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静かな湖畔の森の陰から  作者: 名無し
2/2

森のウサギ

「凄い凄い!何だかちゃんと生活空間じゃない!」


朝早くからナツはコウの作り上げたスペースを見渡しながら自転車を押してやって来た。


「やあ。おはようナツ君」

コウは倒木ソファーに腰を降ろし、焚き火にヤカンをかけていた。


「朝ごはん?」


「朝はコーヒーだけだ。飲む?」


「じゃあ、いただくわ」


コウは沸いた湯を二つのカップに注ぎインスタントコーヒーをいれた。


ナツは自転車を立て掛けて、倒木のコウの横に座ってカップを受け取る。


「意外と快適そうね。何か楽しそうだわ」


「夜も静かでグッスリだった。悪くない」


「お風呂はどうするの?」

「あの湖に週一位のペースで通う」


「冬はどうするの?」


「そのうちドラム缶でも探してみる」


「トイレは…って…だよね?」


「野糞に立ち小便」


「そこはさすがに私は無理ね」

ナツは顔をしかめる。


「ケツ拭く紙はあるし、一応アッチにトイレ用に穴を掘ってる」


「そう。まあアッチには近づかないようにするわ。あ、そうそう。差し入れ持ってきたわ」


ナツはカップを置き、一度自転車に戻ると、ハンドルにぶら下げていたビニール袋を持って再びコウの横に座った。


「ほう。気が利くなあ」


中を覗くと幾つかのカップラーメンと煙草が入っていた。


「煙草、それでしょ?」


「おう。たいした観察力だ。若いのに見所がある」


「ありがとうくらい言いなさいよ」


「頼んだならな。これは君がしたくてやったことだ。つまりは君の欲求を満たす行為であり…」


「ハイハイ。いいわよ。解ったから」


「さて、俺は出掛けるが…」


コウが立ち上がる。


「出掛ける?どこへ」


コウはナツの言葉を背中に聞きながら倉庫テントに半身を潜らせ、手作りの竿を一本取り出してナツに見せた。


「湖だ。魚が釣れそうだったからな。昨夜作ったんだ」


「針とかエサは?」


「針は拾った針金で作ったし、エサはカップ麺の残りを捏ねて丸めた」


「釣れるの?」


「それを試しに行くんだ」


「ねえねえ。私も行って良い?」


「かまわないが、竿はコレしかないぞ」


「良いわ。見てるから」


ナツも立ち上がり、尻の木屑を両手でパンパンとはたいた。


「む?ナツ君。自転車は良いのか?」


自転車に向かわず、そのままコウの後ろを歩き出したナツにコウが立ち止まる。


「歩くわ。どうせコウも歩きなんだし」


「カギくらいした方が良いな。無用心だぞ」


コウの言葉にナツは笑う。


「ハハハ。こんな所で誰が盗むのよ?馬鹿みたい」


「いや、熊とかがだな…」


「熊が自転車に乗って行っちゃったら、もうあげるわよ。第一コウだって荷物全部おきっぱなしなんだし」


「ん。まあそりゃそうだな確かに」


「大体熊なんているの?この森」


夏の日射しも森の中ではちょうど心地よい暖かさとなり、その幾つもの光の道筋は深緑をより際立たせた。


湖への道を二人はゆっくりと歩く。


「ねえ。コウって友達もいないでしょ?その性格だったら」


ナツが道すがらコウに話しかけた。


「君に性格をとやかく言われるほど君とは長く付き合ってはないがな。時間的経験値が君はまだ低い。ゆえに君が俺の性格であると認識していることは、君が推測し、想定した君の目に写る俺と言う架空の生き物に過ぎない。まあそもそも人間関係など全てがそうだがな。君が見ている俺と俺が見ている俺。第三者が見る俺は全て別人であると等しい。つまり…」


