089 エルフの里、そして神樹様【通された部屋は】
通された部屋は何処か和風を感じさせる部屋だった。外観は完全にツリーハウス(木をくりぬいて家にしているハウスINツリー)だったけれど。壁にかかっている絵のようなものは掛け軸にも見えるし、細い花瓶に1輪だけ行けてある薄い色合いの花と長い葉っぱは「菖蒲」にとても似ている。
長く祖国を離れていたジュリアンは懐かしさに思わず頬が緩み、何でこのような場所に?と不思議そうな顔をしていた冬威も物珍し気に室内を見渡した。
「さて。いつまでもロープで巻かれていたら窮屈でしょう、シルチェ」
「ですが…」
「まったく、変なところで真面目なんだから。あの子たちの悪ふざけにそう毎回付き合う必要はないんだよ?だから外してしまいなさい。あ、普通に解いたら面白くないでしょう。あれ、見せてください」
「え…でも勿体ないですよ?」
「ロープの素材は森にたくさんあるのです。1本くらいどうという事は無いでしょう」
「分かりました」
室内に入って扉を閉めた神樹様は楽しそうにほ笑みながらシルチェの身体を拘束しているロープを指さした。そして神樹様の声に従うように、シルチェは少しばかり腕に力を入れたらしい。上腕二頭筋あたりが盛り上がるのを見て、さすが細マッチョ…と思っていた冬威は次の瞬間にロープが“バツン!”と鈍い音をさせてはじけ飛んだのを見て思わずパチパチと瞬きをして、見間違いか?と目をこすった。
「え?」
「…は!?え、ちょっと…そんな脆いロープだったわけ!?」
おやおや?見間違いだろうか?と控えめな声を出したジュリアンの横をすり抜けて、冬威ははじけ飛んで床に散らばったロープを拾い上げた。そのまま両手で握って引っ張ってみたりするが、普通に普通のロープだ。…いや、編み込んであるらしく、ちょっと強度が高い気もする。
「ふふふ。驚きました?何度見ても面白いですよねぇ。それにしてもシェルキャッシュはまたカッチリとあなたを拘束してしまっていたみたいですね。窮屈じゃなかったですか?」
「大丈夫です。慣れてますんで。掃除道具、持ってきます」
「あぁ、後ででいいのに…」
「慣れてるとか…でもなんでカッチリ?」
「隙間があると、たとえ筋肉を盛り上がらせてもロープに負荷が掛からないって事でしょう」
「あ、そうか。ジュンさすが」
両手を小さく叩いて喜ぶ神樹様を置いておいて、シルチェは別の部屋へと移動していった。どうやらこの家の内部を知っているらしい戸惑いの無い動きを視線で追いかけ、ジュリアンはずっと抱えていた植木鉢に視線を落とす。側のテーブルに置こうかと数歩近づいて、でも泥がついていたら大変だと思い直す。重くもないし、指示があるまでは抱えて居ても良いかもしれない。
完全に見えなくなったシルチェの背中を追いかけるように、壁を見つめていた神樹様は小さく息を吐き出して少し寂しそうに目を伏せる。
「実はあれが、シルチェがシェルキャッシュ達に嫌われる理由なのです」
「あれ?…ってコレ?このロープをバーンってできる怪力がダメなの?」
屈んだ体勢のままでロープをミョンミョンとさせて弄んでいた冬威は、立ち上がって握ったままの片手のロープを見つめた。男だったらたくましい筋肉に憧れる気もするのだけれど。
「力があるだけならば良かったのですが。…シルチェは混血児なのですよ」
「あ、そんな様な事言ってたような…。混血だから嫌われるの?」
「勿論そういうエルフたちばかりではないですよ。誤解しないでくださいね」
「うん、大丈夫だよ。人間の中にも良い奴もいれば、悪い奴もいる。…しょうがない事なのかもしれないけど、仲間内でもめるってなると辛いよね」
「えぇ。何故同族なのにそれが分からないのか。あなたたちが理解を示してくれる方々で良かった」
「エルフは純血である方が偉いとか、そういう決まり事でもあるのですか?」
「そういうしきたりは無いはずです。簡単にエルフの集落の、認識の違いかもしれません」
「どういう事ですか?」
「この里は、エルフが暮らす場所として唯一周囲の者にここの存在を隠蔽していません。そのせいか、世界各国に散らばるエルフの里、街、村、集落から若いエルフたちが集まるのです」
「若いエルフ。なるほど。血気盛んな若者を人間たちの世界に放り出すよりは、同じ里で比較的開かれている此処に来た方が安全なんだね。でも、それでもそんなにオープンで大丈夫なの?」
「えぇ。そのための森の守り、正面のゲート。そして私なのです」
どうやら正面から入るという事がこの場所にとって重要なものだったらしい。森の守りとは何なのか詳しく語る気はなさそうだが、それを知らなかったとはいえ裏から入ってしまったのだ。警戒されるのは仕方ないか。と、ジュリアンはやっと合点がいってホウと息を吐き出した。
「詳しい説明は後回しにしますが、いろんな常識を持ったエルフが集まっているから、個人によってその思想が大きく違うのです」
