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33.平和でありますように


西暦2062年七月七日。


病院の廊下に飾られた笹飾りを邪魔そうに避けながら、レンはある病室を目指して歩く。

普段履き慣れないショートスカートがどうにも頼りなく、デニムが一片も無いフェミニンなサマーカーディガンはフワフワで落ち着かない。


「ま、これもサービスってやつさ」


自分自身に言い訳をしながら、彼女は目的の病室を見つけ、特にノックもなくその扉を開けた。


「ミツル君、見舞いに来てや…………」


彼女は部屋に集った面子を見て唖然とするやら呆れるやら、とにかく声もなく固まってしまった。

腕と脚にギプスを巻かれ身動きの取れないミツルは良いとして、なんだかんだ一張羅を持ち出して彼を囲む三人のロボット娘どもはどういう事なのか。


「お前ら! 今日はボディの定期メンテナンスだろうが!」


「ちゃんと行ってきたもーん」


ショートスカートをフワフワさせ、ノースリーブシャツから健康的な二の腕を見せつけながらサクラが悪びれもなく舌を出す。


「何時に博物館に戻るかはお伝えしませんでしたけど」


ブレザー風ツーピースドレスのアオイがしれっとそう言い、ミツルの口にカットされたリンゴを押し込む。何か物言いたげな表情の彼だが、口いっぱいのリンゴと格闘するのに精一杯で声を出すことができないようだ。


「係の人に事情を話したらぁ、快くメンテを短縮してくれましたよぉ?」


部屋の隅でああでもないこうでもないと花瓶の花をいじっていたヒトミがサマーワンピースの裾をひるがえして話すのを、レンは三白眼で睨み返した。


「まったくお前らときたら日に日にろくでもなくなる。ミツル君、君の教育に問題があるんじゃないか? こいつらに何を刷り込んだ?」


「むぐっ……いや待てレン。俺は無実だ」


「当たり前だ、ジョークに決まってる」


彼女はスツールに荒々しく腰を落とすと、三人娘を一睨みしてから表情を和らげた。


「ま、今日ぐらい大目に見てやるさ。

 それよりミツル君、身体の方はどうなんだい?」


「精密検査ではおつむは無事なんだと。

 手足の骨で済んだんだから、ま、結局運は良かったんだろうな」


太さ数十センチのケーブルに直撃されたにしては、彼の怪我はずいぶん浅く済んでいた。サクラの証言によると、彼は当たる寸前に突風によって姿勢を崩し、その結果クリーンヒットには至らなかったらしい。

首に直撃していれば命はなかったと思えば、まさに突風様々だった。


「復職はまだ先になりそうだが」


「早く帰ってきてくれよ。怒られ役が私とジョーだけでは足りそうにない」


ひひっと笑って、レンはミツルにここ数日の動きを話す。


〈ロアゾオ・ノワール事件〉は、結局〈セレスティア〉の一件を持って収束。

逮捕後のハナが協力的だったのもあり、市を混乱に陥れた〈ロアゾオ・ノワール〉は数日で速やかに駆除された。


三課はその活躍から一部で英雄視されているものの、結局は大幅な職権逸脱を犯したわけでお咎めをバッチリ食らう羽目になった。


具体的には課の業務が完全に停止しており、もちろん博物館も休館。

レンとトクガワ課長はコンプライアンス会議に呼び出しの日々で、ゲンジもオーナー資格を巡ってイスルギ本社との折衝が続いているとのこと。

課員の多くはまだ自宅謹慎だ。


ひとついいニュースがあるとすれば、事件でお流れになった経営公聴会が再び開かれることはない。

というのも重機開発係の存続自体が、イスルギ本社の一声で内々に決定したからだ。表向きは将来性云々というミツルの言葉を焼き直したような説明がなされているが、その実、内部外部を問わない突き上げに屈した形だ。


