうに見てたから、よっぽど欲しいんだと思って、って。いつも子育てとか頑張ってくれてるから、そのお礼」って。滅茶苦茶嬉しかったよ~!それ以来、毎日使ってるの。知ってる?このグラスで飲むと水道水も美味しいんだよ♪」
「魔法の切子じゃん!」
「うん♪だからね、外で嫌な事があっても、寝る前にこのグラスで飲み物飲むと幸せな気持ちで眠りにつけるの。そういう意味では、QOLが物凄く上がった。お気に入りの物に囲まれる生活は確かにいい、って実感したよ。」
にっこり笑う。Mの旦那さんが良い人で良かったと思う。私は私の好きな人達全員に幸せでいてもらいたい。皆が幸せで優しい気持ちなら、そこから波及して私も幸せな気持ちになれるから。優しくて、心地よい気持ちだけを集めて、これから先は生きていきたいの。
エピローグ
だから、さようならC。
私の人生に貴方はもういらない。
貴方の手元にDVDが届いて、私にメッセージを送っても、もう返事はないでしょう。
何故なら、貴方の知ってる番号のスマホはもう解約したから。
届く事の無いメッセージはどうなるのかしら?
ずっと昔になくなってしまったサクラのファンサイトみたいに『not found』って表示される?
そうそう、新しい私の部屋のルームナンバーは404号室だ。
え?縁起が悪い?
いいのよ、だって私はCから消える女だから。
私にピッタリの部屋番号でしょう?
〈終〉