12.宴と解散通知と
春も半ばを過ぎた五月三十日。
居酒屋チェーン「海皇丸」イスルギ六号店三階、お座敷コーナーの一角にて、広報三課の親睦会は佳境を迎えていた。
「ほらミツルくんグラスが空いてるじゃないか。オーダーはまたビールでいいな?」
「待て、レン、俺にあと何杯飲ませりゃ気が済むんだよ」
「知り合いのシュリーマンくん曰く、ビールは水だ」
「俺はドイツ人じゃねぇよ!」
始まって二時間。すでに宴もたけなわ、オフィス組と技術班が一同に会する飲み会はちょっとしたサバトの有様である。
ミツルと、彼を飲ませたがるレンの横にはサクラたち三人娘の姿もあった。
人間ではない彼女たちだが、職員扱いならば同席しない理由はないし、ミツルも知能学習の機会と捉えて容認している。
いや正確には容認していた、だ。
ミツルも課の親睦会に参加するのはこれが初めてだが、こんなに混沌とするとは予想していなかった。酒乱と酒豪の闊歩する様はさながら大トラの檻のごとし。
未成年を理由に辞退させておくべきだったと後悔しても後の祭りである。
隣のテーブルでは技術班一同にイワオが加わり、ヴィンテージカーについて組んでバラしての大論戦が。
その向こう、畳敷きバーカウンターなる一角では、オフィス組と技術班の女性たちが、五人で恋バナの畑を咲かせて枯らして大騒ぎだ。
トクガワの姿が見えないが、彼は本社から呼び出しを受けて出頭中。終わり次第合流するらしいが詳細はわからない。
かくして、三人娘のお守りを言いつかったミツルとレンだけが浮いた形で、五人だけが小さなテーブルを囲んでいた。
「お前は向こうに行かないのか?」
バーカウンターを指したミツルに、レンがふてくされた顔で応じる。
「いや、私はああいう所はごめんだ」
「なんで?」
「九年生のとき、ちょうどあんな集まりに参加してね。無理強いで飲まされて酷い目にあった」
「年齢で言うと?」
「四年前だ」
噛み合わない回答に、ミツルは頭の中で算盤を弾いて納得する。
「あ――未成年飲酒もいいところだな」
「……まぁ、酒だけが原因ではないが、な」
そう言ってジンジャエールを呷る顔は心なしか暗く見えて、ミツルはそれ以上何も言えなくなった。
十三歳のころの彼女に何があったのか。ミツルにも人並みに好奇心はあるが、今はそれを満足させるべき時ではない事もわかる。
結局無言で首を振り、彼は話題を変えにかかる。
「そういやレンってまだ十七だよな。学校には……」
「内地なら通う必要があるが、ここは〈特区法〉があるだろう。確か在外教育適用条項だったか、職業さえあればもう一度ハイスクールに行かなくて済む。
本当に〈あの人〉には感謝してるよ」
「〈あの人〉…………ああ、前に言ってた民警のオーナーだったか?
お前も凄い人と顔見知りだよな」
「縁故採用とか思うなよミツルくん。私の博士号は伊達じゃないぞ」
「へいへい、そりゃ身に染みてますよっと」
適当な相づちを打ち、店員ロボットが持って来たビールのジョッキを受け取るミツル。アルコールが回ってきたのか、思考はレンのことを離れて、この街のことへと緩やかに集中する。
イスルギには日本初がとにかく山ほどある。
公共機関の民営化、全市完全IoT、海外での教育の有効化などなど。
それらが可能なのも、全て〈イスルギ特区法〉、すなわち日本初の完全地方自治法のおかげだ。
レンにしても、特区法によりアメリカで得た学位がイスルギに居住し、就労する場合に限り有効となっている。内地、すなわち日本列島のどこかに引っ越した場合は国内法に従い大学入学前からやり直しだ。
「ミツルくん、それは私が学をひけらかしてると?」
「ちげーよ。お前は凄いし、なんだ、ほら上司がお前でよかったっつーか……レン、お前は特別だってことだ」
ミツルがとっさにでっち上げた言葉に、レンは何を思ったか、そっぽを向いて黙ってしまった。ジンジャエールが彼女の口元でぷくぷくと泡を立てる。
「ミツル、質問」
そこに手を上げてサクラが割り込んできた。
外出時にはティーチャという名称は使用禁止で、彼女はミツルを名前で呼ぶ。
「レンちゃんが上司でないと困る特別な理由って?」
もちろん答えなどあるわけがなく、ミツルは自分が口にした言葉まで含めて首を傾げる。
「……なんだろうな?」
「期待した私が馬鹿だった!」
瞬間、ミツルの後頭部にレンの肘打ちツッコミが炸裂。
彼女はグラスとつまみの皿をかっさらうと、大股で何処へと去っていった。
「――ってぇな! なんだよ、あいつはいったい」
本気と思わしき痛打に顔をしかめたミツルは、アオイとヒトミの微妙に冷めた視線に気付く。
「なんだよ二人とも」
「ミツルさん。今の会話には明らかに問題があったと推測します。レン係長は具体的な回答を欲しがっていたのではありませんか?」
「具体的な回答ってなあ。話のわかる上司でよかったとか? 若くて美人で嬉しいとかか?」
「ミツル先生、そういう話じゃないと思いますけどぉ」
「ミツルって仕事してるときは鋭いのに、気を抜くとすぐ勘が鈍るよね」
自然会話ルーチン入りの人工知能にそう言われてもと思いつつ、ミツルは渋々三人の言葉にうなずいてみせた。それが余計にサクラを刺激したようで、彼女はミツルの頬をぽちぽちとつつき始める。
「本気で悪いって思ってないでしょ」
「なんで俺が気に病む必要がある」
