第4章
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めぐみは実家に一泊して、早朝には仕事に向かいました。出がけに、進くんの寝顔をラフレシアスマイルで見つめたあとで。
「そんなこととはつゆ知らない進くん」
〈いま知りましたよ……〉
放課後、鈴菜ちゃんの高級マンションに、進くん、鈴菜ちゃん、雪ちゃん、十郎太くん、紗々ちゃん、あままちゃん、いままちゃんの七人が集まっていました。
黒ちゃんに、雪ちゃんたちの事情を聞いてもらうための、作戦を立てるためです。
作戦会議の結果。
雪ちゃんが話をしたいと言っても、黒ちゃんが応じるとは思えない。そういう見解で全員一致。そこで浮上したのが、黒ちゃんご執心のラグナロクで釣るという方法。
全員一致でその案を採用。具体的には――。
ラグナロクを実行すると言って、黒ちゃんを決戦フィールドに誘い出す。
誘い出しに成功したら、ラグナロクは置いておいて、そこを話し合いの場にしてしまう。
という作戦になりました。
「この作戦において、黒ちゃんをだまし、誘い出し、土壇場で裏切るという重要な役割を担う(になう)は、進くんです」と私。
「言い方……」
〈でも、そうか。ぼくは黒椿姫を裏切ることになってしまうのか。
けれど、黒椿姫が雪乃城妃と仲直りをして笑顔を見せてくれるのなら……。
姉妹のことを思い出して、つらくなることもなくなるのなら……。
悲しみの種を取りのぞいてあげられるのなら……。
裏切り者の汚名を着てもかまわない。
………………。
い、一時的にだしっ、本当に裏切るわけじゃないしぃっ。
「自分を納得させるのに必死だね~、くすくす❤」
言わないでくださいよ……〉
「ちょっといいかな? 私たちからも、報告があるんだけど……」
鈴菜ちゃんが改まって話しはじめました。その横には雪ちゃんもいます。
「家の問題、無事に解決しました。あはははは……」
照れくさそうに笑います。
安どしたみんなは、口々によかったねと声をかけました。
もうすべての問題が解決したつもりになって、今度は黒ちゃんたちもここに呼んで、一緒に遊ぼうなどと、みんなが話しています。
そんな中で、雪ちゃんは、芽生えた不安を隠していました。
〈だいじょうぶかしら? この作戦だと、黒がまた集団の中で一人になってしまう。そうしたら、また……あんな顔をさせてしまうかもしれない。
ひび割れた鏡に映したような、心が壊れたような顔――。
けれど、私は黒と仲直りがしたい。以前のように、またいっしょに遊びたい、話したい、同じ時を過ごしたい。
だから。
この作戦に賭けてみましょう。黒と仲直りをするチャンスが転がり込んで来たんだから。
私だけじゃどうにもならなかったことが、どうにかなるかも知れないんだから。
それになにより、鈴菜の恩人が協力を求めている。
これで恩返しができるのなら、やる理由はそれで十分よ〉
「ジュースのおかわりとか、あるよ~」
かいがいしく接客しながら、みんなと楽しげに過ごしている鈴菜ちゃんですが――。
実は一人でものすごく意気込んでいました。
〈現実でもカラフロでも、進くんは私を助けてくれた。こんどは私が進くんの力になってあげるんだっ。でも……どうして進くんは、私によくしてくれるんだろう……?
「好きだからでしょ。――わかってるくせに❤」
きゃああああああ❤〉
「顔まっ赤にしてどうしたの?」
「!? な、なんでもないよ!?」
ぎこちなくはぐらかす鈴菜ちゃん。
「――あっそ」
雪ちゃんも、とくに追及しません。
〈からかったんでしょ?
「ご名答❤」と私〉
「ところで、なんで天木兄妹までここにいるの?」
「なんでって……」
ソファーですっかりくつろいでいた十郎太くんは、冷たいなぁと言うように肩をすくめ、
「いまカラフロはリスキャラワールドの中にあるからね。リスキャラワールドの管理者としては、なにがおこなわれようとしているのか知っておく必要があるんだよ」
「本当は?」と、おかわりしたジュースを飲む紗々ちゃん。
「進くんと一緒にいたかったから、ついてきちゃったぁ❤」
そんなことだろうとあきれる一同。
「でもでも、管理者としての責任があるのも本当だよ! 進くんの力になりたいとも思ってるよっ」
「よろしくね」
進くんはくったくのない笑顔で言いました。
「!? 進くんにたのまれちゃった、うれしいなぁ♪」
十郎太くんは、喜びのあまり、満面笑顔で舞い踊ります。
〈この作戦で、黒椿姫もこんな風に、笑顔になってくれたらいいなぁ〉
それぞれがそれぞれの想いを胸に抱く中、今宵、作戦が実行されます。
進くんが学校に行っている間に、黒ちゃんは進くんのパソコンをちょっと拝借しました。ちなみにココナちゃんとみぃみぃちゃんはリビングでふたり遊びです。
「だいじょうぶなの?」
「なにがじゃ? わらわとてパソコンぐらい使えるぞ?」
「そうじゃなくて……。
思春期の男の子のパソコンなんていじったら、変なものが出てきちゃうんじゃないの?」
「!? なっ、なにを言うておるのじゃおぬしはぁ~!!」
ぼっと燃えるように、黒ちゃんが赤面しました。パソコンを使っていて目にしたものを思い出したのです。それは画像だったのでしょうか? 動画だったのでしょうか?
「ねぇねぇ、どんなのだったの?」
「知らん知らん知らんっ、断じて知ら~ん!〈ばかもの……進のスケベっ〉」
黒ちゃんは自分のちいさな胸に手を当てて、
〈やはり進も大きい方が好きなんじゃろうか……〉
「で――パソコンでなにしてるの?」
「ん? それはな――もしも進がラグナロクをやる気になってくれたら、渡そうと思うておるプレゼントがあってのう。そのための準備じゃ」
どうやら黒ちゃんは、進くんのパソコンに残ったカラフロのデータや、封鎖したゲームサーバー内のデータを、管理者権限でアクセスしてのぞき見しているみたいです。
「ほう、なかなかおもしろいデータが残っておったぞ。これは使えそうじゃ――」
〈進のよろこぶ顔が目に浮かぶのう。渡すときが楽しみじゃ〉
自分でも気づかぬうちに、黒ちゃんは笑みをこぼします。
ラグナロクからはじめる新生活。進くんたちとの家族のような生活を思い描いて、夢見心地になったのです。
進くんには、ラグナロクをやる気が一切ないというのに。
「…………」
一転、黒ちゃんが表情をくもらせました。家族のことを考えると、どうしても、姉妹のことも考えてしまうのです。
〈裏切り者どもなど、新生活の贄じゃ……〉
それは、姉妹との仲をたがえてしまった悲しさから逃れるための呪文のようでした。まるで自分に言い聞かせるように、黒ちゃんはそれを心の中でつぶやきました。
〈いいのじゃ! いまのわらわには進たちがいるからいいのじゃ!〉
暗い気持ちをふり払い、進くんたちとの新生活に思いを馳せて、黒ちゃんは瞳を輝かせました。
「もしも……進くんたちまで裏切ったら、どうする?」
「!?」
進くんたちの作戦実行が差し迫っているので、思わず訊いてしまいました……。
「ははっ、それはない。冗談が過ぎるのう」
笑い飛ばされました。
〈進たちはわらわにやさしい。気も使ってくれておる。
……脅迫したからか? 離れ離れになりたくなくて、わらわの機嫌を取っておるのか?
いや、ちょっとちがう気がする……わらわと、仲良くなろうとしてくれておる気がする。だって――からあげも作ってくれた。お風呂にも、いっしょに入ってくれた……ちょっと恥ずかしかったがな!
いつもようしてくれておる。悪くは思うておらぬはず……きっと思うておらぬはず……。
それに、進はいいやつだからな。裏切りなど、するようなやつではない〉
けれどもそれは姉妹に対しても思っていたことでした。
そして結果は……。
あの日、姉妹の中でひとりぼっちにされたときの感情が蘇り、悲しさで押しつぶされそうになったときの感情が蘇り、黒ちゃんは一抹の不安を抱きました。
〈じゃがもしも、そんなことになったら……どうなってしまうかわからぬのう…………〉
帰宅後、進くんはすぐに作戦を実行して、ラグナロクの件を黒ちゃんに伝えました。
「勝手に決めてきちゃったんですけど、学校で白浜さんと話してて、今日の夜九時にラグナロクで対戦することになったんですけど……いいですか?」
〈怒るかな……怒るだろうなぁ。でも、うまくなだめないと。作戦の成否はここにかかっているんだから〉
進くんは黒ちゃんの顔色をうかがいます。
「!? なんじゃとっ」
黒ちゃんは、飛び上がりそうなほど、おどろきました。
〈進の方からラグナロクの話を持ってきてくれた! 進がやる気になってくれたぞ! うれしいのう……。
はっ!? ちょっとまてっ。急過ぎて、まだプレゼントの用意ができておらぬっ。ぐぬぬぬぬ……〉
黒ちゃんの顔色をうかがっていた進くんは、黒ちゃんのぐぬぬ顔に気づきました。
〈っ、やっぱり怒らせちゃったかな? どうしよう……。
なにか食べたいものを作ってあげたら、機嫌なおしてくれるかなぁ……〉
からあげを美味しそうに食べていた黒ちゃんの顔を思い出した進くんは、思わずほほがゆるみそうになりました。――いまはそれどころじゃないと思うのですが、うれしかったのでしょうね。
「ふんっ、し、しかたないのうっ、それならそれでもよいわ!」
本当は、いますぐにでも、飛びつきたいほどうれしい黒ちゃんでしたが、ここはぐっとがまんしました。
「じゃが、わらわにも準備の都合がある。ちと時間をもらうぞっ。進のパソコンも借りる。部屋にも決して入ってくるでないぞ!」
〈えぇ~!? パっパソコン使うの? どうしよう……。変なもの見られてギクシャクするのとか、いやだよう……〉
だいじょうぶです、いらぬ心配です。いまさらギクシャクなんてしません。
だって――もう見られたあとですから❤
黒ちゃんが部屋にこもっている間に、進くんは二人に作戦を伝えました。
作戦を聞いたココナちゃんとみぃみぃちゃんには思うところがありました。進くんに会わせてくれた黒ちゃんに、そして再会させてくれた黒ちゃんに、二人も恩返しがしたいと思っていました。ついにそのときが来たのだと、二人は意気込みます。進くんを信じて。
「わかったわん!」
「がんばるみぃ❤」
「ありがと♪」
二人が返事に込めた言葉の重みに、進くんは気づいていません。
〈よかった、黒椿姫、怒らないでくれた。これで仲直りをさせてあげられる。やっと本当の笑顔が見られる〉
ほっと胸をなでおろした進くんは、今度はがまんすることなく、ほほをゆるませました。
黒ちゃんの気持ちも知らずに。
一方。
黒ちゃんは進くんの部屋で、嬉々としてパソコン作業を進めます。
〈ついにできるぞラグナロクが! 進たちとともにクエストが! ゆっくりのんびり作戦、成功じゃな。わらわが急いたせいで、女性アバター姿を見られて、進のやつ、だいぶショックだったようじゃからなぁ。ラグナロクもさけているようじゃったからなぁ。
せっつかずに、立ち直るまで待たねばならぬと思うておったが――。
