３．左遷じゃない
取りあえずミツルが落ちつき、オフィスメンバーの紹介も一通り終わったあと。
「君も知ってると思うけど、広報三課はイスルギ民警の広報部に属してるんだ」
トクガワはミツルと応接テーブルを挟んでざっとの説明を始めた。
お茶の入ったマグを片手に、オールバックに尖った髭という胡散臭いスタイルのトクガワ。
人好きのする丸顔がどうにもワイルドに見える最大の理由は、彼のヒゲが船の碇のようなスタイル、アンカーと呼ばれるが、とにかくその形に気合いを入れて整えられているからだ。
上司として好ましいかはともかく、少なくともミツルの慣れ親しんだ中間管理職のイメージとは１８０度真逆を向く人物。
空色の制服が似合わないことおびただしい。
「イスルギ民警。ミツル君は正式名称言える？」
「〈イスルギ民間補助警察株式会社〉、ですよね」
「そうそう、最近は何でも略しちゃうから、それ言えない社員増えてるってウワサでね。
で、ミツル君は交通部にいたから、表の業務はだいたい知ってるでしょ」
「表って……主に交通監視や警邏、それから警備保障業務、です、かね」
「その通り。警察の下請けとして業務を代行するのが我らがイスルギ民警のお仕事だね。
でも株式会社って名乗ってるからには、お上の仕事だけでは食べていけない。
だから僕たち広報部が必要なんだ」
トクガワが手帳型の着用端末から机の上に資料を引っ張り出すと、一課、二課、三課の順に簡単な業務説明の下でＰＲ動画が流れはじめる。
広報部の新入社員向けパンフレットだ。
「簡単に済ませちゃおう。
一課は権利と商標権を扱う〈ＭＣＭ〉。僕らはマネジとかマネとか言うよ。
二課がこういうパンフレットとか教材とか、コンテンツを作ってくれてる〈Ｐ＆Ｄ〉。こっちはパデって呼ぶことが多いかな。
そして僕らの三課は」
「プロモーションですよね。イベントの企画運営をやってると、調べてきました」
「うれしいね、ちゃんと前もって動いてくれるなんて。君、結構まめなタイプ？」
「ええ、まぁ」
「いいね。うちにはそういう人材が必要なんだよ。
ここだけの話、オフィスの彼らは結構ズボラでね、しっかりしてるのはカワラバンぐらいのもんだからさ」
「そのカワラバンってのは……」
「自分のことッス」
いつの間にミツルの後ろにいたのか、例の軽そうな男性職員がファイル型端末を振りながら答える。
どこが軽いかといえば主に頭髪だ。工夫もない全面５ミリカットで、おまけに染め柄で左右二色の茶と金。
警備部あたりに行けばそのスタイルだけで怒鳴られるだろうと、ミツルは内心で苦笑する。
「自分、名前が河原磐なんスけど、みーんな漢字見てカワラバンっていうんスよね」
「あんたのチャラい顔を見てイワオなんていう人いないわよ」
そこへ横から割り込んできたのは若月縁。
ウェービーな髪を後ろで束ねたミツルより少し年上の女性。見事なタレ目で、気だるげな雰囲気が余計に年齢を感じさせる。
「でもカワラバンってのも長すぎよね。ね、いっそのことバン君とかどう？」
「なんか嫌ッス。チンパンジーみたいで果てしなく嫌ッス」
「古いわぁ、チンパンジーのバン君って何十年前だっけ」
さらなる乱入者の名は楠山雅。
こっちはショートカットの爽やかな肉食系女史。
自己紹介の折りにユカリと同期入社と言っていたが、並んだ印象はミヤビの方が遙かに年下に見えた。
「課長は知ってます？」
「ああ、うん。子供の頃に見たよ。ところで君たち――」
「面白い事やってる……？」
最後に人だかりに参加してきたのは鷲尾宏美。
トクガワより頭一つ分背が低く、メガネ着用で流れる姫カット。つかみ所のない人物で、話す声が小さい上にボソボソっとセンテンスを区切って聞き取りづらい。
「新人……ご苦労」
「あ、はい」
彼女が何が言いたいのかイマイチ掴めないまま、ミツルは取りあえずうなずいた。
ちなみに彼女まで含めて五人がオフィスメンバーである。
「あのね、君たち」
いつの間にかミツルを囲んでわいわいと騒ぎはじめる四人に、トクガワの抑えた咳払いが飛ぶ。
「仕事はどうなの？ 交通フェスは来週なんだから油売ってる暇ないよね？」
集まってくるときはダラダラと一人ずつ参加してきたのに、撤収するとなると一斉に素速く確実に。音がしそうなほどサッと四人はデスクに散っていった。
呆れたトクガワの乾いた笑いがその苦労を忍ばせる。
「……ご覧のとおりでね。
どうも本社から離れちゃうと、勤務態度ゆるんでいかんねぇ」
「よく総務が何も言ってきませんね。
コンプライアンス・サーベイのカメラ、あるんじゃないですか？」
ミツルのもっともな質問に、トクガワは諦めきった、しかしわずかに自慢げな微笑で答える。
「そういうの得意な子がいてね。無効化されちゃったよ」
「はぁ…………はぁ？ いやそれって服務規程違反じゃ」
「まぁ聞かなかったことにしてよ」
「聞かなかったことにって……」
どうやら思ったより新しい職場は無茶苦茶な有様らしい。
ミツルは早くも頭痛めいた不安感を覚えはじめた。
