続編 12
下っ端の神官服は、簡素な水色の貫頭衣だ。
エルフィスは、もう一人のユナにそれを着せ、頭からすっぽりと揃いの色のヴェールを被らせているらしい。
「用意しやすい服で良かったな。ユナ。こうして見ると、お前にも色気が…………」
硬直してしまったセルジに、ユナは満面の笑顔でさらりと告げた。
「無理しなくていいですよ」
こんな衣装で、色気云々の話が出てくるのがおかしいような気がする。
目元しか表に出ていないではないか……。
まるで、子供の頃に読んだ童話に出てきた化け物のようだ。
「おかしいな……。もう一人の方はなんかこう……さ」
「だから、セルジ様。身振りで胸の膨らみを強調しなくていいですから」
やっぱり変だ。
エルフィスの……、ひいてはセルジのためを思って奮闘しているはずなのに、どうしてか個人的攻撃を食らっているような気分がする。
胸なんてただの脂肪の塊で、重くないだけ身軽だから良いのではないかと思っていたのユナだが、今はどうしてか非常に虚しかった。
それに、もう一人のユナを演じるために、ユナは渋々セルジの用意した彼女と同じ格好をしているわけだが、こんな衣装であると分かっていたら、背格好だけ一緒の誰かに託して知らんふりも出来たのではなかろうか?
大いにそんな気がしてならない。
「まあ、ユナ。ともかく……だ」
現在、セルジとユナは、エルフィスの会議が終わるのを隣室で待っている状態だ。ここで逃げられても困ると思ったのか、やけに優しい声音でセルジが言った。
「カナはちゃんと神官共に預けたし、あとはアイツの部屋に行って魔道具を壊せば良いだけの話だろ」
(そうは言われても……)
ユナは悄然と肩を落とした。
「……私に壊せるんでしょうか。棺って大きいんですよね。そんなものを破壊するなんて。結構、力仕事じゃないですか。私にそんな体力ないんですけど?」
「だけど、ほら。お前にはあれだけ部屋を致命的に汚くする能力があるじゃないか?」
「あれだけ致命的に汚くなったのは、私に体力がないからです」
「まあ、それもそうだな」
あっさり認められて、ユナは唇をかみしめるくらいしかできなかった。
先程の慌てた様子から、すっかり立ち直ったセルジは、ふてぶてしいほどに落ち着いている。
「まあ、最悪、…………ユナ。棺らしきもんを見たら、担いで逃げろ」
それって、更に力仕事になったんじゃないのか?
更に脚力も要求されて、四面楚歌だ。
「はあ……」
小さく溜息をつくと、顔を覆っているヴェールが前に落ちて来て、目まで見えなくなりそうだった。
(一体、何してんだろ。私……)
自問自答せずにはいられない自分も嫌だった。
こういう時、恋する女の子なら、相手の無事だけを懸命に考え、突っ走るのだろう。きっと。
ユナのように自分の保身や体面なんか考えたりしない。
だから、多分ユナの気持ちは、「恋」なんかじゃないのだ。
「仕方ないだろ。ユナ。俺だって、お前にこんなことを頼みたくないんだぜ。でも、俺がアイツの部屋に入れない以上、エルフィスを唆すことが出来るのはお前しかいないんだ。もう一人のユナは責任持って俺がどうにかする。お前はその色気のない体で何とかエルフィスの気をひいて、隙をついて魔道具をどうにかしろ」
「………………色気のない私が、どうやってあのエロフィスの気をひくんですか?」
「とりあえず、エルフィスが接近してきたら、重心をエルフィス側に傾けて倒れかかってみろ」
ユナの豊満な贅肉の力でエルフィスを押し倒し、気絶させろとでも言うのか?
そんな無茶な。
「普通は逃げますよね?」
「普通はな」
ああ。
…………そうだった。
エルフィスは普通ではなかった。
「しっ! 来たぞ。ユナ」
セルジが会議が終了してざわついた廊下の景色を、扉の隙間から垣間見ている。
「エルフィス様は、まだのようですね?」
ユナもセルジの後に習って、幅広の廊下に目を凝らしてみたが、彼の姿はなかった。
「アイツは神官のジジイ共に囲まれたくないんだ。特に今日は問題のお前がいることだし、一番最後に出てくるつもりなんだろうな」
セルジが小声で囁いていると、その神官のジジイ達は早々に散らばっていき、セルジの言う通り、エルフィスが姿を現した。
彼は、純白のケープを豪奢な祭服の上に羽織っていた。
大神官にだけ許された中央に宝玉を頂いた帽子は、目をみはるほど荘厳である。
重要な会議という話だったから、正装して臨んだのかもしれない。
彫刻のように整った顔と、さらさらの紫銀の髪は、男女の性を越えた神の領域にあるようで、畏怖さえ感じる。
――だが、ユナにはすぐに分かった。
明らかに、いつものエルフィスではなかった。
セルジの言う通りだった。
いつも、溌剌としている彼の足取りは重く、少しもたついている。
遠目からでも、目の下の隈は、ありありとしていて、美容のために早寝早起きを心掛けていると公言しているエルフィスにしては、あり得ない姿だった。
「命が危ない」というのは、セルジの誇張表現でもないかもしれない。
「おい、ユナ」
真剣にエルフィスに目を奪われていたユナは、セルジに小突かれて我に返った。
エルフィスから少し距離を開けて、ユナと同じ格好をした人間がゆったりと続く。
体をすっぽり覆う神官服のせいで判然としないが、やはりこれもセルジの言う通り、色っぽい女性のようだった。
豊満な胸と滑らかな腰の括れ……が分かる。
「ア……アレが私?」
本当に?
