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無職占者と迷惑神官  作者: 森戸玲有
大神官の湯殿にて
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続編 8

 ――脈はあると思う。


 ユナは、エルフィスを絶対に意識している……と思う。


 いや……。

 思いたい……の方かもしれないが、それでも、エルフィスは勘違いではないと、己に言い聞かせていた。

 先程だって、あのまま強引にユナを自分のものにすることは、可能だったはずだ。


 後始末なんて、どうとでもなる。

 少なくとも、エルフィスがユナに手を出したところで、何の不都合はない。

 だけど、まだ駄目なのだ。

 ユナは男に慣れていないし、自分の感情に鈍いのだ。

 思いのまま、性急に事を進めて、怖がらせたくなかった。

 それに、エルフィスの行動一つで、彼女の立場が危なくなるのは確かだった。


 ――理性は必要だ。

 ユナを大切にしたいのであれば……。


 だから、先程はあれで良かったのだと言い聞かせている。

 でも、分からない。

 自分は、ユナをどこまで想っているのだろう?

 何もかも、すべてを吹っ飛ばして欲望のままに動いたらどうなるのか?

 たまに、そうなっても良いのではないかと思うこともある。

 特に、風呂場でユナの透けた裸体を見てしまった日には……。


(あんな無防備な姿を見せつけられて、耐え凌ぐ僕ってどうなんだろうね?)


 ――一体、あの服を用意した神官は誰なのだろうか?

 よくも、あのような古式ゆかしい神官の沐浴衣装を用意してくれたものだ。


(是非、褒美をくれてやらないと……)


「よしっ」


 湯殿から出て、悶々としながら、廊下を歩いていたエルフィスは、ユナの部屋の前で立ち止まった。

 こんな機会は、なかなかお目にかかれないのだ。

 セルジは夜回りに出ている頃だろうし、動揺したユナが湯冷めをしていないかどうかが気になる。

 悪いとも何とも思っていないが、先程の謝罪にかこつけてユナに会っておいた方が身を持てあましている自分のためだろう。

 しかし、なかなか、あと一歩が踏み出せなかった。

 ユナの部屋の前で、二、三回ぐるぐる回ってみる。

 白い大きな扉がエルフィスの無闇な行動の目隠しとなってくれていたが、もしもこの扉をノックした途端、ユナに鍵を閉められたら、かなり落ち込むかもしれない。


 ……ユナなら、やりかねない行為だ。


 エルフィスにとっては、あの程度のことでも、彼女にとっては、あんなことをしてくれたと、思い悩んでいる可能性がある。


(緊張するなあ……)


 エルフィスが大神官となってから、自分が起居している内殿の奥の部屋には、すべて扉と鍵をつけさせた。これだけは譲れないと指示したことだったが、今となっては結果的に良かったのだろうか?


  (まあ、ここでウジウジしていても仕方ない)


 ――一息。

 呼吸を整えて、エルフィスはノックするべく腕を伸ばす。

 しかし、エルフィスが行動を起こす前に扉が自動的に開いた。


「ユナ!」


 ――まさか君から扉を開けてくれるとは。

 ――これは、まさに以心伝心だね……。


 などと歯の浮いた台詞を告げようとしたエルフィスは、次の瞬間、石のように硬直した。


「…………ヘラ」


 ユナ用に作っていた笑顔が凍りついていく……。


「あら。浮かない顔ですね。エルフィス様」

「どうしてここに?」


 何となく、訊いてはみたが実際はどうだって良かった。

 どうせ、ユナに嫌味ったらしく教書を届けに来たのだろう。

 いや、違っていたところで、だから何だということではない。

 問題は、ユナの部屋にヘラがいたことではなかった。

 ユナが出て来なかったことが、エルフィスにとっては大問題なのだ。


「陛下からの贈り物は、受け取ってもらえましたか?」

「ああ、あれね。まあ、あとでじっくりやるよ」


 言いながら、彼女の肩越しに部屋の内部を見ようとするが、それを知ってか知らずかヘラは見事に態勢をずらして、エルフィスの視線を遮った。


「君も嫌がらせに関しては、素晴らしい腕をしているね?」

「エルフィス様ほどでは、ありませんよ」

「ユナはどうしたの?」

「それはもう当然……」

「勉強? だけど、部屋にいるなら、勉強の合間に、ちょっと顔出すくらいは出来るじゃないか?」


 エルフィスは目前にいるヘラにではなく、室内にいるだろうユナに向けて言い放った。


「ふふふ」


 しかし、傍らでヘラが不気味に笑っていることが癇に障る。


「先程はユナさんが濡れて戻ってきて、私ものすごく驚きましたわ」

「あれは……」

「エルフィス様のせいではない。でも、首筋におかしな赤い跡のようなものが……。あれは一体?」


 がたっと、内部で物音がしたのがエルフィスにも分かった。

 ユナが動揺しているようだった。

 一応、ヘラとエルフィスの会話に聞き耳を立ててはいるようだった。


「はったりなら、やめてくれる? 君の妄想に沿えなくて残念だけど、僕は何もしてないよ」

「エルフィス様は、ユナさんのことが好きなんですか?」

「その質問が最近多くてね。どう答えたらいいものか」


 いっそ、大声で愛の告白でもしたら、慌ててユナが飛び出してきてくれるだろうか?

 しかし、ここで告白したところで、彼女は恥ずかしがるだけで、エルフィスは嫌われるだけだろう。

 まったく意味もないし、出し惜しみすべきところは惜しんでおきたい。


「少なくとも、あそこまで豪快に頭から温泉の中に飛び込んだ女の子は見たことないな。多分、僕は一生そんな子とは出会えないと思う」

「頑なですね」

「君に言われたくないな。君も方向性の間違った嫉妬をしていると、痛い目に遭うよ」


 釘をさしてやると、ヘラは黙り込んだ。

 エルフィスが気づいていないと思っているのだろうか?

