29.断固たる意志の表象
二百メートル下でミツルが三人と合流していた頃、フロート管理センター最下層ではレンとエリカ、それに〈IS.M.O〉から待避してきた職員が車両リフトに集まっていた。
「ここの配電盤を……できましたよ!」
メガネをかけた職員が工具を手に得意満面でふり返る。
彼が向き合っていたリフトの配電盤で次々とブレーカーがパイロットランプを緑に戻していく。リフトの制御がインターウェアの手を離れ、人の手に戻されていく印だった。
「非常用のマニュアル操作、骨董品ですけど。
施設自体が四十年前の規格で作られてますからね」
イスルギにおいても中央ブロックは特に古い構造体。
まだ現場にインターウェアが導入されてなかった頃の遺物が、今やレンたちにとって唯一の頼みの綱となっていた。
「今日は骨董品に助けてもらってばかりだな」
「それが狙いかも」
栗色のショートカットをかき上げて嘆息するエリカに、黒髪を撫でつけ、神妙な顔でレンが相づちを打つ。
「背後関係はともかく、インターウェア機器の脆弱性をアピールするにはいい手段だ」
「係長はまだ〈人道会〉の筋だと思ってるのか?」
「少なくともティーラ一人でできる事じゃない。
誰か、どこかスポンサーがいないと……」
「お二方、リフト動きますよ。
でも本当に下へ行くんですか? 火災警報はデマかも知れませんが危険じゃないとは限りませんよ」
心配そうなメガネの職員にエリカが自信ありげに笑った。
「心配ありがとう。でも犯人逮捕は〈捜特〉の仕事だしな」
「それに私が行かないと、すぐに〈IS.M.O〉を復旧させられない」
二人がアローリに乗り込み、車を乗せたリフトがゆっくりと下がりはじめる。
と、ダッシュボードにコールが着信した。
「ジョーから? まだ回線は危険なのにどうして」
訝しみながらレンがコールに出る。
パネルに映ったトクガワの顔にいつもの軽さが見当たらない。彼は緊張にアゴヒゲを揉みつつ早口に告げた。
「二人ともよく聞いて、十五分前ぐらいから〈セレスティア〉がゆっくりだけど揺れ始めた。たぶんAWK、対風制震装置の誤作動だと思うんだけど、だんだん揺れが酷くなってるんだ。
まさかとは思うけどレンちゃん」
「ティーラの仕業かって?
……考えにくいよ。だってまだ一日目だし、脅しにしたってそんな周りくどいやり方――」
その時、二人を爆発音が叩いた。それは低くくぐもって、シャフトの終着点よりさらに下から響いてきたようにレンには思えた。
「いったい何が起こってるんだ!?」
エリカの混乱した絶叫が、全ての人物を代弁していた。
***
正直に言って、ミツルは自分が死んだと思った。
火炎と轟音が目の前で炸裂し、全身をこれでもかと揺さぶられれば誰だってそう思うだろう。
だがそんな思いこみに反して、彼はまだ生きていた。
それも五体満足で。
何が起こったのか、ミツルはわずかにヒビの入ったコフィンのウィンドウ越しに周囲を呆然と見回す。
身を伏せたブルーバード、そして両手に握られ振り抜かれた一対の黒い刀身。
まだ現状が把握できない彼を立て続けにエンジンと駆け足でシェイクしながらブルーがふり返る。
「お怪我は?」
「あにがっ――おこっ、起こった!?」
「ミサイルを斬りました」
「斬った!?」
「はい」
何気ないブルーの返答のあいだにも、シャコ重機に乗ったギニョルが次のミサイルを撃つ。それは吸い込まれるようにブルーバードの肩口、大型のタービンエンジンを狙ってくるが、ブルーバードが左の〈プラズマ・インパルス〉を起動させるや狙いを変えた。
刀身の中で励起され高速で循環するプラズマの高温が熱探知センサーを引きつけたのだ。そして誘導されたミサイルが橫進するブルーバードに腹をみせた瞬間。
「せいっ!」
控えていた右手の刃が、閃光でミサイルの先端を斬り飛ばす。
電子励起の爆薬は高温でも爆発しない。
制御を失ったミサイルが天井にぶつかり、推進薬が小爆発を起こすだけだ。
ブルーバードはシャフトに繋がる太さ八メートルの中央ピラーに隠れ、柱と背中合わせに停止する。
