第7・4節 心の師とはなるとも
第4週4日目、大統領は床の間を見ていた。
大統領:「あの花を入れている竹細工はなんだ?」
私:「気づかれましたか。今日は、宗全籠の花入を使いました。これには2つ話があります。」
大統領:「それは楽しみだ。」
大統領が席に座ったので、私は干菓子を勧め、薄茶の平点前をはじめた。
大統領:「それで、どんな話なのかな?」
私:「まずは『茶話指月集』にある話です。ある時、利休の弟子の古田織部が、籠の花入なのに薄板を敷かずに床へ置いていたのを、利休が見てこう言います。
古来、籠花入は薄板にのせていましたが、何か面白くないと思っておりました。これについてはあなたのお弟子になりましょう。
とね。以来、籠花入は薄板を使わず、じかに床の間に置かれるようになります。千利休は、弟子の作為を素直に褒め、取り入れることができる器を持っていたという逸話になります。」
大統領:「千利休と言う人は、器が大きかったのだな。私も見習わないと。ところで薄板というのはなんなのかな?」
私:「では、お見せしますので、少々お待ちください。」
私は薄茶を大統領に出し、水屋代わりに使っている六畳間から薄板を三枚持ってきて、大統領の前に並べた。
私:「左から順に、矢筈板、蛤端、丸香台と言います。茶道には真・行・草という序列があります。1番上が真、次が行、一番下が草となります。まず、古銅花入や青磁花入と言った真の花入に用いる薄板がこの矢筈板です。板の木口が矢筈形で真塗、上側の寸法が下側より一分大きく、広い方を上にして使います。矢筈というのは、弦につがえるために凹字型になった矢の頭部のことを言います。」
大統領:「真っ黒い綺麗な板だね。」
私:「次に、砂張や施釉と言った行にあたる花入に用いる薄板、蛤端です。木口が蛤貝を合わせたような形で溜塗になっています。」
大統領:「少し赤っぽい板だな。端が丸いけれど、これが蛤貝を合わせたような形ということか。」
私:「最後が伊賀・竹花入など草の花入に用いる薄板、丸香台です。掻合塗の丸い板です。籠花入には現在、薄板は使いません。」
大統領:「丸香台は、黒っぽいけど木目が見えているんだね。」
大統領は薄茶を飲み終わり、私は茶を取り込んだ。
大統領:「おしまいにしてください。」
私:「おしまいにさせていただきます。」
大統領:「それで、もう一つの話は?」
私:「宗全籠に手が付いたという話です。手というのは、籠の上にアーチ状についている把手の部分ですね。元々、この籠花入には手が付いていませんでした。裏千家第四代仙叟宗室の依頼により作ったもので、最初、発注した時には、把手がなかったのです。その籠花入は『手なし宗全』と言います。」
大統領:「発注と違うものを作ったということだな。」
私:「この把手、挿した花を丸く収めるのに有効で、大いに人気が出たそうです。久田宗全の創意で付けられたもので、『宗全籠』として現在に伝わっています。まあ、これは写しでしょうけどね。」
大統領:「創意工夫で、より良いものを作ったということか。」
私:「新しい日本を創ろうとされる大統領は、『宗全籠』のように、時にはより良いものへと変革することも大事でしょう。過去にこうだったからと、言われた通りの事しかしなければ、何も変わりません。仏教用語にこういう言葉があります。心の師とはなるとも、心を師とせざれ。」
大統領:「どういう意味かな。」
私:「人の心は移ろいやすいものです。その心を師匠として思うままに生きれば、良いことにならないのは明白です。なので、自分自身を高め、心を成長させていくことが大切だという意味になります。これは、どの芸道にも通じる考え方ではないでしょうか。」
大統領:「心の師とはなるとも、心を師とせざれ。良い言葉だな。」
私:「さて、そろそろお時間です。」
二人は扇子を出してお辞儀をした。
大統領:「変革とは難しいものだな。」
私:「大統領なら、正しい道に日本を変革してくださると信じていますよ。」
大統領:「ありがとう。」