第10・5節 火を絶やさない
第7週5日目、大統領は眠そうにしながら入ってきた。
私:「お疲れのようですね、大統領。」
大統領:「先生には正直に言うけど、せっかく落語の先生が残してくれた政策が、御破算になってしまって、悔しくて眠れなかったんだよ。」
私:「では『茶話指月集』から、針谷宗春の逸話をしましょう。」
大統領は席に座り、私は薄茶の平点前を始めた。
私:「秀吉公が京都聚楽第にいた時の事、ある雪の夜、利休に今晩、京都の町で釜を掛けている者はいるか、と尋ねます。利休は、針谷宗春ならば間違いなく釜を掛けているでしょうと答えます。それではと言って、利休を伴い出かけます。針谷家へ行くと、門と扉を少し開いていて、釜を火にかけていたそうです。秀吉は快く一夜を過ごし、褒美を与えたとか。」
大統領:「針谷宗春には、秀吉が来るとわかっていたのかい?」
私:「いいえ、常日頃から釜の火を絶やさず、客がいつ来てもよいように、門の扉を少し開けていたそうです。大統領、いつチャンスが訪れても良いよう、心の火を絶やさないでください。今回の政策、落語の先生が示されたものなら、またチャンスがあるかもしれません。変革は理解されにくいものです。ですが大統領なら成し遂げられるはずです。」
大統領:「心の火を絶やすなか。そうだね、落語の先生が残してくれた言葉は、僕の心からまだ消えていない。がんばれる気がしてきたよ、先生。」
私:「では、干菓子でも食べて、元気を取り戻してください。」
大統領:「そうするよ。」
大統領はしばらくすると、浅い眠りに落ちていた。
私は茶筌で茶碗の縁を軽くたたいてみた。
すると大統領は眠そうに眼をこすった。
私:「目が覚めましたか、大統領。」
大統領:「すまない、寝ていたようだね。今の音は、茶碗の音かい?」
私:「はい。とりあえず薄茶を点てましたので、お飲みください。」
私は茶碗を大統領に出し、大統領が薄茶を飲んだ。
私:「起こすべきか否か、迷ったのですが、ある逸話を思い出しまして、起きていただくことにしました。」
大統領:「ある逸話?」
私:「『茶道四祖伝書』にある話です。利休は点前の最中に居眠りする客を起こすために、茶筌で茶碗の縁をカタカタと音を立てながら、茶を点てたとか。当時、世間でも流行ったのですが、注意点がありました。新しい茶碗ではして良いが、古い茶碗ではしてはいけないと。」
大統領:「この茶碗は、古い茶碗では?」
私:「そうなんですよね。うっかりしていました。」
大統領は茶碗を返し、私は茶碗を取り込んだ。
大統領:「まあ、前任の各種道具部屋の施設長が作ったという写しなら、古くはないかな。」
私:「そうですよね。写しだから大丈夫ですよね。大統領、そろそろ、点前をおしまいにしても良いですか?」
大統領:「そうだったね。おしまいにしてください。」
私:「おしまいにさせていただきます。」
点前が終わり、二人は扇子を出して挨拶した。
私:「どうか無理をなさらず、眠れるときに寝てください。」
大統領:「そうだね。落語の先生が教えてくれた政策も、チャンスが来たら再提案してみるよ。」
私:「その意気です、大統領。」
大統領:「では、また明日。」
私:「はい、お待ちしています。」




