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無職占者と迷惑神官  作者: 森戸玲有
二人の朝(攻防戦)
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続編 19

「ああっ。本当に腹立つなあ!」

「はいはい。分かったよ。分かったから、いい加減、人の部屋で剣の素振りするのは、やめてくれる?」


 エルフィスは香茶を飲み直しながら、滞っていた政務の書類に目を通していた。

 神殿の執務室ではなく、私室なのは隣にユナがいるからだ。

 ヘラからユナが無事との報告を受けて、真っ先に飛んで行きたいのを我慢して仕事に集中していた。

 ただの力の使い過ぎというが、そんなことはエルフィス自身が確認してみないと分からないではないか。

 呑気に神殿で仕事をしている暇などないのだ。


「エルフィス……」

「分かっているよ。セルジ。だから、今回のことは悪かったって、言ってるじゃないか」


 セルジが剣を収めて、むっつりとこちらを見ていることを何となく気配で察知したので、エルフィスは、いち早く謝罪したのだった。

 確かに、自分が悪かった。それは認めよう。

 セルジに「渇望の箱」のことを言えば、それこそユナと引き離されると思ったのだ。

 エルフィスが気持ちを告げる前に……。

 ユナに気持ちを自覚させる前に……。

 セルジは二人の仲を割いただろう。

 それは、エルフィスのためでもあり、またユナのためでもある。

 だから、セルジは悪くはない。

 だけど……。


「あのな。エルフィス。アイツは片付け一つも満足に出来ないんだぞ?」

「よく知っているよ。少なくともお前よりはね」


 エルフィスは、再び書類の山に視線を落として、静かにうなずいた。そんなことは、百も承知で何度も考えたことだった。


「ほう」


 セルジは不服そうに、ずかずかとエルフィスとの距離をつめると、エルフィスの書類をひょいと取り上げてしまった。


「あっ! 一体、何をするんだい。僕は速やかにこのくだらない仕事を終わらせて、ユナのもとに行かなければならないんだからね。子供のような嫌がらせなんてしないで、さっさと返してよ」

「残念ながら、ユナは俺が追いだしたヘラと楽しい勉強中だ。そんなに急がずとも時間はたっぷりある」

「あともう一息なんだ」

「俺はお前の幼馴染であり、一番の護り手だ。ちゃんと話を聞かなければならないんだ。お前は一体何を考えているんだ。まんまとヘラの策で翻弄されるような奴じゃなかったはずだろう?」

「別に翻弄されていたわけじゃないよ。何となくヘラの言動には含みもあったし、あるいは……と思うところはあった。でも、どちらにしても父上が絡んでいる時点で、僕は彼らの企みに乗らなきゃならなかったんだ」

「お前は怒ってないのかよ?」

「僕の睡眠時間は返して欲しいけれどね。でも、おかげでユナは魔法を使い、どうやら、少しだけ自分の気持ちが自覚できたみたいだから、結果的には良かったんじゃないのかな?」

「何だよ。それ?」


 あっけらかんとエルフィスが答えると、セルジは苦々しく唇を噛んだ。

 こういう場合は、その後の反応を見守るよりさっさと話題を繋いだ方が良いことをエルフィスは学んでいる。

 爽やかに微笑して、セルジに香茶を勧めたが、きっぱりと断られた。


「気に入らねえ……」

「まっ。ヘラに関しては調子に乗っている部分もあるから、対抗手段として彼女の弱みを探ってみようとは思っているけれどね。今度、レンフィス兄様をけしかけてみるつもりだよ」

「…………はっ? 何でそこで、レンフィス様が絡んでくるんだ?」


 セルジが本気で瞬きをしながら訊ねてきた。

 どうやらセルジもヘラの気持ちには気づいてないらしい。


(これは、ユナのことは言えないんじやないかな?)