進のやつ、思いのほか早く復活しおった、復活してくれた。これを期につかむのじゃ、進たちと仲良くなるきっかけを! 家族になる足がかりを!〉
胸躍らせた黒ちゃんは、思わずほほをゆるませました。
ぬか喜びになるとも知らずに。
そろそろ約束の時間です。もう夕食もお風呂も終えている進くんたちが、ラグナロクの準備に入りました。といっても、外出着に着替えるだけですが。
〈黒椿姫をこのまま決戦フィールドまで連れて行けば、すべてがうまくいく――〉
進くんは、自分が仕掛けたサプライズが成功すると信じて、わくわくしています。
「なあ、進よ……」
黒ちゃんが上目使いでもじもじしながら言います。身体をゆするたびに、着物ドレスのスカートとうしろ頭の大きなリボンが、かわいらしくゆれました。
「ちとここで、ログインしてみよ。アバターになってみよ」
「え――」
女装姿を今回は見られないで済むと思っていた進くんの思考が一瞬停止しました。
〈なんでだろう? でもここでいやがって、機嫌をそこねて、やっぱり行かないとか言い出されてもこまるし……。しかたない、作戦のためだ〉
「わかりました。――ログイン!」
全身を包んだ眩い光が消えてなくなると、進くんの姿は栗色の髪のかわいらしい女の子の姿に――変わっていませんでした。
そこにいたのは中二病を具現化したような青年でした。
すらりとした長身で、軽量級ボクサーのような引き締まった体つき。ホワイトレザーのパンツとショートジャケットを着こなし、髪は白髪に近い水色で、瞳は黄金、細い眉。
進くんが、カッコいいと思っている理想の姿が、そこにありました。
鏡を見た進くんは、
「これは……ハヤト!?」
進くんがカラフロのキャラメイクのときに作ってボツにしたキャラクター、それがハヤトです。名前まで決めていたとは知りませんでしたが。
「知り合いの前で女性アバター姿になるのが恥ずかしいようじゃったから、男性アバターを用意してみたぞ。これで心置きなく戦えるじゃろ?」
〈黒椿姫がぼくに気を使ってくれた!? うれしいけど、でもどうして……。だって、黒椿姫にとってのぼくは、ただの手駒なんじゃないの!? 復讐の道具なんじゃないの!?〉
ハヤトの姿で呆然と立ち尽くす進くん。
〈おどろいておる、おどろいておる。ココナとみぃみぃに再会させてやったときと同じくらいおどろいておる、くすくすくす❤ いつもと顔がちがうから、感情がわかりにくいが――わらわからのサプライズプレゼント、気に入ってくれたようじゃな〉
進くんがラグナロクをやる気になったときのために、黒ちゃんが用意していたプレゼント。それは男性アバターでした。
覚えておいででしょうか? 進くんがのどかちゃんを作った言いわけを。
自分の理想の姿のようなカッコいい男性アバターを作ってしまい、理想と現実のギャップがいやになり、完全虚構にしようと思って女性アバターにした、と言っていたことを。
進くんのカラフロのプレイデータログを調べていた黒ちゃんが見つけた(おもしろいもの)とはハヤトのことでした。男性アバターをプレゼントしようにも、どんなものがいいかわからなかった黒ちゃんにとって、ハヤトは、まさに天啓だったのです。
〈進たちと一緒にいるのは楽しいのう、ずっとこうしていたいのう……。
そのためにも、今度こそ……ちゃんと言うぞ!〉
「ラグナロク、一緒に楽しもうな❤」
黒ちゃんが、まるで花が咲いたような、無垢で素直な笑みを見せました。
最高の笑顔でした――黒ちゃんが進くんに見せたはじめての笑顔でした。
「はい……」
ですが進くんの反応は微妙です。ずっと見たかった本当の笑顔を目にしたというのに。
〈おどろかせ過ぎたせいで、ちと放心しているようじゃ〉と、黒ちゃんは思っていますが、実際の進くんは――。
〈どういうこと!?〉
進くんは困惑し、戸惑い、そして混乱していました。
〈そのかわいい笑顔の理由は!?〉
〈やっと素直に本心を言えたのじゃ……よかった。神さまじゃからって、最初変に偉ぶってしもうた。ラグナロクで一緒に戦ってくれとお願いするつもりが、断わられるのが怖くて、脅迫してしもうた。そのせいで、いつも偉そうにしておらねばならなくなって、進たちとの間に距離ができてしもうた。うれしくても、楽しくても、素直になれなくなってしもうた。そんなことしなくてよかったのに……。
一緒に笑い合いたいと思うておったのに……〉
まるで、進くんが抱いた疑問に黒ちゃんが答えているようです――ですが、残念ながら、ともに思っているだけなので、口にはしていないので、お互いには伝わりません。
〈姉妹へのわだかまりは? そのせいで素直に笑えなくなっていたんじゃないの!? 笑顔にブレーキがかかっていたんじゃないの!?〉
〈姉妹への怒りや悲しみは、わりと素直に出してしまっておったのにな。――素直に笑うことはできなくなっておったくせに。じゃが、そんなことではダメなのじゃ。
これからは、進たちとよろこびを分かち合いたい、笑い合いたい。
そのためには、わらわが態度を改めねばならぬのじゃ。
そして、仲良くなりたい――家族になりたい〉
〈ラグナロクは復讐の手段なんじゃないの!? あれじゃまるで、友だちと遊園地に遊びに行く約束をして、はしゃいでいる子供みたいじゃないか!?〉
〈やっと一緒に遊べるな。クエストに挑めるな。わらわとも、一緒にクエストに行けたらいいのにと、進が思うてくれたから。わらわもそれを夢見たから。
わらわたちの願いを形にした企画がラグナロク。
姉妹のせいで復讐の手段のようになってしもうたが……。
進とココナとみぃみぃを再会させてやれたから。悲しみから救ってやれたから。笑顔にもどしてやれたから――もういいのじゃ。
進たちが幸せならそれでよい。それは、わらわの望みでもある。
じゃから、ラグナロクを本来の目的にもどそう。一緒に遊ぼう!
と言いつつ……これをきっかけにして、進たちと仲良くなるという目論見はあるが❤
最初のラグナロクのときは、気を使ってやれずに、アバターのせいで、進に恥ずかしい思いをさせてしもうたが……。
これでもうだいじょうぶじゃ。こんどこそ、いっしょに楽しもうな❤〉
時間はかかってしまいましたが、黒ちゃんは、ようやく素直になることができました。
その一方――。
〈いま、ぼくの目の前にあるもの。黒椿姫の最高の笑顔。ずっと見たかった本当の笑顔。
それがやっと見れたのに……すこしもうれしくない。それどころか不安を覚えている。
いったいどうして……。
まだなにもしていないのに、むしろ作戦はこれからなのに笑顔が見れてしまったから?
じゃあぼくがこれからやろうとしていることってなんなの……。
黒椿姫の意図が、気持ちが、考えがわからない……目的がわからなくなっちゃった。
黒椿姫は、いったいなにがしたいの?
…………。
ひょっとして、ぼくは、なにか思いちがいをしている? 根本的になにかがまちがっているんだとしたら……この作戦、本当に……実行していいの?〉
ですが、もうあともどりはできません。協力を約束してくれた雪ちゃんたちが決戦フィールドで待っていますし、黒ちゃんもその気になっています。いまさら、やっぱりやめた、なんて言える状況ではありません。
進くんは、必死に、まるで自分までだますように、作戦を肯定する理由を探します。
思いちがいに勘づいていながら、思い止まる勇気もなく、見たかったはずの笑顔からも、顔をそむけて。
〈――男性アバター――。
のどか(女性アバター)だと、ぼくが人目を気にしてまともに戦えなかったから、ちゃんと戦わせるために、ハヤトを用意したんだ。それなら納得がいく。きっとそうにちがいない……。
黒椿姫も言っていたじゃないか、これで心おきなく戦えるじゃろって……。
黒椿姫がぼくとココナとみぃみぃを再会させてくれたのも、ラグナロクを手伝わせるためじゃないか。その対価としてじゃないか。手駒にするためじゃないか。
ぼくらの間のギブ&テイク。黒椿姫には、ぼくらを再会させる理由が、ほかにない。
けれど。
たとえそれが対価だったとしても、ぼくはうれしかったんだ。感謝しているんだ。
だから恩返しがしたい、笑顔にしたい、素直に笑えるようにしてあげたいんだ。
離れ離れになって悲しんでいたぼくらを、黒椿姫が救ってくれたように。笑顔にもどしてくれたように。
――姉妹へのわだかまりは――。
あるはずだ。だって見たじゃないか。黒椿姫が姉妹のことで怒鳴っている姿を。雪乃城妃を目にして怒った顔を。姉妹との日常を失ってしまったことを悲しんでいる様子を。
姉妹との日常で楽しかった思い出が、なにかのきっかけでフラッシュバックしたときに見せた、とてもつらそうな表情を――笑顔にブレーキがかかるところを。
楽しかったことを思い出すとつらくなるなんて、悲しすぎるから。
ぼくはその悲しみの種を取ってあげたいんだ。それにしても……。
――あの、かわいい笑顔は――。
………………。
やっと、ラグナロクができるからだ。復讐が、できるからだ。それが楽しみでしかたがないんだ。だからまるで、遊園地に遊びに行くような、あんな顔になったんだ。
そうだ、そうにちがいない。
……………………。
だって、あんな笑顔、いままで見せてくれなかったじゃないか!
それが、今になってあの笑顔なの? もう、なにがなんだか……。
だからちがう、あの笑顔はちがう、ぼくが見たかった、取りもどさせてあげたかった、本当の笑顔じゃない……〉
やっと素直になれた黒ちゃんに向かって、進くんが爆弾を抱えて突っ込もうとしているようにしか見えません。
〈この作戦は、姉妹の仲直りが目的なんだから、イジワルをすることじゃないんだから、ちょっとダマすことになっても、悪い結果にはならないはず……〉
地雷原だとわかっていながら、気づいていないふりをして、進くんは歩みを進めます。
〈黒椿姫を決戦フィールドに連れて行きさえすれば、すべてがうまくいく、だいじょうぶ、悪いことにはならないはず……〉
進くんは作戦の成功を無理やり信じようとします。
なんの疑いも持たず、なぜか抱いていた、作戦は成功するという根拠のない自信は、もうすでに、不安によって蝕まれて、ボロボロだというのに。
「さあ、ラグナロクじゃ!!」
なにも知らない、疑ってもいない黒ちゃんが、元気に、とてもうれしそうな笑顔で、こぶしを突き上げました。
〈ラグナロク、こんどこそ開戦じゃ! 進たちとクエストじゃ!〉
黒ちゃんとその従者を、光の波が運びます。
灰色の荒野。薄紫色の空。そしてオレンジ色の月。
雪ちゃんたちは決戦フィールドタイプ1で天木兄妹と一緒に黒ちゃんたちの到着を待っていました。来るのがちょっと遅いな、と思いながら。
やっと来た黒ちゃんたちに、雪ちゃんたちは違和感を覚えました。違和感の正体にはすぐに気づきました。進くんがいなかったからです。その代わりに、中二病チックな容姿の青年がいたからです。
〈進くんのサブアバター……かな?〉
鈴菜ちゃんが青年の正体の推測をしている横で、雪ちゃんが表情をくもらせています。悪い予感をおぼえたからです。
〈あれ……ひょっとして……黒が進くんのために用意したんじゃないの?
