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14.ティーチャ、ジージと会う


イスルギ交通博物館の定休日は毎週水曜日である。


広報三課のオフィスならびに重機係の定休は日曜日である。


この食い違った、ちぐはぐなシフトは開館以来の謎で、これに関しては曰くオーナーが船嫌いなので水の付く日を嫌がったとか、総務部の登録情報を誰かが勝手に書き換えたとか様々なウワサがある。

しかし真相を知るものはまだ誰もいない。


もちろん日曜でもオフィスには当番が出勤するし、重機係では休日返上が横行している。

全課員がそれらの埋め合わせにバラバラに休みを取っているのが現状で、そこをコンプラから突かれたトクガワは、毎月最終水曜を問答無用の休日に設定した。

それすら四月分は交通フェスの準備を理由に反故にされていたが。


解散の知らせとレンとの会話を共に受け止めた翌日。

ミツルは休みの水曜をフルに使って散らかった頭の中をまとめようと思っていた。


しかし彼は朝早く、レンからのコールに叩き起こされる。


『十時にセレスタイトの〈時計広場〉に集合。平服で、デートに行くつもりでよろしく』


――つもりということはデートではあるまい。

  まぁ俺とレンとか想像もできんしなぁ。


すぐに切られたコールの内容を深く考えないまま、ミツルは適当に選んだカジュアルスーツで身支度を終え、あくびをお供に中核方向への地下鉄に乗った。



 ***



市のほぼ中心に位置する〈セレスタイト〉は、イスルギ最大の大型複合商業施設ショッピング・モールである。


ミツルは約束の十五分前に、モールのランドマークである時計広場へ到着した。

テナントの多くはまだ開店前で、青っぽい乳白色のタイルが敷かれた広場は閑散としていた。

レンの姿もまだない。ミツルは所在なげに少しうろついた後、奥にそびえる白亜の巨塔を見上げてたたずむ。


複合オフィスタワー〈セレスティア〉。地上百六十階建て。強風を切り裂く水晶のような多面構成のハイパービルディング。

中にはイスルギ本社を始め、グループ全体の中枢が収まっている。このビルこそが企業城下町イスルギの天守閣だ。

世界の巨塔と比べると上背はやや控えめだが、特殊な立地と維持費用から割り出された最適のサイズでもある。


――ビル高きが故に貴からず。じつに実益主義のイスルギらしい……。


「待たせたねミツルくん」


「いや、そんなに待っちゃいな――」


横から投げられたレンの声を追って振り向き、そのままミツルは口をあんぐりと開けて固まった。


「おはよー、ミツル」

「おはようございます。ミツルさん」

「ミツル先生、おはようございますぅ」


いたのはレンだけではなかった。

サクラたち三人娘もまた、思い思いの挨拶をミツルに投げてくる。


三人がいること自体も驚きだが、それ以上に彼を驚かせたのはその服装だ。

サクラはスポーティノースリーブシャツに赤のフリルショートスカート。

アオイは紺のブレザー風ツーピースジャケット。

ヒトミは浅黄色のサマーワンピースにサマーニットのカーディガン。


そして極めつけはレンで、いつものウェスタンスタイルではなく浴衣ふうの和風ワンピースに、頭に飾るは特大のリボンである。


「…………そ、の格好は?」


十秒近くもかかってようやく言葉を絞り出したミツルに、レンの険しい目つきが鋭く突き刺さる。


「その言葉、そっくり返そう。私はデートに行くつもりでよろしくと言ったぞ。

 垢抜けないにもほどがあるその服。さすが、彼女に逃げられるわけだ」


「い、今関係ねえだろ! なんで三人がここにいる?」


「忘れたのか? 休みを使って外出訓練するって相談したと思ったが」


「ああそういえば……。じゃなくて、なんで今日なんだよ。昨日あんな話が出たばかりなのにいきなり――むぐっ!」


ツカツカと歩み寄ったレンが、ミツルの唇を指で言葉ごと押さえつけ、鋭い眼差しが彼の目から脳の奥までを射徹す。


「殺させない……あの娘たちを守るんだよね? なら、まずは進捗をちゃんと確保することから始めよう。無駄な試みなんてないんだ」


ミツルは指が離されてからもしばらく、無言で彼女を見ていた。

慌てふためくのではなく行動する。それが彼の知る小さな係長だ。

この状況でもそれを崩すまいとする彼女の気丈さに気づいたとき、ミツルは小さな笑いでそれに応えた。


「わかったよ、付き合ってやる。

 ……にしてもその服だが、なんだ、その、似合ってるぞ」


彼の慣れない言葉による照れ隠しに、レンが横を向いて顔を赤らめる。

だが言葉はそこで終わっていなかった。


「子供っぽくてお前にピッタリだ」


「こ……の。馬鹿野郎ぉぉぉっ!」


レンの直突きが光の速さでミツルの鳩尾に炸裂。

崩れ落ちる彼と、哀れむような視線を投げる三人娘の後ろで、天使像の時計が午前十時の鐘を鳴らすのだった。



 ***



三人娘の外出訓練。

それは本来まったく想定されてなかった事態、つまり三人娘が「人間として」注目を集めるという事態を受け、急遽プロジェクトに組み込まれたものだ。

ミツルもレンも、三人にある程度の情操教育というか、一般的な対人能力をつけさせようとは前から思っていた。

しかし人前に出る機会が増えるとなれば、もはやそれだけでは足りない。


インターウェアには基本的に「自ら何かを作る」という動作が欠けており、それは三人娘の反応にも当てはまる。

例えば識別用カスタムスピーチ、いわゆる口癖や語尾はあくまでも限られたパターンの集合に過ぎない。

語彙や反応を頻繁に使い回してしまうため、聞く人が聞けばすぐに不自然だと気付くだろう。

会話をサポートする自然会話ルーチンが組み込まれていてすら、この問題の完全な克服は難しい。


これを解決する手段としては、とにかく自然会話を数多く聞かせ、解析させ、模倣させることでパターンを増やしていくしかない。

前にレンが三人を評して赤ん坊と同じと言っていたが、この手法はまさに赤ん坊に語りかけるがごとしだ。子供は日本で生まれたからではなく、話者の間で育ったからこそ日本語を習得する。それは人工知能とて変わらない。


