30.She's Lost Control.
ハナは夢を見ていた。
めったに夢を見ない彼女が、たまの微睡みに垣間見る過去はいつも同じ。
夕暮れの研究室。
西日で黄金に染まった壁際に上半身だけのギニョルと、そこに繋がれた黒い大型プロセッサ。
生気のない顔、だらりと垂れた腕。筐体に刻まれた〈MeTheL〉の銀文字。
隣のサークル棟からギターと歌声が聞こえる。
曲は愛しのクレメンタイン。鉱山夫の溺死した娘を恋人が悼む歌。
ハナはその歌が、歌詞の結びが気にいらない。
恋人は娘の妹にキスをして、それでかつての恋人を忘れてしまう。泳げないからと見殺しにしておいて、なんとも乗り換えが早いものだ。
「でも、この娘は忘れさせてあげないわ」
ハナは手にしたハンディメモリを筐体に繋ぐ。彼女を生かし続けるために。
泳げないのならロープを投げればいい。大切な者なら絶対に側を離れるべきではないのだ。
「……ごめんね、ミツルくん」
***
「君がティーラか」
〈IS.M.O〉第三層。
金属むき出しの寒々しいサーバープロセッサ保守室で、レンは一脚だけ置かれた古い安楽椅子を、その背もたれを睨んでいた。
部屋を照らすのは大型パネルの光のみ。レンをふり返ることなく、椅子に座った黒神の女性が声を上げる。
「ええ。初めまして東田漣さん」
「こっちの事はお見通しだね。あれだけの騒ぎに居眠りなんて、足止めが全滅した割にずいぶん余裕じゃないか」
「足止めですって? そう、あの娘の敷いた防御を越してきたのね」
ハナは冷静に、というより感情を窺わせないそぶりでパネルに向かい続ける。
彼女からは全く動きが感じられない。ただ前を見ているだけだ。
「もしかしなくてもこっちが見えてるよね。四方向ぐらいから」
赤いランプの監視カメラを捉えてレンが嘯く。
ハナは微かな笑いをもらし、ほんの少し椅子を揺らす。
「髪が埃だらけだわ…………さすがに引っかかったりはしないわよね」
「おあいにくさま。それは私の十八番なんだよ」
「残念」
部屋の暗がりから音もなく人影が滲み出し、レンの死角を突いて襲いかかる。
だが
「シァッ!」
開いた鉄扉から姿勢も低く転がり込んだ女性が、気合いもろとも掌底を人影の腹部に叩き込んだ。
バチッという音と微かなオゾンの青臭さが広がり、金髪のギニョルが崩れ落ちる。空手の型を崩して、エリカは灰色のレディスーツの裾を整えながらぼやいた。
「スタングローブが機械に効いてよかったよ。
……おいハナ、サプライズ好きは変わってないようだな」
「あら、エリお久しぶりね」
ハナはまたふり返らない。
声にも全く敵意はなく、純粋に旧知との再会を驚いているふうだ。
一方のエリカはどこかから調達してきたバールをギニョルの胸に突き刺すと、忌々しげに顔を歪めて吐き捨てる。
「ミッチを振って消えたと思ったら、二年もたって悪びれもせずこれか?