 しかし、ここで教えてやるのは良くないことだという自覚くらいはある。

 ヘラとて、セルジには知られたくないだろうから、これも二つ目の対抗手段になるかもしれない。


「ともかくっ!」


 明らかに誤魔化しに等しい咳払いと共に、エルフィスはセルジが手にしていた書類を取りあげた。


「おいっ」

「僕は仕事をする。そしてユナが僕の告白を忘れないように会わなければいけない」

「……こりゃ、末期だな」


 セルジが呆然と呟いた。


「今まであんな珍獣を相手にしてしまっていることに、お前も恥じらいめいたものを感じているようだったから、まだ救いようがあるって思ってたんだがな。今回の一件で、完全にイカレちまったようだな。エルフィス」

「へえ。お前は僕がイカレてるっていうのかい?」


 エルフィスは他人事のように香茶を啜って、目を通した書類に認可の御璽を押した。


「そうだろ? 俺はな。これでも純粋に女癖の悪い幼なじみのお前を憂いていたんだ。それが、今度は女癖どころか、女運を自ら下げるような行為に打って出ている。俺はお前の死んだ母親に何て詫びれば良いんだ」

「とりあえず放置すればいいじゃないかな? 僕はそれなりに今も幸せだし、これからの将来、もっと勝手に幸せになる予定だ」

「……エルフィスっ。老婆心ながらに、もう一度言うが……?」

「はいはい。分かってるよ。セルジ。十日前のお前の説教は耳が痛くなるほど覚えている。忘れたわけじゃないさ。お前の言うことも間違ってはいないんだから」

「じゃあ、お前だって感情でどうにかならないことくらい分かっているんだろ? アイツが権謀渦巻くこちらの世界でやっていけるタマかよ。なっ?」

「ああ、そうさ。あの子には……ユナには、地位も権力もなければ、残念なことに器用でもないし、挙句の果てにめちゃくちゃ鈍い。女の武器ともいえる色気も使えなければ、炊事洗濯家事全般がすべて駄目駄目だったりする」

「いや。何もそこまで欠点を並べろと言っちゃいなけどな。……で。そこまで貶しておいて、お前は、アイツが良いと言うのか? それとも、実験材料か何かか? 上から目線で奴隷を鑑賞するのが目的という……?」

「セルジ。それじゃ、愛人よりも酷いじゃないか……」


 エルフィスは、喋りつつも続けていた仕事に区切りをつけて、ようやく顔を上げて、背後のセルジを振り返った。


「十日前、僕は最初「渇望の箱」から出てきた「ユナ」を見て、まあこれでもいいかなってちょっとだけ思ったりなんかした。若気の至りってやつかな」

「………まさか、お前、アイツに手を出したんじゃ? 確かに凄まじい色気だったが?」

「嫌だな。僕は潔白だよ。そもそもあの程度の美人なら見飽きている。大体、僕の妄想だからね。適当に彼女の告白に相槌を打つ程度で抑えたよ。むしろ、お前の方こそ、大丈夫だったのかい? 二人きりの時間があったんでしょう。お前は僕に比べて免疫がないから」

「……俺のことは、い……いいいだろ?」

「何それ?」 


 あからさまに。セルジが怪しい。

 エルフィスは片目を眇めた。


「……どうやら、詳しく話し合う必要がありそうだね。セルジ」

「とにかく……だ。それでお前に心境の変化があったってことだろ。エルフィス?」


 慌てて、話を先に送ったセルジを睨みながら、エルフィスは髪をかきわけ、さらりと言った。


「僕は何も変わってないよ。すぐに彼女じゃ駄目だと自覚したさ。確かにあの「ユナ」も素直で僕第一の良い子だったけどね。でも、僕はあの……こちらが投げた球をめちゃくちゃな方向に投げてくるようなユナが良いんだ」

「……良いっていうか、ただお前は面白がっているだけじゃないか?」

「そうだよ。あんな面白いものを他人にやりたくはないよね。絶対」

「言ってろよ。変態」


 セルジは腕組みして、壁に寄りかかった。

 話が長引きそうな時に、セルジがする癖のようなものだった。


「彼女じゃダメだと自覚した僕は、それから色々考えたわけだよ。どうしたら、ユナも僕も幸せになれるのかってさ。お前の言うとおり、離れるのも一つの手かもしれないとも思ったよ。……けど、ここまで僕が自覚させられているのに「はい。さよなら」なんてできるはずがないでしょ。だから、その案はあっけなく廃案になったわけさ」

