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無職占者と迷惑神官  作者: 森戸玲有
第4章 職場内いじめと雇用主の対応
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第4章 Ⅲ


 結局、朝になってしまった。


――見事なまでに、寝不足だ。


 エルフィスは、窓に映りこんだ自分の顔を見て肩を落とす。

 自分の顔を覗きこみ、目の下に出来た黒い隈を手でなぞる。

 最悪だ。


 ぱっちりと、涼しい紫色の瞳は、充血していて、顔色は色白を通り越して、蒼白く病的な顔つきに変化している。

 自分でも、美形だと自覚している顔は、エルフィスのなかで、見るも無残な顔に成り果てていた。


「夜更かしだけは、しないようにしていたのに……」


 エルフィスは窓から逃げるように離れて、自分専用の椅子にどっしりと座った。

 そして、うんと両腕を伸ばして欠伸をする。

 いつもだったら、その動作は微妙な暇を主張するものなのだが、今日はこのまま眠ってしまいたいという体の悲鳴と同じだった。

 女性と遊ぶことはあっても、一晩中起きていることはなかった。

 周囲の目がある。

 エルフィスがただの放蕩神官では、何より側近のセルジの立場がない。

 なのに……。

 昨夜は明け方に少しまどろみはしたものの、ほとんど徹夜だ。

 理由がくだらなかっただけに、自己嫌悪に近い感情も抱えている。


「……ああ」


 広いだけの机に、突っ伏してエルフィスは目を閉じた。

 そこに、遠慮がちに扉を叩く音が響いた。


「エルフィス様」

「何?」


 倦怠感を隠さない声音で問う。


「失礼致します」


 ……と、朝の爽やかな空気と共に、女性の甘い香りが室内に入ってきた。

 ゆるゆると、エルフィスは紫銀の髪をかきわけながら、顔を上げた。

 マリベルがいる。

 いつもの闊達な仕草で、エルフィスに一礼する。

 元気そうだ。

 昨夜は、よく眠れたのだろう。

 ちょっと、恨めしい。

 正直、目を開けているのも辛いエルフィスが今もっとも目にしたくない人物だった。


「今日、締め切りのアルメルダの古語の訳文です」

「ああ、有難う」


 無感情にエルフィスは、その訳文の束を受け取った。

 それは、片手ではずっしりと重くて、仕方なく机に置くと、予想外に大きな音を立ててエルフィスの鼻先に鎮座した。


「凄い手間だっただろうね。ご苦労さま」


 言いながらそんなこと微塵も思ってもいないエルフィスは、至近距離で、びっしりと紙に書かれたアルメルダ語を簡単に目で追い、すぐに文字に酔った。

 紙の束から顔を背けて、人形のように直立しているマリベルを見上げる。

 柔らかそうな茶髪に、大人の知性を漂わせる涼しい微笑。

 細身の体に、合うように作られている紺色の長いスカートが目に飛び込んでくる。

 綺麗だと思う。男性に対して自分を魅力的に見せることを知っている女性の物腰だ。


  (でも……)


 外見だけに惑わされているのも、飽きてきた。


「これを君一人で?」

「ええ」


 きっぱりとマリベルは認めた。それは、エルフィスにも分かっていたことだった。

 ぱらぱらと頁をめくってみたが、すべての文字が一人で書かれたもののようだったし、何より流暢で丁寧だった。


 …………きっと、彼女が前もって用意していた代物に違いない。


「そう。では下がって良いよ。あとのことは僕がやるから。またこの件に関しては呼び出すかもしれないけど、よろしくね」


 エルフィスは穏やかな微笑を武器にして、マリベルに即刻出て行くように求めた。

 もう少しエルフィスの優しい言葉を期待していたのだろう。

 マリベルは物足りないといった感情を素直に顔で表現しながら、すごすごと部屋の外に出て行った。

 それと、ほぼ同時だった。


「よぉ」


 伺いもなく部屋の中に侵入してきた男が頬杖をつくついでに、目頭を押さえて半分眠っていたエルフィスを小突いた。

 相変わらず、身分に対して頓着ない男だ。

 それがエルフィスにとって有難いときもあれば、腹立たしいときもある。


「…………あったの?」


 単刀直入に尋ねるエルフィスにたたきつけるようにして、セルジは、くしゃくしゃになった紙の束をなげつけた。

 マリベルが持ってきたものより、厚くはない。

 薄っぺらな、原稿。

 綺麗とはお世辞にも言えない字で書き殴られた文字の羅列。

 そして、途中、インクで紙が汚れていたりする。

 まとまりがなく、子供が書いたようなアルメルダ語の訳文を、エルフィスは苦 笑交じりに手にした。


「何処にあったの?」

「総務の部屋の、くず箱の中」

「なるほど」


 立ち上がり、窓の外に視線を這わせる。

 雨上がりの庭で、独りぼっちで佇む少女の姿を確認すると、さすがにエルフィスの心も痛んだ。


「忘れてたよ。アルメルダ古語の訳した本を作るなんて、馬鹿げた行事のことなんか」

「何言っているんだ。結構、大掛かりな仕事だったはずだぜ」


 そうは言うものの、セルジがそんなことを忘れていただろうことは、エルフィスとて気付いている。

 お互い、ここ最近忙しかったのである。

 エルフィスがそんな仕事の存在を思い出したのは、昨夜、腕輪から聞こえてきたユナの声からだった。

 普段のエルフィスなら、そんな声につきあって徹夜することなんてなかった。

 腕輪の声は、ついつい好奇心から聞いてしまうものの、直ぐに罪悪感を覚えて、自主的に短時間で聞くのはやめているつもりだった。

 でも……。

 ユナの愚痴と恨み言がこもった独り言を聞いているうちに、さすがに心配になった。

 一晩中、盗聴していたわけではない。

 そこまで、自分は犯罪者ではない。

 …………ただ。

 彼女が眠るまでは起きててやろうという同情なのか、子供じみた闘争心か、分からない感情が芽生えてしまい、――その結果がこういう事態となってしまった。


「ああ、眠い」


 ユナの文字がぼやけているのか、自分の目がおかしくなっているのか、よく分からない。

 セルジは、呆れた顔つきで、窓を開けて、新しい風を室内に迎えた。


「アルメルダ古語なんて、俺達も良く知らない遺物だな」

「一応、習ってはいるじゃないか? 祭祀の時とか、精霊魔法はアルメルダ古語が基本だ」

「覚えてないなあ。まっ、ともかく。アルメルダ神国の建国五百年記念事業らしいぜ。気合も入るだろうな」

「うーん、まだ五百年には、なっていないと思うんだけどな。せいぜい、四百八十年とちょっと……か」


 ふふんと鼻をならして、エルフィスは、皮肉たっぷりに言った。


「国が打ち出した雇用政策は痛い形になっているよ。まったく。こんな辞典作って内需拡大でも狙っているのかな。馬鹿馬鹿しい」

「結局のところ、神殿の職員が忙しくなるだけで、新たな雇用なんざ生まれてないぞ」

「まあ、広い目で見れば、この後、これを清書する人間と、印刷する人間は確実に存在するわけだから、父上は、頑張っていると言い張るんだろうね」

「しかし、どうせ仕事にありつけるのは、一部の特権階級だけだろう」


 エルフィスは暫時沈黙してから、おもむろに口を開いた。


「決めた」

「何を?」


 楽しそうに尋ねるセルジは、訊かずともエルフィスが言いたいことが分かっていたのだろう。

 エルフィスは微笑した。


「セルジ。ユナと、マリベルをここに連れて来てくれないか」

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