第1章 Ⅲ
首都キランの煌びやかさを、そのまま象徴するかの建物。
――国立神殿。
王宮は別にあるが、国王の住まう場所であり、国民には馴染みが薄い。
むしろ、国民に親しまれているのは、神殿の方だ。
神殿は、アルメルダ国創建以来、国教として信仰されているルビ教の主神・アルキスを祀っている。神官の居住空間だ。
だが、同時に国家中枢機関が集まっている巨大な施設でもある。
国立神殿は、軍事以外の国内のすべてを取り仕切っている。
他の地方にも、神殿は存在しているが、国立神殿とは明らかに一線を画している。
宗教と国家運営が一緒くたになっている場所……。
それが、国家神殿だった。
あまりにも巨大すぎる施設なので、実際仕事の応募をしたユナも、自分がどんな職種を希望しているのか、さっぱり理解していなかった。
確か事務職だったような気がするが。
しかし、一口に「事務職」といったところで、いろんな分野での仕事があるのだから、何処に配属されるのかなんて、分からない。
第一、まだ採用されたわけでもないのだ。
ごくりと、息をのんで、ユナは広大で、今まで白い屋根しか目にしたことのなかった神殿の門の前に立つ。
(大丈夫……)
ゆっくりと深呼吸をしてから、歩を進める。
都の近代的に高い建物とは違い、白亜の壁に三階建てほどの趣のある建物の群れが何棟も並んでいる。
中心の噴水を抜けて、真っ直ぐ行くと、神殿内部の案内図が掲示されていて、それに従って、ユナは、すぐ真ん前の建物の総合受付に出向いた。
艶やかな茶髪を、頭の上で一つに丸くまとめあげている女性がユナの姿を確認するなり、窓口から静かに頭を下げた。
いかにも頭の回転が早そうだ。
ユナが口を開く前に、素早く手元の書類に目を走らせ、うなずいた。
「ユナ=リンディスさんですね。補佐から承っています。ついて来て下さい」
補佐というのは、手紙にあったセルジという人物のことだろう。
いよいよ現実味が帯びてきた。
(こんな所、就職の面接でもない限り一生来られないわ……)
今、ユナは国家中枢機関に、来ているのだ。
近所の養豚場ではない。
受付から出てきた女性がにこやかに、応対する。
鳥肌が立つような気持ちで、ユナは女性の後ろを歩き始めた。
長い回廊。
所々にさりげなく置かれた神々を模った白亜の彫刻と、さりげなく置かれている美術品の数々。
土足で申し訳ない気持ちで赤絨毯を進むと、女性が突き当たりの部屋を指差した。
部屋は、ユナが叩く前に開いた。
……両開きの扉が、中から開いたのだ。
「ご苦労さま」
一瞬、受付の女性がハッとした表情をしたが、多分、いきなり扉が開いたことに驚いたのだろう。
扉から顔を出した紫銀の髪の男は、女性に気さくに手を振り、ユナを部屋の中に招き入れた。
「ようこそ」
若い男だった。
男だと、ユナが認識できたのは、セルジが男性の下穿きを穿いていたからで、もしも女性用の装いをしていたら、女性だと判断したに違いない。
白地に銀色の刺繍が施された髪の長さと同じくらいの外套を纏い、その下にも、ゆったりとした純白の神官服を身につけていた。
街中で、普通にこんな格好をしている人間がいたら、ユナも驚くだろうが、神官ならば別だ。
荘厳な空気と、穏やかな春の日差しのような物腰を合わせ持っている。
神に近いというのは、伊達ではないらしい。
今までユナはこんな面接官にも、こんな人間にも出会ったことがなかった。
(この人が、大神官補佐? まさか……)
おおよそ、一次面接というものは、人事の採用だけを担当している人間がやるものだ。
いきなり、セルジ本人が出て来るはずがない。
動揺しているユナの声が届いたのか、男は艶やかな紫銀色の長髪を撫でながら説明した。
「ああ、こんな若造ですまないね。僕がセルジ=アリシス。もっとも、補佐だなんて名誉職でね。要するに、王家にゆかりのある人間が就く仕事だから」
「……そう……なんですか」
やはり、セルジだったのだ。
(王族ゆかりなんだ……)
そう認識すると、益々、全身が硬直していくのが分かる。
「どうぞ」
セルジはおもむろに、ユナに長椅子を勧めた。
椅子には、刺繍の入っている布が敷かれていて、その上に座るのも憚りたいくらいだった。
しかし、とにかく座らなければ面接も始まらない。
ユナは、おそるおるふわふわの椅子に腰掛けた。
対面するように、セルジも向かい側の長椅子に腰掛ける。
高価な宝石がふんだんにはめ込まれている首飾りと、綺麗な青の耳飾りが音を立てて、揺れた。
座ってから、ユナが改めて部屋を見渡すと、紺と金を貴重にした部屋は眩しくて、ユナは何処を見て良いのか分からなくなった。
益々、肩身が狭い。
……そして。
沈黙が生まれた。
(な、何だろう?)
