第5・5節 心にかなう点前
第2週4日目、少し遅れて大統領が現れた。
大統領:「いや、すまない。遅くなった。」
私:「いえ、全然OKですよ。どうか無理をなさらないでくださいね。」
大統領:「では、始めてもらおうか。」
大統領は客の席に座り、周りを見回した。
大統領:「床の間の香合が変わったな。もしかして昨日説明していた香合かい?」
私:「さすがですね、大統領。香合は『形物香合相撲番付表』で西の大関となっている染付辻堂香合です。」
私は大統領に主菓子を勧め、濃茶の平点前を始めた。
私:「『茶道筌蹄』に、
辻堂 角四方颪屋根の上に松葉と木の葉の模様あり下は角なり
とあります。野辺の辻に立つ祠に見立てて辻堂と名付けられています。『茶道宝鑑』によると、古くは”藁屋”とか”落葉香合”とも言われたそうです。上の颪屋根部分と蓋側面に松葉5本と蔦2枚ずつ、胴の部分に松葉9本と蔦5枚ずつ、4面にそれぞれ描かれています。ひっくり返すと、底の部分は露胎と言って、釉薬がかからず、胎土がそのまま出た状態になっています。」
大統領:「ひっくり返して、見ても良いのかな。」
私:「基本的には、床の間の道具を、客が直接さわることはありません。でもみたいですか?」
大統領:「見たい。」
私:「では、中に練香が入っていますので、注意して見てくださいね。」
大統領は床の間の前に座って辻堂香合を手に取り、いろいろな角度から見ていた。
私:「茶道には拝見というのがあります。要は客が茶道具をじっくりみる時間ですね。香合は炭手前の時に拝見を乞います。ただ、ここでは炭手前がないですからね。」
大統領:「本来の拝見のタイミングがないわけだ。」
私:「そもそも大統領府の茶道具ですし、点前の後、いくらでも見てください。さて、茶が練りあがりましたよ。」
大統領:「そうか、早いな。だんだん濃茶点前も上達してきたのかな?」
私:「どうでしょう。ただ、少し手が早かったかもしれませんね。『茶話抄』に表千家七代如心斎天然宗左の話があり、
茶の点前、乃至、次第に功をつみぬれば、ちょうどよいほどに成るものなり。上手ぶるは諸芸ともによろしからずとかや、茶の稽古は、四角なる物の、次第次第に丸くなる道理、工夫あるべしとぞ。
と言っています。」
大統領が客の席に戻り、茶を一口飲んだ。
私:「お服加減は?」
大統領:「大変結構でございます。それで、その天然宗左という人の話はどういう意味なのかな?」
私:「点前が少し上達してくると、人前で上手ぶって茶を点てることがあり良くない。茶道に限らず、上手ぶらなくても繰り返し稽古をすれば、自然と上手になるものだ、という意味になります。点前の手が早いということは、少々、上手ぶっていたかもしれません。」
大統領:「なるほど。茶を出したタイミングも、客が香合を拝見している最中だったしね。」
私:「そうですね。失礼いたしました。」
大統領:「いやいや、気にしないでいいよ。香合の拝見は、時間的にもちょっと長かったしね。二人は同等、いや先生なのだから、もっと見下すくらいのつもりで教えてよ。」
私:「ありがとうございます。そういえば『南方録』で利休がこう言っていたのを思い出しました。
いかにも互いの心にかなふ(かなう)がよし、しかれとも(しかれども)かないたがるはあしし。
互いに心が通じるような茶は良いけれど、迎合する心、要は権力に媚びるような茶は良くないと。二人は同等という言葉、心が温まりました。」
大統領は茶碗を拭いて返してきたので、私は茶碗を取り込みこう言った。
私:「大統領を見下すことはできませんが、お言葉の意に沿うような亭主を目指しましょう。」
大統領:「いいね。そうしてほしい。」
私:「では、おしまいにさせていただきます。」
しまいつけが終わり、二人は扇子を出してお辞儀をした。
大統領:「また明日、今度は遅刻しないようにしよう。点前をあせらせてしまったようだからね。」
私:「どうぞお気になさらず、仕事優先で来てください。」
大統領:「わかった。ではそうしよう。」