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無職占者と迷惑神官  作者: 森戸玲有
渇望の箱と告白
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続編 13

 ユナは、長たるしい神官服にもたつきながら、エルフィスの私室に向かった。

 入ったところを確認したわけではないが、セルジの情報によると、エルフィスは緊急の用件以外、自室に閉じこもっているらしい。


(よしっ)


 気力を振い立たせて、分厚い白亜の扉を見上げていると、なぜか扉は内側から開いたのだった。


(ちょっと、待ってよ!?)


 まだ心の準備がまったくできていない。


(「いやっ」の練習なんてしてないわよ)


 だけど、扉の先から出てきたエルフィスを見てユナは動揺よりも、ほっとした。

 七日前に会ったときより、はるかにやつれていたが、その顔には、満面の笑みが広がっていたのだ。


(良かった……)


 心までも凍ってしまっていたとしたら、手の打ちようもないところだった。 

 ユナは、エルフィスに最初に出会った時を思い出して、目を細めた。

 ――最初の出会いも、こんな感じだった。

 しかし、あの時のエルフィスは社交用の笑顔を浮かべていただけだった。

 この笑顔は、十中八九本物だ。


「ユナ。君がついて来ないから心配してたんだよ。来てくれて良かった」


 もう一人のユナのことも「ユナ」と呼んでいるのか。

 この世に自分と同じ「ユナ」が二人いるかと思うと、何とも落ち着かない。

 ……どうしたものか。

 もう一人の「ユナ」は、確かにユナであったが、極端に自分の性格とは違い過ぎていた。

 対応に困ったユナは、にっこりと微笑むしかなかった。


「そんな所にいたら目立つ。さあ早く入って」


 今更な話だが、言われてみればそうだ。

 ユナはおずおずと促されるままに、エルフィスの部屋に足を踏み入れた。


「退屈な会議にはうんざりしただろう。座って休んで……」


 エルフィスは、部屋の奥の応接用の椅子を忙しくなく指差した。

 気さくに指示するが、ユナにとっては初めてのエルフィスの私室だ。

 多分、絶対に一般庶民が足を踏み入れることのできない大神官の私室である。

 こんな事態でなければ、ユナも立ち入ることが出来なかったに違いない。

 緊張に足が震えて、刹那余りの恐れ多さに硬直した。

 ――そこは、白い部屋だった。

 むしろ無機質に見えるほど、徹底して余計な物はなく、整理整頓されていて、調度品のすべてが機能的なものだった。

 二人掛けの豪奢な椅子も、染み一つない純白だ。


「どうしたの? ユナ」


 これ以上立ち止まっていたら、かえって怪しまれる。

 断る理由がないユナは、エルフィスの言葉に従って椅子に腰かけた。

 座り心地の良いふわふわの椅子は腰が埋もれそうなほどだった。

 部屋の至る所が、かえって居心地悪く感じてしまいそうなほど、何もかもがぴかぴかで新品そのものだった。

 服に塵なんかついていないだろうか?

 どうしても気になってしまう。

 ユナは病的なまでに、そういうことに無頓着な人間だった。


(いや、もう私の存在自体が歩く塵というか……)


 ――心配だった。 

 この部屋にゴミを落として帰ったら、罰金とか取られるんじゃないだろうか?

 磨き上げられた床の大理石を見下ろしていると、自分の背後からやってきたエルフィスが何の断りもなくユナの隣に腰を下ろした。


「…………え」


(な、な、何?)


 どうしてこんなことに?

 目が合うと、彼は相好を崩した。

 てっきり、いつものように向かい合って座るだろうと思っていたのに、とんだ計算違いだ。

 いや、しかし……。

 先程の色気万歳なユナだったら、いつもこんなふうに、自らエルフィスの隣を選んで座っていたのかもしれない。

 その証拠とでも言うように、エルフィスがユナの至近距離で囁いた。


「いつものように、しなだれかかって来ないんだね?」

「…………しな?」


 しなだれかかる?

 そんな芸当を、二人で実践していたのか?


(あの女……)


 歯ぎしりしそうになったユナは浅く深呼吸をした。


 ――落ち着け。


 大したことではない。

 価値観の違いだ。

 エルフィスやもう一人のユナにとっては、こんなこと他愛もないのだろう。

 頭を少し低くして、エルフィスの胸元あたりを軽く小突けば、そのような格好となるかもしれない。


(これは……試練よ) 


 何にしても、彼の命のためだ。

 今まさに、人生に課せられた試練を、ユナは淀みなくこなすのみだ。


 目を凝らしてみたが、見渡す範囲に魔道具らしき影はない。

 もう少し偵察に時間がかかるのなら、時間稼ぎは必要だった。


(私だって、女。やってやるわよ!)


 ユナは身構えると、頭を低くしてエルフィスの胸元を確認した。

 分厚い祭服の……。

 丁度、重ね着をしている襟元が垣間見える部分。

 あの辺り目がけて、体当たりをすればいいのか?