「古典のロボットに水爆ミサイルを叩き斬った奴はいたが、まさか自分の目でミサイル斬りを見られるとはね。
今思いついたのか?」
「ええ、オリジナルだと思ったのですが。
よければ後でその古典、教えてください」
相手にあと何発ミサイルがあっても、出てこない限りはこの位置のブルーバードを狙えない。門番よろしくシャコとギニョルたちが動かないため、ミツルとブルーにはしばし話し合う時間が生まれた。
「ミニガンにミサイルとは迂闊に近づけないな。それ以前にどこからあんなデカブツを持ちだしてきたんだって話だが」
「〈IS.M.O〉のデータベースによると、最下層の工事車両倉庫にあったようですね。建設時の海底作業用に搬入され、リフトで上げられないので放置されてたみたいです」
「二十年越しか、ってことは非パイロット重機だな」
直接にエージェント制御はされていないから、おそらくギニョルを使って操縦しているのだろう。
と、ミツルはブルーの言葉に首を傾げた。
「おいブルー、どうやってデータベースに潜り込んだんだ?」
「一部の端末に現場回線を繋いであります。レンさんの指示ですが」
「なるほどな。しかし内側とはいえ、よくまぁこの施設の攻勢防壁《ICE》を破れ……
まさか合体を解けない理由ってそれか?」
「はい。施設の防壁を破りつづけるためには、単体の処理速度では追いつきませんから」
そう言って微笑むブルーにミツルの笑顔が引きつった。
三人娘の集合意識とはいえ、この人工知能は三つのタスクを、それも個々に難題とよべるものを同時にこなしている。ミツルとの会話、ブルーバードの制御、そして超レベルのハッキング。
もはや人間では及びも付かない水準だ。
「それよりティーチャ、あのロボットにどう対抗しましょうか」
「こっちに遠距離で使える武装なんてないしなぁ」
合体しようが救命用は救命用。射出できるような装備はないし〈プラズマ・インパルス〉だって刃から数メートルが到達限界だ。
人命第一の機械に遠距離への投射能力は不要と、ハウンドのスタンピード・パックに三十七ミリ多目的ランチャーを着けようという提案すら却下されたぐらいだ。
「そこらの破片を拾って投げるか?」
「おそらく質量も速度も足りません。
ミニガンに撃ち落とされるのが関の山ですティーチャ」
「だよなぁ」
機関銃は攻撃よりも防御に有効という分析もある。
規模は違うが艦艇のミサイル防衛だって最終ラインは機関砲だ。破片を投げつけた程度でどうこうなる相手じゃないのはミツルだってわかっていた。もちろんブルーバードの装甲だって紙のように穴だらけになるだろうから、無視して吶喊という手も使えない。
「質量か速度か、とにかく弾幕を突破できるだけの運動エネルギーが必要だな。
……いくらレンでもお前らにロケットなパンチなんてつけてねえだろうし」
「ロケットなパンチ、ですか?」
ブルーがミツルの軽口に神妙な顔でうつむく。
「……いけるかも知れません」
「おい何を言ってる? つかマジにするな、冗談だよ冗談」
あわてる彼に構わず、ブルーは次第に顔をほころばせると、ついには満面の笑みで肯く。
「素敵な着想をありがとうございます、ティーチャ」
何を勘違いしたのか、いやそもそも何を考えているのか、困惑しきりのミツルを乗せてブルーバードは再び動きだした。
左手の〈プラズマ・インパルス〉を胸部に収納すると、そのまま手を高く掲げる。補助燃料ポンプがコンコンと音を立てているのは、左手を構成するスタンピード・パックから燃料を抜いているのか。
「何をする気だ?」
「まあ見ていてください。あと激しく動きますので対ショック姿勢を」
言われてミツルが補助席のアームレストを掴んだ直後、ブルーバードはエンジンを最大出力で噴かし、安全地帯を離れて疾走を始めた。
すぐにミニガンの射撃が再開され、次いで三発目のミサイルが放たれる。
追いすがってくる対戦車ミサイルを要領を掴んだとばかりに片手で撃破し、ブルーバードはシャコ重機から一定の距離を置いて逃げまわった。