「つまりそういうトコよ」


ナツが呆れ気味に言葉を遮った。


コウは歩きながら空を見上げ少し考える。


「一般的概念においての友達はいる」


湖のほとり着き、コウはポイントとなりうる場所を探して歩きナツは後に続いた。


コウは桟橋のような形に湖面へと倒れその先端を沈めた倒木を選び腰を降ろして竿を垂らす。ナツもちょこんと横に並ぶ。


「例えばだ」コウが話し出す。「例えば…そうだな、神谷ハルカと言う名前を知っているかね?」


「もちろんよ。あのハルカでしょ?歌手の。超有名人じゃない。全米でも人気があって今や世界の歌姫だわ。私も彼女の歌声凄く好きだもん」


ナツは答えると「ハルカ」の歌を口ずさんだ。


「友達だ」


「はあ?」

ナツは呆れて聞き返す。


「ハル君は友達だと言ったんだ」


コウは垂らした釣糸を眺めたまま、何てことはないといった顔でそう口にした。


「あのねえ。冷やかすならもうちょいまともなこと言いなさいよ。コウみたいな変人があのハルカと友達!?いくら何でもハッタリの現実味がなさすぎるわ」


「現実味がない現実などいくらでもある。リアルな虚構が世に溢れるのと同じだ」


「だったら証拠見せてよ」


「証拠?」コウは唇を歪めて笑う。「何だ?友達であることに証拠と言うものがあるのかね?」


「だったらサイン貰って来てよ」


「なぜわざわざそんなことを頼みに会いにいかねばならない?」


「彼女、随分前からアメリカよ?会ったことさえないくせに」


「最後に会ったのは彼女が14歳の時だ。それ以来会ってはいない。しかし友達だ。ハル君もそう思っているさ」


「何?それが本当としても彼女が有名になる前に会ったことあるってだけで、今や有名人になったから『俺は知り合いだ』って言ってるだけじゃん」



「そうではない。ないが…なぜそう思う?」


「だってそれ以来会ってもないんでしょ?」


ナツの言葉にまたコウはいやらしく唇を歪める。


「なるほど。それがナツ君の友達の定義か。つまりは長い時間を継続し顔を合わせる機会を持ち、証拠になるものを持っていることが友達である条件なわけだな」


「そんなこと言ってないわ」


「言ってるさ。そもそも友達とはどういうものを言う?人が人と知り合い、どの段階で何を経たらそれは友情になる?」


コウは釣糸を垂らしたまま片手を竿から離し、胸ポケットから煙草を出してくわえた。


「そりゃお互いに感性とかに通ずるものを感じたり、お互いに大切な相手だなって感じる事があったりとかして、そしてそれはお互いにそう思っているってことが友達なんじゃない?」


ナツは垂らした足をブラブラとさせながら考えて答える。


「結局のところ漠然と感じることだけが友達としての繋がりと言うことになるな。何とも曖昧でいい加減なものだ。しかし人は友情は尊く、友は大事にしろと言う。馬鹿げてないか?結局のところその程度の曖昧模糊な勝手な自己感情にすぎん」


「でも確かに心の繋がりって感じることはあるわ」


「感じる」コウはニヤける。「そう感じるだけで確固たる形も確証も理論もない。ソウルメイト。魂の繋がり。以前俺に対しそう言った人間がいた。貴方はソウルメイトだとな。ちょっとしたことで俺が参っている時に些か感情的になった。あらゆる感情を吐き出したのだ。確かに情緒不安定ではあったがな、なんせソウルメイトだ。受け止め、そして消化してくれるものかと思ったが…友達ではなくなったよ。着信拒否までされたな」


コウは声を出して笑った。


「怒らせたんでしょ?コウが。仕方ないじゃない」


「そうだ。先に怒らせたのは俺だ。しかしだ。俺が言いたいのは恨み募りじゃない。友情の不確かさについてだ。人は自身の都合で簡単に運命的繋がりを感じたり、それが突然同じ相手に嫌悪感を感じたりする。そんな自己都合の身勝手で安易で軽薄なものを人はなぜ尊く思うのだ?その時その環境で生きるのに都合が良いものと感情による契約を結ぶことが友情なのだろう」


