第4章 Ⅰ
「お前は、一体どういうつもりなんだ?」
ユナの靴音が遠ざかるのを確認してから、いきなりセルジは声を荒げた。
「どうって?」
エルフィスはセルジの気持ちが分かっていて、とぼけている。
それがわざとらしいので、セルジは四角い机をばんと叩いて、エルフィスに合図した。
真剣になれ……と言いたいらしい。
「ユナは関係ないだろう? 少ししたら、腕輪を回収して、辞めさせるんじゃなかったのか。それをずるずると」
「彼女は自分で辞めるつもりらしいけど?」
「そう仕向けているのは、俺達だろうが。辞めてくれるのなら大助かりじゃねえか」
「でも、彼女はせっかく書き上げた「退職願い」を今日も僕に出せなかったみたいだね」
「知るか。そんなこと」
吐き捨てたセルジは、真顔でエルフィスを覗き込んだ。
「まさか、お前……。ユナに惚れたとか言うつもりじゃないだろうな」
「馬鹿なことを、言うもんじゃないよ」
エルフィスは言下に否定すると、仕方なく立ち上がって、長椅子の背後に大きく存在している自分の仕事机に向かった。
三段ある引き出しの二番目を開けて、年季の入った札を取り出す。
「久しぶりだな」
エルフィスは呟いて、再び座っていた椅子に腰掛けた。
セルジと自分を隔てている大きな机の上に、札を並べ始める。
「何をするつもりだ?」
目を丸くしているセルジに、エルフィスは微笑みかけた。
一枚ずつ絵柄を並んで、十字に置いた札を取り囲むように、円形に札を並べていく。
「これは……?」
「思い出した?」
エルフィスは、最後の札を円の頂きに置いて、残りの札を端によけた。
「そうだよ。以前、僕の恋愛運と同じ日に、ユナに占ってもらったタローカード占いの結果だ」
あの日……。
ユナにはタローカードで、恋愛運を占ってもらって、意味不明な結果を伝えられた。
だが、それだけで判断するのは可哀相だと、もう何回か占いを続けてもらったのだ。
「これは、彼女が導き出した僕の全体運だ」
「最終結果に「死神」が来ているところが特徴的だな」
エルフィスが頂点に置いた札の柄は、髑髏が黒い外套を身につけ鎌を持っている姿だ。
ユナはこれを
『そろそろ、エルフィス様は、人生が終わるような思いをします』
と直截的に断言して、セルジに肘で突っつかれていたが……。
「どうも、ユナが占うとロクな結果が出てこないし、あの時は、さすがにお前も可哀相だったよな」
「でもね……。僕はあの結果が、あながち嘘とも思えなかったんだよ」
エルフィスは、腕組みをして言い放った。
「彼女はどうも札の意味を教本通り口にしてしまっているけど、この占いの深淵は、占者が霊感を発揮して、その札に基づいた占い結果を口にするのが大切なんだ。僕らも一応習っただろう? その読みの深さで、占術師の良し悪しは決まるんだ。その読みのことを「リーディング」という」
「随分、大昔に習ったような気はするがな」
「しかし、根本となるのは札の結果でもある。結果からして間違っているのなら、占術師にはむかないということだ。僕もお前も占術の成績は良くなかったし、神官の間にも、そんなに当たる占術師というのは聞いたことがない。だって、占術自体が誘導尋問だって、神学校の先生が言ってたくらいだからねえ」
「そんな授業を夢見心地に聞いたことがあったかもしれんが、つまり、それでユナの占いは当たっているっていうのか?」
「最初の十字の下の札は現状。第六の札「恋人」の逆位置。いろんな解釈があるけど」
「ユナはこれを、お前がふられるって解釈してたな?」
「残念ながら、僕はふられたことがない」
「自慢話がしたいのか?」
「いや、解釈の方法を伝えているんだ。この札に恋愛以外の意味を持たせるのならば、「選択」という意味になるからね」
「そうだっけか?」
「そうだよ。絵を見てごらん」
エルフィスはその札をセルジによく見えるように、セルジの顔の前に晒した。
二人の女性に挟まれた一人の男が顎に手を当てて、思案している様子が描かれている。
「……言われてみれば、何となくといったところか」
「これは恋愛を表す札といわれがちだけど、男が二人の女性のうち一人を選ばなければならないと悩んでいる札でもある。そして、この札は逆を向いているのだから意味も少し違ってくるんだよ」