「なるほど。それにしても、そんなに人間嫌いなら、なんでギルドとか作っちゃってる訳?…あんな堂々と人間が歩いてたじゃないですか」
「おや?あの子たちも特別人間を嫌悪しているわけではありませんよ?」
「え?でも混血だから嫌われるって…混じっていたらダメって事?純血オンリー社会?でもそれって結構判断するの難しくない?」
「ん?」
「え?」
今まで確かな説明は受けてこなかった。すべて想像で、シルチェは人間とのハーフで、それがエルフの純血種の方々に受け入れられなかったのだと思っていたのだが。
と、神樹様はしばらく顎に手を合って何やら考えていた様子だが、ハッとした顔をして「もしかして」と言いながら手を胸の前で合わせた。
「シルチェは混血児ですが、人間とのハーフではありませんよ」
「…あれ?そうなの?じゃあ…何なんでしょう?って聞いても大丈夫?」
「大丈夫だと思いますよ。この里では知らない人の方が珍しいくらい有名な話ですから。…あ、ほら。シルチェ、彼らがあなたに聞きたいことがあるそうですよ」
丁度その場に箒と塵取りを持って帰って来たシルチェは、神樹様の言葉を聞いて足を止めて顔だけを冬威とジュリアンに向ける。本人のいない間に情報を聞き出そうとしてしまった形になったことに少しばかり気まずさも感じるが、シルチェは何度も同じ質問をされているのか特に何も感じた様子は見られずに軽く頷いた。
「聞きたい事って、いつもの俺の親の話ですか?」
「えぇ」
神樹様の言葉に小さく息を吐き出して、何度も繰り返したいつもの言葉を口にしつつ箒を動かして床を掃除し始める。
「俺の親、父親がエルフで、母親が獣人です」
「獣…人…」
思わず「なんの獣人ですか?」と聞かずに堪えた冬威は自分をほめてあげたい。何となく直接聞くのは憚られて、冬威はジュリアンに少し近寄ると声を潜める。
「一匹狼…で狼かな?」
「気になる?こういう事こそ、ちゃんと聞いてみたほうが良いと思うよ?」
「でも、普通こういうのって聞かれるの嫌じゃないのかな?だってそれが原因で険悪ムードなんでしょ?」
「こうやってコソコソされる方が嫌だと思うけど」
小声になった冬威に対して、普通通りのジュリアン。当然その場に居るシルチェには丸聞こえだ。あらかたごみを塵取りに収めたシルチェは、苦笑いを2人に向けた。
「気になるなら聞いて大丈夫だ。俺の母親は、クマの獣人なんだよ」
「クマ!!」
だからあんなに美しい筋肉をしていたのか。細身のトズやシェルキャッシュと違い、がっしりとたくましいシルチェは見た目はエルフでも確かに母親のクマの獣人の血を引いているのだろう。
「ふふふ。彼のご両親はかなりの熱愛で有名でね。クマの獣人の中でもそれはそれは愛らしいテディベアの種族の奥様だったんだよ」
「テディベア…あ、それは確かに可愛いかも。…なぁなぁ、シルチェさん。完全に体はエルフなの?尻尾とか爪とか、そういうのは?」
「無いよ」
「本当に!?」
「何でそこに食いつくんだ?お前さんは」
テディベアの尻尾が付いたエルフ…というより、目の前のシルチェの姿を想像した冬威は視線が自然と下がって彼のお尻あたりを見つめてしまう。それがいたたまれないのか、箒と塵取りを持ったシルチェは足早にその場を去ろうとした。
「あ、片づけが終わったならお茶の用意お願いできます?」
「分かりました」
「なぁなぁ!ちょっと触らせてよ!」
「何処をだ!…ってか、ついてくるな!」
「いいじゃんか減るもんじゃないし」
「何だお前は。変態か!?」
「失礼だな!純粋な少年の好奇心を…」
「少年?お前いくつだよ」
「17だけど?」
「はん。人間族は15で成人らしいぞ。地域によっては12のところもあるみたいだ」
「マジで!」
ギャイギャイと騒がしくしながらも冬威はシルチェについて行ってしまった。そのテンションに乗れなかったジュリアンはポカンとしたまま2人を見送る。そんな彼に神樹様がそっと近づいた。
「あなたはこちらに来てもらえます?その植木鉢も…ずっと持っててもらって悪かったですね」
「いえ、大丈夫です」
そう言いながら2人が出て行った方とは別の方にあるドアに向かう神樹様。その後を普通に追いかけながら改めて植木鉢を見下ろした。
「コレ、造花じゃないですよね」
質問にしては声は小さかったが、静かな室内では問題なく届いたようだ。荷物を持っているジュリアンの為に扉を開けた神樹様は、彼を振り返りながら微笑んだ。
「生きていますよ。賢者様」
なんだ、やっぱり生きているのか…と頷いていたジュリアンは、後に続けられた言葉にきょとんとした顔をして神樹様を見る。
「けんじゃ?」
聞き間違いか?と思いながらゆっくりワードを繰り返せば、頷いて見せる神樹様。どうやら聞き間違いでも言い間違いでもなかったらしい。