「コウがひねくれてるとしか思えないんだけど」


「俺がひねくれてるのではないな。そもそも世界が歪んでる。だから真実を客観的に眺め語ればひねくれているように見られる。しかし…」



コウは黙りこみ、ナツがその顔を覗きこむ。


コウは再び口を開いた。

「しかし…やっぱ釣れねえなあ…」


「うん。釣れないね…」


「改良の余地ありだな」


コウの垂らした釣糸を気に留めることなく魚達は遊泳している姿を見せていた。



「まあ、思えばきっと寂しかったのだろう。自分の置かれた状況や立場。生きるには疲れる。そんな中で魂の繋がりを無理矢理にでも感じたい。その想いが強く、それゆえ些細な勘違いにでもすがりたかった。ソウルメイトだと思い込みたかったのだろう。その思い込みが相手を都合良く想像し、想定する。そしてそんな自身の想定したものと実在する相手に相違が生まれ、その差が大きくなり、それを勝手に相手が変わったのだと思い込む。自分を傷付けないためにな。そういうことを繰り返して生きている人だったのだろう。哀れな人だ」


それから小一時間ほど釣糸を垂らしたが釣果は獲られなかった。


「やはり正規の針と糸が必要だったな。愛と同じだ。間に合わせでは虚しさしか残らない。この空のバケツが如く、だ」


帰路に着きながらコウがボヤき、ナツは目を見開く。テントまでもうそばだ。


「驚いたわ。コウの口から愛なんて言葉が出るなんて」


「む。人を何だと思っている?」


コウは心外だという顔で煙草をくわえ火をつけた。


「だって何にでもケチつけてばかりじゃない。愛だとか恋だとかもどうせ馬鹿にしてるのかと思ったわ」


「ある意味では正解かもしれん。が、俺は実のところ誰よりも深く…」


「ああ、良いわ。長くなるからまた。さ、帰りついたよ」


ナツはコウの言葉を遮ると逃げるように前を先に駆け出した。


「まったく。平成生まれはだいたい思慮浅く、簡潔な答えばかりをだな…」


「えぇ!?ちょっと何よコレ!?あ!自転車がない!」


そんな先を行くナツにコウが文句をつけていたまさにその時、ナツが大きな声を出した。


コウの住処となるスペースに消えて行ったナツの後をコウは煙草をくわえたままヒョコヒョコと追って現場を眺めた。


「ぬお!?まさか本当に熊が出るとは…」


「馬鹿!熊じゃないわよ。一体どこの誰よ!?」



コウの住処は明らかに物色され、荒らされていた。ナツの自転車も消えている。


唖然と立ち尽くすナツを尻目にコウは淡々と被害状況を確認していく。


「ふむ。熊じゃないならどこの誰か?この森の自殺志願者だろうな」


「ちょっとコウ!何を気楽に言ってるのよ。私の自転車!」


「俺の食料、主に缶詰の類いもな…しかし…」コウは覗き込んでいたテントから顔を出しナツを見た。そして手に何かを持って見せる。「相当マヌケだな。缶切りは忘れている」



「森の奥かしら!?」


「まあ落ち着け。非常事態の時こそ冷静な観察力と沈着な頭脳が求められる。恋と同じだ。ヤツは缶切りは持っていかなかった。つまりは俺の缶詰はまだ無事だと言える。目先の食料に夢中になり、缶切りを見失う。よほど空腹かよほどモノを線で考えれないアホ。荒し方の雑さに幼児性すら感じる。つまりは…」


「良いから私の自転車!ぶん殴るわよ!!」

ナツが怒鳴る。


「俺を殴って自転車が帰ってくるわけもあるまい。冷静に観察だ」


「嫌よ、歩いて帰るの!」


「舌切り雀の話を知っているか?」


「何よ!」



「人は欲を出せばその欲の分必ず手痛いダメージを負うという教訓だ」


「とにかくサッサッと探すわよ!」


取り合わないナツを無視してコウは続ける。


「ヤツは豊富な食料に目を奪われ欲が出た。可能な限り持っていってしまいたいとな。しかしリュックやましてエコバッグを持参しているわけではない。見ろ。一番デカイ鍋が消えている。あの鍋ならかなりの量を入れることができただろう」