ミサイル四発目。壁際から見事な宙返りを極めつつそれを迎撃したブルーが、わずかな声を上げた。
「ここ」
急な機動に歯を食いしばったミツルは、彼女のつぶやきが何を指すのかを遅れて理解する。パネルに拡大されたシャコ重機の背中で箱形ランチャーを持ったギニョルがかがむ。ミサイルを再装填しているらしい。
そしてこれが、ブルーが待ち望んでいた瞬間だった。
彼女は細いピラーに隠れてミニガンの弾幕を避け、しかし止まっているにもかかわらず全身のタービンを最大速度で回転させる。
産み出された大電力は一方が〈プラズマ・インパルス〉のチャージに。もう一方は左腕の超伝導コイルに導かれていく。
腕のそこかしこでイオン化した空気に紫電が走った。
「チャージ完了。ティーチャ、閃光に注意してください!」
ブルーはミツルへの注意も途中でピラーの影から飛び出すと、相手が反応するより早く構えを取る。
左拳を握って敵へと突き出し、〈プラズマ・インパルス〉を横弓のように左腕燃料タンクの後部に押し当てる。
面鎧の鋭い眼光が刃と拳越しに相手を捉えたその瞬間。
「これが私たちの〈ロケット・パンチ〉です!!」
ブルーの渾身の叫びと共に、刀身がプラズマを噴く。それは円月の刃となって自身の燃料タンクを裂き、体積と圧力を失って気化していた〈JP-8〉が引火。真一文字に穿たれたタンクの傷を噴射口として強烈な爆轟を産み出す。
同時に左手パックの連結が解除され、さらに限界まで高まっていた電磁推進機関が――そう、ブルーバードの腕はドルフィンの脚部だ――拳と腕鎧をレールガンの弾体として撃ち出した。
その全てが、ほんの一瞬の出来事であった。
青いイオンと赤い炎の尾を引き、断固たる意志の表象たる黄色の鉄拳が音速を超えてシャコ重機の背面に着弾する。
オレンジと群青の鉄板を粉々に粉砕し、その上にいた哀れな操り人形たちをバラバラに轢き砕いて拳は燃えつきた。
しかしシャコ重機の悲劇は終わらない。
自身の装甲と拳の破片が散弾と化してミサイルやミニガンの予備弾薬を引き裂く。合計で五百キロにもなる装薬や推進剤が誘爆し、海棲生物じみた巨体は爆竹のような音と共に内側から弾け、やがて爆散した。
全てが終わったとき、ミツルの口から乾いた笑いが上がる。
「は、ははっ。ロケットパンチだって?」
「はい。おそらく最善の方法だったと思いますが――ティーチャ?」
「お前ら…………マジで最高だ!」
彼は後ろからブルーを、その中にいる三人をギュッと抱きしめる。どこから褒めたらいいのか、いやそもそも何を言ったらいいのか。彼女たちの機転、発想、そして行動力。その全てがもう彼の知る〈人工知能〉を上回り、そして人間すら軽く凌いでいる。
彼の頭を駆けめぐる感情を、彼はもはや言葉にできなかった。
「ティーチャ!? ちょ、ちょっと離していただけませんか?」
「俺がイヤだって言ったら、どうする?」
「……困ります」
そう言いつつも、ブルーはミツルの腕に顔を預ける。彼女も自分が成し遂げた事を明確に判断できない。
ヒトミが発想し、アオイが具体化し、サクラが行動した。鉄拳を放った瞬間、ブルーはその三人であると同時に、別人としてそれを羨ましく思った。それをどう言ったらいいというのだろう。自分が、人工知能が羨ましいなどと。
彼女はミツルの腕を暖かく感じながら、鋼の巨体で歩みを再開した。
今や鉄屑となったディープ・エクスカベーターを蹴り避けてスロープの入り口を開ける。
現場回線からレンの声が飛び込んできたのは、その時だった。
『三人とも無事かい?』
「はい、多少の損傷がありますが無事です。ティーチャも確保しています」
『そいつは何よりだ、急いで第二段階にかかってくれ。すぐに追いつく』
張りつめた調子のレンに、ミツルはマイクを取って問いかける。
「どうしたレン、何か焦ってるのか?」
『ミツル君、緊急事態だ。
……タワーが、〈セレスティア〉が倒壊するかもしれないよ』
「はぁ!?」
「レンさん、それはどういう事です?」
驚きに目を剥くミツルとブルー。
彼らを乗せたブルーバードに、後ろからアローリのヘッドライトが投げかけられる。