第10・3節 思い残しと明日への一歩
第7週3日目、大統領と文部科学大臣が和室に入ってきた。
大統領:「やあ、先生、大臣を連れて来たよ。」
文部科学大臣:「失礼します。」
私:「ようこそお越しくださいました。」
二人が座り、私は薄茶の平点前を始めた。
大統領は文部科学大臣に三献茶の話をした。
大統領:「と言う感じで、先生が僕に三服、茶を点ててくれたんだ。僕が復活したのは先生のおかげだよ。」
文部科学大臣:「なるほど、それで大統領が急に元気になったのですね。ありがとうございます、先生。」
私:「いいえ、私は逸話を話して、茶を出したくらいですから。ささ、お菓子をどうぞ。」
文部科学大臣:「本当に心配したんですよ、大統領。仕事は手に付かない、話しかけても反応しない、大統領室から出てこない、しまいに、食事もほとんど摂ってなかったそうじゃないですか。」
大統領:「文部科学大臣くらいだよ、僕の心配をしてくれたのは。仕事を抜きにしたら、大統領室に顔を出したのは、2人だったからね。」
文部科学大臣:「あとの1人は誰ですか?」
大統領:「君のお姉さんだよ。あの人は誰にでも優しいからね。」
文部科学大臣:「ああ、うちの姉ならそうでしょうね。ただ、あれは優しいというより、おせっかいなんですよ。」
大統領:「いやいや、あれは親切と言うんだよ。」
私は大統領に薄茶を出し、文部科学大臣分の薄茶を点て始めた。
私:「さぞ素敵なお姉さんなんでしょうね。」
文部科学大臣:「そうですね。自慢の姉です。」
大統領:「おっ、珍しく、大臣が自分のお姉さんを褒めている。普段は嫌味を言っているだけなのに。たまにはお姉さんに会いに行けば良いのに。もうすぐ大統領府からいなくなるわけだし。」
文部科学大臣:「今まで会っていなかった分、なかなか勇気がなくて、会いにくいですね。」
大統領は薄茶を飲み終わり、私に茶碗を返してきた。
私は文部科学大臣に薄茶を出し、大統領の茶碗を取り込んだ。
私:「『喫茶指掌編』にこういう話があります。
秀吉の御伽衆という噺家に、木下祐徳という人がいました。利休の友人でご近所さんだったのですが、秀吉の不興を買った時、利休は一度も会いに行かなかったそうです。やがて、秀吉の許しを得た後、秀吉の面前でお噺をした時、利休など一向に聞いたこともないし、存じませんと突き放してしまったそうです。利休は甚だ迷惑したため、仲介人を頼んで謝り、仲直りしたそうです。
大臣、一時の感情や外聞で人との和を途切れさせないでください。時が経つほど、人との和は離れていくものです。まだ間に合うのでしたら、お姉さまにお会いになることをお勧めします。」
文部科学大臣は薄茶を飲み終わり、私に茶碗を返してきた。
文部科学大臣は考え込んでしまった。
大統領:「おしまいにしてください。」
私:「おしまいにさせていただきます。」
大統領:「大臣、あの人はもう余命2か月もない。ぜひ自分から会いにいくべきだ。」
私:「そうなのですか!」
文部科学大臣:「はい。そして今週、病院へ入院するため、この大統領府を去ります。確かに最後のチャンスですね。今日、姉に遭いに行きます。お二人とも、ありがとうございます。」
私と大統領は無言でうなずいた。
しばらく無言のまますぎ、点前が終わった。
文部科学大臣:「この時間、抹茶を飲みながら話をする。うまく言葉には、できませんが大統領がホッとした気持ちになれると言われる理由がわかった気がします。」
大統領:「僕も、うまく言葉にはできない。ただ、ホッとするんだよね。」
私:「それは、茶の湯は心を伝えるものだからだと思います。言葉にはできない思い。日本人の心であるおもてなしの心。亭主と客が一体となって織りなす時間。これらは全て心です。その心を掴まれたのなら、もうお二人は立派な茶人ですね。」
文部科学大臣:「心ですか。そうですね、この心、大切にします。」
大統領:「そろそろ時間か、残念だな。もっと話ていたいな。」
私:「物事には必ず終わりがあります。ですが同時に新たな出会い、新しい事の始まりも待っています。大統領、歩みを止めないでください。
利休云、物事仕残したる(しのこしたる)はよし、仕おゝせたる(しおおせたる)は悪しと云り
物事はやり残したと思うくらいがちょうど良く、やりすぎたと思うのは良くない、という意味です。もう少しできると思う気持ちが次に繋がります。もっと話したいのであれば、明日、明後日と来てください。そしてその一期一会を大切にしてください。」
大統領が扇子を出したので、私と大臣も扇子を出した。
大統領:「明日への一歩、踏み出せそうだよ。」
文部科学大臣:「私も姉に会ってみようと思います。」
私:「はい。」
大統領:「また明日ね、先生。」
文部科学大臣:「また来週、伺います。」
私:「お待ちしています。」