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無職占者と迷惑神官  作者: 森戸玲有
第7章 雇用者の覚悟
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第7章 Ⅳ

「……見違えるようだよ」


 エルフィスは、ユナの逸る気持ちなど、知ったことではないかのように絶賛した。

 いい加減にして欲しい。


 ユナは、つんと前を向いているが、自分に向かっている真っ直ぐの視線を感じてしまうと、正直落ち着かない。


 エルフィスの言う「仕立て屋」というのは、庶民が気軽に入ることが出来る店ではなかった。


 城の近くに広大な敷地を持つ邸宅風の店。


 高級な宿舎のような、華美で優雅な佇まいをしているそこは、晩餐会等で、城に集う貴婦人たちの社交場でもあるらしく、内部はひっそりと落ち着いていた。

 所狭しと、生地や服が並んでいるユナの印象とはまったく違っていた。

 支払いはエルフィスが責任を持つという話だった。

 ならば、どうでもいいと、店員に見繕ってもらって、とっとと着せてもらった。


 だが……。

 どうやら、普段のユナらしい地味なドレスではなかったようだ。

 瞳の色と同じ深い青色で揃えたドレスは重く、呼吸をするのですら億劫だ。

 開いた胸元と背中にも、肌寒さを感じていたが、妹のカナのためなら裸でも構わないくらい必死な思いでいるユナには、ドレスの柄も色も素材も、どうでも良いことだった。


 ……なのに。


 エルフィスは、気持ち悪いくらい、上機嫌だ。

 こんな状態で、まともに馬車が城に向かっているのか心配だった。


(カナの誘拐だなんて、実は狂言なんじゃないの?)


 そう感じるほど、エルフィスは暢気だった。


(やっぱり、ただの女たらしなのよ)


 振り返ってみれば、エルフィスはユナのことをほとんど女性扱いしていなかったのだ。

 それが、とうとうユナにまで色目を使うようになってきたのなら、末期だ。


「エルフィス様。私のことなんて、どうでも良いんです」

「そりゃあ、君が焦っているのはよく分かるよ」

「まったく、分かっていませんよ」

「でも、ユナ。僕はヘラの意図は分からないけれど、絶対にカナちゃんは無事だと思うんだ。カナちゃんが王族だったとか、そんな話でない限りはね。もしかしたら、一向に自分を追って来ない僕に痺れを切らしてこんなことをしでかしてしまったのかもしれないし……」

「そんな、じょ、冗談じゃないっ!」


 その程度のことで、小さなカナを誘拐しなでもらいたい。

 激しく憤慨してから、ユナは肩で息を吸って、エルフィスを睨んだ。


「ヘラさんと、誰か共犯者がいるんですね?」

「君は、レンフィス兄様だと言いたいのかな?」

「だって、宮殿に向かっているし……。違うのですか?」


 エルフィスは答えない。

 馬車がゆっくりと停車した。


「行こう」


 エルフィスは、何てことではないようにユナをうながす。


「ま、待って」


 今まで、宮殿とは見上げるか、遠目で確認するだけのものだった。

 神殿の白とは少し違う、黄色がかった壁が内部を取り囲むように配置されていた。

 入口を抜けると、天にまで届きそうな象牙色の塔が聳えている。

 開かれた国立神殿とは、明らかに違っている。

 何しろ、ここは国王の住居である。

 一般人がおいそれと足を踏み入れることが出来るはずがない。

 厳かな空気が宮殿全体を包んでいて、ユナの足を竦ませる。


(一体、私は何をしているのかしら?)