女性アバター姿を見られて、進くんがすごく狼狽していたから。
だとしたら……この作戦は、黒の、進くんへのせっかくの気づかいを台無しに……。
でも、うまくいくかもしれないし……〉
この作戦のほころびを見つけた雪ちゃんが、それを進くんに伝えるべきか迷っています。まだ成功する可能性もあるからです。
ハヤト姿の進くんを引き連れた黒ちゃんが、雪ちゃんたちの前までやってきました。
〈やっぱりハヤトが進くん――〉
雪ちゃんたちにも青年の正体が伝わりました。
黒ちゃんは先に来ていた雪ちゃんたちに向かって、
「やられるために早く来るとはごくろうなことじゃな。望みどおりにしてやるぞ!」
黒ちゃんのひとり相撲がはじまりました。
「見物したければしていくがよい」
黒ちゃんは天木兄妹にそう声をかけると、
「さあ、そっちも早くログインさせよ。もう卑怯な手で戦おうとは思わん。正々堂々勝負じゃ!」
と、雪ちゃんに熱いまなざしを向けました。
〈よくもわらわを裏切ったな、のけ者にしたな、ひとりぼっちにしたなっ。
じゃが見よ! いまのわらわには進たちがおる! おぬしらがのけ者にしたわらわにも、ともにいてくれる者ができたのじゃ!
わらわは進たちと家族になる! ラグナロクはそのための第一歩。
おぬしらには嫌でも付き合ってもらうぞっ、対戦相手がおらねばはじまらぬからな!
元姉妹のよしみ……それぐらい、いいじゃろう?〉
「さあ、はじめようか!!」
ここで、進くんが動きました。ココナちゃんとみぃみぃちゃんを連れて、黒ちゃんの前に立ち塞がりました。横にいてくれるはずの進くんたちに、前に立たれた黒ちゃんは、なにごとかと、きょとんとしています。
「どうしたのじゃ?」
黒ちゃんは不思議そうに首をかしげました。
「ラグナロクはやりません。今日、ここに、黒椿姫に来てもらったのは、雪乃城妃と話をしてもらうためです」
「なん……じゃと!?」
黒ちゃんは、とっさに、全員の顔を見まわしました。
進くんの発言におどろいているのは自分だけ。事情を知らないのは自分だけ。
そう気づいた黒ちゃんは、悪寒に襲われました。つらい記憶が脳裏に蘇ったからです。
あのときと同じだと思ったのです。姉妹にのけ者にされた、あの日と。
〈そんな……そんなばかな……進が、わらわを……っ〉
〈だいじょうぶ、だいじょうぶ、きっとうまくいく、だいじょうぶなはず……〉
黒ちゃんは、目を見開いて、しぼり出すような声で、進くんに訊きました。
「わらわを、裏切った……のか? 〈ちがうと言うてくれ!!〉」
「言い方がわるいですけど、そういうことになりますね。でも――」
進くんは、必死に、誠意をもって、黒ちゃんの説得を試みます。ですが、進くんの声は、残念ながら聞こえていません。
あまりのショックで、自分の内側から溢れてくる感情で溺れかけている今の黒ちゃんには、誰からの、どんな言葉も届きません。
雪ちゃんは、後悔の波に襲われて、胸が苦しくなりました。
――割れた鏡に映したような、心が壊れたような顔――。
もう二度と見たくない、させたくないと思っていた顔を、また、黒ちゃんにさせてしまったからです。
悪い予感がしたのに、気づいたのに、作戦を止めることができなかった。
雪ちゃんは、あの瞬間の、自分の判断を呪います。
〈進がわらわを裏切った。進までが、わらわを裏切った。
わらわは家族に、家族になりたいと思った者に、裏切られる定めなのか? わらわは、家族が欲しいと思うてはならぬのか? わらわが、いったい、なにをしたというんじゃ!?
………………。
脅迫した――――頭を抱えたい。
仲良くなるためとはいえ、家に居座るためとはいえ、手伝いを拒否されるのか怖かったからとはいえ、脅迫をしてしもうた。
脅迫などする者のことなど、好きになってくれるわけがない。
わらわが気づいていないだけで、親や姉妹にも、何かしてしまっておったのやもしれん。
それで見捨てられたのやもしれん。すべてわらわの逆恨みやもしれん。
家族が欲しいと思うなんて、おこがましかったのやもしれん……泣きそうじゃ。
――――。
わらわは進たちが大好きじゃ。離れ離れにする気なんて、毛頭なかった。
たてまえだけの脅迫だったとはいえ、いやな思いをさせてしまっておったのなら……苦しめておったのなら……すまなんだのう……。おぬしらはもうずっといっしょじゃ。安心して仲良く暮らせ……その輪に入りたいだなんて……とんだおごりじゃったと思い知ったよ。じゃから、もう……〉
「わらわの前からいなくなってくれ」
〈え――〉
説得を続けていた進くんの表情が凍りつきました。
〈!? こんなもの――〉
黒ちゃんが(こんなもの)と罵ったのはハヤトのことです。自分で用意したサプライズプレゼントのことです。けれど想いは届いていなくて、ひとりで浮かれていただけだと思い知って、ハヤトを見ていたら、つらくなって、悲しくなって、罵ってしまったのです。
ハヤトを見ていられなくなった黒ちゃんは、まるで、プレゼントを取り返して地面に叩きつけるような気持ちで、ハヤトを削除しました。
進くんのアバターが、強制的に、のどかに変わりました。
〈アバターがのどかにもどった!? いったいどうして――〉
けじめをつけるために、未練を断ち切るために――さようならをするために。
黒ちゃんは、進くんを、黒の信仰者からも追放しました】
そして。
「去れ!!」
黒ちゃんが叫びました。悲しみで押しつぶされて心まで壊れてしまいそうな、泣き顔で。
――。
空から射した無数の影が、地面に不気味な水玉模様を描きました。
頭上から、空気を裂いて、何かが落下してきます。
人の身の丈以上ある、巨大な黒い十字架が、雨のように降ってきました。
これは黒椿姫のラグナロク用集団殲滅スキル、黒十字の森。
降ってきた十字架は、敵に衝突することでダメージを与え、地面に突き立ち障害物となることで相手の進行を阻害します。
黒ちゃんが、ひとりで、ラグナロクを開戦させたのです。自分以外のすべてを敵として。
影が射すので降ってくる場所の特定は容易ですが、その数が多いので、すべてを回避することはほぼ不可能です。雨をよけるのが不可能なように。
「そんな――なんで!?」
おどろきながらも、カラフロを長年やってきた経験から、進くんは、反射的に、スキルを使って、攻撃に対処しようとしました。
ですが。
すべてのスキルにロックがかかっていて、使うことができませんでした。それどころかステータスにも制限がかかっていて、すべての数値がレベル1と同等程度まで強制的に抑えられていました。ココナちゃんとみぃみぃちゃんも同様です。
そんな状態では、熟練者向け高難易度レイドバトル、あるいはクエストであるラグナロクに対処できるわけがありません。
進くんたちは、なす術もなく、あっという間に、黒十字の森で殲滅されて、決戦フィールドから、カラフロから、黒ちゃんの手によって追い払われてしまいました。
光の波に飲まれた進くんは、もうこちらを向いてくれない黒ちゃんを、姿がどんどん遠ざかっていく黒ちゃんを見つめながら、なげくことしかできませんでした。その姿が見えなくなるまで。
〈あのとき――ハヤトが削除されてアバターがのどかにもどったときに、無信仰者にされてしまったんだ。だからなにもできなくなってしまったんだ〉
カラフロでは信仰する神さまを途中で変えることもできました。そのためには一度無信仰者になるのですが、この状態になるとアバターやそのパートナーはなんの能力も使えなくなり、ステータスも抑えられてしまいます。信仰する神さまを新たに決めれば元にもどりますが。
〈失敗してしまった、失ってしまった、ダメになってしまった、なにもかも。ココナとみぃみぃとの生活も、黒椿姫への恩返しも、笑顔にすることも、家族になることも。
作戦を成功させたかった。いやな予感はあったけれど――気づいていないふりをして。
うまくいくと思っていたのに――そう思いたかっただけ?
ぜんぜん大丈夫じゃなかった。うまくいかなかった、最悪な結果になってしまった……。
これで、ココナもみぃみぃも黒椿姫もいなくなってしまう。
ぼくはまたひとりぼっち。一人きりの生活になってしまう。
ぼくは家族と一緒に暮らせない運命なのかなぁ……〉
光の波によって、進くんは自宅のリビングにもどされました。
〈ぼくは黒椿姫を笑顔にしたかったのに、泣かせてしまった、あんな顔をさせてしまった。どうしてこんなことになってしまったんだろう……〉
進くんは、思わず二人を抱きしめました――ココナちゃんとみぃみぃちゃんを。家にもどされたのは、進くんだけではなかったのです。
〈ハヤトも能力も失った。追放されてしまった。黒椿姫もいなくなってしまった。
だけど二人はここにいる。
ぼくらに罰を与えるのなら、離れ離れにするのが一番のはずなのに。そうすると言っていたはずなのに。だけど二人はここにいる。どうしてなんだろう? なんでなんだろう?
…………。
もしかして……ひょっとして……離れ離れにする気なんて……なかった?〉
進くんは、迷路の中で、地図を見つけたような気分になりました。
そして胸がはりさけそうになりました。黒ちゃんの気持ちに気づいたからです。
〈涙が出てきた。黒椿姫はツンデレさんじゃないか。ツンなときには、言葉や態度の裏に本心があるのは常識じゃないか! それなのに、黒椿姫の脅迫を真に受けて……。
ずっと片思いだと思っていた。だけど――。
黒椿姫の、ぼくへの気づかい、あの笑顔、一緒に楽しもうというあの言葉――。
両思い、だったんだ。黒椿姫もぼくらと仲良くなろうとしてくれていたんだ。
仲良くなりたいって、家族になりたいって、素直に言うだけでよかったんだ。
それだけでよかったんだ。それなのに、ぼくは……。
思いちがいに気づいたのに、それを認められなくて、黒椿姫の好意をわざわざ悪い方にねじ曲げて受け取って、黒椿姫の気持ちを踏みにじってしまった。
せっかく、黒椿姫が素直な笑顔を見せてくれたのに、ぼくがそれを壊してしまった。
ずっと見たかった笑顔を、ぼくが、台なしにしてしまった……〉
進くんたちは、抱き合いながら、声を出して、泣いています。
〈この作戦は黒椿姫へのプレゼントだった。やっと思いついた恩返しの方法だった。このサプライズが成功すれば、すべてがうまくいくと思っていた。黒椿姫を笑顔にできて、仲良くなれて、家族になれると思っていた。ぼくはそのために嘘をついたんだ。
――二人と一緒にいるため、離れ離れにされないためでもあったけれど――。
だけど結果は……。
ぼくの独りよがりな恩返しのせいで黒椿姫を泣かせてしまった。
姉妹に裏切られたと思い込んでいる黒椿姫に、裏切りからはじまるサプライズなんて仕掛けちゃダメじゃないか! ショックを受けるに決まっているじゃないか!
