第七話 〜『聖女』と『魔王』について確認してみましたた〜
私、オリビア・カーティスはーー、憂鬱だった。
「姉さん、ほら、手を動かしてよ」
「わかってるんだけど……」
「淡々とこなせばすぐ終わるって」
そう言いながら、義弟ーーノア・カーティスは手に持っていた本にまた目を落とす。見張ってはくれても、手伝ってはくれないらしい。まぁ、手伝ってもらってもおそらくバレてしまうし、そうするとまたさらに課題が増えるだろうから諦める。
私は、昨日午後の授業に15分遅刻した罰として、大量の課題を与えられていた。難しいものではないが、とにかく量が多いのだ。昼休み、アルバートと話をしたことは後悔していないものの、まさか遅刻くらいでこんな目にあうとは思っていなかったので、つらい。
アルバートはというと、まるっと1講義サボったので、私の3倍の量が出されているらしい。
「完全に作業だから眠くなっちゃうよ」
大体、このコミュニティ棟ーー、寮エリアの中で唯一、男女が一緒に過ごしていても大丈夫な建物は、作業用に建てられているものなのに、内装が豪華すぎる。ソファは柔らかで、ついつい、眠気に囚われてしまう。
「そうーー、じゃあ課題終わるまで待ってようかと思ったけど、聞こうかな。こないだ、前世の記憶とやらについて教えてって言ったじゃない? あれ、話して欲しいんだけど」
私は一応辺りを見回す。今のところ、誰もいない。
「うん、何から話せばいいかなーー」
「聖女の能力についてと、俺が魔王になるときの条件っていうかーー、何かこう、そんな描写があったかどうか」
いやにピンポイントなのが気になるが、ノアは賢いので、私にはわからない部分が気になっているのだろう。
「えーとね」
私は語り出す。なるほど、話しながらであれば、課題もすぐに終わりそうだ。
◆◆◆
聖女の能力のベースは、『その手で触れた人々の能力を高める』ことにある。特に力が働きやすいのが、その人の命に関わる部分ーー、生命力を高める、という部分だ。歴代の聖女は医療の分野で活躍し、皇宮の専門医や、国中を回って難病の人を救う医者などになることが多かった。
彼女たちは皆人格者でもあり、ゆえに聖女、『光』の魔法は、この世界では尊敬の眼差しを受けている。
そのため、今回アイリスに能力が発現した時も、国中の報道機関がこぞって彼女を好意的に取り上げた。
「でも能力っていうのは、ゲームの中では生命力に限られなくって」
生命力を高めるシーンーー、怪我をした攻略対象をその能力で助けるシーンは、大体どのルートでもみられたが、時々違う描写もあった。
例えば、レオルートにおいて、レオとノアが戦う場面では、レオの身体能力・魔力を一時的に向上させている。ただこれは、その時必要に迫られてたまたまできただけであって、アイリスにはそんなことができるという自覚はなかったらしい。さらに、歴代の聖女も生命力を高める、以外の方法で魔法を使えたなどと言う話は聞いたことがない。
「なるほどね」
ノアは頷く。
「『魔法使い狩り』ルートでは『魔法使い狩り』は彼女の能力を悪用して、組織の魔力を高めたり、病に臥してた悪い魔法使い狩りを助けたりして、勢力を伸ばしていくのね」
「なるほ……まって、何、魔法使い狩り?」
「うん、アイリスが誰ともルートに入らない場合、『魔法使い狩り』流行ってるでしょ? あれにアイリスの力が盗まれて、その力を悪用されちゃうんだ。で、世の中が大変なことになって、光の魔法に唯一対抗できるノアが疲弊しちゃって、最終的に魔王になるっていう展開になっちゃうの」
初耳なんだけど……とノアは顔で訴えてくる。確かに初めて言ったが、だって詳しく聞いてくれなかったじゃないか。
「だから単に俺が聖女を避け続けたらいい、ってわけでもないってことだったのね。ていうか学園までくるのか、魔法使い狩り……」
「そういうこと、で、魔王が発現する条件だけどーー」
魔王とは、死した魂を操り、使役し、人々の悪い感情を増幅させ、世の中を混乱に陥れる存在である。
「そんなことまでできないけどね?」
ノアのツッコミはひとまず無視する。