「もう再考の余地はないのかよ?」

「……却下だね。無理なものは無理だ。理屈で割り切れるなら、最初からよりにもよってユナなんかに迫ったりなんてしないよ」

「………まったくもって。よりにもよってだな」


 セルジがこめかみを押さえた。

 また苦労をかけて、更に老け顔にさせてしまうかもしれないが、エルフィスも今更逃げるわけにもいかなかった。

 ……もう、「渇望の箱」の時点で皆にバレバレなのだ。

 隠せないのなら、開き直るしかないではないか。


「そして、そんなことを悶々と考えていたら、段々腹が立ってきてね。このままでは埒があかないんだよね。いずれにしても、僕がこんなに眠れない夜を過ごしているっていうのに、彼女は十八歳にして、恋愛感情……何それ食べれるのって所なんだよ。僕が毎日訪ねて来なくても、顔色一つ変えず日常を過ごしているわけだ。なんとしても、同じ舞台に引きずりだしてやりたくなるよね?」

「いやあ。そうでも……ないような気がしていたけれど?」

「えっ?」

「……お互いに自覚がないところが凄いな」


 セルジが何事か小声で言ったが、エルフィスの耳には届かなかった。

 ……どうせ、悪口だろう。


「ユナってさ、何もないところから料理を作れと言ったっところで、面倒だから、いらないというタイプだろう。できあがった料理を食卓に並べて、お膳立てして、さあどうする? と聞いたところで、初めて彼女は食事について考えるわけだ。彼女には僕の恋人になって欲しい……なんて、場当たり的な感情論は通用しないんだ。恋人の次の段階を意識させて、初めて「恋」というものを考えるようになるという。まったく厄介な女の子だよ」

「それで、お前は何で笑顔なんだ?」


 もはや、呆れてものが言えないのかセルジは冷ややかだった。

 しかし、それは違う。

 エルフィスは嬉しくて笑っているわけではない。どちらかというと苦々しい笑みの方である。


「あのね。セルジ。悲しいことに、僕はまだ口説けていないんだよ。口説くっていうのは、あくまで相手が自分の想定内に生息している時の話だ」

「力説されてもな……」


 セルジは髪をかきむしって苛立ちを四散させてから、深呼吸して静かに問うてきた。


「お前がいつにもまして多弁な時は腹を決めた時だ。何だよ。何を企んでいる?」

「………それは」

「どうせバレバレなんだ。とりあえず話せ。俺は、今回みたいなことは二度とごめんなんだからな」

「分かったよ」


 ーーそう。

 エルフィスはここ数日、仕事、魔道具、国家……そしてユナ。いろんなことを考えた。

 ユナには、偽「ユナ」のことについてだと話したが、実際は違う。

 もっと、先の……将来のことを考えていたのだ。

 堂々巡りしてしまう問題もあったが、ユナに関しては自分なりに一つの結論を見出した。

 何度も脳内で、自分なりの結論を反芻して、それしかないと思い定めていた。

 けれども、本当にそれが最良かどうかはわからない。

 だから、セルジに話そうとしているのは、ただ、聞いてもらうことで、楽になりたいだけなのかもしれなかった。


「結論から言うと、彼女が……ユナが何の後ろ盾もなく、僕のそばに、ずっといるのは難しい。仕事の部下としてなら、このままの状態で良いかもれしない。でも、僕が言い寄れば彼女は隠しきれないだろう」

「あいつは、哀れなほどに、すぐ顔に出るからな。秘密の関係なんて、背徳感満載のものは無理だろう」

「……だね」


 セルジは酷いことを口にしてはいるが、その話しぶりには情のようなものがあった。

 意外に、セルジもユナを気に入っているのだ。

 だからこそ、エルフィスの愛人にするには可哀想だと思っているのだろう。


「愛人って公言してしまえば、生涯僕の側に置くこともまかり通るかもしれない。過去の大神官にはそういう存在が暗黙の了解で存在していた。だけど、そういうのは良くないな。相手はあのユナだ。それに、愛人では彼女は絶対に肩身が狭い思いをする。彼女は人の悪意や妬みに打たれ弱い」