泣いてしまうに決まっているじゃないか!
誤解のせいでこじれてしまった関係を修復しようと思っていたのに、誤解の上塗りをするようなサプライズをしかけちゃダメじゃないか!
誤解を解くには細心の注意を払わなくちゃいけなかったのに、全然できていなかった。
恩返しのためだからって、復讐を手伝うと嘘をついて、だまし続けた結果がこれだなんて……最低じゃないか!!〉
腕の中にココナちゃんとみぃみぃちゃんがいること自体が、黒椿姫のやさしさそのもので、二人を抱きしめるたびに、それを踏みにじってしまったことを痛感して、進くんは、胸がつぶれそうになりました。
着信――スマホが鳴りました。鈴菜ちゃんからです。
着信に気づいた進くんは、はっとしました。鈴菜ちゃんたちまで作戦にまき込んだあげく、黒ちゃんと雪ちゃんの関係を余計にこじらせてしまったと思い至ったからです。
進くんはますます自分がきらいになりました。
「だいじょうぶ?」
鈴菜ちゃんのスマホを使ってかけてきたのは雪ちゃんでした。
「ごめんなさい……」
「ダメそうね」
言葉と口調から、雪ちゃんは進くんがだいぶまいっていると察しました。
「ぼくのせいで、ぼくのせいで……」
「許せない」
「――っ」
「許せないわ、そんな言い方――。仲間になったんじゃなかったの? 私たち」
「え――」
「あなたは黒に恩返しをするため、私は黒と仲直りをするために手を組んだ、ちがうの?」
「ちがいません! でも、ぼくのダメな作戦のせいで……」
「そうね、ぜんぜんダメだったわね」
「……〈言葉もありません〉」
「だけど、その作戦に乗るって決めたのは私。だから進くんだけのせいじゃないわ。〈作戦のほころびに気づいたのに、止めなかったのも私だし〉
それにね、進くんは鈴菜の恩人なの。〈リナリナにとってもね〉
だから、恩返しぐらいさせなさい。私たちの気持ち、わかってくれるわよね? ――黒に恩返しがしたいと思っている進くんなら」
「はい……。〈黒椿姫を泣かせたままじゃいやだ。恩返しがしたい、笑顔が見たい、もう一度、今度こそ……〉」
いくらでも協力してあげるからと伝えると、雪ちゃんは電話を切りました。
「さあ、行くわよ」
「うん!」
話を聞いていた鈴菜ちゃんは力強くうなずきました。
黒ちゃんに黒十字の森を使われたあと、雪ちゃんたちはマンションまで撤退していました。ともにもどった天木兄妹も雪ちゃんに同意します。
雪ちゃんたちはタクシーを呼んで進くんの家に向かいました。
どうでもいいですけど……移動方法までお金持ちですね。
〈遠まわりになってしまったけれど。ダメなところもあったけれど。
ぼくのしてきたことすべてがムダだったわけじゃなかった。
だって――手を貸してくれる友だちができたから。
ぼくは恩返しがしたい。作戦だって完全に失敗したわけじゃない、まだ途中なんだ。
ぼくたちの思いをちゃんと届けるんだ――黒椿姫に。そして、笑い合うんだ!〉
「わん!」「みぃ!」
以心伝心。口にしなくても、進くんの気持ちは二人に伝わりました。
〈黒椿姫とも、こんな関係になりたい〉
両ひざを抱えてまるくなっている黒ちゃんが、まるで風に遊ばれるタンポポの綿毛のように宙に浮いています。黒い十字架が降り続く決戦フィールドタイプ1の中空で。
〈なんでこんなことになった? なんでわらわはこんな所におる? なんでこんな所に、ひとりでおる? ここは大勢で遊ぶための場所だったはずなのに。
ここで、進たちと一緒に遊ぶはずだったのに。進たちの勇士を姉妹に見せつけて、優越感にひたるはずじゃったのに。
一緒に遊んで、仲良くなって……家族になるはずじゃったのに。
なんで……わらわはいま、ひとりなんじゃ?
…………ひとりでいると、考えごとばかりしてしまう。色々なことを思い出してしまう。楽しいことも、いやなことも。
……いやなことを思い出して、つらくなるのはまだわかる。
じゃが……楽しかったはずの思い出までが、凶器になって、わらわの心に突き刺さる。
思い出すと苦しくなる。
思い出のみならず、進たちや姉妹へ抱いていた好意までが、鞭になってわらわを打つ。
悲しい結末になってしまったから。楽しいままで終わってくれなかったから。気持ちが届かなかったから。
あぁ……こんな思いをするくらいなら、誰にも会わなければよかった、関わらなければよかった、友だちが欲しいなんて、家族が欲しいなんて、思わなければよかった。
あのとき、あのまま、あの場所で、ひとりぼっちでいればよかった。
いいや……生まれてこなければよかった……。
こんなのつらい、くるしい……心が、壊れてしまう……誰か、たすけて……。
もう消えてなくなりたい……〉
唐突に、フィールド上に、光の渦が発生しました。
虚ろな目をしていた黒ちゃんは、いぶかしがります。
カラフロを完全閉鎖したので、だれも来れないはずだからです。
渦の中から最初に出てきたのは天木兄妹でした。そのあとから、進くんたち、雪ちゃんたちと続きました。
〈ぐぬぬ……天木兄妹の力を借りたのか〉
黒ちゃんは納得がいったようです。――その理由はまたのちほど。
〈それにしても、進たちが、そうまでしてもどってきてくれるとは――。雪たちはなにをしに来たのかわからぬが〉
たすけてと、思わずこぼした自分の気持ちが、進くんたちに届いたような錯覚を、黒ちゃんは覚えていました。
〈しょうがないのう、弁明くらい聞いてやってもよいかのう。
まずは進たちを黒の信仰者にもどす。そうすれば、わらわの攻撃は進たちには当たらなくなる。ほかの連中は近づけさせずに、わらわたちだけで話ができる〉
黒ちゃんは、うれしさをごまかしながら、進くんを黒の信仰者にもどそうとして――心が凍てついてしまいました。衝撃の事実を目の当たりにしたからです。
〈進が、白の信仰者になっておる、じゃと!?
……ふっ、ははっ、ははははは……。
そうか! そういうことか! そうまでしてわらわを痛めつけたいか! 嫌われたものじゃな! そうじゃよな、わらわは脅迫をしておったんじゃものな。そんな相手と、仲良くなりたいと思うわけ、ないなっ!!
…………仲良くなりたいと、家族になりたいと、思うておったのはわらわだけか……。
脈があると、思うておったんじゃがなぁ……。
――ならば、もうよい。最後まで悪役になってやる。それが進たちの願いならば――。
悪として、討たれてやろう〉
毅然として強がる黒ちゃんですが、心の奥底では、顔を手で覆って泣くのでした。
どうしてこんなことになってしまったのじゃと、なげきながら。
* * *
「さあ、なんでも言いなさい。進くんはどうしたいの?」
雪ちゃんは、開口一番、腰に手を当てて凛々しく言い放ちました。
タクシー二台に分乗して進くんちにやってきた雪ちゃんたちの協力体制は万全です。
「恩返しがしたいです。笑顔にしてあげたいです。そして、ぼくたちの気持ちを黒椿姫に伝えたいです」
〈今度は誤解のないように、素直に、まっすぐに――〉
「でも、いまの状況だと、黒十字の森のせいで、話どころか近づくこともできないと思います。だから――ぼくを、一時的に、白の信仰者にしてください。
無信仰者じゃなくなれば、ステータスもスキルも元にもどります。
そうすれば、黒椿姫のそばに行くことが――話をすることができると思うんです」
「わかったわ」
〈たぶん、進くんって、カラフロでは高レベルだったのね。その自信を見ると。相当やり込んでいたみたいだし。でも、ココナとみぃみぃはIランクのキャラだから、戦力としてはキビしいでしょうね。ここは鈴菜たちにサポートをがんばってもらわないと。
あままといままはBランクのキャラだから頼りになるし〉
簡易的な洗礼をおこない、進くんたちを白の信仰者にした雪ちゃんは、進くんたちのステータスを確認しました。白の信仰者にしたことで、雪ちゃんも進くんたちのステータスが見られるようになったのです。
「! これは――っ」
体勢を整えた進くんたちは、雪ちゃんの力で決戦フィールドタイプ1にもどろうとしました。ですが――。
「光の波が発生しない……向こうに行けない!?」
雪ちゃんはすぐに、向こうに行けない理由に気づきました。きっと黒ちゃんがカラフロを閉鎖してしまったのだろうと。まるで天岩戸にでも引きこもるように。
「そんな……〈せっかく思いちがいに気づけたのに……両思いだってわかったのに……〉」
もうダメなのか、手遅れなのかと思ってしまった進くんは、くちびるを噛みしめます。血がにじむほど、強く、強く――。黒椿姫の気持ちにいつまでも気づけなかった自分の愚かさを罰するように。
十郎太くんが、そっと、進くんのほほに手をそえました。そんなことをしてはダメだよと諭すように、首を横にふりながら。
「でも――っ」
「だいじょうぶだよ。ボクにもキミのお手伝いをさせてほしいんだ。ボクが進くんを彼女の所に連れて行ってあげる」
いまカラフロはリスキャラワールドの中にあります。リスキャラワールド内では、管理者である十郎太くんの方が黒ちゃんよりも権限が強いのです。
十郎太くんの協力があれば、決戦フィールドまでの道は開けるのです。
「ありがとう!」
進くんは、十郎太くんの手を、強く強く、にぎりました。
「――っ、――っ、――――っ」
興奮して、見る間に、赤面していく十郎太くん。
「キミによろこんでもらえてうれしいよぉ~!」
〈ふふっ――。
「ねぇ紗々ちゃん。いま紗々ちゃんが、十郎太がうれしそうで私もうれしい――って思っていること、言ってもいい?」
だまっとけ。
「はい」〉
「それじゃあ、おねがいするよ! 〈これで、もう一度、黒椿姫のところに行ける!〉」
* * *
「くるなぁ~~~!!」
黒ちゃんが、進くんたちに向かって泣き叫びました。
進くんが白の信仰者にならなければ、無信仰者のままだったら、黒ちゃんとすんなりお話をすることができたのに。――作戦がまた裏目に出てしまいましたね。
〈もういやじゃ。だれにも会いとうない、関わりとうない、放っておいてくれぇ!〉
灰色の荒野。薄紫色の空。そしてオレンジ色の月。
決戦フィールドタイプ1で、とうとう、本当に、ラグナロクがはじまってしまいました。進くんが止めさせようとしていた戦いが。
進くんは黒ちゃんに恩返しをするために――。
黒ちゃんは進くんに悪として討たれるために――。
互いに互いを大切に思っているのに、傷つけ合うことになってしまいました。
一緒に楽しく遊ぶはずだったラグナロクで、望まぬ形で戦うことになってしまいました】
未だ降り続く黒い十字架。空気を裂くその落下音は爆撃のよう。轟音とともに地面に突き立ったそれらは、相手の進行を阻害するだけでなく、逃げ場までをも奪い取ります。
カラフロがサービス終了にならずに、ラグナロクが実装されていたならば、黒十字の森の中で、多くのプレイヤーが、逃げ惑ったことでしょう。
「きゃあ~きゃあ~きゃあ~!」
「むうっ、むうっ」
「ふぎぃ~~!!」
今の鈴菜ちゃんたちのように。
真っ白い修道服に紫色の髪――もうすでに鈴菜ちゃんはログインしていてりなりな(アバター)になっており、あままちゃんといままちゃんを連れています。
〈――っ〉
股下まである栗色の長い髪。フリルとリボンをあしらったヘッドドレス。
琥珀色の美しい瞳。
身に纏ったライトグリーンの中世ヨーロッパ風のロングドレスは、フリルやレースで華美な装飾が施されたメルヘンチックなもの。右肩、左胸、左腰に装着された白金の軽鎧。
森の妖精ドライアドが旅支度をしたようなその容姿――。
進くんもすでにログインしてのどかちゃんになっていて、すぐそばにはココナちゃんとみぃみぃちゃんがいます。
黒椿姫の攻撃は、だれも自分に近寄らせないような、自分からひとりぼっちなろうとしているような、そんな攻撃だと、進くんは感じました。
