31.セレスティアの頂上
〈セレスタイト〉の中央広場。
午前中に始まった複合オフィスタワー〈セレスティア〉の異常振動に対応すべく、昼過ぎの現在、消防隊とイスルギ・レスキューの機動部隊が集合していた。
レスキューの分隊長と若い隊員が、そびえる白亜の塔を睨んでため息を吐く。
「とんでもない事態になっちまったな」
「ビルが高すぎるんですよ。くそっ!」
本来なら人命第一が鉄則。すぐにでもタワー上層階に行って避難誘導とレスキューを開始したい。だが突きつけられたもどかしい現実に、彼だけでなくこの場の全員が動けないでいた。
安全基準を超えた振動でエレベータケーブルが不安定になり、三百階から上のエレベータが軒並みストップ。建物が高過ぎるために階段での避難もおぼつかない。
機動服《PAS》が使えればそれでもやりようがあるが、例の〈ロワゾオ・ノワール〉とやらの影響で誤作動の恐れがあり、目下使用禁止の判断が出ていた。
残った手段はヘリによる高層階からの進入だが、土地柄と言うべきか、強い海風のせいで今日は屋上からのアプローチも難しい。
年並みと苦労で額に刻まれたシワの奥、彼は三週間前に見た重機が思い出す。
あの白と青の一風変わった機材が今あったら……
「にしても今日はやけに風が強いな」
ビル風が常にも増して響く。
最初はそう思った分隊長も、次第に大きくなる音が風鳴りでないことに気付く。
まるで地の底から上がってくるような……
そして事実、音は彼の足下から上がってきたのだ。
突然の轟音と突風にふり返った分隊長と隊員は、フロート用の通気口から一直線に空へ打ち上がっていくものを確かに見た。
青い翼を広げ、黄色の腕と赤い脚を伸ばした巨人。
白い巨人、白いロボット。翼を広げる姿が天使だというなら、それは剣持つ大天使に他ならない。
蒼い炎を尾と引いて天へ駆け上がる姿を見て、若い隊員は呆然と呟く。
「……分隊長、俺、夢でも見てるんでしょうか」
分隊長はかぶりを振って答える。
「だったら俺も居眠りしてたんだろうな」
その時、彼らが腰に下げた現場回線の通信機から割り込みのコール音が鳴った。
***
「ご協力感謝します」
『かまわんよ。こっちも動けるように全力を尽くすからな』
地上のレスキューと連絡を取ったミツルは、高度約五百メートルに滞空するブルーバードの中で座席にしがみつきながら〈セレスティア〉の図面を呼び出す。
全高五百メートルに迫るハイパービルディング。
その多角形の断面に当たるのは、洋上を吹き渡ってきた強い表層流だ。
角が全て鋭角に取られているのは、風圧を面ではなく点で受けるため。
こうすれば風によるビルの変形を防げるのだが、かわりに逆向きに渦が発生する。
渦はビルの躯体を断続的に引っ張るため、そこで低周波の振動が発生して構造にストレスを与えてしまう。
この低周波振動を打ち消すのがAWK――アンチウインドノッカーと呼ばれる対風制震装置だ。原理は至極単純で、四基設置されたコンクリート製のおもりを逆位相で振動させて揺れを相殺する。
「こいつのどれかが間違った周波数で動いてるせいで、相殺されずに合成波になって揺れが増幅してるわけか」
「ティーチャ、建物上部の横揺れが酷くなっています。
構造限界到達まで一時間ないでしょう」
「そうでなくても、構造にかかるストレスですでに不具合発生だしな」
コフィンはときおり左右に揺れ、さらに眺めがよすぎて心臓に悪い。
ミツルは〈セレスティア〉から目を逸らし、施設パイロットから流れてくる現状とエラーの羅列に顔をしかめた。
「エレベータの停止で取り残された人数は千人以上。
階段で避難させるだけでも一時間じゃ済まんだろうし、危険範囲から遠ざけるならさらにかかる。
ブルー、教えてもらったコードでアクセスできたか?」
「やっていますが、もう少し時間が欲しいですね。やはりレンさんの解析どおり〈ロアゾオ・ノワール〉全体が徐々に〈電子夢遊病〉化しつつあるようです。
ハナさんの権限コードでもアクセスできない領域が広がりつづけています」
「あいつに〈さん〉付けなんか必要あるか。
ともかく、今はここだけだが、ほっとくとイスルギ全域が誤作動で溢れかえるわけだな。嫌なシナリオだ」
「私だって嫌です。ティーチャ、提案がありますが聞いてもらえますか?」
真剣な表情でブルーがミツルをふり返る。ミツルは黙って先を促した。
「作戦を二つに分けましょう。
私の処理能力を使って〈ロアゾオ・ノワール〉の機能を掌握しつつ、〈セレスティア〉の機能不調に対し物理的に対応します」
「できるなら構わんが、それで大丈夫なのか?」
「役割分担できれば。
アオイとヒトミの二人で〈ロアゾオ・ノワール〉に当たりますので、サクラとティーチャに〈セレスティア〉の対応をお願いしたいのです」
「俺に?」
突如思いがけない言葉を向けられ、ミツルはパチパチと目をしばたかせた。
ブルーは済まなさそうに頭を上げる。
「ええ、サクラだけでは情報判断に不安が残ります。
かといってサクラ以上のリソースを割けば、〈ロワゾオ・ノワール〉の機能掌握がおぼつきません。
お願いしますティーチャ。私に力を貸してください」
ミツルの逡巡は短かったが、その内容は濃かった。
