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無職占者と迷惑神官  作者: 森戸玲有
渇望の箱と告白
56/64

続編 17

「エルフィス様っ!」


 しかし、室内に入ってきたのはセルジだけではなかった。

 ユナとまったく同じ顔をした金髪の少女も一緒だったのである。

 横目でセルジを見遣れば、投げ捨てるように言葉が降ってきた。


「……遅いんだよ。ユナ。俺はもう限界だからなっ!」


 怒声を轟かせるセルジを押しのけて、その少女は凄まじい勢いで、お目当てのエルフィスに抱き着いた。 


(…………あの女)


「エルフィス様~、寂しかったです~!!」

「わっ」 


 香茶を手にしていたエルフィスは、反動でカップを落としそうになりながらも、まんざらでもない様子で「ユナ」と声をかけた。


(ぐはーっ)


 同じ顔のもう一人の自分が自分と同じ名前で呼ばれるのは、ユナにとって、とてつもなく、気持ちの悪いことだった。

 その二人のいちゃいちゃした様子を確認したセルジは、恨めしそうに、ユナを睨みつけてくる。



「まったく、お前は呑気で良いなあ。あの偽「ユナ」。想像以上に強くておかげで俺は殺されかけたんだんだぞ。本当、もう二度とお前には関わりたくねえな。ろくなことがねえ」

「……そうは、仰られましてもね」


 そもそも巻き込まれているのはユナの方だ。

 善意で変装までして出向いたのに、エルフィスには抱きつかれるは、一方的に告白されるは散々の目に遭っているのだ。


「セルジ。君はユナに何を期待しているんだい?」

「そうだったな。怒りの矛先を間違えたぜ。何もかもお前のせいだったよな?」


 激情のままに、セルジはエルフィスに向き直ったが、もう一人のユナにしっかりと抱擁されているエルフィスは飄々としている。


 何だろう? 

 この構図は……。


「……やっぱり、腹が立つな」

「………………セルジ様。かなり同感です」


 相手が自分なだけに、見ているユナの体中に鳥肌が立ってしまう。

 先程、エルフィスは何て言っていた?

 封印したはずの記憶を辿ってみる。

 もう一人のユナより、性格の悪いユナの方が良いとかなんとか言っていなかったか?


(冗談……)


 ……にしては、相手が悪い。


(相手は私なのよ……)


 恋愛経験値が底より低いユナを揶揄しているならば、この世から消えて欲しいほどに憎い。

 ユナは生まれてはじめて経験する目まぐるしい感情の揺れに、いっそ失神してしまいたいくらい、神経をすり減らしているのに……。


「あの。セルジ様。エルフィス様と先程少しだけお話をさせて頂きましたが、セルジ様の心配したようなことはなさそうですよ」

「……ほう」

「ただ、その……。恥ずかしかったそうです」

「へえ?」


 しかし、セルジにばれることは察知していたのだろう。

 エルフィスは、セルジの怒気を前にしてもふてぶてしいほどに冷静だった。


「お前が知ったら、嗤われるだけで済まないだろう? あの棺は「渇望の箱」。何の因果で僕の所に来たか分からないけれど。やりようによっては、どんな願いも叶う箱なんだろうね?」

「それで、お前はその「渇望の箱」からそんな化け物を呼び出してしまったと?」

「…………」

「…………」


 エルフィス、セルジ、二人共に沈黙して、二人のユナを見比べる。


(化け物って……そりゃあ、少し失礼じゃないのかしら?)


「エルフィス様。他の女のことなんて、見ないでください! 私だけを見て」


 思わず寒気の走る台詞を、もう一人の化け物「ユナ」が涙を湛えて、まっすぐぶつけている。

 エルフィスは偽「ユナ」とユナを見比べながら、へらへらと愛想笑いを浮かべていた。


「ああ、いや、他の女というか、あの子は君というか……だね。ユナ」


 なぜ、ちょっと嬉しそうなんだろうか。

 いい加減、艶めかしくひっついているその女をどうして、引き離さないのだろうか。

 …………もう駄目だ。

 ユナの心中でぷっつり糸が切れる音がした。


「それでは、一応やることはやったと思いますので。後はお二人で何とかして下さい。私はこれで失礼します」


 ユナは背を向け歩き出そうとする。

 ……だが。


「何処に行くんだい。ユナ?」


 すかさず、エルフィスが呼びとめてきた。


「……勉強ですよ。ヘラさんからの課題がまだ終わってないんです」

「僕の話は、まだ終わっていない」

「話って……?」


 おいおい。

 まさか、この男、(ユナ)に抱きつかれたまま話を進めるつもりではないだろうか?