〈だけど、ぼくたちは黒椿姫のそばに行く。伝えたい言葉があるから。ぼくたちを助けてくれた、離れ離れから救ってくれた黒椿姫を、ひとりぼっちになんてさせたくないから〉
「ココナ、みぃみぃ――ナイトライダーでいくよ!」
「オッケーわん!」
「了解みぃ!」
ココナちゃんとみぃみぃちゃんの服装が、日常用の物から戦闘系クエスト用の物に変わりました。
ココナちゃんは、豪奢な装飾が施された白銀の全身鎧姿です。その手には二振りの剣。長剣二刀流で、背中にはマントがあります。とても勇ましい格好ですが――かわいいお顔が見えるように、フェイスガードは上げてあります。
みぃみぃちゃんは、ビキニスタイルのベリーダンサーのような格好です。ロングスカートはフリルいっぱいのもので、二の腕の腕飾りにはひらひらした布がついています。その手にあるのは、黒い刀身に幾何学模様の彫刻がほどこされた、反りのある片刃の短剣です。
上半身の露出度がかなり高めで、腰まで入った深いスリットから見え隠れする生足も相まって、ロリコン殺しな禁断のかわいさになっています。
進くんは、みぃみぃちゃんを右手装備として設定し、ココナちゃんを左手装備として設定しました。こうすると、設定上、進くんは、二人を手が届く範囲内に留められるようになります。たとえどんな動きをしたとしても、二人がそばから離れることはありません。
「エア・イーター!」
進くんは、駆け出しました――黒ちゃんの元へと。
エア・イーターは、疾走して、風を浴びれば浴びるほど、スピードがステータスの上限値を超えて、どこまでも上がっていくという、とんでもないスキルです。
本来ならば、進くんについて行くのは困難でしょうが、装備として設定されているおかげで、ココナちゃんとみぃみぃちゃんは、なんの苦もなく、進くんについて行けています。走ることすら不要です。
「ジェノサイド・ジェノサイダー!」
白銀の全身鎧姿のココナちゃんが、降ってくる黒い十字架を、両手に持った二振りの剣で、次々と切り捨てて、消滅させます。ココナちゃんのスキル、ジェノサイド・ジェノサイダーは、あらゆる攻撃を完全迎撃して、消滅、または無効化させるものなのです。
進くんたちは、並みのプレイヤーなら逃げ惑うだけの攻撃を、自らのステータスとスキルで、回避し、または迎撃して、完全に対処しています。
攻撃、防御、機動力。
一心同体となり、それぞれが役割を担い、それぞれの能力を最大限に生かす戦法。それがナイトライダーなのです! 進くんがそう名づけたのです! ――中二病っぽく!
〈強調しないでぇ~~っ〉
進くんの足は、地面を蹴るだけでは飽き足らず、空気までをも蹴って、空へと駆け上がります。進くんたちと、黒ちゃんとの間の距離が、見る間に縮まっていきます。
黒い十字架をかいくぐり、空を駆ける進くんたちの姿は、高機動力のジェット戦闘機のようです。
「ぐぬぬ~~っ。〈なんでじゃ!?〉」
雪ちゃんは呻いた黒ちゃんを見上げます。――そんな雪ちゃんの上に影が落ちました。影が落ちたということは、そこに十字架が降ってくるということです。それなのに、気づいていながら、雪ちゃんは動こうとしません。当たったら、ただでは済まないというのに。
案の定、降ってきた黒い十字架が、雪ちゃんを直撃しました。
激しい粉砕音を立てて、十字架が砕け散りました。その真下にいた雪ちゃんは――。
無傷です。
十字架は、雪ちゃんに当たる寸前で、砕け散りました。まるで、バリアか何かに阻まれたかのように。破片すら、雪ちゃんにはかかりません。ラグナロクでは神さまから神さまへの直接攻撃は無効。当たる直前でかき消えてしまうのです。どうりでよけないわけです。
安全だから自分のそばにいるようにと、雪ちゃんは前もって天木兄妹に言っていました。
「雪ちゃんにも、黒ちゃんみたいな、あぁいう攻撃、ないの?」
紗々ちゃんが訊きました。
「あるけど――使っても意味ないし」
「どうして?」
雪ちゃんは頭上でかき消える黒い十字架をゆびさして、
「ルール上、効かないからよ」
「なによぉ~、使えないなぁ」
カチン! と、きた雪ちゃんは、
「そんなこと言うなら、私のそばから出て行きなさいっ」
と、紗々ちゃんを突き飛ばして追い払おうとします。
「ごめんなさいぃ~、もう言いません~っ」と、紗々ちゃんは必死にすがりつくのでした。
そんな問答をしたあと、雪ちゃんはあらためて進くんたちのステータスを確認しました。
ココナちゃんとみぃみぃちゃんのランクがI―IからI―SSになっています。
〈IスタートのキャラクターをSSまで育て上げるなんて……。確かに不可能じゃない、不可能じゃないわ。でも、ここまでやるなんて――おバカすぎて笑っちゃうわ〉
言葉とは裏腹に、雪ちゃんはうれしそうです。
みなさんはゲームをやっていて、愛着をもって使っていたアイテムが、どんなに強化しても二流止まりの物だと知って裏切られた気分になったことはありませんか?
愛情をもって育てていたキャラクターが、どんなに育てても、中級止まりのキャラだと知って裏切られた気分になったことはありませんか?
ですが、カラフロにはそれがなかったのです。どんなアイテムにも、キャラクターにも、鍛え上げれば、育て上げれば、最上級へと至る道があったのです。
〈カラフロが好きで、ココナとみぃみぃが好きで、時間と愛情と――お金をかけて二人を育て上げたのね、進くん〉
スタート時のリセマラでも、課金ガチャでも、容易にSSが手に入ったカラフロで、わざわざIランクスタートのキャラを本気で育てるプレイヤーなどいませんでした。
〈あなたが進くんのことを好きになったの、わかる気がするわ、黒……。
もしも進くんが白の信仰者としてプレイしていたら、きっと私も気になっていたと思う〉
悲しくて、胸が苦しくて――雪ちゃんは黒ちゃんを見つめます。心が壊れてしまったような顔をして、力を振るっている黒ちゃんを。
〈私たちが生み出したカラフロを、キャラクターを、そんなにも好きになってくれうれしいわ、進くん――ありがとう〉
雪ちゃんがおどろいたのは、二人のランクのことだけではありません。進くんたちのステータスにもおどろきました。
進くんのステータスを見たとき、雪ちゃんは最初がっかりしました。攻撃力と守備力が0だったからです。ですが雪ちゃんはすぐにその異常さに気づきました。カラフロでのステータスの最低数値は1だからです。0はありえないからです――通常ならば。
進くんのほかの数値も確認して、雪ちゃんは見つけました。攻撃防御が0の理由を。
サポート力100万、スピード100万。
この数値も異常なのです。なぜならカラフロでのステータスの最高数値は99万9千9百9十9だから。
ですがこれらは違法な手を使って得た数値ではありません。
隠し設定あるいは仕様――平たく言えば裏技です。
極端にかたよったステータスのふりわけをすると起こる現象。
進くんは攻撃力と守備力を犠牲にして、極端にサポート力とスピードを強化したのです。
またステータスが100万になった者のことをミリオンマスターと呼び、ミリオンマスターになると特別なスキルが使えるようになります。
数値が異常だったのは進くんだけではありません。
ココナちゃんのステータスは、攻撃力0、守備力100万。ココナちゃんもワンサウザンドマスターなのです。そして習得したスキルがジェノサイド・ジェノサイダー。
自分たちは未だに黒十字の森の中で逃げ惑いながら、鈴菜ちゃんは進くんたちの勇姿を目にしました。
〈やっぱりすごいよ進くん❤ でも、あれってSPもつのかな? リキャストだって――〉
カラフロにもHPとSPがあります。
スキルを使用するとSPを一定量消費して、足りなくなるとスキルが使えなくなります。大技になればなるほどその消費量は大きくなります。
またスキルには、使用後にまったく動けなくなる硬直時間と、再使用までにかかる待ち時間があります。これもまた大技になればなるほど長くなるはずなのですが――。
ジェノサイド・ジェノサイダーを連続して使いまくるココナちゃん。
その謎の答えは、進くんがサポート力100万で習得した特別なスキルと、課金ガチャで獲得したアイテムにあります。
進くんは、エア・イーターと同時に、あるスキルを使っていました。
その名は、ゴッド・オブ・ワトソン。
このスキルを使用すると、背中から鳥の翼の骨格のような形をした木の枝が生えます。それには光る果実がなっており、そのまわりを手のひらサイズの小さな妖精が飛んでいます。これはゴッド・オブ・ワトソンの使用中に現れる演出効果です。
そしてゴッド・オブ・ワトソンの能力は、硬直時間&待ち時間キャンセラー。
進くんたちは、この能力のおかげで、無硬直&待ち時間なしで大技を連発できるのです。
なんてチートな能力でしょう――進くんが、この裏技にたどり着いたのは、偶然でした。
ココナちゃんとみぃみぃちゃんの初期ランクが最低だったので、ステータスを極端にふりわけて、一芸に特化させないと、まともに戦えなかったからです。
そして、進くんの胸元でゆれる、棺の形をしたきれいなペンダント。フェアリーズ・アーク。これ自体はなんの効力もない、ただの見た目コーディネートアイテムなのですが――あるアイテムが合成されています。
それは超特大コンテナです。
超特大コンテナを装備すると、膨大な量のアイテムを持ち歩けるようになります。ですが、それ以外のことがほとんどできなくなってしまうのです。コンテナの所持で両手がふさがってしまうから。グラフィックも、長距離輸送用トラックのコンテナを人力でひいているようなものになってしまいます。
進くんは、そんなコンテナの見た目を、ペンダントに変更したのです。
課金ガチャで手に入れたアイテムを使って。
手に入れたアイテムというのは、どんなアイテム同士でも合成できるアイテム。
進くんはこれを使って、見た目はペンダント、機能は超特大コンテナというアイテムを作り出したのです。
フェアリーズ・アークの中にはHPやSPを回復させるアイテムが死ぬほど詰め込まれていて、パーティーのHPやSPが減ると自動的に回復するように設定してあります。
これが、進くんとココナちゃんが、大技を、ほぼ、エンドレスで連発できる理由です。
「パートナーが二人ともミリオンマスターで、プレイヤーがダブル・ミリオンマスターって、どんな廃ゲーマーなのよ」
言葉だけ聞くと罵声ですが、雪ちゃんのその表情は、リレーで一等賞をとった子供をほめるようなそれでした。
進くんたちの、脅威のスキルとステータス。
黒ちゃんは、その力と、涙ながらに歯ぎしりしながら、苦々しげに対峙しています。
だって、これこそが――黒ちゃんが姉妹に見せつけたかったものだからです。カラフロをともに作った姉妹なら、わかるはずだからです。進くんが、どれだけカラフロが好きで、ココナちゃんとみぃみぃちゃんを愛していて、どれだけの時間をつぎ込んできたのかが。
現に、進くんたちのステータスを見た雪ちゃんは、それを感じ取りました。
カラフロ終了によって進くんから何をうばったのかを、黒ちゃんは姉妹にわからせて、反省させたかったのです。
ですが、いま黒ちゃんは、見せつけたかったはずの力と、相対しているのでした。
〈雪乃城妃が手を貸してくれたおかげで、白の信仰者にしてくれたおかげで、アバターに能力がもどって、黒椿姫に近づける、戦える、ぼくらの想いを届けられるようになった。
このラグナロクに勝って、ぼくたちの話を聞いてもらうんだ!〉
〈その力と並び立って、ともに戦うはずだったのに。それを心待ちにしていたのに。
なんで、その力がわらわの方を向いておる!?