 どうして、最近まで無職で所持金すらほとんど持っていなかったユナが高価な衣装に身を包んで、王の在所にまで踏み込まなければならないのか。


 エルフィスは何食わぬ顔で、正門の衛兵の前を通過すると、一瞬、頭が真っ白になったユナの手をひいて、中に招き入れた。


「君は、僕についてくれば良い」

「私は」


 ユナはエルフィスの強引な手に戸惑いながら、きっぱりと断言した。


「カナさえ戻れば、あとはどうでも良いです」

「……そう言うと思ったよ。君は」


 エルフィスは、ユナの手をそっと開放した。


「その言葉を忘れないでよね。この先に何が待ってても」

「えっ?」


 語尾がよく聞き取れなくて、ユナは聞き返すがエルフィスは反応しなかった。

 大理石が引き詰められた床の上は、エルフィスとユナの靴音だけが響き渡っていた。

 裾を割って進むエルフィスはゆったりだった今までとは違い、早足になっている。

 朝の冷たい空気を、強引に体で切りながら進んでいた。

 何処をどう歩いたのか、ユナは覚えていられなかった。

 螺旋階段を上ったり、長い回廊を歩いたり、広い食堂を横切った記憶もある。

 たまに擦れ違う人がエルフィスにお辞儀をしたようだったが、エルフィスはそのすべてを無視していた。


「そこの……、奥の部屋だったかな」

「じゃあ、そこにいるんですね。カナは?」

「そこにはいないかもしれないけど、カナちゃんが無事なのを確認しない限りは、僕も強気に出るつもりだから、大丈夫だよ」


 エルフィスはユナの激情をさらりと微笑でかわして、後ろを見せた。

 それが、やはり何処か儚げで……。

 無意識に少しだけ伸ばしたユナの手は、しかし宙を掠めただけだった。


 ……そうして。

 ユナが追いつくのを待たずに、豪奢な金色の扉を、エルフィスは力任せに押した。


 ぎい……と、不気味な音を立てて、扉が開く。

 ユナは恐縮しながら、扉の中に足を踏み入れた。

 紅の絨毯が敷かれた部屋は、装飾に至るまで黒味がかった赤と金で統一されていた。

 窓は覆いで隠されていて、静けさと薄暗さが広い部屋の中を凛然と支配している。

 中央に、ぽつんと天蓋つきの寝台があった。

 エルフィスは、迷わずそこを目指していく。

 部屋の主は、寝台にいるらしい。

 荒い呼吸の音がユナの耳にも届いていた。


「エルフィスか……。伺いも立てずに入ってくるとはな」


 嗄れてはいるものの、よく通る老人の声だった。


「お前が来たとの報せを受けたから、今日は特別に護衛官も下がらせたのだ。往生際の悪いお前もとうとう覚悟を決めたようだな」

「これだけ熱烈に言い寄られたら、腹を据えるしかないじゃないですか」

「女を着飾らせて、私のもとにやって来て、腹を据えただの……、面白い台詞だな」

「苦しそうな割には、貴方も、よく喋りますね」


 ようやく、寝台の前で歩みを止めたエルフィスは、天蓋を割った。

 ユナにも、その老人の姿が視認できた。

 目を瞑って、横たわっている長い白髭の男性。

 白地の寝巻きの上に羽織っている、厚手の紺のガウンが、小さな体には大きすぎるように見えた。

 布団の上に投げ出されている手は、痩せ細り、蒼白い。


「一年ぶりでしょうか。父上」

「―――――あ」


(そうか……)


 そうして、ユナにもやっと合点がいった。

 犯人は身内だと、最初からエルフィスは告げていた。

 それが兄のレンフィスでも、弟のフェルナンディでもないというのならば、父親の国王しか残っていない。


「…………こ、国王?」


 ユナは何度も、目を擦った。

 アルメルダの特別な式典の時にだけしか、国王は姿を現さない。

 ユナは遠くから、ちらりと窺った程度だ。

 故郷の田舎にいた頃は、雲の上の人すぎて、その存在すらも認知できなかった。

 エルフィスは相変わらず、嫌味なくらい平然としている。


「そうだよ。この人が国王。……で、今回の黒幕というわけさ」

「エルフィス様を殺そうとしたんですか? 国王陛下が?」

「国王だからこそ、存外簡単に人を殺したりするんじゃないの」


 エルフィスは欠伸をしながら、近くの肘掛け椅子を引っ張り出してきて、勝手に腰をかけた。

 国王は、ゆっくりと目を開いた。

 何重にも刻まれた目の下の隈が色濃い。

 エルフィスと同じ紫色の瞳は小さく見えた。


「お前ならすぐに私が残した伝言を聞きとげるものだろうと思っていたが、思ったより来るのが遅かったな」

「僕にだって、身辺整理くらい必要ですよ。それに、レンフィス兄様を狙った犯人がフェルナンディだという確証も持ちたかった」

「それを、今私に告げるということは、私にフェルの仕置きをしろと急かしているのか?」

「あとで、構いませんよ。すべてが終わったあとで」

「あのー……」


 親子の会話についていけないユナは、小さく手を挙げた。


「私は妹のカナを捜しているんです。陛下が……カナの居所をご存知なのではないですか?」

「ヘラ……!」


 国王は軽く片手を挙げた。

 部屋の中央にだけ、強い竜巻が発生して、風の中から黒のローブが翻り、見覚えのある人影が出現した。


「昨日ぶりだね。ヘラ」


 エルフィスが立ち上がると、女性は自ら頭の被りを取った。

 鮮やかな赤い口紅が白い肌によく映えていた。

 首筋までの灰色の髪は、風の残滓に小さく揺れている。


「ちゃんとお話するのは、私が貴方のもとから逃げて以来ですね」

「そういえば、そうだね。僕には昨日のことのようだけれど」

「こんな場面で、口説くのはやめて下さい」

「口説かれていると君が自覚しているから、ついつい試したくなるんだ」


(何それ?)