いつだって三課はそうなのだが、転んだ分だけ戦果をもぎ取っていく。

八月には組織を一新して新たな門出を迎えるべく、すでにトクガワ課長の主動で根回しが進んでいるらしい。


「ジョーは懲りないな」


「ほんとな。あのオッサン、しぶとさだけならクマムシだって裸足で逃げ出すだろうな」


「誰が逃げ出すのかな?」


「よう若造、イタズラしに来てやったぞ」


ウワサをすればヒゲと革ジャン。

花束を持ったトクガワ課長とゲンジが病室に顔を覗かせる。さらにその後ろから、代わり映えしないスーツ姿のエリカが入ってきた。


「ロビーで会っちゃってさ。時間ずらそうと思ったんだが、なんだかんだ引っ張られちまった。大したオッサンたちだよホント」


元気すぎる壮年と老人にげんなりしながら、エリカは見舞いと称する缶ビールの六缶パックを見せる。のみならず一缶を開けて口を付けつつ、さらに周囲にまでパスする徹底ぶりだ。

どう考えてもミツルにやる気はないらしい。もらっても飲むわけにはいかないが。


「お前、昼から飲むのか?」


「こっちも謹慎食らってるんでね。固いことは言いっこなしだ」


「もらっていい?」


「係長は未成年だろ? 保護者から許可もらってくれ」


ここでゲンジが首を縦に振ればさらに問題発生だが、さすがに交通違反の常習者とはいえ身内の軽犯罪は見過ごせないようだ。


「酒と煙草は適年を厳守だ。バイクと車なら考えてやるが」


「マジかよ」


ミツルが頭を抱える姿を肴に、エリカとゲンジがカラカラと笑う。

そこにどこから取り出したのか、愛用のマグを振りながらトクガワ課長がニッコリと割り込んだ。


「ところでエリカちゃん、捜査情報、どうなってるのかな?」


「勘弁してくださいトクガワ課長。謹慎の理由、三割はそっちに情報流しすぎたからなんですよ。さらに情報タカる気ですか?」


「いいじゃん、ちょこっとだけさ、オフレコで」


トクガワ課長必殺の拝み倒しに、エリカは渋々と着用端末ウェアブレットを開く。


逮捕後のハナはあっさり司法取引に応じたそうだ。

犯罪は目的ではなかったわけだし、ハナの性格を考えればこれに不思議はない。


彼女が話したところによると、事件の主なクライアントはやはり〈人道会〉だったらしい。彼らは移民や貧困層への不正な職業斡旋を資金源にしているため、イスルギが推進する完全エージェント化の流れは正直邪魔でしかない。

もちろん今回の一件も特区法やお金が目当てではなく、要はイスルギの顔に泥を塗りたかっただけらしい。


「でもな、ハナがゲロッた内容、六割が本庁扱いで部外禁なんだ。実は〈人道会〉も捨て駒で、もっと別の組織が関与してるってウワサもあるしな」


エリカの言葉にミツルは思い当たる節があった。

ハナにクライアントが〈人道会〉かと訊ねたとき、彼女は半分の正解だと言っていた。もう半分が警察預かりで伏せられてるとすれば相当にマズい線、それこそ国家権力が絡んでいたとしてもおかしくない。