100年以上前、重要な地位にいた公爵が実は闇の魔法使いで、とある事件をきっかけに『魔王』となり、禍を招いたと言われている。その伝承ゆえに、現在でも闇の魔法使いに対する偏見は根強い。表面には出さずとも、よく思っていないのだろうな、という人々にはたくさん出会ってきた。
「ノアが魔王になるきっかけは、ルートによって少しずつ違うんだけどーー」
① 失恋して落ち込んで、自暴自棄になる
② ひどく疲弊し、自暴自棄になる
③ アイリスを守れず、自暴自棄になる
という感じで、ノアが『もうどうでもいい……』となると、闇の魔力に飲まれてしまうーー、ことになる。
「自暴自棄ねぇ」
「そうだね、自暴自棄になった時に、アイリスや『魔法使い狩り』に触れて、感情がばーっとなって……って感じに描かれてたかなぁ」
「潔い語彙力だねぇ」
私の話に少し落ち込んでいるようではあるが、軽口を叩く余裕はあるらしい。
「ーーまぁなんとなくわかってきたかな。で、あと2人の攻略対象?は誰なの?」
「エリオット・ルーカス先輩が明日イベントのある人だね」
エリオット・ルーカス公爵子息は、私たちの一つ上の学年で、とにかく美しく、規律正しい模範優等生である。
「で、最後がジェイド・アーロン」
ノアがうげ、声に出す。ジェイドはーー、まぁ、私たち姉弟の幼馴染で、ノアとかなり相性が悪いのだ。
「なんか、変なやつばっかりだねぇ」
「往々にしてそういうものだからねぇ、乙女ゲームって……」
ノアは手に持っていた本をテーブルに置き、真剣な顔で私を見つめる。
「なんか聞きづらくて今まで聞けてなかったけどさーー、姉さんの前世の記憶って、どんなだったの?」
真っ直ぐに聞かれると、戸惑ってしまう。
「普通だったよ。死んじゃったのかな、って日のことも、あんまり覚えてないし。『聖女アイリスの数奇な運命』の部分以外は、抜けてることも結構あるし」
「そうーー」
ごく普通の家に産まれて、愛されて育っていたと思う。勉強も運動もそれにりにできていて、友達も結構いた。女子校に通っていたので、友達の薦めで乙女ゲームを始めた。初めてプレイしたのが『聖女アイリスの数奇な運命』で、完全にクリアしきる前に、それが最後にプレイした乙女ゲームになってしまった。
オリビアとして12年生きてから思い出した記憶なので、自分の前世とはわかっていても、完全に咀嚼できているのかといえば、そうではない部分もある。
特にーー、両親のことは、はっきりと思い出したくない。一人っ子だった前世の私が亡くなったときの親の気持ちを想像することは、難しくない。
今世でも私は、愛されて育ってきた。
ゲームのシナリオ通りに進んで、私やノアが辛い目にあえばーー、両親をまた、悲しませることになる。
「正直まだ信じきれてない部分もあるんだけどさ、最初に聞いた時、妄言って言ってごめんね」
「えーー?」
「真剣だったのにね。だからーー、そんなに悲しそうな顔しないで」
そう言ってノアはそっと私のそばにして、頭を優しくポンポンと叩く。
「俺のこと、心配してくれてありがとう。オリビア」
「姉さんって、言ってよ」
「ーーはいはい、姉さん」
ずっと話しながらも進めていた課題が、滲んで見えづらくなる。涙だけは落とさないように、少し上を向くと、鼻水を啜る音が出てしまい、笑ってしまった。
5年間、ずっとずっと悩んでいたけど、ノアに打ち明けてよかったな、と思う。
そしてやっぱり、ノア・カーティスをーー、こんなに優しい義弟を、魔王になんかさせないと、強く、決意した。
「ところで、レオ皇子とアイリスの出会いっていつなの?」
「あ」
すっかり忘れていた。
今日、多分ーー、今頃である。
◇◇◇
レオは一人、寮室へと向かう長い廊下を歩いていた。
アイリス・エアハートーー、先程初めて話した彼女のことを思いながら。
(聖女、ねぇーー)
レオの部屋は棟の一番奥にある。
他より少しだけ広く、少しだけ重厚な作りになっている。
「思ったより、面白いかもしれないな」
そう呟くレオの声は、厚い壁に溶けて消える。
誰も、聞いてはいなかった。