頼まれたということに驚き、頼られたことに嬉しさを覚え、できるのかという不安に胃が引きしまる。
それら全てを息と共にぐっと胸に押し込み、ミツルは確かに肯いた。
「いいぞ、こっちは俺とサクラに任せてくれ」
「ありがとうございます!」
お互いに信頼の視線を交わしたあと、ミツルがたまらず吹きだす。
「しかしまあ人工知能にお願いされるなんてな。
きっと世界で俺が初めてなんじゃないか?」
「だとすれば、お願いした人工知能は私が初めてですね」
二人してそのおかしさに、本来共有できるはずのない滑稽だという気持ちにひとしきり笑い、やがて共に広がる蒼穹と水平線に目を投げた。
「ブルー、アオイ、ヒトミ。よろしくな」
「ティーチャこそ、よろしくお願いしますね」
交わした言葉が終わると同時に、ブルーの、アオイの首が一瞬カクンと落ちる。
すぐにシピッと起きるが、その元気な仕草からして、もう彼女はブルーでもアオイでもなかった。
「ティーチャ……ただいま?」
「何で疑問形なんだよサクラ」
「だって、どう言っていいかわかんないし。
うーん、アオイの体はなんかしっくり来ないよ」
「いっぱしに文句言いやがって。おら、仕事だ、シャッキリしろ」
「べーっだ、ティーチャのイジワル」
アオイが絶対にやらない舌出しで答え、サクラはブルーバードの推力を上げた。
「サクラ、作戦は?」
「まずは誤作動してるAWKを特定したいよ。
ティーチャ、僕は機体制御で手一杯だがら、そっちのパネル使ってセンサーの情報を解いてくれる?」
「わかった、こっちに回してくれ」
前席の背面にサクラの拾った音響、振動センサーのアウトプットが表示される。
ミツルにとっては専門外だが、幸い通常時のシミュレーション結果が手元にあるため比較することができた。
ミツルがデータを見極めている間に、ブルーバードは〈セレスティア〉の周囲を旋回しつつ上昇。高度は六百メートルを超え、ヘリパッドやアンテナ塔などの屋上施設を眼下に捉える位置で再び停止する。
「結構揺れてるね」
「まったくだ。これじゃヘリは降りられんわな」
サクラは実物を、ミツルはセンサーの情報を見て感想をもらす。
タワーの先端は見てわかるほどに振動していた。一分間に三往復、幅にして十メートル近くも動き続けている。ブルーの解析では一時間と言っていたが、強風の影響かタワー全体がすでに微妙な軋みを上げている。先端に立つアンテナ塔に至っては危険なほどしなっており、どう見ても長くは持ちそうにない。
「ビンゴ、絞り込んだぞ。南東の角、屋上直下の三番AWKだ」
「了解、作動を止めてしまった方がいい?」
「残り三基で振動は止められると思うがバランスがどうなるかは……運任せだな」
「運任せって……なんか頼りない」
「こちとら脳味噌が生ものなんでな。お前たちと違って瞬時に数兆回の予測演算なんかできないんだよ。
だが安心しろ、俺は幸運なんだ」
ミツルのぼやきまじりの断言に、サクラがニッと笑う。
「それじゃ、ティーチャのラッキーを信じてあげるよ。
強制接地するから掴まってて!」
「おてやわらかぁぁぁぁぁぁあぃ!?」
ミツルの軽口は、突如始まった急降下によって悲惨なほど伸びきった。
サクラは推力を自在にコントロールし、強風を読んでアンテナ塔を躱すとヘリパッドへタッチダウンを試みる。
揺れに沿って機体を滑らせ、徐々に推力を水平にしてヒザから着地。
ヒザ部分にむき出しのオムニホイールを使って揺れに対して急ブレーキをかけ、横滑りしてヘリパッドを削りつつも、膝立ちになって停止。かなりギリギリの位置だったため、片手とエンジンポッドは屋上からはみ出てしまっている。
「バ……ッカ野郎! 無茶な減速すんな、死ぬかと思ったぞ!」
「落ちない自信があったし!」
言い合う二人を乗せてブルーバードは立ち上がり、ヘリバッドを降りて屋上の南東の角へ。
ここまで来るとミツルにも機体を通して不気味な振動が感じ取れる。
「じゃ、時間ないんで物理処置いきまーす。対ショック、対閃光防御よろしく」
「電影クロスゲージなんて無いからな、外すんじゃないぞ」
「信用してよティーチャ、僕はミスったりしない、よっと!」
ブルーバードが〈プラズマ・インパルス〉を構え、断続的に高温の刃を屋上に振るう。コンクリートと鉄骨が円形に削れ飛び、その下から顔を覗かせる高さ六メートル、直径二メートルのコンクリート塊。
サクラは手を止めることなく、それを揺らしていたアクチュエータを残らずプラズマで切断した。
「はい完了」
「……そのようだな。見事な腕前だよ」
両手で顔を覆っていたミツルも、恐る恐る手をどけて納得する。削れたコンクリート塊が斜めに転がり、不気味な蠕動は収まっていた。
ミツルはサクラにコフィンを開けさせると、屋上へ降りて周囲を点検する。他のAWKに誤作動はないようだし、揺れはまだあるが心配はいらないだろう。
ミツルは黒い刀を手に立つ巨大ロボットに目を戻して微笑む。
「本当にたいしたもんだ……」
彼の耳が奇妙な音を聞いたのは、その時だった。
ゴウという風に紛れてミリミリ、ギシギシという破砕音と断裂音。
ビンッ、という呻りにミツルが振り向いたそこへ、黒いワイヤーの先端が襲いかかった。