「ま、そこからは揣摩憶測の類だろうねぇ」


「それよりジョー、あのことを若造に話すんじゃなかったのか?」


「ああ、そうでしたそうでした。

 ミツル君、八月一日付けでさ、君は異動になるから」


「はぁ!? ど、どういうことです課長?」


慌てた拍子に腕のギプスをベッドの枠にぶつけ、ミツルはズンと響く痛みに涙目で耐える。


だが慌てたのは彼一人で、三人娘は何やらクスクスと笑い、ゲンジは意地の悪い顔で明後日を向く。

ため息をついたレンがジトッとした目をトクガワ課長に向け、その脇を小突いた。


「ジョー、話が決まって嬉しいのはわかるけど、だからってミツル君をからかうのはやめてくれ。

 彼の心臓の小ささでは驚いた拍子にショック死しかねん」


「へ? ……からかうって……ちょっと課長、もしかして冗談なんですか?」


「んー、まあね。職場が変わるのは君だけじゃないからね。重機開発係のみんなも一緒だよ。もちろんハンガーも転用されるし、それに三人も、ね」


そこまで聞けばミツルにも冗談の本質が見える。

トクガワ課長は心底嬉しそうな三人娘に親指を立て、ゲンジと肩を組む。


「ゲンジさんと一緒に走り回ってね、重機開発係を一新して広報三課預かりの独立採算部署に格上げしたんだ。その名も……」


そしてトクガワ課長は古風にもポケットサイズの垂れ幕を出し、それをゲンジと共に広げる。

白い布地には迫力ある墨字で〈機動広報三課 救命重機係〉と記されていた。


それを見た途端にサクラが首をひねる。


「トクガワ課長、〈機動救命重機係〉じゃなかったの?」


「それがね、機動はあくまでも課の方に明示してくれって総務からクレーム入っちゃってね。もうしょうがないから無理やりこっちにしちゃった」


「なんか変だよそれ。機動広報三課とか、どっちなのって感じだし」


サクラの感想に、レンとヒトミ、それになぜかエリカまでもが肯く。

しかしミツルはそれどころではなかった。今聞いた話が本当なら、それは単なるネーミングの問題ではない。


「いや待ってください課長。

 たしか課に機動の明示が必要なのって、実際の出場を前提とした即応部署の事ですよね? 重機係のどこに出場する機材が……まさか?」


「うん、そのまさかだよ」


トクガワ課長に示されサクラとヒトミ、そして控えめながらアオイまでガッツポーズを取る。その意味するところはただひとつ。彼女たち次世代救命重機を実際に現場で運用するということだ。


「しばらくはチケット切って、他の部署のお手伝いから始めるけどね」


レンが心底呆れたようにため息をつく。


「そして同じ会社の部署から予算を巻き上げる、と。

 ジョーは課長じゃなくて社長の方が向いてるんじゃないかな」


「詐欺師でもいいと思うけどな」


エリカの相づちに、ミツルも心の底で同意を示した。

本当は口に出したいところだが、軽い放心状態で声が出ない。


「みんな、それは褒め言葉として受け取っておくよ。

 とにかくミツル君、君の新しい役職は係長補佐兼現場責任者になるから、今のうちに心構えよろしくね」

 

「若造には〈お巡りさん〉としてしっかり働いてもらうからな」


言いたいことを言い終えるなり、トクガワ課長とゲンジは供にスキップ寸前の足どりで病室をあとにする。


エリカはミツルが放心状態なのをいいことに、どこから取り出したのか極太のマジックで脚のギブスに「ご苦労さん」と落書きをすると、ビールを飲み干して帰って行った。


ミツルがようやく正気に戻ったとき、夕日の差し込む病室にはレンだけが残っていた。三人娘は見学と称して病院内を散歩しに行ったらしい。


「正直な話、ミツル君が嫌ならやめてもらっても……」


「レン、それはないから大丈夫だ。

 ちょっと信じられなかっただけさ、あいつらが実際に出動できるようになるってのがな」


「まぁ私も最初に聞いたときは耳を疑ったよ。でもよく聞けば筋が通ってるんだ。

 これから先も厳しい予算でやり繰りしてたんじゃ、またいつ解散話が来ても不思議じゃない。人気でゴリ押しできる今のうちに状況を整えて、開発に本腰を入れられるようにしたいって。