 絵になるような美男美女がお互い目を合わせて、会話している。

 気障(きざ)だと、冷ややかに構えながらも、甘い空気に耐えられなくなったユナは、エルフィスの腕を引っ張って身を乗り出した。


「それでカナは、一体何処にいるんですか!? 無事なんですか?」

「彼女は無事ですよ。元気そのものですし、先ほど、ちゃんと返して来ました」

「ちゃんと……、返した? 何処に?」

「施設の方に……、ですが」

「な、何で?」

「私は昨日、彼女を少しお借りしました。もしかしたら、精霊魔術の才能があるのではないかと、思ったので」

「さ、才能?」


 どんな才能だか知らないが、ユナを散々振り回しておいて、勝手なことを口走っているのは確かだ。


「先日、私が起こした風の魔法を壊したのは、貴方の妹さんではないかと思ったのです。精霊魔法を扱えるのは、この国で私くらいなものです。他にもいるのかもしれませんが、国王陛下の協力がなければ、そもそも呪文の一つも分からないものですからね」


 長ったらしいヘラの説明に苛々しながら、ユナは先をうながした。


「それで、カナは才能があったっていうわけですか?」

「あったのなら、もう少しお借りしていたかもしれませんが、どうやら私の勘違いだったようで、カナさんには、素質はありませんでした」


 ユナは、がっくりとその場に崩れた。


「…………一体、私はなんのめたに……。何と……、馬鹿馬鹿しい」


 魔法がどうのだとか、何がなんだかさっぱり分からない。

 そんなことのおかげで、自分は徹夜までして妹を捜しまわったのかと思うと、その魔法を自分が使って、ヘラをどうにかしてやりたかった。


「すいません。私も気が急いていたので、すぐに彼女の能力を確認したかった。貴方に断っていたら、絶対拒否されそうだったので」

「拒否するに決まっているじゃないですか!」

「…………やはり、駄目だったのか。ヘラ」

「申し訳ありません。陛下」


(そうだった……)


 ユナは即座に国王を一瞥した。

 ヘラの親玉が国王であるのなら、カナを攫うよう、ヘラに指示したのも国王ということになる。

 おもいっきり責めて良いのか、それとも一国民としてぐっと腹に収めるべきなのか。

 寝不足の頭で考えているうちに、疲労感が倍増してきた。


「父上。貴方の真意が何なのか分かりませんが、誘拐は犯罪ですよ」

「…………お前に言われるまでもない」


 エルフィスの一言に、国王は憮然と返事をした。

 息子は盗聴。父親は誘拐。


(親子揃って、犯罪者とは……) 


「父上、彼女を巻き込んだのは我々です。せめて事情だけでも説明したいのですが……」

「国の重要機密だぞ。庶民の小娘に話すようなものではない」

「僕の意思はここにきてまで尊重されないのですかね? ……父上」


 無言の国王に、にっこりと微笑みかけて、エルフィスは窓辺に置いてあったもう一脚の椅子を自分の隣に置いて、ユナに勧めた。


「君も、一体どうしてこんなことになっているのか……、多少は知っておきたいでしょう。僕も、父上に色々と聞きたいことがある」

「私は……」


 ユナは困却していた。

 国王の言う通り、ユナは、ただの庶民の小娘だ。

 特に機密事項など知りたいわけでもないし、自分の人生がそんなことに関わるなんて思ってもいなかった。

 単純に、ユナはきちんと就職して、妹のカナと一緒に慎ましく暮らしたいと望んでいただけだった。


(でも……)


 もはや、ここまできて

『私は関係ないので、帰ります』

 とは言い出せないし、ここで帰れと言われても後味が悪かった。


 ユナは国王の近くに置かれた椅子を、微妙に後ろにひきながら、おずおずと腰を落ろした。


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