なんで、その力をわらわに向ける!?
なんで、その力を――わらわとともには使ってくれなかったんじゃあああ!!〉
すれちがう、進くんの気持ちと黒ちゃんの想い。
黒椿姫の、第二のラグナロク用集団殲滅スキル、黒十字の森、暴風雨、発動――。
戦いが、本格化します。
動きを変える黒い十字架。フィールド全体に、直線的に、雨のように降っていた黒十字の一部、約三割が誘導弾と化しました。進くんたちを、四方八方から、黒十字が襲います。
「くっ――」
黒椿姫に近づくどころか、引き離されはじめる進くんたち。エア・イーターのスピードと、ジェノサイド・ジェノサイダーの防御をもってしても、攻めに転じられません。HPとSPの回復で、アイテムを大量に消費して、じり貧になっていくばかり。
アイテムを大量に所持しているといっても、限りはあるのです。
かといって、黒椿姫にも、勝利する方法がありません。
だって、ここには、黒の信仰者がひとりもいないから。雪乃城妃に攻撃できないから。
こう着状態の泥試合。
雪乃城妃が、降ってくる黒十字に踊らされている鈴菜ちゃんたちに、
「鈴菜! ムリだったらあなたもこっちに避難して!」
「だいじょうぶ! もうちょっとがんばってみる!」
「〈あきらめてない――いい顔してるじゃない〉
そっか。がんばれ~」
「がんばる~」
鈴菜ちゃんは、瞳に力を宿します。
〈私は進くんを手伝うためにここに来たんだ、避難なんてしていられないっ。
こんどは、私が、進くんをたすけてあげるんだ!!〉
鈴菜ちゃんは気づいていました。すべての誘導弾が進くんを狙っていることに。
〈黒椿姫は進くんばかりを見ている。私なんて眼中にないみたい。でも、おかげで、十字架がかわしやすくなった――攻撃に出られるっ〉
「あまま、いまま、力を貸して!」
「むぅ!」
「ふぎぃ!」
空中にいる黒椿姫の方へと、気づかれないように、全力疾走する三人。
大きく息を吸い込むいままちゃん。その体が、風船のように数倍にふくれあがりました。
そして。
「ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅう!」
先行していた鈴菜ちゃんとあままちゃん目がけて、花びら舞い踊る竜巻のような息を、吹きつけるいままちゃん。
竜巻に押されて、移動速度が増す鈴菜ちゃんとあままちゃん。
いいえ。上がったのは移動速度だけではありません。全能力が一時的に二倍に跳ね上がりました。いままちゃんのサポートスキルによって。
息を吹き切ったいままちゃんがもとの大きさにもどりました。
〈これなら――っ〉
あままちゃんにアイコンタクトを送る鈴菜ちゃん。二人で、息を合わせて、同時にジャンプ! これならジャンプ攻撃が届く――そう確信したのです。
黒椿姫の目の前に飛び上がった鈴菜ちゃんは、
「ギガルーンハンマー!」
魔法によって生成された、長い柄をもつ巨大なハンマーを手にしました。そのハンマーヘッドの大きさは乗用車並みです。
そして。
「むぅ!」
声を発したあままちゃんが、くりくりの大きな瞳で、じいっと鈴菜ちゃんを見つめて――まるで、パシャリとシャッターを切るように、強くまばたきをしました。
すると――あままちゃんの手にもギガルーンハンマーが現れました。仲間の能力をそっくりそのままコピーする、あままちゃんのスキル、ミラージュ・ライドです。
「〈捕らえた!〉
たぁあああああ!」
「むぅううううう!」
ふたたび息をあわせた二人は、大きく振りかぶったギガルーンハンマーを、無防備な黒椿姫目がけて、同時に振りおろしました。
タイミングばっちりのコンビネーション攻撃。攻撃力を二倍に増加させた、鈴菜ちゃんの最大攻撃スキルでの、二重攻撃。
鈴菜ちゃんたちは、これで、数々の戦闘系クエストをクリアしてきました。
いわば切り札です。
耳に響いた、凄まじい打撃音。
「――ふんっ!」
「きゃあっ」
「むぅぅっ」
鈴菜ちゃんと同じく、身の丈以上の柄をもつ黒い大鎌を、魔法で生成した黒椿姫。
黒椿姫が一閃させた、大鎌の大振りの一撃で、鈴菜ちゃんたちの切り札は、いとも簡単に、打ち飛ばされてしまいました。
「見えておるわ、ばか者め! おぬしらの攻撃など、食らうものかっ」
打ち飛ばされて、落下していく鈴菜ちゃんとあままちゃん。
〈防がれちゃった、役に立てなかった――ううん、まだ!〉
弱気を蹴飛ばす鈴菜ちゃん。
鈴菜ちゃんは、あままちゃんを見ました。
〈インターフェース → 設定変更 → 仲間同士の攻撃 → 当たる → 設定完了〉
「〈ごめんね……〉
あまま、おねがい!」
「むぅ!」
察して、グッと、親指を立ててみせるあままちゃん。
ギガルーンハンマーをフルスイングして、あままちゃんをかっ飛ばす鈴菜ちゃん。
弾丸ライナーになったあままちゃんの体当たりが、黒椿姫にぶち当たりました。
「やったぁ! 当たった!」
「――おのれっ」
体勢をくずされた黒椿姫は、怒りにまかせて反撃します。
「じゃまをするなぁあああ!」
無数の黒十字が、鈴菜ちゃんたちを襲います。黒十字が迫る刹那、鈴菜ちゃんは、
〈これはムリ~。でも――すこしは役に立てたかな?〉
黒十字の森、暴風雨の、すべての誘導弾が鈴菜ちゃんたちに向かったことで、進くんたちが窮地を脱した姿を、鈴菜ちゃんは確認しました。
鈴菜ちゃんは、無数の黒十字に、何度も何度もはね飛ばされて、ぼろ布のようになって、力なく地面に落ちました。
「りんなぁ~!」
泣き叫んだ雪乃城妃が、鈴菜ちゃんに駆け寄ります。天木兄妹も続きました。
雪乃城妃に抱き起こされた鈴菜ちゃんは、
「えへへへ……すこしは恩返しできたかな?」
「もちろんよ! ――あとは私にまかせなさい」
「超痛い……ゲームと同じ感覚でやっちゃった……もしかして……私、死ぬ?」
雪乃城妃は、泣き顔のまま笑みをうかべて、
「だいじょうぶよ、それはないから安心して。でも――無茶をするんだから……」
フルバーチャルリアリティ。自分の身体をアバター化しているのですべての感覚があるのです。HP0の鈴菜ちゃんを蘇生させると、雪乃城妃はあままちゃんといままも助けに行きました。
黒椿姫とは逆に、進くんたちは体勢を立て直せました。
〈ありがとう、白浜さん――〉
進くんたちは、ナイトライダーで、ふたたび黒椿姫に挑みます。黒十字の森、暴風雨に慣れたのか、進くんたちは、じわじわと、黒椿姫との距離を詰めます。進くんたちの剣である、みぃみぃちゃんの攻撃範囲に黒椿姫を捕らえるのも時間の問題――に見えましたが、あと一歩、近寄れません。
「――このっ、このっ」
黒椿姫の必死の抵抗によって。
ナイトライダー――そう名づけられた戦法で、自身に迫ってくる進くんたちの姿に、黒椿姫は、胸を掻き毟られる思いでした。なぜなら、自分がその戦法の名づけ親だからです。進くんは自分で考えたと思っていますが、ちがうのです。
進くんが考えた名前は(ソニックセイバー)でした。
ですが、自分も進くんたちと一緒にクエストに行きたいと思っていた黒椿姫は、せめて名前だけでも連れて行ってほしいと思い、進くんに耳打ちで神の啓示を与えて、戦法の名前をナイトライダーにさせたのです。自分の名にある黒椿の英語名に。
それなのに、その戦法で、自分に襲いかかってきていると、思い込んでいるのです。
おだやかではいられないでしょう。悲しみはいかばかりでしょう。
自傷行為に走りかねないほどの心労が、胸の中にありました。
進くんたちに悪として討たれる覚悟をしていたとしても――本心ではないのだから。
「鈴菜に代わって、こんどは私が力を貸してあげましょう。いまは私が進くんの神さまなんだから。――おいで!」
人差し指を、天へと突きのばす雪乃城妃。すると――。
きゅぃぃぃぃぃぃぃん……。
吹奏楽器のような音が、上空から響いてきました。
きゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃいんん!
