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25.闇の中から


「いいの本当に?」


博物館地下のテストコース。

その端にある資材置き場前で、キャリアトラックに積まれた三機にタンクローリーからパイプが繋がれる。

レンが不安げにそれを見てつぶやき、ゲンジがその肩を叩いて首を振る。


「かまわん。爺ちゃんのとっときだが、最近使い所も無かったからな」


旧式のタンクローリーの積載表示には手書きの札で「JP-8」と書かれている。

それが示すところは、つまり中身は軍用規格の航空燃料であるという事だ。

純軍事用途のために細々生産されているだけの究極の燃料が、増槽も含めて三機の燃料タンクを満たしていく。


航空用のケロシンなら良いというレンに、ゲンジが持ってきたのがこれだった。

次の燃料補給に見込みが立たない状況で、少量で爆発的に燃焼する「JP-8」は最適解と言っていい。

三機の強靱なチタン=ナノカーボンウィスカー製タービンにとって、これほど頼もしい燃料も他にはない。


「ゲンジさん、そろそろいきましょうか」


「もうそんな時間か?」


トクガワに呼ばれて、ゲンジがレンたちから離れる。

彼らには彼らの仕事が、レンたちや三機の行動を上に納得させるという大役が待っていた。


「じゃ後は任せたよ」


「レン、危なくなったら逃げてくるんだぞ」


二人が手をふる一方、給油を終えてタンクローリーが離れる側で三台のキャリアトラック、そしてレンとエリカを乗せたトヨタ・アローラが一列に並ぶ。

向かう方向には頑丈そうな鉄のゲートがあり、それは今まさに人力で開かれていく。


「Open sesame. 中にあるのは空気だけだけどね」


「こんなところからフロートに入れるとはねえ。セキュリティの問題ありありじゃないか」


「テストコース作ったときにいろいろあったみたいだよ。

 これの事は上に話さないでよエリカ。それよりハンドルの方はどう?」


「感覚は変わんないね。ほんとうに係長のワークスペースと同じものなのか?」


エリカの愛車のインターウェアは、ミナたちの手で〈森澄リンク式〉にそっくり交換されていた。あくまでも応急処置だ。

レンがその動作を助手席のパネルでチェックして肯く。


「車載ミドルウェアがしっかりしてたからね。下手するとSmartsより動かしやすいかもしれないよ」


「だったら事件終わっても戻さない方が良いかもな」


「その時は交通管制受けられるように改造してあげる」


「いいね、是非お願いするよ」


エリカの踏み込んだアクセルペダルに素速く反応し、白いスボーツセダンは広がる闇にヘッドライトで先陣を切る。

続いて三台のキャリアトラックが進入する先は、イスルギを支える広大なフロート区域。この街で唯一監視カメラの届かない世界だ。


四台が壁の向こうに消えるのを見送り、トクガワとゲンジが互いに鋭い顔で視線を交わして彼らの戦場へと歩いていった。



 ***



広くもない部屋。

四方を鉄壁に囲まれた中で、ミツルは一人パネルに向かっていた。


「そういう、事か……」


レンと同じように、彼もまたすぐに「鳥に聞く」事に気がつき、得られる情報を片っ端から集めていた。彼はウィルスとしてではなく、馴染みのあるものとして〈ロアゾオ・ノワール〉の正体に深く迫っている。


「こいつは〈森澄リンク式〉だ」


彼は結論を苦い息と共に吐き出す。


かつて研究室で一緒だった以上、ハナがコピーを持っていても不思議はない。

が、それを応用してウィルスを作っているとなると話は別だ。


疑問を産み出すルーチンを思考ではなく侵食として使われた場合、小規模のウィルスであってもその力は馬鹿にならない。相手の防壁を食い破って擬態するためには相手を知る必要があり、疑問とはそのプロセスになりうるからだ。


「しかし小規模すぎる。

 下手な鉄砲とは言うが、これだけばらまいたってそれで何が出来るってんだ?」


〈ロワゾオ・ノワール〉がいかに広まろうとも、それだけではさしたる意味はない。せいぜいがイスルギを混乱させるぐらいが関の山だ。

その結果にはイスルギの海没も含まれているが、しかしミツルの頭を占めるのはそういった結果ではない。


「失敗を取り返す。二年前って事は……やっぱり〈MeTheL(メーテル)〉の事だろうな」


森澄研究室が、森澄教授がついに成し得なかった〈森澄リンク式〉によるレベルエイト到達。もっと言えば真の人工知能を作り出す事。

その失敗についてのミツルの結論は、時間と環境の不足だった。彼女たちに必要なのは、人間と同じく経験と蓄積なのだ。


だがあのハナがどう捉えたのか、それは彼にはわからない。

この二年それに固執しているとすれば、彼を超える回答にたどり着いていてもおかしくはないが……


「どっちにしろ、ここを出ないと何も始まらん」


彼が目を覚ました時には、ハナもあの〈メーテル〉というロボットもいなかった。

着用端末ウェアブレットを取り上げられているため時間もわからない。

ここと外界を繋ぐのは部屋に備えの多機能パネル一枚だけだが、それは〈ロワゾオ・ノワール〉によって機能の大半を封じられている。


それに彼はここがどこか見当もつかなかった。

部屋の造りからすると船室、というかこの密閉感は潜水艦めいている。

空気が冷えているのに妙に湿っぽいのも、ここが地上ではないからだろうか。


「空気……」


部屋の容積はさほどでもないのに空気は新鮮なまま。

部屋の造りからすると、どこかに空調用ダクトがあるはずだ。


彼は天井を見上げる。

はたして天面を這うコードやパイプの向こう、高さにして五メートルぐらいのところに一辺四十センチぐらいの四角いダクトがあった。下からではそれ以上詳しい事はわからない。