その答えに三人娘は、頬に額にと手を当てジトッと半目で彼を睨んだ。
そんなジェスチャを教えたミツル本人も、実践されるとさすがに居心地が悪い。
「――あぁもう、謝ってくればいいのか?」
「僕らにそれを聞く?」
サクラのそっけない答えが全てだった。
彼女たちが自らそう認識しているように、その表情や推測は機械的演算の現れに過ぎない。
さらに言うなら、彼女たちは重機の頭脳であってカウンセリングエージェントではない。
人間関係の助言を求めるなどナンセンスな行為だろう。
「それぐらいわかってるさ、でもお前らを見てるとそんな気にも……ん?」
「ミツルさん、課長が下に来てくれだそうッス」
暑苦しい論戦から抜け出したイワオが、着用端末を片手にそっとミツルの肩を叩いたのはそんなときだった。
「俺に?」
「班長とレンちゃんはもう来たそうッスよ」
アキヒロ班長とレンにイワオ、そしてミツルと来れば、これは管理職まわりの呼び出しに違いない。
ミツルは三人娘に肩をすくめて見せ、逃げるように席を立った。
連れだって階段を下り、ミツルが酒の入った息を吐いたところでイワオがニヤッと笑いかけてくる。
「ミツルさん、何やったんスか。アオイちゃんたちに睨まれたでしょ?」
「ノーコメントだ」
「へへっ、じゃ聞かないッス。しっかし凄いッスね。ミツルさんが来てから彼女たちホントに変わったッスよ。前はなんつーか無愛想じゃないッスけど、オートっつうか……あ、こんな感じッス」
などと言いつつイワオは、階段をすれ違う店員ロボットのスカートをしれっとめくり、その丸いお尻を堂々と鷲づかみにした。
人間なら怒るなり嫌がるなり、少なくとも驚きはするだろうが、彼女は笑顔で「困りますお客様」と言うと何事もなかったかのように階段を上っていく。
「言いたいことはわかるが、要は反応のバリエーションが増えたって事だろ?」
「いや、そうじゃないんスよ。なんか、エモーショナルになったっていうか、生っぽくなったっていうか。実はこの前、自分アオイちゃんにハグしたんスけどね」
「なにしてんだよおめーはよ」
「いいじゃないスか美人なんスから! とにかくハグったら、すっげぇ顔で睨まれたあと、手をこうキュッと捻りあげられたんスよね。
いやぁ、ああいう反応ってやっぱこう、キますね、キュンって」
「お前……彼女いないだろ」
「いないッス」
「だろうなぁ」
ミツルがいつだったかの会話をイワオ相手に再現した直後、二人は階下から上がってきたトクガワと出くわした。
「君たち遅いよ。ほらこっちだよ、こっち」
そのまま手を引かれ、通されたのは一階の個室。そこにはすでにレンとアキヒロ班長が、二人とも理由はわからないがかなり憮然とした表情で座っていた。
レンに至ってはミツルを見るなり、五割り増しビターな顔をふいっと背ける始末。
「ちょっとミツル君、レンちゃんに何言ったの? さっきから不機嫌で困っちゃうんだけど」
「いや俺はべつに――」
ミツルの言葉を、アキヒロ班長がグラスで机を打ってさえぎる。
てっきり自分が怒られたかと首をすくめたミツルだが、その渋面はトクガワの方に向いていた。
「若造よりお前の方がはるかに問題だ。変に話を逸らさねえでもらいてえな」
「いやいや、それはまぁそうなんだけどね」
トクガワは肩を上下させると男子二人をテーブルにつかせ、改まるでもなくほんの少し居ずまいを正すと、四人に話を切り出した。
「えっと、さっき広報部と総務部、それと装備部のお偉いさんとで決まったんだけどさ…………重機係、解散だって」
その淡々とした報告に対し、班長が小さく舌を鳴らし、レンが盛大に机を叩き、イワオが残念そうに頭を掻く。
そして、ミツルは凍り付いた。
「ジョー! なんでダメって言ってくれなかったのさ!」
「言うには言ったよ? でもほら、重機係って押しつけの即席部署じゃない。
さすがに押し切れるほど手元に材料なくってさぁ」
「そんな勝手な――」
目を吊り上げたレンを右手で押し止め、アキヒロ班長が鋭い狐顔でトクガワを正面から捉える。
「装備部のお偉いさんって言うと〈あっち〉だな?」
「そう、そうなんだよ。今さら世間の注目集めるわけにもいかないって、機密の一点張りで聞く耳持ってくれなかったんだ」
「ずいぶん勝手じゃねえか。
自分の所で開発しきれねえから民間に回したんだろうよ。それが注目集めたらハイ撤収とは、簡単にゃ納得できかねるぜ」
さらに横から、唇を尖らせたイワオが班長に加勢する。
「そおっスよ。今までだって開発費用で散々やり繰り重ねてここまで来たんスよ?
ようやく採算が安定した今になって、それはいくら何でもあんまりッス」
しかしトクガワは、三人に詰め寄られてなお軽い様子を崩さない。
ただうんうんと肯いて、ぺしぺしと手を打っただけだ。
「みんなそう言うだろうと思ってたけどね。ま、しょうがないんじゃない。所詮うちは民間企業の下っ端も下っ端だよ。上の言うことにはイェスというしかないじゃない。ね、ミツル君?」
何らかの事情を知っている様子の三人はともかく、ミツルは理解すらおぼつかないまま聞きに徹していた。そこで急に話を振られたところで対応できるわけもなく、とっさに口をついたのはたった一言。
「その……期限は?」
「来月末日、六月三十日、だって」
一ヶ月後。それが、次世代重機開発係の解散刻限であった。