それは、音ではなくて、鳴き声でした。
巨大なシロナガスクジラが――えぇ、ちがう!? クジラじゃない!? 大きさはどう見てもクジラなのに!? こほん――気を取りなおして。
全身がモフモフな白い体毛で覆われた、巨大なアザラシの赤ちゃんが、空を海の代わりにして泳いできます。
「来たわね、私のかわいい子❤」
どうやら雪乃城妃のペットのようです――なんてものを飼っているのでしょうか。
「わぁ、アザラシの赤ちゃんだぁ❤ あれってもしかして、ホワイティー?」
「そうよ❤」
「わぁ、本物見ちゃった。すごぉい❤」
感激している鈴菜ちゃん。どうやら白の信仰者の中では有名なキャラみたいです。
「あのおバカさんに、一発かましてやりなさい。幼氷王の賛美歌を」
きゅぃぃぃぃん❤
ホワイティーは飼い主に鳴いて答えると、黒椿姫の方を向いて口を大きく開けました。
と。
ドギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーオォ!!
ホワイティーの口の中が、光ったと思った次の瞬間には、強烈な光線が、黒椿姫に直撃していました。超光速で、極太で、照射時間が異常に長いレーザー砲が、ホワイティーの口から発射されたのです。
これが、雪乃城妃の、ラグナロク用強襲撃滅スキル、幼氷王の賛美歌です。
ですが――光線は、黒椿姫に触れる寸前でかき消えてしまいます。神さまの攻撃は神さまには無効というルールによって。
「効かないって、自分で言っていたじゃない」
雪乃城妃は「これでいいのよ」と紗々ちゃんに答えると、進くんに叫びました。
「賛美歌に飛び込みなさい! 黒のところまで、一瞬で送ってあげるわ! ――いまのあなたは白の信仰者なのよ!
〈鈴菜たちの一撃を思い出して!〉」
〈!!〉 ――進くんは察しました。
〈!?〉 ――黒椿姫は気づきました。
鈴菜ちゃんたちの決死の一撃がヒントになったのです。
仲間の攻撃が当たるように設定を変更して、賛美歌に飛び込めば、進くんたちは、黒い十字架に阻まれることなく、光線に押されて、一瞬で、黒椿姫の前まで行けるのです。
〈あぁ、よかった。苦しまぎれだったけれど、本当に役に立てたんだ……うれしい〉
鈴菜ちゃんは、あままちゃんといままちゃんと一緒に、安全な雪乃城妃のそばで、戦いの結末を見守ります。
落下してきた黒い十字架が、その雪乃城妃の頭上で、音を立てて消えてなくなりました。
この先の決着を暗示するかのように。
「おのれっ、おのれっ、おのれぇぇぇぇっ!」
「黒椿姫!」
「進~~!!」
飛びまわり、賛美歌から逃れようとする黒椿姫。
ですが、ホワイティーも、逃がさないように、狙い撃ちし続けます。
光った瞬間には当たっている攻撃です。簡単に逃れられるわけがありません。
幼氷王の賛美歌は強襲撃滅スキルです。強襲――敵のふところまでの道を強引に作ることに長けたスキルなのです。
〈インターフェース → 設定変更 → 仲間同士の攻撃 → 当たる → 設定完了〉
進くんは、ナイトライダーを使ったまま、幼氷王の賛美歌に飛び込みました。
一瞬、視界が真っ白になり、強烈な強さで身体を押されて、次の瞬間には――目の前に黒椿姫がいました。悲愴で、ぼろぼろで、泣き顔の黒椿姫が。
それでも、進くんたちはようやく、黒椿姫に手が届くところまで来ることができました。
「フューリー・アンカー」
みぃみぃちゃんは近接戦闘特化型の魔法使いで、攻撃範囲がとてもせまいです。
みぃみぃちゃんは、スキル名を棒読みしてから、幾何学模様の描かれた短剣を、黒椿姫に向かって振るいました。
ひょいっと――ですが、短剣は、いとも簡単に、よけられてしまいました。
幼氷王の賛美歌も消えて、黒椿姫が逃げていきます。黒い十字架の豪雨が、進くんたちにふたたび降りかかります。
「あぁ、そんな……」
鈴菜ちゃんの口から嘆きがこぼれました。
ですが進くんたちは落胆していません。むしろせっぱつまっているのは黒椿姫の方です。
ドォォォン! ジャラジャラジャラジャラジャラァ…………ッ。
短剣から、魔法で生成された等身大の錨が、発射されました。
アンカーは、無限にのびる鎖を引きずって、黒椿姫の方に向かって落ちていきます。
フューリー・アンカーは射程範囲内でターゲットを定めて発動させればそれでOKのスキル。短剣そのものを当てる必要はありません。ただ発動させるための射程範囲がとてもせまくて、使用者を中心として短剣が届く範囲を円にした中、という仕様になっています。
攻撃力100万、守備力0になったみぃみぃちゃんが習得したスキルです。
アンカーは、ターゲットを、到達すべき海底として、どこまでも追って落ちて行きます。上下左右は関係ありません。フューリー・アンカーにとってはターゲットが海底なのです。
しかもフューリー・アンカーは自動的にターゲットの弱点属性に変化して攻撃をおこないます。よって、いまの属性は神殺し(ゴッドスレイヤー)。
黒椿姫は、それを知っているのであせっているのです。食らったら終わりだと。なにもかもを失ってしまうと。
黒椿姫のその様子は、さながら、猫から逃げまわるネズミのようでした。
窮鼠猫を噛むように、黒椿姫は苦しまぎれで、十字架でアンカーを撃ち落そうとします。ですが――当たりません。器用にかわされてしまいます。
「ならばっ」
黒椿姫は、ターゲットを、スキル使用者に変えました。ですが――。
進くんたちが、雪乃城妃たちと合流しているのを見て、絶望しました。
雪乃城妃がそばにいては、すべての攻撃が無効化されてしまうからです。
黒椿姫は完全に詰んでしまいました。
「いやじゃあぁアぁぁぁぁぁぁぁぁぁア!!」
首を激しく横にふりながら、泣き声で絶叫した黒椿姫に、フューリー・アンカーが命中して――ラグナロクは決着となりました。
黒い十字架の雨が止んだ決戦フィールドタイプ1。
〈勝てた――これで、黒椿姫と新しい生活がはじめられる〉
〈もう終わりじゃ――なにもかも。わらわを倒せて気が済んだか、進むよ……〉
喜び合っている進くんたちと雪ちゃんを見た黒ちゃんは、地に伏したままで思いました。
〈わらわが、進たちと、そんな風に、ともに戦うはずじゃったのに……よろこびをわかち合うはずじゃったのに……〉
叶わなかった願いに、黒ちゃんは心でむせび泣きます。
〈夢見た生活も泡と消えた……。
脅迫をした悪者として終わるのか……進たちとも、お別れなのか……〉
全身を蝕む痛み。フューリー・アンカーのダメージで、黒ちゃんの意識は、遠のいていきました。
目が覚めた黒ちゃんは、進くんたちに取り囲まれていました。進くんのひざまくらで、すこしの間眠っていたようです。状況に気づいた黒ちゃんは、跳ね起きました。
「だいじょうぶですか? みんな心配していたんですよ?」
「…………」
進くんに声をかけられても、黒ちゃんは返事をしません。まるで臆病な猫のように、身体をすくませています。
ラグナロクの勝者は、敗者にひとつ命令をすることができる――つまり、神さまにもうひとつ、願いを叶えてもらえるということです。
〈敗者に対する命令を使って、進たちはわらわにどんな復讐をするつもりなのじゃろう?
いなくなれ、とでも言われるのじゃろうか?
それとも、わらわが考えていたような、世にも恐ろしい罰でも与えられるのじゃろうか?
なんにせよ、あまんじて受けよう。これが進たちと関われる最後になるのじゃから〉
進くんは、黒ちゃんと向き合うと、しっかりと目を見て口を開きました。
黒ちゃんは、おびえながらも、進くんの目を見返して、言葉を待ちました。
「黒椿姫。――ぼくの話を聞いてください」
「なんじゃ?」
〈!? すごい、これが命令の力なのか。話をまったく聞こうとしてくれなかった黒椿姫が、すんなりと話を聞いてくれる――命令の力、やっぱり怖いなぁ〉
〈――?〉
黒ちゃんは進くんの様子に小首をかしげます。
誤解が生じています。進くんは(ぼくの話を聞いてください)と命令したと思っています。ですが黒ちゃんは命令されたことに気づいていません。(ぼくの話を聞いてください)は、ただの前口上で命令はこれからだと思っています。そんな状況で進くんが言いました。
「ぼくの家族になってください」
黒ちゃんは、これを命令だと思ってしまいました。
「えぇ~~~!!
〈どういうことじゃ、どういうことじゃ、どういうことじゃ!?〉
わらわを嫌っておったんじゃないのか!? 脅迫された復讐をしに来たんじゃないのか!?」
「えぇ~~~!!