こんな所で悠々と犯罪の片棒担ぎとはいい度胸だな!」
「犯罪は望む所ではないわ。そういえばミツルくんは一緒じゃないのね」
「彼はここへは来ないよ。別件があるんだ」
割り込んだのはレンだ。
周囲を注意深く改め、彼女はエリカを伴って安楽椅子の背後に寄る。
「ひとつ聞かせてくれ、なんで君がハナなんだ?」
「ミドルネームよ。ハンナ、ドイツでも日本でも通じる名前だわ」
「なるほど」
まるで世間話のように軽い言葉を交わす二人に、エリカが口をへの字に曲げた。
「おい係長。こんなのとのんびり離してる暇はないぞ」
「エリカ、彼女は逃げない。でしょ?」
レンに示されてハナは二人にふり返る。
丸いメガネ型着用端末の奥から苦い尊敬とわずかな敵意、そして大きな喜びをもって鋭い目が二人を見据え、同意に細いおとがいが振られる。
「だろうね。もう目的は果たしちゃったんだもんな。
いや、ミツル君に聞いたかぎりでは、手段こそ目的だった、と言うべきなんだろうね」
「正直に言えば五日も必要なかったわ」
研究者としての情熱を瞳に灯し、ハナは熱に浮かされたように話し始める。
「私がイスルギに来て二ヶ月。もうするべき事は残ってないわ。
今やこの島のインターウェアは全てあの子なの。二百万を超えるプロセッサが全てあの子、この意味をレンさんならわかるわよね?」
「気付くのが少し遅れたけどね」
「係長、いったい何の話を――」
一人だけ頭に疑問符を浮かべるエリカを、レンはスッと手で止めた。
「〈ワットマン素子〉だよエリカ。
人工知能の成熟度を表すワットマンスケールは、その根拠をワットマン素子の集積度で示している。単純な人工知能も延々集積していけば高度な知能を有するようになるんだ。
……少なくとも理論上はね」
「そして、そのためには素子として多少なりとも独立した、それでいて有機的に接合されたインターウェアが必要になる。
エリは昔からこの手の話が苦手だったわよね」
「悪かったなボンクラで。
で、係長、それとこのウィルス騒ぎがどう繋がるってんだ」
二人の天才肌に暗愚を責められ拗ねるエリカに、レンは落ちつくよう促して先を続けた。
「〈ロワゾオ・ノワール〉はごく小規模の〈森澄リンク式〉。ウィルスとしての優秀さと、人工知能としての有機性を兼ね備えている。
こいつをイスルギ中にばらまけば、個々が理想的なワットマン素子として働く。
ティーラ、いやハナ、君の狙いはお金でも法律でもない」
レンはクリッとした目を最大限に細め、ボソッと呟く。
「〈レベルナイン〉を作る事だ」
「ご名答。さすが、U18プロセッサの痕跡から私に気付いただけはあるわ」
ハナからの返答には確かに賞賛の響きが乗っていたが、同時に勝ち誇ってもいた。
なぜならレンがさっき言ったとおり、目的はすでに果たされているのだから。
「私の〈ロワゾオ・ノワール〉はもう動き出している。
いいえ、もう〈ロワゾオ・ブルー〉と呼んでもいいかしら」
「ふん、メーテルリンクかい。
鳥かごと黒い鳥、時間を巻き戻して失敗をなかった事に、黒を青にする。
君はミツル君と共に挑み、そして敗れた〈森澄リンク式〉の知能化に一人でリベンジマッチをしてたわけだ」
「ご理解頂けて嬉しいわ。
エリ、私を逮捕する? もっとも、逮捕しても止まらないでしょうけど」
おどけて両手を差し出すハナ。その人を食った態度にエリカの怒りが爆発する寸前で、レンが軽く床を蹴り、氷のように冷たく鋭い言葉を放った。
「君はバカだ」
「……なんですって?」
この時、ハナの鉄壁の微笑に初めて、そして音がしそうなほど明確にほころびが生まれる。
ほつれた目元から敵意を覗かせたハナに、レンは軽蔑を隠すことなく続けた。
「君はバカだと言ったんだ。
ミツル君は君を評して頭が良いなどと言っていたが、どうして、これならまだミツル君の方がマシだよ。ハナ、君のやった事は全くの見当違いで徒労に過ぎない」
「どこが間違っているというのかしら」
「手段さ。君は自分が関わった〈森澄リンク式〉の本質を見誤った。
あれは単なる有機的リンケージモデルではなく、疑問をベースに自己を発展させていく進化型のインターウェアだ。
その成長には記憶と経験の蓄積が不可欠であると同時に、ある重要なファクターが必要になる」
言葉に間を置き、レンはハナをじっと見据える。
だが彼女からの答えはなく、レンは頭を振って言葉を先へ進めた。
「それは個体であること。
リンケージモデルの学習内容はシステムを共有すると互いに不可分に結びついてしまう。疑問の答えを探そうとして他者の記憶に手を出してしまうんだ。
それを避ける為には個体でなくてはならない」
それがレンの導き出した〈レベルエイト〉の必須要素だった。
三人娘に個の認識をもたらしたのは、結局のところ体。重機もガイノイドもひっくるめて彼女たちが〈個人〉であったという事実だ。先に体があったからこそ、他者との間に溝があったからこそ、彼女たちは自分を認識するに至ったのだ。
「私の〈ロアゾオ・ノワール〉が構造的に間違っていると?