セルジはじっとユナを凝視している。
凛とした紫色の瞳が、瞬きもせずに自分を見つめていると思うと、なんだかむず痒い。
(別に、服装がおかしいっていうわけじゃないわよね?)
ユナの持っている服の中で、一番高価で上品な白の上着と、踝まである黒のスカートを選んだのだ。
ちゃんと、日陰干しもしておいたのだから、完璧なはずだ。
(じゃあ、一体何が?)
自分の観察が飽きたユナは、次にセルジの足元に視線を漂わせた。
長い足を優雅に組んで座る姿勢は、やはり庶民とは違う威厳を放っていた。
(そういえば、最近若い男の人見てなかったな……)
アカデミーを中退してから、就職活動ばかりしていて、若い男性と話す機会すら失っていた。
しかも、こんなに麗しい青年など、一生お目にかかれないかもしれない。
(いや、でも)
この青年は、ただものではない。
――王族に連なる人間なのだ。
ユナは、小さく首を振って、息を吐いた。
神アルキスの子孫として、国民に称えられている国王の身近に侍ることが出来る人間。
ときめくのも、何だか悪いことをしているようではないか。
(確かに、綺麗だけど、最近は男でも顔に手を加えている人もいるっていうし、顔にお金かけているだけかもしれないし……)
その発想の方がいけないのだと、気付かないユナは、セルジに対して、散々な想像をしながら、自分を取り戻した。
「あ……、あの」
気弱な声で訴えると、セルジは我にかえったのか、
「ああ、ごめん、ごめん」
笑い混じりに、言った。
「別に、何か意味があるっていうわけじゃないから。ちょっと考えごとをね。……うん」
「手紙には、何も書いてなかったのですけど、一応、経歴書を持ってきました」
「ああ、有難う」
セルジは、たいして経歴書を読むこともなく、机の上に置いた。
(これは、落とす気満々な感じかしらね)
ユナの経験によると、面接官が経歴書をロクに読んでいない場合は、まず、落ちると判断して間違いないのだ。
(だったら、早く落として頂戴。お腹もへってきたし……)
「それで、ユナさん。僕が手紙に記した腕輪のことなんですけど? もしかして、いや、もしかしなくても、ちゃんと読んでないですよね?」
セルジの半ば確信めいた質問に、ユナは小首を傾げた。
「手紙、読みました。でも、私の家に腕輪はなかったので……、何かの間違いかと思いまして」
「……いや。あるはずなんだけどね」
(何だろう? この人)
志望動機や、自分の売り込み文句を長々と考えてきたユナにとっては、拍子抜けしてしまう展開だった。
(腕輪……?)
「一体、それがどうしたのですか?」
「いや……。その」
セルジは、頭を抱えて首を横に振った。
「別に良いんだ。ないというのなら、それで」
「はい?」
ユナは怪訝だったが、段々げんなりとしてきた。
結局のところ、この男の興味は意味の分からない腕輪であって、ユナではないらしい。
つまり、就職への道は閉ざされたということだ。
(家帰って、何か食べよう)
外面は、真剣な顔つきで、セルジのことを眺めているユナだったが、内心では、そんなことを考えていた。
セルジは一人で勝手に考えをまとめたかと思ったら、ようやく口を開いた。
「今日は、遠い所ご苦労だったね」
――ああ、それは。
(内定の決まらなかった時に出る「帰れ」を丁寧に長くした文句ですね)
まあ、そんなところだろう。
大体、国家機関などの公務員は、内部で縁故によって職員が決まっているのが常識だ。
体裁が悪いために、一般からの募集も受け付けているのだから、ユナのような人間を、雇うつもりなど最初からないのだ。
「……いえ。私、人生で一度国立神殿のような場所に入ることが出来て幸せでした」
言いながら、ユナは腰を浮かせる。
そんなことには、慣れている。
面接時間が一言だったこともあるくらいだ。
今回の面接は、わざわざ高位にいる青年が出て来てくれたのだから、マシだったともいえる。
(さあ、帰ろう)
……だが、せっかく意識を切り替えたユナを引き戻す声があった。
「そんなこと、どうせ思ってもいないんでしょ? 君は……」
ぶっきらぼうな一言。
最初、幻聴だと思ったが、違う。
確かに、セルジである。
「はっ?」
そらしていた視線をセルジに戻すと、その整った顔立ちには、薄っすらと笑みが浮かんでいた。
「ねえ、ユナさん。何故、そこで「幸せでした」になってしまうのかな? そんなこと聞かされたら、面接官もああ、この子は落ちるつもりなんだって思ってしまうじゃないか」
いきなり、何だろう?