〈どういうこと、どういうこと、どういうこと!?〉
ちがいますよ! ぼくが黒椿姫を嫌うわけないじゃないですか!」
黒ちゃんのかんちがいにおどろき、戸惑う進くん。
それもそうでしょうね。
だって、嫌われてしまったと思っていたのは自分の方なのですから。
うそをつき、だまし、傷つけてしまったと思っていたのですから、無理もありません。
だからわざわざ、ラグナロクの勝者への報酬である(神さまに命令をする権利)を使ってまで、黒ちゃんと話をしようとしていたのですから。
へたり込んでいる黒ちゃんの前で正座をした進くんは、弁明のために口を開きました。気持ちを、想いを、素直に伝えます。
「ぼくは、ずっと、恩返しがしたいと思っていたんです。カラフロがサービス終了になって、会えなくなって、泣いていたぼくらを再会させてくれた黒椿姫に。ぼくとココナとみぃみぃを笑顔にもどしてくれた黒椿姫に。
でも、恩返しとして、復讐を手伝うのはちがうと思っていました。
そんなことをしても、きっと、黒椿姫は笑顔にならないから――。
黒椿姫がぼくらを笑顔にもどしてくれたように、ぼくも、黒椿姫を笑顔にもどしてあげたいって、思ったんです。そんな恩返しをしようって、思ったんです。
だからうそをつきました。復讐を手伝うふりをしました。――ココナとみぃみぃと離れ離れにされないために。黒椿姫にそばにいてもらうために。
みんなで一緒に暮らしながら、見つけようとしていたんです。
姉妹とのことで傷ついていた黒椿姫を、笑顔にする方法を」
黒ちゃんが瞳を潤ませていきます。進くんの言葉が、黒ちゃんの凍てついていた心を溶かしていきます。
「姉妹と仲直りをさせてあげられたら、笑顔になってくれるかなと思って、雪乃城妃に会いに行って、話をして――誤解だったんだって、わかったんです」
「誤解――?」
黒ちゃんが雪ちゃんの顔を見ます。
雪ちゃんは、もじもじしながら、ばつが悪そうにしながら話しました。鈴菜ちゃんの家庭の事情と、鈴菜ちゃんに対する気持ちと、四人が同時にカラフロを去ると決めた偶然を。
そして言いました。
「いやな思いをさせてしまってごめんなさい。だけど――。
私は、いまでも……黒と姉妹でいたいわっ」
すぐにも泣いてしまいそうな、雪ちゃんの切なそうな顔を見て、黒ちゃんは思いました。
どう考えても、自分のことを嫌っているようには見えなかったから。
〈そうか……姉妹にもおったのじゃな……わらわにとっての進のような存在が。
出会っておったのじゃな……願いを叶えてやりたいと思うほどの者に……〉
黒ちゃんは、めぐみさんとお風呂で話したことを思い出していました。先ほどの雪ちゃんの言葉がそうさせました。
たとえ離れて暮らしていても、愛情があれば、想いがあれば、ずっと家族。
めぐみさんにそう言ったのは自分です。
自分が言った言葉が、ブーメランになって返ってきました。
黒ちゃんの中から、姉妹に対するわだかまりがなくなりました】
「わらわこそ、すまなかったな……いろいろと」
黒ちゃんが、ほほを赤らめて、もじもじしながら、雪ちゃんにあやまりました。
「!? ――黒!」
雪ちゃんが、黒ちゃんに抱きつきました。黒ちゃんも、そっと抱き返します。
仲直り、できたようです。二人とも、涙ながらの笑顔です。
〈よかった、恩返しができた……よかった……〉
進くんも、笑顔のままで、涙をこぼしそうになりました。
〈このラグナロクは、わらわの独り相撲じゃったということか……〉
「よかったわん……」
「よかったみぃ……」
「ど、どうしたのじゃおぬしら?」
ココナちゃんとみぃみぃちゃんも、黒ちゃんにやさしく抱きつきました。
二人のやさしさに包まれた黒ちゃんは、ドギマギしてしまいました。
「黒ちゃんは、おにいたんに会わせてくれた恩人だわん」
「にぃにぃに会わせてくれた恩人だお。黒ちゃんのおかげで、幸せになれたんだみぃ」
「だから、黒ちゃんにも幸せになってほしかったんだわん。泣き顔なんて、見たくなかったんだりゅ」
黒ちゃんは、うれし泣きをしている二人に戸惑いながら、
「わらわは、おぬしらに、なにもしてやれなかった。
ただ、いい人とめぐり会えますようにと、祈っておっただけじゃ」
「それで十分だお❤」
「だれかに、気にかけてもらえるのって、うれしいわん♪」
「おぬしら……。〈おぬしらこそ、幸せになれてなによりじゃ……〉」
黒ちゃんとココナちゃんとみぃみぃちゃんは、笑顔を見せ合いました。
状況を見守っていたみんなも、思わず笑顔になりました。
一件落着したようです。
「ところで……もしも黒が勝ったら、命令で私たちにどんなことをしようとしていたの?」
雪ちゃんはなんの気なしに聞いてみました。
「……世にも恐ろしい罰を与えようと思っておったのじゃ」
「――どんな?」
恐る恐る聞いてみる雪ちゃん。
黒ちゃんは、一旦躊躇したあと、残忍な計画を白状するように言いました。
「おしりペンペンの刑じゃ――それも生しりペンペンの刑じゃ」
黒ちゃんは遠い目をしてまじめにつぶやきました。
――泣き叫ぶ子供の声、晒されるおしり、ひっぱたく激しい音――。
以前見た光景を思い出した黒ちゃんは、身がすくみそうになりました。
「――はぁ!?」
雪ちゃんは、思わず大きな声を出してしまいました。そして――みんなも、一斉に、どっと笑ってしまいました。
「なんじゃ!? なにがおかしいのじゃ!?」
「なにかと思えば、おしり、おしりペンペンって――っ」
雪ちゃんは笑い過ぎで息ができなくなっています。ほかのみんなも同じです。黒ちゃんだけが、わけがわからないといった様子で、うろたえています。
「知らんのか、おしりペンペンを!? あの羞恥と痛みを!?」
黒ちゃんがなにかを言えば言うほど、みんな笑ってしまいます。――緊張の糸が切れたのでしょうね、もうダメですね、いい意味で。
「わからぬと言うのなら、生しりペンペンの刑をやってやるのじゃあ!」
「きゃあ~~~❤」
一斉に逃げ出したみんなを、黒ちゃんは追いかけます。
もうただの鬼ごっこです。みんな楽しそうです。――仲良しになれましたね❤
〈恩返しができた、笑顔も見れた。それはうれしいんだけど――ぼくにはまだやりのこしていることがある〉
鬼ごっこが一息ついたのを見計らって、進くんは黒ちゃんに催促をしました。
「あの~、まだ、おねがいの返事をもらってないんですけど……」
黒ちゃんは、はっとした様子で、変に恥ずかしそうにしています。
〈? どうしたんだろう――家族になってくださいとか、ちょっと恥ずかしかったかな? 兄妹みたいな、いい家族になりたいと思っているんだけど……〉
黒ちゃんは、もじもじしながら、上目使いで、何度も何度も進くんを見たあと――ちょっとほほを赤らめて、すこしくちびるをふるわせて、戸惑いながら、言いました。
「あれは……プロポーズと思ってよいのじゃな? じゃな?」
〈っえぇ~~~~~~~~~~~!!〉
予想外の返答に、思考が止まる進くん。
照れくさそうにしながらも、黒ちゃんはうれしそうに、
「わらわが考えていた家族の形は姉弟とかだったのじゃが……夫婦も、わるくないのう❤」
「!!
〈早く誤解を解かないと、大変なことになってしまうかも―― はっ!? ――白浜さんにも聞かれちゃった!?〉」
進くんは、とっさに、鈴菜ちゃんをガン見してしまいました。
びくっと身体をふるわせた鈴菜ちゃんは、引きつった作り笑顔で、
「――お、お幸せに……」
「ありがとうなのじゃ❤」
〈お幸せにって言われちゃった――黒椿姫も、ありがとうとか言わないでぇ~〉
鈴菜ちゃんは、引きつった作り笑顔のままで、
〈お幸せにとか言っちゃった――どうしたらいいの? 進くんへの私の気持ちっ〉
〈――ばか〉
気持ちを察した雪ちゃんが、鈴菜ちゃんを横目で見ています。
〈…………〉
進くんは、誤解を解くタイミングを完全に逸してしまいました。
黒ちゃんはすっかり恋人気分で進くんにまとわりついています。
「ばかばかしい――もう好きにしてちょうだい」
雪ちゃんはあきれたふりをしながら、進くんを無信仰者にもどしました。
黒ちゃんは、雪ちゃんに笑顔を見せると、進くんを速攻で黒の信仰者にもどしてご満悦。
黒ちゃんに笑いかけられた雪ちゃんも、うれしそうにしています。黒ちゃんとまた笑い合えてうれしいのです。――もうそんな日は来ないのではないかと思っていたから。
十郎太くんは進くんに駆け寄ると、進くんの手を取って、
「カッコよかった~、惚れなおしちゃったよ進くん❤
〈カラフロ……ラグナロク……。やっと見つけたよ、ずっと探していた光明を。あぁ……やっぱりすごいよ進くん❤ キミはいったい、ボクに何回奇跡を見せてくれるんだい?〉」
「私も惚れちゃうかも❤」と、紗々ちゃんも進くんをからかいます。
「いくら惚れてもダメじゃ。進はわらわのものじゃからな。――もう離さぬ❤」
「ココナも~❤」
「みぃみぃも~❤」
二人も進くんに抱きつきます。――モテモテですね❤
ずっと噛み合わなかった、それぞれの想いが噛み合って、幸せな笑顔が生まれました。
翌朝。
チュンチュン……。
小鳥のさえずりが聞こえるような、ありきたりでさわやかな朝。
セットされた時刻が来るのを、目覚まし時計が手ぐすね引いてまっています。
そんなころ。
進くんたちはまだ寝息を立てています。大きなベッドで、四人で仲良く。このベッドはカラフロのお部屋コーデアイテムで、それを部屋に設置したのです。起きたらまた片づけることを前提として。
私も一緒に寝たいなぁ――なんて思ったりもしますが、この光景のジャマをしたくはありません。兄妹仲良く眠っているようで、とてもほほ笑ましいからです。
「あのちいさかった進が、いまでは群れの主とはな。たのもしくなったものだ」
とうとうしゃべっちゃいましたね。でもまあいっか、進くんたち寝てるから。
先ほどの声の主は――なんと、ちびトラさんです。実は、いままでずっと、私の足元にいて、進くんを見守っていたのです。幽霊だからだれも気づきませんでしたね。――黒ちゃんや雪ちゃんは神さまだから気づいていたのかもしれませんけど。
「もう、ひとりぼっちではないのだな。――いいものが見れた。これで安心して眠れるよ」
「どうしたんですか、ちびトラさん。変なものの言い方をして。
まるで、死に際の老人みたいじゃないですか。もうとっくに死んでますけど。
!? ――まさかっ」
ちびトラさんが、ぼんやりとした顔をして、ゆっくりと目を閉じていきます。
「そんなに急に逝ってしまうんですか!? 進くんのことはもういいの!?
本当にお別れなんですか!? ちびトラさんっ、ちびトラさん……(涙目)」
「ZZZZZ……」
「え――天に召されるとか、そういう比ゆで(眠れる)って言ったのかと思ったのに……。
だから潤っときちゃったのに……。ちびトラさんってば、私の足元で、まるくなって、また寝はじめてしまいました。なんだかちょっとそんした気分。涙を返してほしいです。
――くすっ。
ま、いっか❤ 進くんのことを、これからも一緒に見守りましょうね、ちびトラさん」
カッチ。
あ――。やる気満々だった目覚まし時計を、アラームがなる前に、黒ちゃんが切ってしまいました。そして黒ちゃんはココナちゃんとみぃみぃちゃんをゆすって起こします。
「これは妻の大事なお勤めなのじゃが、二人にも手伝わせてやろう」
「むみぃ……zzz」
寝ぼけ眼のみぃみぃちゃんは、寝間着がはだけている進くんの左鎖骨辺りを見て、
「にぃにぃ、こんなところにほくろがあるみぃ……」
確かに、星のような形をした、ちいさなほくろがあります。
「それはほくろではない。――わらわと進の約束の印じゃ」
進くんがラグナロクで勝利して獲得した、神さまに命令ができる権利。願いを叶えてもらえる権利。これはけっきょく、使われていません。
ぼくの家族になってください、と進くんは言いましたが、黒ちゃんが嫁いで(?)きたのは自分の意思なので、神の力は使われていないのです。
このほくろのようなものは、聖痕で、進くんは神さまにもう一度願いを叶えてもらえるという印なのです。
「ん……」
アラームがセットされていた時刻が来ました。――次はがんばれ目覚まし時計!
黒ちゃんが進くんに馬乗りになり、その両脇にココナちゃんとみぃみぃちゃんが陣取りました。
かるくゆすられた進くんは、自分の上にのっかっている、少女の気配と、その柔肌と、体温を感じて、目を覚ましました。
進くんは、まだ寝ぼけたまま、ゆっくりとまぶたを開きます。
自分を見つめる美少女たちの笑顔が――黒ちゃんとココナちゃんとみぃみぃちゃんの笑顔が、目の前にありました。
「おはようなのじゃ、すすむ❤」
「おはよう、おにいたん❤」
「おはよ、にぃにぃ❤」
進くんは、かけがえのない大切な家族に、ほほ笑みを返しました。 終