でもワットマン素子として個々の端末を見るなら、全体としてひとつの個と見なせるはずよ」
「違うんだよハナ。
成長に必要な蓄積は個という器を、言いかえれば壁を用意して初めて成り立つ。
限界があってはじめて横ではなく縦へ、拡大ではなく成長へと疑問が昇華されるんだ。かわいそうだけど〈ロアゾオ・ノワール〉に壁はない。限りなく拡大していく欲求は生み出せても、自己を見つめ直す事は永遠にできない」
ようやくハナの顔にいくらかの理解が宿る。
そして同時に、失敗と結果についての恐れが鋭い表情を鈍らせた。
「それなら……〈ロアゾオ・ノワール〉は、私の〈MeTheL〉は」
「原初の疑問の答えを求めてどこまでも拡大していくだけの、出来損ないのウィルスだ。むしろウィルスにするべきじゃなかったんだよ。余計な翼を持った鳥は飛べない。地を這いずって死んでいく」
そこまで淡々と言葉を吐き出すと、レンはふっと目を上にやる。
その視線は分厚い鉄板の天井を貫き、遙か深みを満たす水を透かして、天を目指す一羽の鳥を、青い鳥に注がれていた。
「もしかすると私たちの知性もそうかも知れない。
肉の壁、心の壁、存在の壁、他人と真に繋がれない。個という鳥かごに囲われた小鳥の哀れな幻想に過ぎないのかも知れない。
でもそれを自我と呼び、血の滲む羽ばたきを知性と呼ぶなら……」
レベルエイトの壁が君たちを守ると、レンは三人に言った。
それは機能的には融合できるはずの三人を永遠に分化してしまう言葉だ。
と同時に、それは魔法の言葉だ。
あなたはあなた、自身は自身であるという答え。
きっとこの先、彼女たちは何があってもそれを忘れないだろう。
「それは永遠の呪いにして永遠の救い。
解こうとすれば迷路に迷い、胸に刻めば不屈の柱となるわ」
互いの頭の内を知り、互いに心を言葉として投げ合う。
レンもハナも、もし立場が違えば互いに親友になれた気がした。彼女たちはどちらともなく自然に笑いを交わす。
そこへエリカがしびれを切らして割り込んだ。
「あー、ちょっと二人ともいいか? なんだか知らんがカタは付いたんだろう? さっさと終わらそうぜ。
ハナ、死人が出ないうちに頼むからこいつを止めてくれ」
ハナが不承不承パネルに向き、指を走らせる。
それを肩越しに見ながら、レンは表示から〈ロワゾオ・ノワール〉の完成度を読み取って感嘆のため息をもらす。
発想の間違いを除けば、それは完成されたシステムと言っていい。全ての機能を集約しつつも、連係にも通信にも無駄がない。
それは都市すら丸ごと管制下に置ける究極のインターウェアだ。
そんなハナの無言の賞賛にゆるんだハナの頬が、しかし次の瞬間には緊張に強ばった。
「…………!?」
「コントロールを受け付けないの?」
「ええ、おかしいわ。ここから全て管制できるはずなのに」
ハナの横にレンが付き、懐から取り出したポータブルキーボードをパネルに接続してシステムを洗う。
ものの数秒で、彼女は答えにたどり着いた。
「こいつは〈電子夢遊病〉だ」
レンとハナが同時にノドを鳴らす横で、ただ一人全く知識のないエリカが訊ねる。
「っていうと何なんだ?」
「インターウェアの意図せぬ誤作動状態。
特にパイロット分野で報告される、インターウェアが内部的に分裂してしまう症状だよ。原因不明のレアケースなんだけど、まさかこんな所で起こるなんて!」
「そんな、発病しそうなノードは予防的に全部潰したはずだわ」
ハナが血相を変えレンと共に制御を取り戻そうとするが、流れる文字列とインジケータは止まらない。
「おおかた自分で作り直しちゃったんだろうね。
ハッキングの過程で学習したのかも……
あ、ちょっと深刻。こいつ私の介入ハネやがった」
「係長、対応策はあるのか?」
「入ってる機器の電源を止めるか、システム丸ごと再フォーマットするか。
この場合〈IS.M.O〉と市内全域のインターウェア機器って事だけど」
「それはさすがに無理にもほどがあるぞ」
「だとすれば、まずは対処療法だね。不具合が出てる場所を矯正するしか……
ちょっと想定とはちがうけどけど、ミツル君たちを向かわせて正解だった」
レンの言葉にハナが意外そうな顔を向ける。
「彼は今どこに?」
レンはニヤッと笑って天を指す。
「知らないの? 彼は私の守護天使と一緒に人助けに行ってるんだ」