 ……だとしたら、常識が欠如している。


「私には何もないんですけど?」

「俺にはあるな」 


 セルジまで間に入ってきやがった。

 もろちん、このまま部屋に戻ったところで、ユナが脇目も振らずに課題に集中できるはずもなかったが、それでもいい加減、カナのもとには帰してもらいたかった。


「エルフィス様。なんなんですか。あの人達は。早く追い出してください」


 偽物ユナが馴れ馴れしく、エルフィスにねだった。


「うーん。僕としては君の方に困ってるんだけど。……まいったね」


 口ぶりがまったく困っていない。

 このままでは、見たくないのに、ユナは二人を見てしまう。

 そうして、もう一人のユナは、初めて、無遠慮な視線でユナを凝視してきた。


「あら、貴方、私によく似ているわ」


 今更、気が付いたらしい。


「貴方は、何者ですか?」

「…………一応、私は、ユナですけど?」

「私もユナと言うの。一緒ね」

「…………そう……ですね」


 どうして丁寧語なのだか分からないが、名乗りを上げて、堂々とふんぞりかえっているユナは、同じ人間とは思えないほど綺麗に見えた。

 幾多の女性と浮名を流したエルフィスが、脳内で作り上げた完璧な女性なのである。

 見た目は同じでも、醸し出す空気がまったく違うのだ。

 ユナはどうにもならない溜息を吐いて、うなだれた。


「あの、エルフィス様。私、思うんですけど、断然この「ユナ」の方が良いですよ。彼女ならどんな境遇に陥っても、頑張れるような若さを感じます」

「……若さって。君ね?」


 エルフィスが呆れている。

 しかし、もう一人のユナを引きはがさないのは、エルフィスが惹かれている証拠なのではないか?


「この人を、その……。愛でてあげて下さい」

「嫌だ……と何度言わせれば気が済むんだ。君は」

「エルフィス様。強情を張らないで素直になって下さい」

「強情を張っているのは、ユナ。君じゃないか?」

「……おい、エルフィス」


 気の抜けた声で会話に乱入してきたのは、セルジだった。


「…………まさかとは思うけど、お前。先走ってユナに何か言ったのか?」

「何かって……」

「お前の得意な『愛の告白』とやらだよ」


 ーーかちゃん。

 と。

 エルフィスがカップを碗皿に落とした音が室内に響いた。

 今度こそエルフィスは動じたらしい。

 一応、彼なりにユナに告げた言葉は記憶があるようだ。

 後々、記憶にないと言いかねないのではないかと、淡い疑いを抱いていたユナだったが、そこまで忘れっぽくはないようだ。


「おい。エルフィス。何とか言え。場合によっちゃ……」

「言っておくけど、僕は愛の告白が得意な方じゃないよ。セルジ。僕が言わなくても周りが寄ってくるものだからね。だから……。つい、自分からしようとすると、時と場所を間違えてしまう」

「あのなあ……!」


 セルジがユナに視線を移したので、ユナはさっと顔をそむけた。

 ユナは疾しいことなど何一つしていない。

 ……なのに、どうして羞恥心なんて抱いてしまうのか。


「…………エルフィス様」


 しかし、セルジよりも衝撃を受けたのは、もう一人のユナの方だったようだ。


「それは、どういう意味なんですか」


 悪魔のような薄笑いを浮かべて、ゆったりとその場から立ち上がる。

 なるほど。

 「ユナ」だけあって、怒った時の形相や仕草は、まんまユナ自身だった。


「私でなく、こんな人が良いと?」


 エルフィスはちらちらと両者を見比べて、諦めたように目を閉じた。


「ごめんね。どうやら、そういうことらしい」


 こんな人……で悪かったな。

 思わず、ユナが言い返してしまいたいほどに、エルフィスは残念そうな表情をしていた。


「でも、私と同じ顔ではないですか?」

「そうだね。君は彼女の代わりで、僕の願望だったんだ。でも、僕も変だけれど、変な人の方が一生を過ごすなら面白いって分かってしまったんだよ」


 もはや、好かれているのかすら分からないような言葉だったが、最後の方に聞き捨てならない単語があったような気がする。


(一生とか言われなかった……?)