 少し見ていれば、彼女が兄のレンフィスに好意を抱いていることなどすぐに分かる。

 つい最近までヘラとレンフィスが顔見知りであることすら、知らされていなかったエルフィスだが、一度、二人でいるところを見てすぐに分かった。

 そして、上手くいかない恋路の八つ当たりで、エルフィスに突っかかってくることもお見通しなのだ。


「……彼女は勉強をしなければなりません。この国のために」

「そんなことは、百も承知しているよ」

「ユナさーん。この御方をどうしますか?」


 ヘラが部屋の奥に向かって、叫んだ。


(あれ?)


 エルフィスは、拳を握った。


(何か、おかしくないか? これ……)


 どうして、エルフィスの自宅でもある神殿で、このようなお伺いが立てられなければならないのか?

 いつもなら立場が逆の筈だった。

 エルフィスが焦らすのが、当然だったのだ。


(……これは僕に対する試練という奴なのか?)


 扉の端に全体重をかけて寄りかかっているヘラを押し退けて、室内にずんずん入っていきたい衝動にかられた。

 ユナの自宅が嵐で流されていなければ、それも可能だったことだろう。

 かえって、エルフィスは彼女に対する敷居を高くしてしまったのだろうか?

 しばらくしてから、視線で回答をもらったのだろうヘラがエルフィスに憐みの眼差しを向けた。


「残念でしたわね。エルフィス様。もう少し、言葉を選ぶべきだったようです」

「はっ?」

「温泉に頭から飛び込む不思議な女の子だから会いたいなんて、ユナさんも傷つきますよ」

「それは……」


 ――お前のせいだと、突っ込みたかった。

 直接ユナと会ってさえいれば、気の利いた台詞の一つくらい、エルフィスであれば捻りだせたはずなのだ。


「……分かったよ。今日はもう遅いし。ユナには勉強は程ほどにして休むように伝えておいて。また来ると……」


 不機嫌をそのまま顔に出しながら、上っ面の挨拶だけ告げる。

 ヘラは満面の笑みで、エルフィスに手を振った。


「ええ。エルフィス様もお仕事の方、よろしくお願いしますね」

「言われるまでもないよ。明日にでも結果を出しておくから」


 言うや否や、エルフィスは背中を向けた。

 足音をどんどん立てて歩いてやりたかったが、大神官の矜持がそれを許さなかった。


(これって、僕、フラれたってことなのかなあ?)


 そんなはずはないだろう。

 ただユナは恥ずかしがっているだけだ。

 ヘラもいたから、尚更出て来にくい状況だったのだろう。


(それにしたってねえ)


 少しくらい、顔を見せてくれたって良いではないか? 

 エルフィスは、そんなにいけないことをしたのか?

 ただ少し、感情に素直になっただけだ。

 まだ何もしていない……はずだ。

 それでも、ユナが嫌だったのなら、謝るべきだろうが……。


(でも、ヘラを通して僕がユナに謝罪したら、益々いかがわしいことをしたと認めることになるじゃないか?)


 ――言葉の選択?

 確かに、間違ったかもしれない。

 風呂に飛び込んだ様は、面白かったけど、口説き文句には使えないかもしれない。


(分からないんだ……。もう)


 エルフィス自身、ユナの何処に惹かれているのかさっぱりなのだ。


 ――たとえば。

 可憐で素直で健気で、エルフィスのために自己犠牲も厭わないような、それこそ、愛人でも良いから、傍にいさせて欲しいと申し出て来てくれるような美しい才女が現れたら……?

 捜せば、きっといるのだろう。

 案外、近くにいるのかもしれない。

 少なくとも、ユナのような……。

 自尊心が高くて、ひねくれていて、だらしなくて、おっちょこちょいで、妹大好きで、エルフィスが一歩迫れば、百歩も遠ざかってしまうような女の子でなくとも良いはずだ。


(そりゃあ、ちょっとは見た目、可愛いけど……)


「はあ……」 


 疲れる。

 深い溜息を吐き捨てて、自室に戻った。

 半乾きの髪を、おもいっきり力を込めて拭きながら、応接用の椅子に腰をかけると、何だか室内までどんより暗い感じがしてきた。

 きっと、部屋の奥で場所を取っている木箱のせいだろう。

 これがあるだけで、白を基調としているエルフィスの部屋に重苦しい空気が満ちてくる。


(とっとと片づけるか……)


 重い腰を持ち上げて、エルフィスは木箱のもとに向かった。

 エルフィスがアルメルダ宮殿で命じられていた仕事は、魔道具の整理だった。

 先日の見識の腕輪のように、宮殿の宝物庫にも数多く魔道具が眠っている。

 その管理を、神殿でするように、国王はエルフィスに言い渡してきたのだ。

 魔道具に関しては、歴代の国王も深く関わっていることもあり、歴史上の問題もあるので、第二王子のエルフィス自ら宮殿に行くしかなかった。

 結局、嵐が来てユナが心配になったために、エルフィスはとっとと切り上げて帰ってきてしまったのだが……。

 だからきっと、この棺のような魔道具の存在を見落としていたのだろう。


(整理って言ったってなあ……)


 魔法の使えないエルフィスが出来ることなど限られている。

 古文書の名と道具が一致しているか確認し、年代ごとに神殿に振り分ける作業をする。その程度のことだった。

 棺の上に無造作に置かれた古代アルメルダ語に視線を落とし、エルフィスはとりあえず作業にとりかかることにした。

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