「ともかく、君も今日から広報三課の人間だし、警察業務からちょっと離れて気分転換ぐらいのつもりでやってくれればいいから」
「そうですか……あいや、わかりました。
それで課長、俺の、自分のデスクは？」
ミツルはさっきからずっと気になっていたことを質問する。
オフィスは細長い造りで、彼らのいる応接スペースを除くとワーキングデスクは窓に面した五脚しか見当たらない。
課長なら課長室を持ってるだろうし、空いてる一脚がそうだろうか。
「あれは僕のデスクだよ。君のはここじゃないんだ」
「ここじゃない？」
「案内するよ」
そう言って席を立ったトクガワが向かうのは、オフィスの中ではなくエレベーター……ですらなく、その横にある階段だった。
慌てて従ったミツルも、彼に従って窓のない階段を下りる。
「えっと、自分のデスクは下の階ですか？」
「いいや。下は博物館スタッフとか、あとはバイトさんたちのフロアだね。
君に頼みたい仕事はそっちじゃないんだ」
「はあ」
「実はね、総務に無理言って君を寄こしてもらったのには、ちゃんとわけがあるんだよ」
何気ないトクガワのひと言に、しかしミツルは危うく階段を踏み外しかけた。
「！ それって三課が自分を引き抜いたって事ですか？」
「そうだよ？ あれ、上司の人から聞いてないの？」
言われて記憶を総点検してみると、確かにミツルには思い当たる節がある。具体的には辞令が下ろされたときの室長とのやり取りだ。
（「いやあ、向こうさんが是非とも君を欲しいというものだからね」）
あれは取り繕いでも社交辞令でもなかったのか。
しかし、ならば尚のこと不可解だ。
ミツルに広告業や企画業の経験はない。バイトだってしたことがない。
スキル教育が高校生から始まる昨今、全くの素人を少数精鋭（？）っぽい職場が欲しがる理由にミツルはまったく見当がつかなかった。
正直、まだ左遷の方が納得がいく。
「ま、見ればわかるよ」
二階ほど降りたところで、トクガワが踊り場に足を止めてそう言う。踊り場のはずなのに彼の前には赤いドアが、それも博物館とは逆向きに付いていた。
「ここが君の新しい職場」
開かれた赤いドア。
その向こうに広がっていたのは二棟並んだ建物のもう一棟。
「格納庫？」
そこは博物館のように整備されておらず、もろに格納庫然とした造りになっていた。鉄骨トラスが天井を縦横に走り、キャットウォークがぐるりと周囲を取り囲む。地面にはコンクリート打ちっ放しに黄色や赤でラインが描かれ、そこに並ぶのは多数の車たち。
「僕らはハンガーって呼んでるけどね。あ、こっちだよミツル君」
トクガワは何のためらいもなく、階段から続くキャットウォークをハンガーの奥に向けて進み出す。
しかしミツルの足はすんなりとは追いつかず、どうしても数歩ごとに止まってしまう。階下に並んだ自動車が気になりすぎるからだ。
博物館本体のラインナップも豪華だったが、こちらの車は輪をかけて古く、しかも希少なものが揃っていた。
木枠フレームのモーリス・マイナー・トラベラーがあり、初代フォルクスヴァーゲン・ビートルがあり、端で小さくなっているのは悪名高きザクセンリンクのトラバントではあるまいか。
例の老人のおかげで見分けられたとはいえ、一堂に会するクラシック・カーにミツルの目は忙しくあちこちへ飛ぶ。
「ちょ、ちょっと課長これは」
「ん？ ああ、博物館の収蔵品だよ。
レストア前だから一般展示はしてないけど、イベントの時には引っぱり出すこともあるんだ」
自慢の色すら見えず、ただ淡々とトクガワは説明する。
もちろん足も止まることはない。
彼が向かう先には、なぜだか格納庫を二分する壁がそびえていた。
それはいかにも急造っぽい鋼板張りで、貫通するキャットウォークには赤く塗られたゲート、それも生体認証の必要なセキュリティーゲートがもれなく全ての箇所に設置してあった。
トクガワがそのゲートを通り、ミツルも続いて認証する。
その先に待ち受けていた光景に、ミツルは今度こそ度肝を潰して立ちすくむ。
今度こそ本当に格納庫だ。
それも稼働中の。
巨大な架台に載せられているのは、見たこともない白と青の重機。
四つ張り出した巨大なエンジンと申し訳程度の翼が、それが航空機であることを告げている。アクセスハッチだろうか至る所の外板が開かれ、周囲からケーブルやパイプが何本も接続されていた。
さらに奥を見れば、小学校のプールほどの水面に白と黄色の重機が浮かんでいる。
最近増えた電磁推進艇の特徴である水中に突き出すバルジを備えた、しかし船と言うには無骨すぎ複雑すぎるその巨体。
整備中なのか甲板を大きく開いて中のメカニズムをさらけ出していた。
そしてヴォォッ！ という轟音にミツルが振り向くのと、最後の重機が下向きのスロープに消えていくのはほぼ同時だった。
一瞬しか見えなかったが、確かにタイヤがついていた。それもミツルの見まちがいでなければ二輪だけだったように思う。チラッと見えた色は赤で、しかしそれ以上は早すぎて確認できなかった。
「いったいここは？」
「広報三課・次世代重機開発係。ここが君の新しい職場だ」