「だからって、やっぱりこんな所に連れてこなくてもよかったんじゃないか?」


「何言ってるのミツルくん。ここが一番聞き取りやすいし環境も落ち着いている」


「うん。僕らもこっちの方がいいよ?」


「そうですね。聞き取りやすさでも最適だと思います」


「いや、そういう事じゃないんだが……」


「どういう事なのでしょうかぁ、先生」


ヒトミの不思議そうな顔を間近に寄せられ、ミツルは思わず目を逸らした。

そうしたらそうしたで、今度は周囲の様子が否応なく目について落ち着かない。


ここは〈セレスティア〉の六十三階。三層ぶち抜きの高層フードコートにあるカフェラウンジ。

眼下にはイスルギ中核のビル群が広がり見晴らしは最高。

時刻は午後一時を回り、映画鑑賞を終えた彼らは、ここで雑談という名の会話トレーニングをしていた。


だが時間が経つほど、ミツルの周囲では微妙な空気が濃くなっていく。

もっと具体的に描写するなら、二十代後半の冴えない男性の周りに、明らかに雰囲気の違う美少女が四人。それが仲良く窓際のコーナテーブルを囲んでいる図。

世間は平日で客足もまばらな中、もう一時間近くも居座っている。事情を知らない人には、ミツルは高校生を拐かす怪しい青年にしか見えないだろう。


事実、十五分ほど前から店員のミツルを見る視線が妙に冷たい。


「通報されそうなんだが?」


「どうせここの警備は〈民警〉だ。指先一つで解決だよ」


この時代、身分証はクラウドデータ化し、識別番号か人差し指の骨にインプラントされた認証チップで容易に参照できる。

利便性では圧倒的にインプラントが勝っており、ミツルの世代ではそっちが大多数を占める。文字通り指先一つで個人を特定できるわけだ。


「それよりミツル、そろそろ続きに戻っていい?」


「あ、ああ、かまわんぞ」


「んじゃ僕からスタートね。この前、ドキュメンタリでブラジルの子猫の特集やってて……」


雑談に戻る三人に対し、ミツルとレンは密かに着用端末ウェアブレットの解析ツールを起動させて会話内容を分析する。

これまでのところ結果は良好だ。十代後半の少女の会話としては、ごく平均的な水準を維持している。

ミツルも耳で聞いているかぎり、引っかかる場所は特になく……。


「ちょい待ち、ヒトミ」


「なんでしょうレンちゃん」


「その返し方、さっき向こうのテーブルでやってた会話を丸コピした?」


「しましたけどぉ、ダメですかぁ?」


「ダメじゃないけどもっとこう、君のキャラだと優しい言い方があると思う」


「わかりました、もうちょっと改善してみますねぇ」


レンの小声のダメ出しにヒトミがチロッと舌を出す。

ミツルはそれを見て、仕草は及第だ、とクスリとしてから、自分の気づかない点に着目したレンに驚いた。


「よく気付くもんだ」


「君と違って日本語が母語じゃないからね。ミツルくんも会話を英語に置き換えてみるといい。すぐにおかしな点に気付くよ」


「俺は論文英語しかできねえよ、日常会話はさっぱりだ。

 ……そっか、レンの言葉はそれで……」


「やっぱり仕事だと鋭いね。ああ、その通り、イマイチなんだ」


そう寂しげに嘯いたレンに、ミツルは悪いことをしたと顔を曇らせる。

レンは肩をすくめて気にするなと笑った。


「私の言葉に気付くぐらいなら、もっとサクラたちに構ってやれ。

 日本語の自然さは私にはわからない。君がいないとチェックできな――」


「ほお、そこにいるのはレンじゃないか?」


突然かけられた渋く腹に響く声に、ミツルは着用端末ウェアブレットから顔を上げ、そこに予期せぬ人物を発見する。

ジーパンに革ジャンという出で立ちの小柄な老人。

ヒゲというヒゲがフッサフサかつ真っ白で、これまた白い長髪を後ろで括ったその人物を、彼は前に何度も見ていた。

見たどころか会話したのも一度や二度ではない。


レンが椅子から立ち上がって老人に親しげな、しかし驚いた顔を向ける。


