誰か、は、いない
陽が落ちて、藍が染めて、静寂が時を止める。覆いつくされた黒に圧迫されて息が苦しい。見上げた先の星が綺麗で、綺麗で目が霞む。
なんでもない日、なんでもない帰り道。くたびれたスーツ姿の男女、別に恋人でも何でもない。ただの同僚、お互い仕事が遅いだけ。
今日も残業まみれでしたね、その割には会社に私たちの居場所ってないんですよ、おかしな話ね、っていつも話すのは私だけ。
せっかく一緒に帰っているのに、貴方は何も話してくれない。溜息をつきながら私の後ろをついてくる。
大丈夫よ、今日は大丈夫。今日はホームに飛び込んだりしないわ。この前は少し、眩暈がしただけ。
「私ね、ずっと待っている人がいるの」
ワン、ツー、なんだっけ。体育もろくに出席してなかったな、ダンスなんて知らないや。
でもいいの、こんな暗い夜道で浮かれていたって、誰も責めやしない。会社とも家とも違うわ。
見下した視線、怒鳴り声、陰の嘲笑。全部が全部ナイフになって私の心をめった刺し。
息が苦しくって胸が痛くって全身がピリピリする。でも検査に異常はありませんって、検査自体が異常なんじゃない?私はこんなに痛いのに、毎日ナイフで抉られているのに。
飛び込みたくもなるわ、居場所がないってこと、居場所が探せないってこと。だって私はどこに行けばいいの。
いつか来てくれる誰かを待つのは疲れた、いつかが何時なのか分からない。私の代わりになってくれる、誰かを。
ねえ、貴方は何も言わないのね、つまらない人。
「貴方みたいな人じゃなくて、もっと社交的で、話し上手聞き上手、仕事も出来て家事も出来て…」
なあんて、嘘。嘘、本当につまらない人は誰なのか、そんなの分かってる。
喋りながら泣いてしまった、馬鹿みたいな現実を見てしまった。私はあの星のように輝けない。
陽が落ちても藍が染めても静寂が降っても、時なんて止まらない。必ず朝は来て太陽は照って私を焼き殺すのだろう。
毎日毎日毎日、いない誰かを待ちながら私は死んでいく。会いたくて振り返った先には誰もいない。星は私を嗤っている。
知っていたよ。私が狂おしいほど待っている人なんて、どこにもいないんだって。知っていたよ、存在していないこと。知っていたさ、私が弱虫なんだってこと。
鐘の音、砂の匂い、絶え間ない笑い声、朱色のリボン、はためくスカート。
あの頃、思い描いていた私なんて、どこにも。