セルジの勘違いではないのか……。
何もかもが違うではないか。
特に歩く時の仕草。
(むやみに腰を振るなっ!)
歩く「色気放射機」のようだった。マリベルやヘラどころではない。
あんな禍々しいメスが生息しているとは……。
あの貫頭衣の中身が自分かと思うと、ユナは全身がむず痒くて仕方なかった。
「ほほぅ。こりゃ、儲けたな。エルフィスと丁度、少し離れた」
しかし、絶望的な気持ちのユナとは対照的にやにやしながら、ひとりごちたセルジは、まさしく電光石火。
一瞬の間に扉から音を立てずに飛び出し、もう一人のユナらしき女性を後ろから抱え込み、そのまま待機していた部屋の中に拉致してしまった。
「ううううっ」
「静かにしろ」
セルジは暴れる女を軽々と抱え込んでいる。
この男が神殿にいること自体が不思議なほどの荒々しさだった。
傍目からしたら、屈強な男がか弱い女を力でねじ伏せているようにしか見えない。
セルジは女のヴェールをはぎ取ると、見せつけるように、その顔をユナの前に出した。
「―――あ」
驚いたのは、ユナだけだった。
頭からすっぽりヴェールをかぶっているユナの容姿を、彼女は確認できないからだ。
――それにしたって、やはり、ユナだった。
自分の顔を、見間違えるはずがない。
(こんなことって、あるの?)
――どうしてだろう。
彼女に会うまで、何の感情も抱いていなかったのに、今、ユナは、自分でも呆れるほど苛々していた。
その女は、つんと澄まして、腕組みまでしている。
何で、偉そうなのか?
それとも、コレが常のユナなのか……。
自分はいつもこんな感じなのか?
(この……)
並みなのか、平凡なのか分からないような中途半端な顔立ち。
生意気そうで、でも一見か弱いんですと言いたげな、風貌。
「悪夢だわ」
「な? 嘘じゃないだろ?」
「確かに、私に似ていますけど」
「いや。似ているというより、顔だけならそのものだろう?」
じゃあ、やはり傍目から見たら、ユナはこんな小生意気な顔をしているというわけか。
衝撃的で眠れそうにない。
セルジは力任せに女を引きずって、ユナの隣に並ばせて、見比べた。
「うーん。やはり体か? 体はエルフィスの妄想なのか?」
「セルジ様。何、言ってるんですか?」
「放して! 私はエルフィス様のところに行かなくちゃいけないの!」
「はあっ!?」
あまりの猫撫で声に、ユナは全身の毛を粟立てた。
「好きな人と一緒にいるのが、そんなにいけないことなの。神官と庶民。そんな壁、私なら越えてみせるのに」
そうして。
唐突にしくしくと泣き始めた。
「…………あのね」
(誰も聞いてないよ。そんなこと)
変人の底辺まで上り詰めてしまったこちらの自分は、現実に戻って来ることはできないのだろうか?
セルジがおもいっきり腕に力を入れて、彼女の首を抱え込んでいる。
「いやっ」
「気持ち悪い声で泣くな」
心底、気色が悪かったのだろう。セルジの力加減が利かなくなりそうな勢いだった。
もう一人のユナは、顔を真っ赤にして窒息しかかっている。
「セルジ様……」
いっそのこと、その憎しみの勢いでエルフィスの部屋に乱入して魔道具も破壊してしまったらどうだろう?
しかし、セルジは呆けていたユナを足蹴りした。
「ほら。早く行け。これからがお前の出番だろ」
「本当に行くんですか?」
「俺だって、出来ることなら突撃して一発殴ってやりたいさ。でも、アイツは俺じゃ聞く耳持たないんだから仕方ないだろ!?」
「厄介な……」
ワガママ坊ちゃんめ。
(行きたくないな……)
エルフィスと部屋で対面したら、すぐに入れ替わったことがばれてしまうだろう。
「いやっ」なんて、エルフィスの前で、甘え声を上げるくらいなら、多分死んだ方がマシだ。
(もしも、会ったら……)
「君の代わりは用意できたから、君にはもう用がない。これからは山で野宿してね」
――とか笑顔で言い渡されるのだろうか?
だけど、そんな後ろ向きなことばかり考えても仕方ないのだ。
何にしても、エルフィスを救うためだ。
今まで貰った恩と、感情的なことは別ではないか?
(殺さない程度に、上手に倒れて気絶させて、さっさと、ここを出て行くのよ。エルフィス様に出て行けって言われる前に動いてやるわ!)
そして、ユナは、後ろ向きなやる気に心を燃やしていたのだった。