……でも、そうかもしれない。
いや、今までずっとそうだった。
ユナは、自分自身の価値を決め付けてかかっている。
それはもう、一種の癖のようになっている。
そして、後悔するのだ。必ず……。
ユナだって、分かっている。
……しかし。
(そんなことは、あんたに言われるまでもないことだわ)
ユナは心中で毒づいた。
お腹がへっているので、少々、殺気立っていた。
どうせ、もったいぶったところで、この男が自分を雇うつもりではないことくらい、ユナとて見抜いている。
国家神殿と、自分とではあまりに不釣合いではないか?
「……し、承知しました。以後気をつけます」
「以後じゃ、駄目でしょ?」
ユナは苛立っていた。
(うるさいな。この兄ちゃん。お前は私の母親か?)
この先の人生、この男とユナが関わることなどないのだ。
ならば、どう生きようがユナの勝手である。
「……はい。では今から改めるということで……」
穏やかに首肯してみたが、少し険があったことは否めない。
だが、セルジは気にもとめず、まったく別の話題を振ってきた。
「……で、ユナさん。貴方の趣味は何でしたっけ?」
「えっ? 私の趣味ですか?」
「貴方以外に、誰がいるのです?」
いちいち、勘に触るものの言い方だが、仕方ない。
ユナは、作り笑いを懸命に維持しながら、答えた。
「音楽鑑賞でしょうか……」
無難なところを攻めたつもりだった。
前回、正直に「占い」と答えてしまってから、ユナはひどく悔やんでいたのだ。
特に、セルジという男は、おかしな回答をしようものなら、執拗に責めてくる予感がするので、素早く言い逃れるための偽りだった。
「音楽鑑賞……ね。へえ」
セルジは、意味ありげに相槌を打つと、瞳を細めた。
「鑑賞する……金もないのに?」
「えっ?」
「いえいえ」
「あの、セルジ様。質問の趣旨がよく分からくて。私が……、頭が悪いばっかりに申し訳ないのですが」
「無理に卑下する必要はないのですよ。ユナさん」
「はあ?」
(いや、別に)
今の言葉は本当だ。
ユナは自尊心が強いものの、決して自分の頭が良いだなんて、思ったことはない。
やはり、セルジの言葉の意味は分からなかった。
「僕がお聞きしているのは、貴方が仕事にしても良いと思っていたほどの趣味です」
「そんな趣味。私にはありません」
ユナは言下に否定した。
しかし、セルジは苦笑交じりに続ける。
「ここは神殿なんで、当然神託を下す者がいるんですよ。神官と巫女、占術師など様々おりましてね。事務や受付の仕事は打ち切ってしまったのですが、この特殊な仕事ばかりは、特別な人にしかお任せできない」
「特別な?」
「貴方に、そういう力があれば良いのですが?」
「………………少し」
「えっ?」
「少しだけ、占いをします。でも、独学だし、妹相手に占うのが精々なんですが」
控えめに、しかし少しだけ熱っぽく、ユナは語った。
特に、自分を売り込もうなどとは、考えてもいなかった。
いや、元々ユナは考えなしなのだ。
ただ、今まで誰も相手にしてくれなかった趣味について触れてくれたのが、嬉しかっただけだった。
「タローカードくらいしか出来なくて、六十日間先のことまでしか分からないのですが、でも、一週間に一度くらいは、占います」
タローカードとは、七十八枚からなる札で、決まった法則に従い、混ぜた札を、作法通りの配置に並べていくことで、未来を読み解くといわれている太古から伝わる占術方法だ。
ユナは、このタローカードによる占術方法しか知らないのだが、子供の頃から趣味で占ってきたので、それなりに扱う自信はあった。
もっとも、辻占いと称して街角で占っていたら、若い娘に人生の何が分かると殴られそうになったので、ユナは逃げ帰ってきてしまったのだが……。
「では、当然、自分の仕事に関しての占いもするのではないですか?」
「少ししましたけれど、いつも良くない結果なので、もう占わないことにしたんです」
「そう……か。占える場所は、一応、あの部屋にも確保できているというわけか」
「はっ?」
ちらりとうかがうと、セルジは華やかな容貌に、楽しそうな微笑を浮かべて、ユナを見据えていた。
「えーっと?」
怪訝に眉を顰めたユナに、セルジは長椅子にふんぞり返って、言い放った。
「そうか。……じゃあ。いいや。君。占いでもやればいいんじゃない?」
「はいっ……?」
それは……。
今までセルジが喋っていた丁寧なアルメルダ語ではなかった。
(何で、急に投げやりな口調になるわけ?)