 なんだかんだ言って、ジョーも三人を本気で応援してるのさ」


「あいつらの夢でもあったからな」


人を助けたいという夢を持ったロボットたち。

それを応援したいと思う人間たち。

本当にいい巡り合わせだ。

そんなロボットたちを育てられたことは幸運だったし、そんな人たちと働けることは幸せだ。


ミツルは今、この部署に来てよかったと心の底から思った。


「目が輝いてるぞミツル君」


「そうか? って近いぞ!」


いつの間にか息のかかる距離まで顔を寄せていたレンが、慌てて離れようとするミツルに唇を尖らせる。


「ここはキスをする場面だろう」


「バカ言え。ロリコンじゃあるまいしお前に手を出す気はないからな」


いつぞやのゲンジの脅し文句が脳内再生され、ミツルはドッと汗を吹く。

だが拒まれたレンは酷く寂しそうに顔を伏せ、さらに自嘲に鼻をならす。


「……やはり私ではハナに勝てんか。君にとってはお子様だからな、悪かった」


そういえば二人は顔を合わせたのだったか。


正直なところ、ミツルは自他共に認めるほどストライクゾーンが狭い。

体型ならハナもレンも似たようなものだが、年齢が十も違えばさすがに対象範囲外だ。

だからといって、そんな理由で遠回しどころかあからさまに彼女を貶めてしまった自分を許せるほど、ミツルは無責任でも無感情でもない。


今回の事件で彼女がミツルのためにどれだけ無茶をしたのか、彼はエリカからすでに聞いていた。

レンが自分を気にかける理由は置いておいても、恩人を傷つけ、さらに誤解させてしまうなどもってのほか……いや、もういいかげんナマコを決め込むのは止そう。


気が利かないなら、利かないなりの覚悟というものを決めなければならない。


ミツルは小さくため息をつき、むくれ面の儚げな少女の肩にそっと手を置く。


「ミ、ミツル君?」


「なんか勘違いしてるようだから言っておくが、俺はお前が美人じゃないとか、その……なんだ、グッと来ないとか……じゃなくてだな、そう、とにかく俺はお前が嫌いじゃない。

 お前は充分かわいいし、料理は上手だし、頭も切れるし……お、俺は何が言いたいんだ?」


「聞かれても困るが……とにかく私のことは嫌いじゃないんだな」


「ああ、そうだ。いつかのとき、お前が上司でよかったって話をしたのを憶えてるか? あのときお前に言いたかったのは……言いたかったのは……」


「言いたかったのは?」


「言いたかったのは…………俺は、俺はお前が好きだって事だ」


そう言って、彼はレンの頬に口づける。

レンは息を詰まらせ、頬を何度か撫でたあと、気まずい様子で目を伏せた。


「私も、君のことは好きだ。

 だが君は今でもハナが好きじゃないのか? 彼女もそんな事を言っていた気がするが」

 

「それは……いや、もういいさ。

 いくら参ってた時があっても、さすがに腹にテイザーぶち込んでくる女に未練はない」

 

ついでに言えば睡眠剤を注射してくるような相手だ。

わざわざ頭を振らなくとも、心のゴミ箱にシュートする理由ならいくらでもある。


「だったら、場所を変えてくれミツル君。

 頬は家族のキスだ。恋人は……」


小さな唇を中指で触り、小さな天才は艶然と微笑む。

ミツルはそっと顔を近づけ……


「あっ、やばっ」


病室のすぐ外で少女の声、つづいてカシャリと何かが床に落ちる音。


レンが鬼の形相でミツルの手を振りきって大股で病室のドアに接近する。

勢いよく開けばあに図らんや、そこには上中下と仲良く顔を揃えた三人娘の姿が。

レンが狼狽するサクラの足下から拾い上げたのは小さなプラスチックの鏡。


ああ、ダウトだ。


「お前ら、何をしていたか報告してみろ」


「私は止めましたが、二人が是非にというので」


しれっと仲間を売り渡そうとするアオイに、サクラがガルガルと牙を剥く。


「アオイずるーい、最初に言い出したのはアオイじゃないか」


「まあまあ二人ともぉ、レンさん、もうお邪魔しませんので続きをどうぞぉ」


「続けろと言われて続ける奴がいるか! 本当に妙な事ばかりおぼえてお前らは」


「ふーんだ、ティーチャに好きって言ったのは僕らの方が早いし!」


「そういう問題じゃない!

 ……いやまてどういう事だミツル君? サクラが何を言ってるのか理解できんのだが」


いつしか四人に囲まれてしまい、ミツルは困り果てて天井を仰ぐ。


レンの部屋に泊まった折、うっかり家族のようだと口走ってしまった彼だが、よくよく考えるとこの状況もまたそうだと言える。

レンとミツルの育てた娘たちは、今や両親すら困らせるほどに成長した。


そういえば病院の看護師に短冊をもらっていたんだったか。これはあれだ、是非一筆書いて笹に括ってもらわなければ。


もちろん内容は家内安全……

ではなく、平和でありますように、だ。

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