098 黒、そして賢者の称号【「…」】
「…」
キノコを採取できる場所から150メートル程離れた森の中。
冬威は地面に手をついてorzなポーズで自己嫌悪中だった。
「何なんだ俺…何てことしてくれちゃってるの俺!…どうしよう、コレ夢とかじゃないよなぁ…」
下を向いているおかげで視線は自然と自分の手元にあるひったくるように受け取った地図に向けられる。もしも立場が逆だったら、自分はジュリアンを怒っただろうか?
想像してみる。
「うーん、ダメだ!的確に心の傷をえぐってきそうで反論すらできない気がする!」
頭を抱えて唸っていると“カツン”と直ぐ近くに何かが落ちてくる音がした。そしてハッとする。そうだ。今自分は森の中にいる。いくら安全性は高いと言っても、野生の生物、魔物が居るエリアなのだ。変に大声を出すなんて自殺行為だった。仲間を呼ぶ声であったとしても、呼び込むのは呼んだ相手だけとは限らないのに。こんな当たり前のことすら頭からすっぽ抜けていた。日本の山の中のような錯覚さえ覚えていた。
安全ではない。この前提を忘れていたなんて。
一度身を竦めて周囲の気配を感じてみる。ジュリアンの様に何かが明確に分かるわけでは無いが、何かが動く気配くらいなら…いや、まったく何もわからない。でも、とりあえず何かいるなら視界にとらえたほうが良いだろうとゆっくりと顔を上げてみた。
すると自分が蹲っていた場所から少しだけ離れたところに何かが落ちているのが見える。
「…え?なんだこれ。靴?」
一応警戒して近づくことはしないかわりに、今いる場所からジッとそれを観察してみた。
素材は革っぽい茶色をしているが、白のレースのような飾りがつけられていて、ヒールのある女性の靴のようだった。
いったいどこから…と、移動はせずに視線を上げると、木の上にひらひらとする布が見える。
「…え。…まさか、…え?」
サッと立ち上がってサササッと回り込んでみれば、木の上で必死に隠れようとしているのだろう、顔を俯けて幹にへばりついているシェルキャッシュが居た。
緊張していたからだから力が抜けるが、そのまま声をかけようとして思いとどまった。
「(これは、声をかけるべきなのかな?「靴を落としましたよ」って。でも、隠れてるのかな?何かやってんのかな?かくれんぼとか…なら、スルーした方が良いのだろうか??それにしても、まさかこんな場所にまでこんな靴で来るとか何考えてるんだろう。それともエルフには格好なんて関係ないのだろうか?それにしても、こんなヒールがある靴で木登りとか…)」
彼女と靴を見比べながらどうするべきかと考え込んでいたら、静かになったことから冬威が去ったと勘違いしたようでシェルキャッシュが顔を上げた。
そしてバッチリ視線が合ってしまう。
パチパチと瞬きをしてから、怒りなのか羞恥なのか分からないが、顔を真っ赤に染めてびしっとシェルキャッシュが冬威を指さした。
「あなた、このような場所で何をしているのかしら!?」
「え、俺!?何って、依頼を受けたから薬草の採取に来たんだよ?」
「あ…そうだったわね…じゃなくて!一人でウロウロして、死ぬつもりなわけ!?」
「いや、そんなつもりは無いけど…」
「この森は神樹様の守りがあるとはいえ、森であることに変わりはないのよ。完璧に安全であると勘違いなさっていると、あっという間に魔物の餌食になっておしまい。まぁ、私はそれでも全然かまわないのだけれど」
ツンとすました態度を見せながら、彼女はふわりと木から飛び降りた、思わず受け止めようと駆け出すような、危ないジャンプではなかったために、冬威はその場に立ったまま着地を見守る。
「あ」
フワリと足先で着地したのは良かったが、片方は靴がなくなっていた。やはり彼女の靴だったのだ。そのせいでバランスを崩した彼女の状態がよろけるが、冬威が1歩を踏み出す頃には背後の木に手をついて何とか事なきを得ていた。
「転ぶかと思った…」
思わずホッと息を吐きながら感想を呟けば、みっともない所を見せたとでも思ったのだろう。シェルキャッシュが睨むその視線が険しくなった。
「見くびらないで頂戴。これでも私は森の民、エルフなのよ」
「え、あ、ごめん。そうだったね」
「な、なに素直に謝っているの。気持ち悪いですわ」
「なんだよ、俺の事まったく知らないくせに」
「それはあなただって同じでしょう!?」