「何が言いたいのよ?」


「しかし持ち上げてみるとかなりの重さになった。寝床まで運ぶのは苦になる。そこでヤツは台車に載せて運ぶことを思い付いた」


「私の自転車ね!?」


「そうだ。ハンドルとサドルに挟むように載せれば台車になる」


「手口なんてどうでも良いわよ!」


「さて、かなり欲張ったもんだろう。相当の重さだったと推測できる」


「だから何!!」


怒鳴るナツを諭すことなくコウはしゃがみまっすぐに手を水平に伸ばし指をさした。


「轍。重みでタイヤの跡が残っている。まさに希望の轍。…知ってる?サザンオールスターズの希望の轍」


「知らないわよ!追うわよ、さっさと立ちなさい!」


「…ハイハイ」


確かに注意深く意識すれば途切れ途切れではあるが轍は見えた。


始まりは住処から湖へとコウ達が向かった方向と同じ道筋を辿っていたが、すぐに途中を左折している。


曲がる時にはよほどの負荷がかかったようで、土がえぐれたようになっていた。森は外界に比べ湿気が強いのだろう。土は存外柔らかい。


「タダじゃすませないわ」


「君はアレね。女の子にしちゃ物騒だよね」


いきり立つナツにタバコをくわえたままついていくコウ。



「当たり前でしょ!?自転車パクられたのよ!」


「自身の持ち物に対する執着心の強さは心の満たされない虚無感に等しいものだ」


「うるさい!変人」


「静かに。だいぶ近付いているはずだ」


「うるさいのはアンタでしょうが…」



「シッ!そこだ。気配がある」


二人は木の影に隠れながら慎重に忍び足で前に進む。


少しばかり木々の拓けた場所が見え、その真ん中に座り込む人影を確認した。細身ではあるが男の背中だった。


二人は気付かれぬように少しづつ距離を縮めていく。そして…。


「オイコラ!盗人!」


突然コウが大声で背中に怒鳴りつけた。


男は振り返ることすらできず、まさに飛び上がるように前方、コウ達から離れる側に勢いよく倒れこみ前転した。


「ちょっと!何なのよ、アンタ!?」


ナツも負けじと怒鳴ると男は腰を抜かしたような状態で二人の方を向く。


見ればまだ若い。ナツと同年代、あるいは少しばかり上だろうか。線が細く、メガネをかけた頼りなさげなその男はあからさまに怯えた目でコウとナツを見上げた。


「す、すいません。ごめんなさい。すいません。ごめんなさい」


泣き出しそうな顔で怯えながらそう繰り返す姿にコウは煙草をくわえてため息と煙りとを同時に吐いた。


「確かに熊ではないな。ウサギだな、コイツは…」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


ナツはコウと顔を合わせ、肩をすぼめて見せた。


「ま、とにかく連行だな。小僧!引っ立てぃ」


「ヒィ…」


煙草をくわえたままのコウは男の首根っこを掴み無理矢理に立たせた。







「しかし…細いくせによく食うな」


コウの住処に連れてこられた男はガツガツと出された食事を食べた。最初に与えた缶詰を4缶あけ、取り返したコウの大鍋に作ったインスタントの袋麺を3食分だ。


コウとナツは男の向かいに並んで座り、そんな様子を呆れ気味に眺めていた。


「泥棒するくらいお腹空いてたんでしょうね」


「食いながらで良い。卑しき青年よ。お前はこの森で何をしている?まあ大方自殺志願者だろうが…その腹の減りようから推測するにここには昨日今日来たわけではあるまい。自殺に来ておいて数日間生きながらえ、かつ貪欲に食を求める生への執着。お前は存在が矛盾だ。素性と経緯を聞こうか」


男は箸を止めて下を向いた。


「あ、あなた達こそ…何をしているのですか?」


下を向いたまま少しふてくされたような声色で男が問い返す。


「卑しき青年よ。貴様は何を勘違いしている?なぜその立場で質問に質問を返すのだ?いや、貴様が受けたのは質問ですらない。尋問だぞ。答えろ」


コウの言葉にも男は下を向いたまま黙りこみ、挙げ句には泣き始めた。

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