097 黒、そして賢者の称号【慌てた様子で】
慌てた様子で木の陰に戻ってきた冬威はジュリアンの腕を引っ張るようにして立ち上がらせた。特に抵抗する気もなく、引かれるがままに立ち上がる。
「逃げよう!走るんだ!地面に足ついてるならまだ大丈夫かもしれない。あいつ結構飛ぶの早いんだよ!」
「あ、ちょっとまって」
「待てないって!ザウアローレさんも閃光弾っぽいやつで一瞬足止めするしかできなかったんだぞ?今の俺たちじゃ戦っても勝てないよ」
「そうじゃなくて!」
そう言いながらも引っ張って走ろうとする冬威は逃げる先しか見ていない。冷静に分析しているようで、本当のところはパニックになっているようだ。
まぁ、気持ちは分からないではないけれども。
とりあえずいったん落ち着かせようと、自分の腕をつかんでいる冬威の腕をジュリアンも掴んでグイッと引っ張った。それにひかれて顔がこちらに向いたところで、冬威の瞳をまっすぐに見つめ返す。
「トーイ、まずは落ち着いて。肉食獣に出会った時の対処法がなってないよ」
「え?」
「狩りをするケモノは、逃げる者を本能的に追いかけるんだ。出会わないことが一番だけれど、出会ってしまったら刺激しないように、視線を向けたままゆっくり後ずさるのが効果的。出会った瞬間に背中を見せて逃げるのは襲ってくれと言っているようなものだよ」
「マジで!?」
「ビビったら負けだ。それよりも、背中を見せるな、突然走るな、大声出すなって、基本的な事じゃないの?森でクマに出会ったらどうしてたの?」
「会った事ないし、知らなかったよ!都会だと動物園に行くくらいしか猛獣に会わないし!」
この間。クロは待ってくれてた。
ジュリアンは顔見知りだと分かったので気持ち的に余裕があったが、冬威はいつその木の陰から竜の顔が覗いてくるか気が気じゃないのか、オロオロと視線が彷徨っている。竜が迫ってきていないか心配らしい。しかしいいタイミングで、ヌッとクロが顔を出した。
『此方の魔物は見つめあってても襲うときは襲うぞ』
「ぎゃぁああぁぁあ!!!」
静かに歩いてきたのか、近づく足音がしなかっただけに冬威が驚いて飛び上がり、思わず尻餅をついてしまう。そのままザリザリと後ずさろうとしたので、少しでも冬威を落ち着かせようとクロと冬威の間にジュリアンが割り込んだ。
「君、クロ…だよね?」
「…へ?」
『うむ。探したぞ、ジュリアン』
「え?」
「シロは?一緒じゃないの?」
『この森は森の民の守護のおかげで2人の匂いをたどることが困難だった。そのため別れて捜索していたのだ』
「クロ…なの?」
「エルフの里がこの森にあった。そのおかげか…」
「ねぇちょっと!クロって、あのニャンコ…じゃなかった。虎?ヒョウ?みたいなやつだよね!?」
尻餅をついたままの恰好で、冬威が会話に割り込んでくる。声を聴いて顔をそちらに向けたジュリアンは、その顔にもう恐怖が浮かんでいないことを見とめてから立ち位置をずらして冬威にクロの顔が正面から見えるように横に移動した。
クロと冬威の視線がぶつかる。そして数秒沈黙した後、ボフンと音を立ててクロが小さく変化した。
『うむ。この格好では久しぶりであるな、トーイよ』
「…!」
その姿はまさしくシロと一緒にジュリアンの側にいた獣だ。驚きで目を見開き、何か言おうとしてパクパクと口が動く。しかし何も言葉を発することが出来ず、顔をクロからジュリアンに向けた。
「…なんで…」
「え?」
「何で、教えてくなかったの?」
「…」
「知らなかったの?クロが竜だって。…それとも知ってて黙ってたの?」
「そ、れは…」
「ねぇ!」
ジュリアンに言い募りながら冬威は内心で首を傾げていた。
あれ?おかしい。
俺、こんなに短気な奴だったっけ?
普段ならば「ビビったじゃんか!教えろよな~」って笑って流せるはずだろう。
それなのに、どうしてこんなにきつく責めてるんだ?