「確か逆位置は……」
エルフィスに押されるような形で、考えはじめたセルジが声を上げた。
「そう正位置が「良い選択」をするという意味ならば、逆位置はその逆。困難な選択をしなければならないってこと……か?」
セルジと目が合って、エルフィスは、深く頷いた。
「そっ。僕は今まさに困難な選択をしている。「壁」についてね」
「しかし、それは」
「フェルナンディの立場を僕が分からないわけじゃない。僕だって、このままで良いはずがないって頭では思ってはいるんだ。ただ、決断ができないんだよ」
「壁は壊さないんだろ。壁を壊すことは大きな犠牲を生むことだって言ってたじゃないか」
「その決断に私情が入っているのなら、改めなければならないよ。セルジ。国益と国民の命を考えなければならない……と、僕は先代の大神官が身罷られた時に託されたんだから」
エルフィスは動揺しているセルジを落ち着かせるために、苦笑した。
「恋人」の札を元の位置に戻して、並べた順に他の札に目をやる。
「札が示す「障害」は「覇者」の札。これは本当の意味で、「王冠」つまり「王族」を表しているんだろうな」
「フェルナンディ……か……」
「………………だろうね」
(本当は違うけど)
控えめに肯定して、エルフィスは次々と口にした。
「僕の立場は「月」の逆位置で、不安定さを表す。そして、周囲の位置に「神王」の札がきている。これはルーガスのことであり、ルビ教の教祖でもある人の札だから、宗教絡みっていうことだろう?」
「―――ガイナ教」
セルジは、忌々しさを隠さずに呟いた。
「ガイナ教は、やはりフェルナンディに取り入っているのかな。僕が認可していないのに、摘発されていないということは、誰かが庇っているということだ。どういう繋がりかは分からないけど、背後に何かを感じるよ」
そして、エルフィスは、最後の札を指差した。
「…………で、極めつけは、死神」
「エルフィス……」
「大丈夫さ。所詮は占いだ。リーディングのやり方次第で意味も違ってくる。死神の札だから、命に関わるなんて、そんな読み方はない。それにこの札は、逆位置だよ。環境ががらりと変わって、「再生」するという読み方もあるさ」
「そうだなあ。……ユナの占いが当たっているなんて到底思えん」
「とりあえず、これは彼女にとって一つの可能性なんだよ。彼女のすることが何もかも駄目なんて、そんな先入観を持つのは可哀相じゃないか。だから、内々のご褒美に、彼女にはフェルナンディとの久しぶりの会話に同席してもらったんだ」
「ただ単に、独りで会いたくなかっただけだと思うけれどな」
「僕は女性の才能を発見するのが得意なんだ。だから、エロフィスと罵られながらも、彼女を雇っている」
「念のために聞いておくが、そういう趣味に目覚めたわけじゃないよな?」
「勘弁してよ。わざとじゃないんだ。聞こえてきてしまうんだから仕方ないでしょ」
「ふーん」
「何だい。その目は?」
セルジはしばらく白い目をエルフィスに向けていたが、やがて、表情を和らげた。
どうしようもない弟を見るような兄の目に似ている。
久々にセルジの屈託ない表情を目にしたように感じて、エルフィスは複雑な感情を覚えた。
セルジは老け顔だ。エルフィスと三歳しか違わないのに、はるかに年長に見える。
幼い頃はそうではなかった。年を重ねるにつれて、笑顔が少なくっていったように思う。
特に、エルフィスが命を狙われたと知ってからは、常にこの幼馴染は気を張っていた。
それは、身内に犯人がいるだろうという確証から、エルフィスが事を表沙汰にしたくないと駄々をこねたせいだった。
おかげでエルフィスの護衛は、周囲の目を誤魔化しつつ、セルジが強化していた。
(僕のせいかなあ……)
いつまでも、子供のままでいようとするエルフィスの傍にいるのだから、疲労もたまるはずだ。実年齢よりも早く年を取ってしまったのかもしれない。
(でも、セルジが僕のことで振り回されるのも、あと少しのことかもしれないな)
エルフィスは冷めた茶を啜りながら、ぼんやりとそんなことを思い浮かべていた。