第2章 Ⅰ
評議室は狭い部屋だ。
しかし、機密性があるので、エルフィスはあえて使用する機会が多かった。
(一体、あの態度は何だろうか?)
疑り深い彼女のことだ。
エルフィスが本物の王子であるかどうか、判断が出来なったのかもしれない。
「どうせなら、特大会議室でも押さえておけば良かったか?」
独り言を呟くと、背後に人の気配を感じた。
「別にお前のこと、疑っているわけではないらしいぜ」
セルジの声だった。
振り返ると、夕日を浴びたセルジの髪色は薄茶から赤色になっていた。
本来なら、セルジは神官補佐であり、エルフィスと同じひらひらした神官服を纏わなければならない。
だが、武人として鍛え上げている体に、神官服は似合わないと、エルフィスは特例として、軍服の着用を許可していた。
おそらく、セルジは評議室と繋がっている隣の部屋から入ったのだろうが、後ろに立たれると、微妙な圧迫感がある。
「どういうこと?」
不機嫌に眉を顰めるエルフィスに、セルジは、銀色の腕輪を袖口から取り出し、その耳元にあてた。
『ああ、お腹へって死ぬかと思った!』
少女の豪快な声が途端に飛び込んできた。
エルフィスはがっくりと肩を落とした。
「…………そう。お腹がすいてた……の。――って。もう家に到着したんだ?」
「辻馬車をつかまえて、とっとと帰ったらしい」
「そのお金は、一体どうしているんだろうね?」
「親が遺したもんを、使ってるんだろうな」
「そうか。あの子、両親がいなんいだっけ……」
エルフィスは耳に手を当てて、銀色の腕輪をセルジに返した。
「……まったく。一体、何だと思ったよ。普通この僕が直々に採用してあげたんだ。庶民の彼女は大喜びで僕にひれ伏すものだろ? それを慌てて僕を放置して帰ったんだよ」
「出来れば、置き去りにされた時のお前の顔をその場で見てみたかったものだな」
「ふん。今まで彼女がどの仕事先からも、採用されなかった理由が分かるような気がするよ」
「しかし、彼女も、偉大なる第二王子に、腹の音を聞かせるわけにはいかなかったんだろう。ひたむきな思いをくんでやれ」
「セルジ、お前、楽しんでいるね?」
エルフィスは両腕をグッと伸ばして、欠伸をする。
セルジは「分かるか?」と大口を開けて笑った。
「何はともあれ、お前が自ら面接するとは思わなかったんだ。それで雇っちまうとは……」
「その腕輪の人間とは、とても同一人物に思えなかったんだ。彼女、普通そうに見えたんでね。ちょっと、興味を持っただけさ」
「……だからって、俺の名前を名乗る必要はなかっただろ?」
「彼女、占いの他に呪いの本とか持っているみたいじゃないか? 下手に恨まれたりしたら怖いだろう?」
「つまり、俺なら、呪われても良いっていうことなんだよな。それは?」
「良いじゃないか。今のところ感謝こそされて、恨まれるようなことはしていない」
そう……。
何だかんだ言いながら、セルジもエルフィスもユナを待っていた。
色々と、彼女に対しては私的なことを、二人は知ってしまった。
犯罪的だと、極力聞かないようにはしているものの、腕輪から聞こえてくる声を無視することはなかなか出来ないものだ。
――嫌だ。とは言っていたし、思ってもいた。
けれども、例の声の少女がどんな人間なのか、一目見てみたいというのが二人の本音だった。
「まあ、いっか。女大好きなお前の守備範囲に憐れなユナという少女が入ってしまったということで……」
「馬鹿な」
エルフィスは、語気を強めた。
「悪いけど僕は正常だよ。ちょっと、思い描いていた危ない少女と違っていただけだよ。……ちゃんと、服も着ていたし」
「お前、どんな人間を想像していたんだ。お前の大好きな女の子だろう。見目も、そう悪くは無かったじゃないか」
呆れながら、セルジはエルフィスの向かい側に座る。
先ほどまで、ユナが座っていた席だった。
エルフィスはそっぽを向いた。
どうも、セルジはエルフィスをただの女たらしのように思っているらしい。
「とにかく、いくら見た目が良くったって、彼女はごみ部屋に生息しているんだ。性格だって、自尊心が強く、我儘だ。しかも、それを、自分でも分かっていて、表向きには良い顔をするところも恐ろしい。おまけに、妹を病的なまでに溺愛している変態なんだよ」
「お前、よくそこまで徹底的に分析しているな。腕輪から聞こえる声ったって、大きい日もあれば、小さい日もあるだろう。あの、こんなこと言うのもなんだけど、お前さあ、毎日しっかり盗み聞きしているって自覚ある? その行為自体がお前自身、変態だってことも」
「き、聞こえてきちゃうんだから、仕方ないじゃないか」
(でも……)
エルフィスは自分でも、悪いことをしているという認識は持っているのだ。
「いや、だからね。お前がそういうことを言うから、僕もムキになっちゃうんだ。良いかい?彼女を雇ったことに、やましい意図はないんだよ。とりあえず、僕だって罪悪感は持っているんだ。不可抗力とはいえ、僕らは彼女の生活を盗み聞きしているようなものなんだ。だから、彼女を雇った。少しでも賠償金を払いたいという誠意のもとにね。もっとも、少しの間の予定だけど……。占術師なんて、抱えている神官だけで十分でしょう」
「短期だなんて聞いたら、あの子、失神するかもしれないぞ」
「再就職の斡旋くらいはしてあげればいい。まだ若いんだ。豚に興味もないのに、養豚場に行く必要はないだろう」
「……まあ、それは良いとして……」
セルジは、いきなり声を潜めた。
「…………エルフィス、腕輪は、どうするんだ?」
「ユナはやっぱり持ってこなかったね。お前の手落ちだ」
「分かっているよ」
セルジは、二人の間に設けられている硝子の机上に腕輪を置いた。
「仕方ない。いっそ、取りに行くか? 汚いって触れ込みだから、あの子の家には行きたくなかったし、住所も推測で、いまいち分からなかったから、遠回しに手紙でこちらに招いたけれど。経歴書には地図つきで住所も書いてあるし、明日から彼女はここにいるだろ? お前の護衛を大量につけて、俺がちょっとの間行ってくれば」
「どうやら、今日ユナを見たことで、少し安心したみたいだね。でも、もうしばらく様子を見たほうが良い。彼女のことだ。本人が書いた地図っていうのも怪しいよ」
「はぐらかすなよ。エルフィス」
ぴしゃりと指摘されて、エルフィスは眠気に細めていた瞳をぱっちりと開けた。
「どうしたの? 一体」
「お前……、本当はこのままで良いとか思っていないか? このまま、腕輪のことも含めて、何もかも曖昧にしてしまおうって思ってないか?」
「まさか」
そう否定はするものの、心の片隅でそんなふうに思っている自分がいることも、エルフィスは自覚していた。
確かに、エルフィスは事の真相を暴きたくもないし、動きたくもないのが本心だった。