「もしかして、竜に会ったって竜の前で語る姿を見て笑ってたのか?本物はここにいるぜって」
ジュンが側に置いていた獣が実は竜だったって、言わなかった理由はいくつだって想像できる。
俺が竜に出会った直後だったから心配したとか、本当は気づいていなかったとか、もしかしたら竜に言うなって脅されていたとか、それか単純に忘れてたとか。
「シロに会った時もそうだ。自分だけちゃっかり餌付けしといて、相手にされない俺を見て馬鹿にしてたんだろう!」
違う!違う!!なんで言いたい事と違う事が口から出ていくんだ。
確かにちょっとずるいって思った。ワンコになつかれてて羨ましいとも思った。でも、ジュンの説明は的確で、間違ってるなんて思ったこと無いんだ!
「お前、本当はやっぱりペニキラのやつらの仲間なんじゃないのか?助けるって言っておきながら、王族に復讐させるのを防ぐために自分ごと遠くに飛ばしたんだろう!」
何で!いい加減黙れ俺!
ダメだ。駄目だ!このままだと取り返しのつかない事を口にしてしまう気がする!
勢いのままに声に出す冬威を、ジュリアンは黙って聞いていた。最初は驚いた顔をして見せたが、ツラツラと冬威が言葉を続けると、次第に表情は曇っていく。途中で口を挟もうとしたりする雰囲気はあるのだが、結局発言できずに口を閉ざしてしまう。
自分自身を嫌な奴だと思っている冬威に、ジュリアンは言い返すことなく苦笑いを浮かべた。
「…僕を疑うの、初めてだね」
「単純な日本人なら騙せると思った?」
「違うよ。…違う」
適切な返事を探しているようで、視線を伏せて黙り込んでしまうジュリアン。冬威はもう余計なことを口にしないように自分の手で口を抑えた。そのまま立ち上がり、軽く手で服を叩いて汚れを落とし、もう一度ジュリアンをまっすぐ見る。
彼の隣には黒い獣…竜が寄り添い、まっすぐに冬威を見ていた。獣だからなのか、怒っているからなのか、クロの表情は険しく見える。…気のせいかもしれないけれど。
「俺、さっきの場所で薬草もう少し集めてくる」
少し頭を冷やしたかった。今一緒に居るとさらに変な事を言う気がした。
だから距離をおきたくて、冬威は逃げるように身を翻す。
「トーイ」
それに対してジュリアンは「待って」とは言わなかった。ただ名前を呼んで、冬威の反応に任せるだけ。
チラリと視線を戻せば、彼は手にしていた地図を差し出していた。
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『何故、言わなかったのだ?』
差し出した地図を冬威がひったくるようにして持ち去った後でキノコの採取を始めたジュリアンに、クロは数歩後ろに座ったままで声をかけた。
「言わなかったって、何をだい?」
『我が竜であると、言わなかった理由さ』
「理由なんてないよ。…あの時、あの場所で正体をばらすにはほかの冒険者が多すぎた」
『だが、その後だって機会はあっただろうに』
「何で…だろうね。1つ秘密を抱えていると、何かをばらした拍子に芋蔓式に全部知られてしまいそうで…怖かったのかもしれない」
『秘密…それは、食事の件か?』
「そうだよ」
そのまま黙々と手を動かすジュリアンに、クロは小さくため息を吐いてからトトトと別の樹の根元に生えている毒々しいショッキングピンクのキノコを鼻で指した。
『トーイ、このキノコに当てられたな』
「え?…それは?」
『知らんのか?一応食用に入るキノコではあるらしいが、慣れていないと興奮剤というか、はじけるというか、普段とは違う行いをする者が居るらしい』
「それは…気付け薬とか媚薬に使われるような?」
『それほど強い効果があるわけでは無い。ただ…人によっては素直にさせるクスリ、とも呼ばれるようだが』
「素直…トーイは、僕を疑いの目で見る余裕が出てきたって事かな?」
『強制的に、ではあるが、そうなのだろうな。もしジュリアンを疑う余裕が無かったら、我にがむしゃらに攻撃してきたかもしれん』
「そう考えると、素直にクロの言葉に従っちゃったのもこのキノコのせいなのかな?」
『どうであろうな。ただ、効き目が良すぎる気もするが』
「…トーイはこの世界に耐性がないから、仕方ないのかもしれない」
そう言いながらそのピンクのキノコを摘み取る。
慣れさせるべきか、それとも処分して帰るべきか。そんな少しばかり寂しそうな笑顔を浮かべるジュリアンに、クロはすり寄った。