「でも俺は君の悪口言ってないよ?」
「…っ」
素直に謝ってくると思っていなかったのかシェルキャッシュが早口でまくし立てると、ジュリアンとプチ喧嘩して心に余裕がない冬威もムッとした表情で言い返す。
…でも、なんだろうこの空気。
喧嘩にしては空気がピリピリとしておらず、どちらかというと甘い空気。
そしてなんて低レベルな争いなのだろうか。
ハァと息を吐き出して、冬威は数歩離れた場所にある靴を拾い上げた。
「はい。コレ落としたでしょう?」
「何よ。これくらい自分で拾えるわ」
「はぁそうですか。でも、こんな格好で木登りなんて、あまりお勧めしないけど」
「人間ごときにエルフの何が分かるのかしら?」
「はいはい、すいませんね。まったく何もわかりませんよ」
折角靴を差し出しても、受け取ろうとしないシェルキャッシュ。いい加減差し出しているのも手がつかれたので、彼女の足元に靴を置くとキノコの採取場所に戻ろうと歩き出した。
「…あら?戻るんですの?」
「謝らなきゃいけない相手、ほかに居るし」
「でも、彼を疑った結果、けんか別れしたのでしょう?」
「え…なんで知ってるの?…聞いてたの!?」
「そんな事するわけないでしょう?木…そう、森が、教えてくれるのよ。2人の仲は悪くなった、木々に八つ当たりされてはたまらないって」
彼女の言葉が本当かどうかは分からない。でも、なるべく早く謝ってしまった方が良いと思い、返事も返さずにすたすたと歩き始めた。
そんな冬威の後ろを、身軽な動きでシェルキャッシュが追いかける。
「どうして喧嘩になったのかなんて興味ありませんが、しょせんはその程度で離れてしまう細い関係だったのでしょう?」
「…」
「今更戻って何になるのです。もういっそのことこちらから見限ってしまいなさいな」
「うるさいな!ちょっと黙っててよ」
「う、うるさい!?ちょっとあなた、私になんて口の利き方を…」
なおもブチブチとうるさいシェルキャッシュを無視していたら、彼女もいつの間にか黙っていた。チラリと視線を向けると、かなり険しい顔で睨んでいる。だったらついてこなくても良いのに、とは思うのだけど。とりあえず謝って、誤解を解いて、弁解をして…と考えていると、ジュリアンの声が聞こえた。クロと会話をしているようだ。
『なるほど。それで物が食えぬというのか』
「まったく口に出来ないわけじゃないよ。固体を身体が受け付けないんだ」
『ふむ。液体のみとは難儀な。しばらく一緒に居たが、まったく気づかなかったがなぁ』
「フフッそれは嬉しいね。周りの人をいい感じに騙せていたんだ」
なんの話だ?
けもの道のど真ん中に突っ立っていた冬威はササッと木の陰に身を隠して耳をすませる。後ろに居たシェルキャッシュは「何してんの?」って顔でその場に立ったままだったので、慌てて隣に引き込んだ。
小声で文句を言っているが、丸っと無視をする。
『だが、なぜ黙っている必要がある?』
「説明が面倒っていのが大部分だね。それに要らぬ心配をかける事になると思って」
『それでも、伝えておくべき必要な情報ではないのか?』
「いつか…遠くない未来に離別することになるんだ。あまり変な心配させたくないし、正直言って、覚えておいてもらいたくない」
『何故?』
「…寂しいからかな」
身をかがめているジュリアンは、キノコを採取しているようでその表情はうかがい知れない。
だが、聞こえた言葉に思わず心臓が跳ねた。
離別ってなんだ?今この時のことを言っているのか?
自分にはまだジュリアンの助けが必要だ。あんな疑う事言ったけど、いなくなったら困るんだ。
思わず立ち上がって数歩近づけば、草を踏む足音に気づいたクロが冬威の方を向き、ワンテンポ遅れてジュリアンも振り向いた。
「トーイ…薬草は…」
「ジュン!」
驚いた顔をして見せたけれど、すぐに話題を変えようとしたジュリアンの言葉を遮ぎるように名を呼んで、距離を縮めて目線を合わせるようにその場にかがむ。
「ねぇ、何か隠してるの?」
「…」
「ごめん!さっきの事は謝るから!俺にはまだ、ジュンの助けが必要なんだ。だからお願い!俺を頼って、俺に話して!」
「トーイ…」
その言葉に戸惑っている様子を見せたジュリアンだったが、半ば泣きそうな、真剣な顔の冬威を見て、一度ゆっくり頷いた。
「分かったよ。こうなったら、下手に隠しておくことも難しいからね」




