第10・6節 茶の湯の綾
第7週6日目、大統領がいつものように和室に入ってきた。
大統領:「床の間の軸が変わったね。何と読むのかな。」
私:「一座建立と書いています。近年の大徳寺塔頭の高僧によるお軸です。」
大統領:「塔頭?」
私:「大徳寺本坊以外に、塔頭が24ケ寺あります。要は脇寺ですね。この掛軸は、その脇寺の住職が書いたものになります。」
大統領:「なるほどね。」
大統領が座ったので、私は薄茶の平点前を始めた。
私:「大統領、薄茶は毎日点てていますか?」
大統領:「ここのところは、少しさぼり気味だね。」
私:「最低、週に一回は点てた方が、忘れにくいですよ。」
大統領:「早速、今日から点てるよ。」
私:「それなら、点前が終わったら点てましょう。せっかくの茶道の時間ですしね。私が大統領の点てた薄茶を評価しましょう。」
大統領:「緊張してきたな。」
私は干菓子を勧めたあと、薄茶を大統領に出した。
大統領:「この味が理想形だね。この味を出せるかな?」
私:「私の点てたお茶では、まだまだ理想形ではないと思います。最後まで向上心を捨てずに練習を続けてください。」
大統領:「どんな形が理想形なの?」
私:「綾が付かないお点前でしょうか?」
大統領が薄茶を飲み終え、私が茶碗を取り込んだ。
大統領:「おしまいにしてください。」
私:「おしまいさせていただきます。『裏千家今日案歴代 又玄斎一燈』に『茶話抄』の逸話があります。一燈宗室が兄・如心斎宗左招き、初炭手前をしてもらったそうです。茶会終了後、同席していた一燈宗室の弟子・水雲が如心斎宗匠は、花を生けるのは上手ですが、炭手前は下手ですね。と言ったそうです。すると一燈宗室は、それは逆ですと言います。」
大統領:「つまり、如心斎宗匠は、花は下手で炭手前は上手いというわけだね。理由は?」
私:「一燈宗室は、如心斎宗匠のような花は生けられるが、炭手前はあのようにはできない。なぜなら私の炭手前には模様がつくから、兄のように模様が付かず、自然とする領域には達していない。この模様というのが、綾のことです。」
大統領:「綾というのは?」
私:「最初は師匠の真似をしていた者も、次第に自分流になって行きます。この時、自分なりの綾がつくのですが、この段階ではまだ修行が行きついていないのだそうです。茶道の場合、日常生活そのものが茶になるよう心掛け、茶会の場に臨むことで、茶道の炭手前やお点前が自然とできるようになる。この状態が理想形だと思います。」
大統領:「綾をつけず、自然に茶道ができる状態か。」
私:「まあ、継続しなければ、わからない境地なのでしょうね。大統領は、理想形をめざして、毎週1回は薄茶を点ててください。」
大統領:「わかった。」
薄茶の平点前が終わり、大統領に薄茶を点ててもらった。
かなり苦めの味に仕上がっていた。
私:「これを毎日飲むのはキツイですね。大統領の手を少し掴んでも良いですか。スナップの利かせ方とかを説明します。」
大統領:「お願いします。」
私は残り時間の許す限り、手加減などを教えた。
大統領は満足して扇子を出し、挨拶した。
大統領:「最後はかなり良い感じになった気がするよ。早速、後で点ててみるね。」
私:「あまり飲みすぎないようにしてください。眠れなくなりますので。」
大統領:「注意するよ。それから今日の掛軸の話は、次回、お願いするね。」
私:「わかりました。では、また来週、お待ちしています。」
大統領:「じゃあ、またね。」
翌日朝、来週末行うデモンストレーションの準備のため、各種道具部屋の施設長、引率の先生、文部科学大臣と次々話をした。
結果、先月と同じ内容で落ち着き、書類にサインし、一通りの作業が終わった。