「しなだれかかる」という行為ではないが、セルジが言っていた通り胸元を強調して肉圧でエルフィスを失神にまで持ち込めれば、こちらの勝ちだ。

 ユナは頭を下げ頭突きとも、体当たりともつかない姿勢で、エルフィスの隙をうかがった。

 エルフィスはその傍らで、ユナの様子を興味深く見守っているようだった。


(この男、隙がないわ)


 エルフィスは大神官だ。

 なにかしら武芸も教え込まれているのかもしれない。

 攻めあぐねて、最終的にユナが斜めにエルフィスの胸元に頭を軽くぶつけると、エルフィスは小首を傾げただけだった。

 この程度の攻撃で、失神なんてするはずがない。


「ねえ?」

「…………はっ」

「何してたの? それは踊り? 格闘? それとも何かの儀式? 僕もしかして呪われているの?」


 エルフィスは、突然、核心をつくような言葉をぶつけてきた。

 やはり、侮れない男だ。

 ユナは苦々しげに口の端に愛想笑いだけ浮かべた。


「…………そんなふうに、見えましたか?」

「誰が見ても怪しかったね。大丈夫?」


 大丈夫でない人に心配されてしまった。

 こんなはずではなかった。

 ただ、しなだれかかるか、抱きつくか迷っていただけなのだが……。

 しかし、考え込んでいるユナの方こそ隙だらけだったらしい。

 エルフィスは、ユナのヴェール豪快に片手ではぎ取ってしまうと、自分の胸元に頭だけ押し付けたユナの肩を抱き、自分側に強引に引き寄せた。


「ぐえっ」


 あまりの急激な動作にユナは可愛い悲鳴を上げられず、蛙の押しつぶされたような声を出すしかなかったのだが、エルフィスには聞こえなかったらしい。


「あったかい」


(ひーーーーっ!)


 叫びそうになったのを寸前で耐えた。

 何だ。これ?

 どうして自分がこんな目に?


(そうか……)


 ユナはエルフィスに頬ずりをされながら、真剣に考えていた。

 これは、愛玩動物に対する愛情表現だ。

 毛並みの良い動物に、飼い主が慈愛の心で呟いた表現が「温かい」なのだ。

 決して、特別なもののはずがない。

 あちらのユナも、エルフィスに飼われていただけではないのか?

 意を決して、余りの刺激に瞑っていた目を押し開いて見ると、エルフィスの薄い女性のような唇が目前に構えていた。

 ごくり……。

 息を呑む。

 この唇をもう一人のユナに重ねたりなどしたのだろうか……。


(何で、そんなこと……)


 我ながら、逞しい想像力に恐れをなして頭を振る。


「どうしたの? ユナ。やっぱりおかしいよ。君」


 すでに相当怪しまれているようだった。

 ……やっぱり無理だ。


(私には、お色気女のフリなんて無理なのよ)


 エルフィスのご尊顔は、間近で見るほどに麗しい。

 でも、ユナの顔は?

 とても至近距離で耐えられるものではないのだ。


(あちらのユナは、きっと自分に自信があるんだろうな……)


 何しろ、大神官と庶民の壁を壊すと公言しているのだ。

 よほどの自信家だろう。

 居たたまれず顔を逸らすと、エルフィスがふわりと微苦笑したように感じた。


「喉、乾いたんじゃない。ユナ? 飲み物でも用意しようか?」

「はいっ! からっからです!」


 急に投げて寄越した思ってもいない申し出に、ユナは何度も首肯した。


(まだ大丈夫なの。見破られてない? 私やれそう?)


 答えは分からなかったが、ともかくその申し出は渡りに船だ。

 ユナは、エルフィスのそんな一言を待っていたのだ。

 別にもう一人のユナのように、イチャつきに来たわけではない。


(さあ、仕事を早くしてセルジ様に魔道具を渡さないと……) 


「随分と思い詰めた顔をしているね」

「いいえ。そんなこと。わ、私はエルフィス様と一緒にいられることをとても光栄に思っているんですよ。ははは」


 もう一人のユナを思い出しながら、ユナは気の利いた台詞を懸命に捻りだした……つもりだった。

 しかし、エルフィスはきょとんとした顔をしている。

 この程度では、駄目ということなのか?

 お色気ユナは、普段、彼に何て言っていたのだろうか?

 ユナは訝しげなエルフィスの視線から逃れるために、言葉を重ねた。


「そう。私は……こんな私ですけど、エルフィス様のことがとても……ですね」


(あれ?)


 ……が、その先は何だろう。


 ――嬉しく思います?

 ――とても、有難く思います?

 ――貴方が好きです?


「ああああっ」


 もはや、人格が崩壊しそうだ。


「ユナ。君絶対変だよ」 


 エルフィスは見事に断言すると、ユナの髪を優しく撫でて微笑みかけた。

 まるで、恋人同士のようだ。

 ユナが赤面している間に、エルフィスは体を起こした。

 そのまま椅子の位置から右手奥に消えて行く。

 部屋の奥に台所が完備されているようだった。

 ……だとしたら。

 エルフィス自ら、ユナのために、飲み物の準備をしてくれるということか?


(……これって、とても凄いことなんだろうな)


 こんなふうに、どんな女の子も味わったことのない優越感を、もう一人のユナは毎日体験していたのだろう。

 ユナの心がざわつく。

 違うのだと大声で否定したいほど、悔しい気持ちが沸き上がってきた。  

 自分と同じ顔の彼女を、エルフィスは選んだということなのではないか?


「……違う」


 もう、そんなことどうだって良いのだ。


 ユナは小さく頭を振ってから、静かに立ち上がった。

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