088 エルフの里、そして神樹様【終始静かな神樹様】
終始静かな神樹様と、熱く言い返し語るシェルキャッシュの言い合いはいつの間にか終わっていた。結果は今現在みんなで里に向かって歩いていることから、神樹様の勝利だったようだ。
先ほどとは変わって肩を怒らせつつズンズンとひとりで歩いていくシェルキャッシュ。あの高いヒールの靴でよく歩けるな、と思いながらも元気に進む彼女の背中を追いかけながら、冬威は隣にまで下がってきていたトズに顔を向けた。ちなみにシルチェは相変わらず最後尾だ。
「しんじゅさま?…って、言ってた?それとも人樹様って言ってた?」
「うん?神樹様?シンジュだよ。神の樹で神樹様」
「へぇ、神様の樹なのか。なるほどね、だから声しか聞こえなかったのかな?…ってか、あのあたりに神様が居たって事なの?」
「神樹様はどちらかというと植物に近いお方だからね。この森の木々を使って周囲の様子を伺えるし、里に居ながら森の端の様子を見ることだってできるんだ。見るだけでなく聞くことも出来て、話す事も可能にする。そのお力で我らの里を守ってくださるのさ」
「なんだかすごすぎて良く分からないけど、すごいんだね。トズさん達エルフは森の民なんでしょう?皆にも出来る事なの?」
「いいや。神樹様のお力さ。神樹様が居るから、エルフの森は守られているんだ」
そんな会話を横で聞きながら、ジュリアンは少しだけペースを遅らせて冬威とトズから半歩遅れた場所に下がった。似たような力に感じるが、同じなのだろうか?…いや、音声を伝えるという点においはジュリアンには扱えない。似て非なる力なのだろう。少し気にはなるけれど、似たような力を持っているという事を知られるのは面倒で積極的に会話に混ざろうとは思わない。
それでも何かしら有益な情報が得られるのではと続けられる会話に耳をかたむけていた。
しかし、そんなどこか穏やかな時間も里につく頃には驚愕に変わる。
視界を遮っていた白い霧がまるでドライアイスを風で吹き飛ばしたかのように無くなり視界が開けると、思わず足を止めて冬威は叫んだ。
「なんじゃこりゃ!」
目の前には、さすがエルフと言わんばかりの木造建築や、木をそのままくりぬいて家にしたようなファンタジーさながらの光景が広がっている。だが、ひときわ目立つ赤い屋根、そこに掛かる看板には見覚えがあった。この世界で初めて冒険者登録をした、あのギルドの看板だ。隣のジュリアンも驚きに固まっているので、見間違いでは無いらしい。そしてさらに、その建物に出入りする存在を見て目をむいた。
耳がとがっていない。普通の人。そう人間が普通に闊歩しているのだ。…もしかしたら見た目だけ人間に近いエルフなのかもしれないけれど。…いや、身体的特徴が出てエルフと分類されるのであれば、丁度ギルドから出てきたあのひげもじゃでお世辞にも美形とは言いにくい冒険者のように見える彼は、『人』なのだ。
冬威の叫びは1にファンタジーの光景に心奪われて、2に緑の建物の中にあるひときわ目立つ赤い屋根にちょっと「此処は緑で統一性を出した方が…」という驚きを感じ、3に自分と同じ人間が普通に存在していることに見間違いかと目をこすり、そして信じられない気持ちがあふれ出たモノだった。
「…とりあえず、説明をしていただけるのでしょうか?」
気持ち的にはジュリアンも同じで、排他的だと思っていたから人間の2人が侵入したことに神経質になっていた、と思っていた彼は静かにトズに質問を投げる。彼女は聞かれることが分かっていたのかすぐに彼の方を振り向いて頷いた。
「あぁ。分かっている。君たちが聞きたいことも、知りたいことも、私たちが話したいことも、教えてほしい事も、出来る範囲の事で答えるし、聞かせてほしい」
「場を設けてもらえるんですね」
「当然だ。君たちは今のところ、何の罪も犯していない」
「そんな訳ないじゃないですか!不法侵入は罪にならないとでも?」
2人の会話にシェルキャッシュが割り込む。ムッと眉を寄せていて怒り顔を見せていても美人の彼女はそれほど怖くない。声色も柔らかく、怒るという動作がこれほどまでに似合わない人に会うのも初めてかもしれない。ただ、優先順位は冬威が今のところ最上位のジュリアンにとって、相手が誰だろうとまったく気にはならない。いちいち突っかかって無駄に怒っていると感じる彼女に対抗するべくジュリアンは身体を向けた。それに合わせて冬威もそちらを向く。
だがそんな2人をかばうように、トズが先に口を開いた。
「シェル、とりあえず神樹様の判断に従いここに連れてきたんだ。まずは話し合いの場を設けて、状況を把握するのが先だよ」