「エルフィス様。それは、どういう?」


 さすがに突っ込もうとしたユナの声を聞きたくないとばかりに、偽「ユナ」が大声を張り上げた。


「ひどいわっ!」

「そうだね。分かってるよ。でも、君じゃ駄目なんだ。七日間頭を冷やして改めて分かったんだよ。だけど君がここにいるのは僕のせいだから、本当にごめんね。心の底から謝るから、そろそろあの棺に帰ってくれるかな?」


 エルフィスはあっさりと言い放った。

 女性を袖にする時、彼はこのくらい淡泊なのかと疑うくらい、冷めた声だった。

 もしも、ユナだったらその声を聞いただけで、二度と彼に近づこうとはしないだろう。 

 …………けれど「ユナ」は子供のように、体いっぱい暴れたのだった。


「嫌、絶対にイヤよ! お願いです。何でも私に出来ることなら、貴方のために尽くしますからっ。私で我慢してください。エルフィス様」

「まったく困ったね。ちゃんと話したところで、君は消えない……か。どうしたものか」


 エルフィスは、ぼんやりと言う。

 もしかしたら、実験の一部として、先ほどユナに告白したのかもしれないと思えるほど無慈悲な対応だった。


(やっぱり、こいつ、どんな女の子にもこういう対応なんじゃないの?)


 少しだけ、同じ顔をしたユナが可哀想になった。

 しかし、この「ユナ」は、同情されるような人間でもなかったらしい。


「もういいわ。そうね。だったら、そこの貴方」


 急に冷めた声色になった「ユナ」がユナを指さした。


「私?」

「貴方が消えれば良い」


(…………へっ?)


 途端、偽「ユナ」は、血走った目をそのままに、いきなり空中に何かを投げた。

 ……いや。物体を投擲したのではない。

 偽「ユナ」は「風」を投げたのだ。

 空気を割いて発生した風は刃にも等しく、ユナを襲った。

 頬に微かな痺れが走り、そっと手をやれば……。

 …………赤い。


「…………血?」

「ユナっ!?」


 エルフィスが叫んだのは、ユナが怪我をしたからだろう。

 ……以前、ヘラに仕掛けられた術と一緒だ。

 そして、あの時もユナは頬から出血した。


(でも、この術の効果は、そんなに長くないはず……)


 案の定、ユナの背後の扉を激しく猛風が叩いたかと思ったら、やがて終息した。


「ったく、危ねえなっ!?」


 静かになったのを見計らって、セルジが腰の剣に手をかける。…………が、エルフィスは素早く制止した。


「駄目だ! セルジ。剣では無理だ。彼女は実体ではあるけれど生きているわけではない」 

「そんな。じゃあ、どうしたら、いいんだ?」

「…………魔法……なんて」


 緊張感を拭うように、ぽつりとユナは呟いた。

 同じ顔のまさしく自分の分身が、ヘラの放った上級ともいえる「魔法」を使いこなしている。

 ユナの使えない「上級魔法(モノ)」をだ。

 どうして、こうも違うのだろう。

 みんなが簡単にこなしてしまうことがユナには出来ない。

 もう一人のユナですら、やれてしまうことがユナには難しいのだ。


(どうして?)


「私はどんな壁でも打ち破る。エルフィス様と一緒にいたいんです! だから、お願い。貴方、消えて!!」


 それが良いのかもしれない。

 ここまで、敵意と殺意をむき出しにされたのは、ユナの人生で初めてだった。

 だけど、微かにそれを期待していた自分を、ユナは知っていた。


 …………消えて!


(そうよね)


 いっそ、その方が良いのだ。


(だって、私、何もできないもの)


 あの時だって……。


 両親が死んだ天災の時、沢山の人も死んだ。

 あの時も、ユナは不謹慎だと言い聞かせながらも、心の奥底では思っていた。


 ーーどうして、自分が生き残ってしまったのか。


 もっと、自分より価値のある人が大勢いたのではないか?

 ユナなんかより、両親が生きてくれれば良かったのだ。

 そうしたら、カナだってひもじい思いをせずに済んだ。

 エルフィスだって、ユナのような人間に惑わされず、大神官としての職務を遂行できたのではないか?


