第7・3節 自然な落ち葉
第4週3日目、大統領は楽しそうに入ってきた。
私:「奥様に薄茶を飲ませることができたようですね。」
大統領:「わかっちゃったかい。いやあ、おかげで楽しい会話ができたよ。」
私:「よかったですね。」
大統領が席に着いたので、私は薄茶の平点前を始めた。
大統領:「今日は、茶碗の柄がいつもと違うみたいだね。」
私:「今日は季節を問わず使えるという雲錦模様が付いた薄茶茶碗にしてみました。」
大統領:「雲錦模様?」
私:「桜と紅葉が描かれた模様を雲錦と言います。」
大統領:「なぜ?」
私:「京都の言葉遊び、吉野山の桜は雲かとぞ見え、竜田川の紅葉は錦の如し、から取られたとされていますが、私は、『古今和歌集』の二首、
竜田川 もみぢ乱れて 流るめり 渡らば錦 中や絶えなむ
桜花 さきにけらしな あしひきの 山のかひより 見ゆる 白雲
から取られたものだと思っています。吉野山の桜の雲、竜田川の紅葉の錦。春・秋、山・川、花・木、桜色・紅葉色、雲・錦が見事に対比された模様だと思いませんか?」
大統領:「なるほど。そうかもしれないな。では今日のテーマは対比ということかな?」
私:「さすが大統領ですね。今日は、茶道では落ち葉は散らすべきか、片付けるべきかの対比をしてみたいと思っています。」
大統領:「普通、落ち葉は片付けるよね。」
私は大統領にお菓子を勧めると、大統領は干菓子を食べ始めた。
私:「『近古史談』に利休が茶道の師・武野紹鴎に入門したての頃の話をします。紹鴎が、塵一つない庭の片付けを、利休に指示します。既に掃除されているわけですから、何もしなくても良いのですが、利休は木を揺らして葉を落とし、趣のある庭にしたそうです。」
大統領:「趣のある庭というのは具体的にはどんな庭なんだい。」
私:「樫の葉の もみち(もみじ)ぬからに ちりつもる 奥山寺の道のさひしさ(さびしさ)。
樫の葉が紅葉し、自然のまま散り積もっている、この奥山寺の参道は、なんと寂しいことであろうか、と言う西行法師の歌が『山家集』にあります。利休は、この歌を引用して、趣のある庭とはこうあるべきだと言っています。」
大統領:「自然に積もった感じが良いわけだね。」
私:「そうですね。」
私は大統領に雲錦茶碗を出すと、大統領は薄茶を飲み始めた。
大統領:「対比といったね。もう一つ逸話があるのかな?」
私:「『茶話指月集』にある話をします。利休が弟子とある茶会に招かれたとき、庭に椋の木の葉が綺麗に積もっていたそうです。利休はその時、綺麗だなと言い、こう続けます。
されと(されど)亭主無功なれは、はき捨る(はきすつる)にてそあらんといふ(いう)
ここの亭主は、茶の湯の趣を知らない人だから、せっかく庭に積もった木の葉を、掃いてしまうだろうと。」
大統領:「そして亭主は、落ち葉を一枚残らず掃いてしまったわけだ。」
私:「利休は、庭の掃除に関し、朝、客を迎えるときは夜中に、昼なら朝のうちに済ませなさい。いったん掃いた後は、いくら落ち葉が積もってもそのまま掃かないのが茶の湯の巧者というものです、と言っています。」
大統領が茶碗を返し、私は茶碗を取り込んだ後、大統領と私はおしまいの会話をした。
大統領:「さて、今日の話は、何を教訓としているのかな?」
私:「大統領は、ずいぶんと核心を突くようになりましたね。大統領に自然を顧みるゆとりを持ってほしいと思い、この話をしました。時に立ち止まり、自然の流れに身を任せる。走り続ける大統領に送りたい禅語があります。行雲流水です。空を行く雲や水の流れ、物事に執着せず、自然に任せて行動するという意味になります。」
大統領:「行雲流水。」
私:「一期一会とは逆の意味にも取られかねませんが、大統領、焦らずじっくり機を待つことも時には重要です。奥様以外にもお茶を供する場合、行雲流水も気にかけてください。機が熟するときは必ず来ます。」
大統領:「近々、副大統領たち兄弟に抹茶を振る舞おうと思っていたが、少し待った方が良いかもしれないな。よく考えたら、まだうまく点てられない上に、何のおもてなしも考えていなかった。」
私:「兄弟?」
大統領:「ああ、副大統領が兄で、文部科学大臣が弟だよ。弟は、いつもお兄さんの指示に従っているだけなのだけどね。」
私:「そうだったのですか。知らなかったです。」
二人は扇子を出してお辞儀をした。
大統領:「まずは副大統領たちを、ちゃんとおもてなしできるよう準備しないとね。二人には、茶の湯でホッとしてもらいたいからね。」
私:「今の大統領になら、二人に”ホッとした”と言わせる一期一会のおもてなしができるはずですよ。」
大統領:「ありがとう。やってみるよ。」