第4節 授業第1週/第4・1節 小倉色紙に込めた思い
翌日、四畳半の和室に来た大統領は、一通り部屋を見渡した。
大統領:「今日は何か変わったのかな?同じに見えるけど。」
私:「床の間に色紙を掛けさせていただきました。」
大統領:「床の間?本当だ!これは何と書いてあるのかな。達筆すぎて読めないが。」
私:「八重葎 茂れる宿の 寂しきに 人こそ見えね 秋は来にけり
です。百人一首ですね。『南都松屋久重記』に
小倉色紙数寄に掛るハ(かかるは)、天の原ただ一幅ナリ、コレ天下一ナリ、日本の唐物とは此ことなりしと鴎いへり。利休ハ(りきゅうは)八重葎を天下一といへり。
とあり、それを参考に掛けさせていただきました。」
大統領:「利休ハ八重葎を天下一といへり。ということは、この八重葎の色紙こそ天下一のものだということだね。なるほど今日のテーマは天下一か!」
私:「その通りです。小倉色紙を日本で最初に掛けたのは、武野紹鴎という利休の先生です。武野紹鴎は、
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
を天下一と言っています。“八重葎”と“天の原”、この二つの歌、違いは何だと思いますか?」
大統領は少し頭をひねって、目を少し閉じてから言った。
大統領:「まず歌が違うな。天の原の方は、大きいイメージがあるから天下一というのはわかる気もするが、八重葎の方は、寂れた家に誰も来ないというような意味だったはず。天下一というのはどうかと思うが。」
私:「武野紹鴎と利休が生きた時代背景を説明すると、わかるかもしれません。2人は、室町時代後半から安土桃山時代にかけて活躍した人です。このころ茶道は、当時の中国・唐から来た唐物と、高僧の書いた墨蹟のみを飾っていました。そこに一石を投じたのが武野紹鴎です。」
大統領:「天の原の小倉色紙を、床の間に掛けた方だな。」
私:「天の原を詠った阿倍仲麻呂は、唐の玄宗皇帝に気に入られ、最後まで日本に帰れませんでした。最後、望郷の思いを込めて詠ったのが、この天の原です。武野紹鴎は、唐物ではなく和物として、日本の床の間にこの色紙を飾り、阿倍仲麻呂の心を伝えたかったのでしょう。では大統領、お菓子をどうぞお召し上がりください。」
大統領:「八重葎の方は?」
大統領がお菓子に手を付けている間、私は棗から抹茶を茶碗に入れ、棗に蓋をした。
私:「わびの心になります。」
大統領:「わび?」
私:「八重葎のあった河原院は、詠み人・恵慶法師の時代、既に廃墟と化していました。そこに変わらず訪れる季節を詠った歌に、わびの心を感じたのではないかと思います。また『槐記』という本では、この八重葎の歌が最初に床の間に飾られた小倉色紙ということになっています。」
大統領:「諸説あるということか。ところでわびとはなんなのかな?なんとなく寂しげなイメージに聞こえるけど。」
私:「正直に慎み深くおごらぬ心、と答えた場合と、村雨の 露もまた干ぬ 槇の葉に 霧立のほる 秋の夕暮、と答えた場合、どちらがわかりやすいですか?どちらも武野紹鴎がわびとは何かを表した言葉ですが。」
大統領:「正直に慎み深くおごらぬ心というは、まったく意味がわからないな。もう一つの方も、秋ということ以外よくわからないが、和歌の方がわかりやすそうだ。」
私は大統領に薄茶を出した。大統領は茶碗を片手で持ち上げ、薄茶を飲み干した。
大統領:「ホッとする味だな。」
私:「わびというは、茶室の静かで厳かな雰囲気の中、茶を飲み、亭主と客が語らって生まれる共通の思いではないかと思っています。そのため、一回の茶会、一服の茶を供するたびに思いはうつろい、刹那に変わっていきます。一期一会という言葉はご存じですか?」
大統領:「一度きりの出会いに最高のもてなしをするという意味だったかな。」
私:「はい。ですが、茶道では茶会のたびに、この一期一会の思いを込めます。常に同じ道具、同じ話、同じ茶、同じ時間ということはありません。何かが少しずつ変わっているはずです。その“少し”というのを亭主と客が共に感じることもわびだと思っています。」
大統領は目をつぶり、天井の方を見上げた。
大統領:「おいしい抹茶だった。この時間と空間と感じた心がわびということか。」
私:「そろそろお時間ですので、お点前の方は、おしまいにさせていただきます。大統領、この茶道の時間を、少しでもほっとする時間にしていただけたのなら、もう客としては一人前です。わびの心は茶道の集大成です。私では最後まで行きつくことができない領域にあると思っています。ですが、すでに天下一の大統領ならわびの心、体得できるかもしれませんね。」
大統領:「もう時間か、名残惜しいな。」
私と大統領は互いに扇子を出してお辞儀をした。
大統領:「ありがとう。また明日よろしく。」
私:「はい。お待ちしております。」