 そして何よりこの「ユナ」は生きるに相応しい強さがある。


(……私には、執着心なんて何もない)


 生きていく理由も、真剣に魔法を学ぼうとする意欲も何もなかった。

 諾々と生きていくだけなら、いっそ……。


「ユナ!」


 力強く、ユナの腕を掴んで引き寄せたのは、エルフィスだった。

 傍らには、セルジもいる。

 再び背後で轟音がしたので、偽「ユナ」から第二の攻撃が仕掛けられていたのだろう。

 放心していたユナは、気づかなかったらしい。


「何をぼさっとしているの。君、死にたいの?」

「……痛いのは、嫌ですけどね」


 あの風にやられたら、剣に切られたみたいに痛いのだろう。

 だったら、まだ死ねないのかもしれない。

 他人事のように淡々としていると、エルフィスはきつくユナを抱き寄せた。


「見てるこっちが死ぬかと思ったんだよ」


 無遠慮にユナの肩に手を回したエルフィスの手が微かに震えていた。

 心配……してくれたらしい。


「エルフィス様……?」

「僕は君を見ているのに、君は、いつだって自分のことしか見ていないよね? 正直、それって凄く嫌な感じだ」

「私は……」

「おい。相手(アイツ)を刺激するようなこと言ってどうすんだ?」

「セルジ。お前も、いつも僕の邪魔をしてくれるよね」


 まともな意見を無視して、エルフィスは一層ユナを掻き抱いた。


「あのなあ。エルフィス」

「離れてよっ!」


 エルフィスの肩越しに、涙と嫉妬で狂っている自分の顔をユナは見た。


「私はエルフィス様のことが好きで……。それなのに、何で? 同じなんでしょう。ねえ、なのに、どうして、貴方なの? 私が貴方になったって良いじゃない? エルフィス様から離れてよ」

「ユナ。君はどうしたいの?」


 エルフィスが小声で囁く。

 それは、甘くて苦い誘惑のようで、愛の告白第二弾を食らっているようだった。

 だけど、ユナは不本意だ。


「まるで、好きだと言えば何でも許されるみたいに」

「えっ?」


 エルフィスが聞き返す。

 けれどもその台詞は嫌味ではないので、ユナは微笑み返した。

 確かに、酷い……と思ってはいた。

 偽「ユナ」もエルフィスも、ヘラもセルジも……、すぐに恋愛感情を振りかざす。

 言うだけなら簡単だ。

 その後始末も愛があれば簡単だ。

 ……だけど、「愛」ほど不確かなものはない。

 そして、ユナには「愛」を貫くほどの強さがない。


(でも……)


「でもね。私も」


 難しいことなんて抜きにして、多分、この人を放したくないのだ。 

 エルフィスだけが唯一、家族(カナ)以外でユナの存在を認めてくれているような気がした。

 ユナが死んだら、泣いてくれるような気がした。

 エルフィスが本気だと分かってしまった。今、震えながら抱きしめられた瞬間に……。

 この人がユナを必要としてくれるなら……。


「…………きえて」


 最初、か細い声でユナは言った。

 そっと体を起こしたエルフィスがユナの表情に目を瞠った。


「私は……離れない。「渇望の箱」から出て来た貴方こそがここにいてはいけない存在です。ーー貴方が消えて下さい」


 今度は決然として言い放った。

 エルフィスには大丈夫だと口元に笑みを浮かべて、ユナは一歩前に出る。


「……いや」


 偽「ユナ」が頭を振って、身構えた。


「私も嫌」


 ここで、彼女に譲歩するわけにはいかなかった。

 さきほどまでのユナなら、譲れるものはすべて譲ったかもしれない。

 命すらも……。

 だけど。

 今は、エルフィスに心配させたくない。

 だって、ユナは。


(ーー私は……)


 エルフィスが好きなのだから……。


 偽「ユナ」が両手を振り上げた。魔法が発動する。

 しかし、そんなこと知ったことではなかった。


「きえなさいっ!」


 一喝した。

 思いのままに。


「ーーーあっ」


 その言葉に金縛りにあったが如く「ユナ」が体を硬直させた。

 自分の一言に力が宿ったことをユナは感じた。


「ユナ!」


 風の刃から守るように、エルフィスがユナを引き寄せる。

 それを形容しがたい複雑な表情で見守りながら、渇望の箱から生まれた「ユナ」はその場でふっと掻き消えたのだった。


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