「…。トズ姉さまもソレ等の味方ですの?」
また言い争いが繰り広げられるのかとうんざりした顔を隠しもしないジュリアンは会話をトズに任せ、視線を外して里の中を観察することにした。最初のうちはどうするべきかとオロオロしていた冬威も、回数が重なると「またか」という気分で1歩下がる。
と、此方に歩いてくる人を見つけてジュリアンはその人物を注視した。その人影はまっすぐにこちらに向かっているようで、次第にその容姿もはっきりとする。
緑に明るい青が入ったような緑色の髪、優しそうなたれ目は新芽のような鮮やかな緑色の瞳。髪は長く腰のあたりまであるようだが高い位置で1つに縛って後ろに流している。髪の毛は緩やかにウェーブしていて、着物のような服装にストールを肩にかけて裾を風に閃かせる姿が抜群に艶やかに見える。ただ、パーツは美形だが細部まで見ると骨格からして男性に見えた。耳はエルフたちと比べると短く感じるが、尖っているように見える。
里の中のせいか鞄などは持っていないが、その両手で小さな木が植えられている植木鉢を1つ抱えている。
荷物を運んでいるだけで、すれ違うだけなら道を通れるように広く開けようと少し脇に寄るが、その人はまっすぐジュリアンと冬威を見てそちらに近づき、目の前まで来て足を止めた。
「ようこそ、エルフの里へ。歓迎しますよ、お客人」
おや?この声は先ほど森に響いたものと同じだ。という事は、この人が神樹様で偉い人なのか。落ち着いた様子の声だったからもっと年上を想像していたが、見た目では年齢が分からない。何となくシルチェと同じ歳かそれより若く見えていたその人に軽く会釈されて、冬威も慌てて頭を下げた。
「あ、ども。お邪魔してます」
「いえいえ。お呼びしたのはこちらですから。…では、長の家に案内します。ついてきてください」
なんと。偉い人がお出迎えに出てきてしまったよ?放っておいていいのか?という視線をトズに送るが、依然としてシェルキャッシュと言い争いを続けていた。しかも彼女たち2人の周りにうっすらと緑色の光の壁のようなものが見える。周囲のエルフたちはそれの外側に居て神樹様の存在に気づき森の中で声が聞こえた時の様に膝を地面につけていているのに、まるでシャボン玉の中に入っているような2人には神樹様が側に居ることが分からない様だ。どうなっているんだ?と驚いて冬威が手を伸ばした。
「ダメです。触ってはいけません」
あと少しで触れる、というところでいつの間に接近したのか神樹様が冬威の手首をつかんで止める。少しだけ驚いたがそのまま無理に力を入れることはせず手の動きを止めて冬威は首をひねって神樹を見上げた。悲しいかな、神樹様は冬威より身長があるようだ。
「これは…」
「簡単な結界と思ってください。大丈夫、数分もすればなくなってしまうものです。…シェルキャッシュは悪い子ではないのですが、何分思い込みが激しくて。トズラカルネが相手をしてくれている間に、家に向かいましょう」
「トズラカルネ?…ってトズの事?」
「おや、正式名を伝えていませんでしたか?そうですよ。彼女の事です」
「え、それって、僕たちに教えてしまっても良い名前なのですか?名を知られると困るとか、そういうたぐいの物は無いので?」
トズの本名らしい。冬威の素朴な疑問に頷いてくれた神木様。それに大丈夫なのか?とジュリアンが気遣わし気な視線を向けると神木様は嬉しそうに笑った。
「長いからという理由で短い物を教えているにすぎません。ご心配なく。ではいきましょう。…そうだ、シルチェ」
「…!?はい?」
ロープでグルグル巻きのシルチェは声がかかると思っていなかったのか、名を呼ばれるとビクリと肩を震わせてから少し裏返った声で返事を返して顔を上げる。
「あなたも一緒に来てください」
「え、ですが…」
「彼女たちの喧嘩中に2人を連れて行くのです。終わった後シェルキャッシュの怒りの矛先があなたに向かうとも知れません。ここは一緒に逃げましょう」
「…はい」
「では、ほかの方々は彼女たちをお願いします。気づいた時には説明をしてあげてくださいね」
僅かな間をあけて頷いたシルチェを見てから神樹様は周囲のエルフにお願いを残して身を翻す。
そして。
「…持ちましょうか?」
何となく。そう何となく。
ジュリアンは歩きだそうとしていた神樹様が抱えていた植木鉢を指して尋ねると、顔を向けていっそう深くなった笑みを向けた。
「では、お願いします」
そして受け取る小さな植木鉢。
それは先ほどまで神木様が抱えていたせいかまるで生物の様に暖かく、そしてなぜか異様に軽かった。