「まあ、日陰者として、一層根暗で卑屈になっていくんだろうな」

「彼女にはちゃんと陽のあたるところで、公然と好意を示してあげたい。そうしないと、どうせ僕が何を言ったって信じやしないだろうし」

「しかし、エルフィスよ。そもそも神官は結婚できないんだぞ?」

「そう。神官は神の僕。だから、結婚は御法度だ。もとより第二王子である僕は、神への供物のような存在で大神官の地位に据えられているわけだから、それを覆すことは無理だ」

「……で、どうしたいんだ。お前は?」

「神にすべてを捧げているのであれば、ユナが神になれば良いんじゃないか?」

「……………………はっ?」


 セルジは寄りかかっていた壁から、脱力して前のめりになった。

 エルフィスは淡々と続ける。


「幸いなことに、国民に秘してはいるけれど、彼女は魔法が使える。腕を磨けばウォールも除けるかもしれない。そうしたら、彼女は救国の女神。王族しか使えない魔法を使った時点で、王族にも勝ると劣らない。彼女を聖女に祭り上げれば、聖なる乙女と大神官の婚姻だ。罪にはならないでしょう。更に言うのであれば、誰もユナに意見することも、虐めることもできない。彼女はこの国の宝となるのだから……」

「エルフィス。それは笑い話じゃないよな。本気で言っているのか?」

「あのね。僕が嘘でこんな奇想天外なこと言うはずないでしょう?」


 セルジは両手で顔を覆い、しゃがみこんでしまった。

 貧血でも起こしたのかもしれない。

 可哀想だったが、同情するわけにはいかなかった。


「前代未聞だぞ。そして、それを実行するにはお前はともかく、あいつがへなちょこすぎる」

「……そうかな。僕はユナって人の悪意は苦手だけど、意外に一途で勝気な方だと思うけどね?」

「だからって……。アレが女神? 聖女? 塵の山で暮らしてるんだぞ?」

「塵山に帰さなければいいじゃない?」

「お前、ユナを内殿(ここ)に滞在させる気じゃないだろうな?」

「さてね」


 エルフィスはセルジの反応を堪能しながら、自分の案がいかに突飛であるか、再認識していた。


(やはり、冗談に近いよなあ……)


 それでも、もう留まれないのなら進むしかないだろう。

 問題はユナがついて来てくれるかどうかだった。


「エルフィス。俺にはお前が考えたというより、お前が思い詰めちまったように感じるよ。 少し休め。な? 一晩じっくり休めば、頭も冷えてるかもしれないだろ?」

「お前は反対なのかい?」

「反対も何も、今は分からないな……。だって、その……何しろ、相手はアイツだぜ」


 何度もユナの名の前に「あの」がつけられると、不安になってくる。

 ――そうだ。


(相手は、あの……ユナなんだ)


 エルフィスがどんなに身を削ってお膳立てしたところで、どんな予想外な結論をつきつけてくるのか、分からないような娘なのだ。

 そういうところをある意味気に入っているエルフィスだが、こと自分から離れていくような奇抜さなら、勘弁して欲しいと思う。

 エルフィスは目を通した書類一式をセルジに託して、寝室に向かうべく背を向けた。

 どうせ、ユナはヘラと勉強中なのだろう。

 聖女などと囃し立てるつもりなら、彼女の勉強時間を邪魔してはいけない。


「言われなくったって寝るよ。でも、今現在、僕の頭は極めてすっきりしていて、曇りの一つもないけれどね」


 ……とりあえず、寝よう。

 ユナの勉強が終わる頃に合わせて起きれば良い。

 仮眠くらいはとれるはずだと、エルフィスは思った。


 ――しかし。

 恭しく、扉をノックする音に、エルフィスは首をかしげた。

 エルフィスにとって、想定外なのは、ユナだけではなかったのだ。

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