「Grandpa! なんでここに?」


爺ちゃん(ジージ)のオフィスはこの十階上、忘れたのかいレン。いつもここで昼飯を食っとるんだが――――ん? そこの若造はもしかして」


「エンジン、爺さん?」


レンと親しげに話していた老人は、ミツルにあだ名を呼ばれ、たちまち口の端に老獪なシワを刻む。


「なんだ、やっぱりあのお巡りさんか。最近見ないが、セレスティアに配置換えにでもなったのかい?」


「いやまあ、ね。……っていうかあんたレンの爺ちゃんって、ぇッ!?」


ミツルがレンの名を出した途端、老人は笑顔の下から殺気を滾らせ、彼の手を掴むと斜め上から強烈なメンチを切る。


「あ? レンを呼び捨てにするか若造。えぇ?」


思わず椅子を鳴らして下がるミツル。そこにレンが泡を食って割り込んだ。


「待って Grandpa! ミツルくんは同僚だよ、この前言ったよね?」


「…………あっ、ああ、そうかそうか。君が〈ミツルくん〉か」


孫の取りなしに殺気を瞳の奥まで引っ込め、思い出したと手を打って老人は呵々と歯を見せた。

そして改めてミツルと向き合い、手を差し出す。


「レンの祖父、東田元治ハルダ ゲンジだ。改めてよろしくな、大幸充オオサキ ミツル君」


そしてミツルが握手に応じた途端にクッと引っ張り、聞こえるか聞こえないかぐらいのドスの利いた声で付け足す。


「孫に手ェ出すなよ?」


「えっ? ……あ、はい」


「よろしい」


握力過多の握手から解放され、ミツルはホッと息をついた。

そこで老人改めゲンジが、自分をしげしげと見つめる六個の瞳に気付いて三人娘に振り向く。


「お嬢ちゃんたちもレンの同僚かい? 若いから研修生かな。

 将来はどうするつもりだい? イスルギ民警に入るんなら希望の部署でも聞かせてくれんか?」


「僕は〈特捜補とくそうほ〉がいい!」


レンが祖父の思い違いを正すよりも、ミツルが制するよりも早く、目をキラリとさせたサクラが元気に手を挙げた。


「僕は〈おまわりさん〉になりたいんだ」


ミツルは動けなかった。横を見れば、レンも同じように微動だにしない。

――俺は(私は)…………今、何を聞いた?

お互いの目がそう語っていた。


自らの耳を疑う二人とは対照的に、何も知らないゲンジは満面の笑みを浮かべてサクラの頭を撫でる。


「ハハッ、威勢のいい嬢ちゃんだ。その元気があればきっとなれるぞ。そっちの嬢ちゃんたちはどうだい?」


「私は……そうですね、人を助けられる部署があるならどこでも構いません」


「私も救助がしたいですねぇ」


「救助か、今度レスキューとの提携でも持ちかけてみるかなぁ」


アオイとヒトミの言葉にゲンジが渋い顔を見せるが、動けない二人はそれどころではない。ミツルはテーブルに視線を合わせようと頑張ったが、驚きと困惑とで上手くいかない。


――こいつら目標を作ったのか? 自分で? いやでも……


「いえ、無理にとは言いません。既存の部署でも私たちは立派に働けると思います」


アオイがゲンジに柔らかく首を振り、ヒトミも申し訳ないと手を振る。


「そうですよぉ。オーナーに会えたからって、お願いなんて悪いですからぁ」


「……オーナー?」


もはや脊髄反射となったミツルのどうでもいい疑問に、ゲンジは孫そっくりの鼻にかけた笑いで答えた。


「なんだ、研修生は知ってて社員は知らずか? 儂が民警のオーナーだぞ。ほれ、わかったらちょっとは敬意を見せたらどうだ?」


マジか? とミツルが首で問えば、マジだ、とレンが肯く。


彼の頭で、目前の人物が交通違反の常習者から、遙か雲上におわす上司へと格上げされる。


ここまで積み重なった多くの混乱を捌けるだけの冷静さは、もう彼には残っていなかった。

日当たりのいい窓席で、ミツルは静かに風化したのだった。


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