それでも彼は壁面のわずかな突起に手をかけるのだった。



 ***



「馬鹿馬鹿しい!」


〈セレスティア〉の八十二階にあるイスルギ民警の大会議室で、五人の男と一人の男が対峙する。


一人の方は言わずと知れたトクガワ係長。五人はというと、専務、常務、取締役社長に副社長と総務部部長という民警のトップファイブ、取締役会の面々であった。


声を荒げたのは専務であり、ヒゲの濃さならトクガワに負けていないが、ダンディさがこれっぽっちもないという貧相な人物でもある。


「広報の一係長の、それも職務外の分析を信じろというのか!?」


「ネタは挙がってるんですから、誰が分析したかなど問題ではないでしょう?」


応じるトクガワはいつもの飄々とした態度を崩さない。


「ふざけるなトクガワ君!

 いくら〈特捜補〉の社内協力規定を持ち出してきたところで、こんな無茶な要請が通るはずあるまい! これだから国防下がりは……」


「待ち給え」


青筋を立てた専務を押さえるのは社長。声はおだやかだが、どこかトクガワにも通じる冷ややかさで切れ長の渋い目を向ける。


「まぁ、事態が事態だ。資料もよくできてる。

 だが事はそう荒立てなくてもよいと思うがね。すでに国防海軍の輸送艦艇、それに国防海兵隊も出ているそうじゃないか。我々が放っておいても、事態は今夜には収まるんじゃないのかね?」


「兵隊がイスルギにぞろっと乗り込んでくるのは感心しませんね。それに社長、お渡ししている資料を見ていただければわかるかと思いますが……」


すでに部長会と執行役をすっ飛ばした異例の直談判だ。

恐いものはないとばかりに、トクガワは遠慮なく発言する。


「相手はすでにイスルギの全機能を掌握しています。

 表に見せてないだけで、伏せた手札の中身はジョーカー。何が来ても余裕でブラックジャックでしょうなぁ」


「ふふっ、君とは今度カジノで勝負してみたいな。

 だが仮にそうだとしても人質がなければ国防軍とてためらいはせんよ。

 彼らは国を守るためにいるのだ。こういったテロも、国を侵す相手として断固攻撃の対象となる」


「市民を逃がせるとお思いで?」


トクガワの挑発的な問いかけに、五人がざわりと揺れる。


「イスルギの人口は六十七万、一度に運べるのは、海軍と民間を総動員してもせいぜい五万人がいいところでしょう。とても五日で間に合うとは思いませんが。

 もしやあれですか? どうしても必要な人材だけ優先して、後は助かれば御の字などとは」


「トクガワ貴様!」


「いや失礼、国防下がりなもので」


専務の怒号にトクガワは肩をすくめてみせる。

社長は痛いところを突かれたと一瞬顔をしかめ、しかし首を横に振った。


「とにかく、この要請は認められん。

 重機を〈IS.M.O〉に搬入しての犯人捕縛、それで施設に被害があっては復旧の妨げになるだけだ。

 せめて〈特捜補〉が確証を掴むまで保留してもらいたいものだな」


「……悠長ですなぁ」


トクガワのつぶやきに専務が机を叩こうとした瞬間、会議室のドアがだしぬけに開かれた。


「ようひよっ子ども、元気しとるか?」


「オーナー!?」


そこに立っていたのはゲンジだった。、段と印象が百八十度違うのは渋いスーツ姿のせい。彼はステッキ片手に軽やかにトクガワの隣りに立つ。


「みんな偉くなったもんだ。オフィスは十階と違わんのに、ちっとも顔を見せなくなっちまって。おかげで羽を伸ばせて何よりだが」


「オーナー困ります。今は会議中で」


「知っとる。儂をたたき出してイスルギと手を組んだ恩知らずのひよっ子が、椅子に座っただけで偉いと思っとるのか?

 儂は教えたよな、民間とて我らは警察官、従うべきは己が良心と信念、そして唯一の正義たる人命であると」


「昔話は結構です。前会長、お引き取りを」


「そうは問屋が卸さんよ。イスルギとお前ら、それと軍の交わした約束がどうあれ、このままではあと四日でこの島は沈む。

 そうでなくとも日増しに犠牲者は増えるだろうなあ」


「前会長は犯人を買いかぶっているようだ。

 たかが違法アプリケーションひとつにそこまでの力があるなどと、焼きが回りましたかオヤっさん」


「儂は孫を信用しとるだけだ。目の前にある書類も読めんお前らと違ってな」


社長と険のあるやり取りを交わしたゲンジは、横に立つトクガワにそっと告げる。


「プランBだな」


「仕方ないですなあ。あ、ここにいる方々にひとつ助言を」


トクガワは追い払われる寸前、取締役たち向けてひと言。


「インターウェア機器の暴走に注意してください。

 例えばそう、隔壁の開閉が壊れたりとかね」



 ***



暗闇の中、レンが受け取ったメッセージには短く「プランB」とだけ書かれていた。


「交渉決裂か……」


彼女はふり返ってキャリアトラックに声を投げる。


「アオイ構わん。ぶち破れ」


暗闇に凶暴な吸排気音とタービンの悲鳴が満ちる。

キャリアトラックから身を起こした巨人が、腕と一体になった機械を錆び付いた古い隔壁に向けた。


『どうなっても知りませんよ』


「ははっ、責任を問われる事態になっても、その時にはイスルギは消えてるさ!」


『ではいきます、皆さん目を閉じてください』


言われてレンが顔を背けた途端、闇を青白い閃光が灼いた。


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