序章
以前、アップしていた話です。
王子と自虐的な少女の誤解から始まるコメディ話です。
お目汚しを再度失礼致します
そろそろ、彼が来る頃だろうと、ヘラは思っていた。
いろんな手掛かりを残してきた。
絶対、彼は気付くだろう。
短い間だったけれど、ヘラは彼の明敏な頭脳を目の当たりにしてきたのだ。
「見つけたよ。ヘラ……」
(…………ほら)
―――来た。
真夜中の鐘が鳴る前に、白ずくめの青年は黒の世界に立っていた。
珍しい紫銀の髪は、暗がりを照らす光源のようだった。
「随分と、素敵な贈り物をしてくれたね、ヘラ。そんなに愛されているとは思わなかったよ」
彼は、こんな状況にあっても、ヘラのことを甘い声で呼ぶ。
だから、ヘラもそれに応じて艶やかな女性を演じた。
「エルフィス様、貴方が私のことに、まったく関心を持ってくれなかったから、私はこうせざるを得なかったんですよ」
「なるほど。激しいね。それで僕に毒を盛ったんだ?」
「死にませんでしたね」
「残念ながらね」
ここまでは、ヘラの目論見通りだった。
(一旦、撤退ね)
エルフィスが感づいて、この仮住まいにまでやって来たということは、ここから脱出しても良いということだ。
しかし、華麗に逃げるには、少々追い込まれすぎた。
ここにはエルフィス一人だけしかいないが、外にはエルフィスが率いてきた神兵で一杯だ。
(何か……、目眩ましになりそうなものはないかしら? 時間を稼げる何か……)
そして、ヘラは瞬時に部屋の真ん中に置いている円卓から、月光色に染まっている腕輪を掴んで、扉の前に立っているエルフィスの方に掲げた。
「……それは?」
銀の腕輪は見事に、エルフィスの瞳を奪った。
(…………今だ)
――――だが……。
「危ないっ!」
突如、エルフィスの背後から叫声が轟いた。
エルフィスが振り返るまでもなく、疾風のように現れた影は、ヘラの前へと躍り出る。
「とらえたぜ。ヘラ!」
大柄な男は、剣の切っ先をヘラの喉元に押し付けた。
(私としたことが……)
エルフィスの影、セルジの存在に、まったく気が付かなかった。
「……ったく、華奢な手で物騒なものなんて持っているんじゃないよ」
「セルジ、それ、凶器じゃないよ」
「……はっ?」
セルジは、エルフィスに導かれるようにヘラの手中に注目した。
「確かに、短剣にしては、小さそうだな?」
「ヘラ、一体……、これが何なのか。僕に教えてくれるよね?」
「おや、エルフィス様とあろうお方が、……この腕輪のことを忘れてしまったんですか?」
ヘラは、握り締めていた銀色の腕輪を、エルフィスに投げつけた。
「……これは」
見事にそれを受け取ったエルフィスは、声を上げる。
「何、心当たりがあるっていうのか?」
セルジが呆れ顔で、尋ねた。
エルフィスは、滑らかな顎を撫でながら言った。
「これと同じような腕輪……ヘラに貰ったんだけど、あげちゃった。人に」
「………………はあ?」
セルジは、口元を引きつらせる。
「何だい。その顔は?」
「いや、別に」
(……面白い)
だから、ヘラは遊び心を爆発させてしまった。
「ねえ、エルフィス様。今度の彼女は、随分と変わった人みたいですね?」
「…………はっ?」
「…………彼女って?」
「あら、知らないふりをなさるのですか?」
エルフィスは堂々としていたが、ヘラには分かった。彼は微かに動揺している。
ヘラは、おもむろに、背後の窓を開けた。
強風が吹き込み、ヘラの踝まで長いスカートと、短い髪を煽った。
「待てっ!」
セルジは、剣を振り上げて、ヘラに斬りかかろうとする。
――こうなったら、仕方ない。
『エール=オピパス=イデタ……』
「うわっ! 何だ?」
セルジがヘラを追い詰めることができるあと一歩の間合いで、激風にもがいていた。
「…………戻るんだ。セルジ! 精霊魔法だ!」
「はあっ!?」
セルジの「嘘だろ?」という呟きを耳にしながら、ヘラは大気に溶けて……、消えた。