ユナは、あまりのセルジの豹変ぶりに、呆然とした。
だからこそ、とうとう、自分でもよく分からない質問をしてしまう。
「…………それは、その…………。何処で?」
口にしてから、しまったと思ったが、当然のようにセルジが答えた。
「ここだよ。神殿以外に何処があるの?」
「はあ……」
堅苦しい敬語を取っ払ってしまったせいか、セルジは意外なほど子供っぽく見えた。
(いや、そうじゃなくて……)
「確か……、職選場の方では、事務職の募集だったと思ったのですが?」
「君もつくづく、余計なことを聞いてしまう性分だね」
セルジは、欠伸を噛み殺しながら、ぞんざいに言った。
「実は、事務職は締め切ってしまったんだよ。元々、アカデミーを出ていない君は、原則的に事務職に就くことは出来ない」
「……そう……なのですか」
「驚いた?」
「ああ、いえ……。そういうことは良くありましたから……」
「でもね。原則なんてものは権力で、ねじ伏せることは出来るんだよ」
「ああ、縁故ですよね。よくありましたね。役所はあればかりで、本当に何度も何度も、私は無駄足ばかり……」
……と、そこまで愚痴ってから、ユナは激しく首を横に振った。
「す、すいません」
「謝る必要はないよ。その通りなんだから。僕は腐敗を知っているけれど、なかなかそれを正すことは出来ない。お金がある人が仕事を買う。そんな時代だからね。でも……、ならば、君もあやかれば良いだけの話じゃないか。ねえ、ユナ?」
いきなり、名前を呼び捨てにされて、ユナは心臓がどくんと、跳ねるのを感じた。
……セルジは、王族に連なるお偉い人間だ。
庶民の名前を呼び捨てにすることに、他意などないのだろう。
「占いをするのが君の仕事だ。明日からよろしく」
「…………明日?」
「そう。今、僕が決めた」
「セ、セルジ様?」
「僕はセルジではないよ。ユナ」
「はっ?」
「僕の名前は、エルフィス=ディ=ルヴィレール」
「エルフィス……?」
何処かで聞いた名前だ。
しかし、ユナの頭の中は、いろんな情報が錯綜していて、それを上手に吟味している暇はなかった。
「聞いたことがない……わけはないと思うけれど、意外に僕も地味な存在のようだからね」
エルフィスは、悪戯が成功したやんちゃ坊主のように、口角を上げた。
「アルメルダ神国の第二王子。僕はこの国立神殿の大神官をやっている」
「セルジ様は?」
「彼は僕の補佐だ。つまり、ここで一番偉いのは、僕」
「………………嘘?」
夢でも、ユナはそんな夢は見ない。
「残念ながら、嘘ではないんだよ。出来れば、君には嘘のまま、セルジで通したかったけれど、まあ、面倒だし、いいや」
「いいやって……」
「明日、今日と同じ時間にこの部屋に来て。持ち物は、占い道具だけでいい」
「……はっ。……はあ」
ユナは深く頷いてから、目を擦った。
エルフィスは、相変わらずユナの目の前で、優雅に足を組んで座っている。
祭礼の時に、遠目に拝むことが出来たら、幸福だとみんなが言っている国王。
その息子。
この国で、三番目に偉い人間。
現実味が帯びてくる。
採用して欲しいとは思っていたが、心の何処かでは、どうせまた落ちるんだろうと、暢気に構えていた。
(…………本当に?)
「よ、……よろしくお願いします」
ユナは虚ろな目のままに、席から立って、頭を下げた。
「えっと…………。し、失礼しました」
「はっ?」
そして、ふらふらと、扉の前に行って、もう一度深々と頭を下げると、きょとんとしているエルフィスを置いて、扉を閉めた。
(お腹減った……)
前にずんずん進んで行くと、体がよろめけて、目眩がした。