第2章 Ⅱ
翌日、ユナは夢見心地のままに、昨日と同じ部屋に佇んでいた。
エルフィスに通されたあの部屋である。
しかし、エルフィスはそこに来ることはなく、昨日、ユナを案内した受付の女性がやってきた。
相変わらず、体にぴったりと合っている紺色の正装姿が艶かしい。
昨日は緊張のあまり、ちゃんと、女性を見ていなかったユナだが、改めて視線を向けると、女性は化粧をしっかりとしていて、真っ赤な口紅が鮮やかだった。
女性のことを、若いと感じていたが、ユナよりも少し年上のようだ。
名前は、マリベル。
彼女自らがユナに名乗り、握手を求めた。
「大神官から承っております。ユナさんは占術師だそうですね」
「それは」
ユナは狼狽した。
大体、ユナの占いは自己流だし、実績もない。
どうして、自分がこんなところで雇われているのかさえ、分からないのだ。
言葉に詰まってしまう。
「私は、そんな自信があるわけではないのですが……」
「でも、大神官直々に雇われたのですから、相当な腕とお見受けしますよ」
マリベルは微笑を浮かべたが、目が笑っていなかった。
どうして、こんな小娘がここにいるのだろうか?
そういう色の目だった。
昨日の対応とは、随分温度差がある。
学歴の問題もあるだろうが、いくら何でも、ユナの経歴書をエルフィスがマリベルに公開するはずはないだろう。
仮にも、平等を謳った前国王の孫なのだ。
(格好がまずかったのかしら?)
まともに働いたことがないので、どんな服装で行けば良いのか分からなかった。
とりあえず、ユナは昨日と同じ格好でやって来たのだが……。
(それが、田舎っぽく映ってしまったとか?)
いやいや……。
ユナは、小さく頭を振った。
昨日のあれだ。
ユナが腹をすかせて、ふらふら帰ってしまったから、怒っているのだ。
(……でも、他に話すようなことなんて、あったのかしら?)
いや、あったんだろう?
だから、エルフィスは怒ったのだ。
あれこれ考えても仕方ないことだが、初日から嫌われてしまうのは辛い。
「あの……。マリベルさんは、神殿の勤務が長いのですか?」
「それは、貴方の仕事には関係がないことです。…………それで、ユナさんのお仕事なのですが……」
(見事に、怒らせてしまった?)
ユナはマリベルについて来るように促されて、気まずい沈黙に肩をすぼめながら従った。
マリベルは外に出た。
広大な庭は綺麗に剪定されていて、色とりどりの花が咲きあふれていた。
中心には、噴水があり、清らかな水が飛沫をあげていた。
その花壇を挟むようにして作られている石畳を、身形の良い黒服の職員と、白服の神官たちが慌しく往来していた。
「よっと」
何処から持ってきたのか、マリベルは木製の卓をどんと置いた。
その場所は、往来の端ではあるが、花壇の間と間。広大な庭園の丁度真ん中だった。
「あの……マリベルさん?」
悪寒を覚えて、ユナが問いかけると、マリベルは仮面のような笑顔のままに言った。
「ここで、神殿に勤める者達に占いをして差し上げるようにと、大神官が仰せになっています」
「…………こっ、ここで?」
ユナは周囲を見渡す。
確かに人は歩いているが、ほとんど神殿の職員で、しかもみんな仕事に追われている。
この状態で、ユナに依頼してくる人間がいたとしたら、職務怠慢になってしまうのではないだろうか?
(しかも……)
朽ちた卓だった。
ユナの腰辺りまでの高さで、所々色が抜けている四角い卓は、何処かの式典で使ったきり、まったく手付かずになっていたものを無理やり持ってきたという感じである。
(嫌がらせ?)
……としか、思えない仕打ちだった。
「どうぞ、こちらで思う存分、お力を発揮して下さい」
(いや、存分って? 一体、この状況で発揮される私の力って、どんな力なわけ?)
目を白黒させているユナを容赦なく置いて、マリベルはくるりと背中を向けた。
「何かあったら、私は受付にいますので、呼びに来て下さいね」
「えっ?」
(もう既に、大きな異常が発生しているんですけど?)
手を伸ばしかけているユナを無視して、ぱたぱたとマリベルは去ってしまった。
「ああ、忙しい」
そんなことを口走っている。
そこで、さすがにユナも思い至った。
――絶対に、嫌われている。
「…………で、でも」
こんな幼稚な手で苛めてくるとは……。
(エルフィス……)
とても、王子とは思えない。
(いや、王子だからこそか……)
ユナは、強張った顔のまま、口元を歪めた。
そう、王子だからだ。
大体、この国の王子が、ユナのような人間をまともに雇うはずがないではないか。
ただ単に、馬鹿にする人間が欲しくてユナが雇われただけかもしれない。
(きっと、そうだ)
ユナは小さく溜息を吐いて、台の後ろに回りこんだ。
(せめて、椅子は用意して欲しかったな)
ぽつんと立ちながら、持ってきた占術の本を開く。
手放しで歓迎して欲しいというわけではないが、初日から職員全員に嫌われながら仕事をするのは、辛い。
(辞めようかな……)
――駄目だと思ったら、すぐに転職しろ。
――無駄に引き伸ばすと、それだけ心の傷が膨らみ、人生が無駄になる。
それは、職選所の職員が転職の相談に訪れた男性に激しくまくしたてていた台詞だった。
あの時、たまたま仕事を探しに隣の椅子に座っていたユナの心を何故か、揺さぶった言葉だった。
昨日は、沢山の料理を買って食べながら、妹のカナと共に喜んだ。
せっかく決まった仕事を辞めて帰ってきたことをカナに話したら、カナは悲しむかもしれない。
でも……。
(今なら、間に合うわのよ)
まだユナは、若いのだ。
学力はないし、能力もないけれど、今まで以上に探し回れば、どうにかなるかもしれない。
七十八枚の札を勢い良く台の上で回しながら、ユナは一人そんなことを考えて、必死に唇を噛み締めた。
問題は、辞めさせてもらえるかどうか……だった。