087 掟、そして特異点【「人樹?」】
「人樹?」
膝まづいたエルフたちがなんと言ったのか。字面ではなく口頭では神の樹を意味したと理解できず、冬威の脳裏には初めて訪れた冒険者ギルドのギルドマスターである『人樹・デルタ』の顔が浮かんだ。
確か彼女…彼でも良いのか?でもばあさんって呼ばれてた気もする…は木から生まれた自我が身体を得たような存在みたいな説明を受けたはず。という事は、エルフたちが膝まづいている存在も、木から生まれた命なのだろうか。
ただ、声はしても姿は見えない。冬威はキョロキョロと視線を動かした。
そんな冬威の隣で、顔を上げて上を見ていたジュリアンは、右手を胸の前にまで持ち上げてからスッと落とす。見つめるのは自分の掌。最初にエルフたちから矢を受けた時、冬威を守るために矢を掴んで受け止めた右手。今はちょっと前に出血していたなんて分からないほどきれいに傷は塞がっているが、掌のど真ん中にチクチクとするものが刺さっていた。
木で来た矢が掌を傷つけた時の衝撃で、表面の繊維が掌に刺さったまま残ってしまっていたらしい。
戦闘中もトゲが残っていることは気づいていたが、丁寧に抜いている暇が無かったので放置していたのだ。
「もしかして、これがあったから…」
ぽつりとつぶやく。
植物に触れていないと使えない自分が持つ力。しかし、先ほどは何にも触れてはいなかった。それなのに植物達はジュリアンに力を貸して、エルフたちの位置と彼らの動きを熱源を伝えるという方法で知らせてくれた。だが、このかけらがそこまでの力を引き出せるものだろうか。
『連れてきておくれと言ったのに、どうしてこんなことになっているのかな?』
ぼんやりと考え込んでいたジュリアンだったが、再び聞こえた声に右手を握って顔を上げた。冬威は相変わらずキョロキョロとあたりを見渡して声を発しただろう存在を探しているが、まわりを囲んでいるエルフは皆地面に膝をついて顔を俯けていて、シェルキャッシュ、トズ、シルチェは立ったままだが顔を伏せている。シルチェはロープのせいで動きにくいせいもあるみたいだが、結局トズに無言で見つめられた後、立っていることにした様だ。
そして声の問いかけにはシェルキャッシュが顔を伏せたまま口を開いた。
「神樹様のお言葉を受けて、この者の小屋に向かったところ、こちらの2名を発見し、お連れする途中でございました」
『うん。そうなんですね。でも…なぜ森の民、エルフであるシルチェがそのようなことに?』
声は音声だけではなくこの光景も見えているようで、一人ロープでグルグル巻きになっているシルチェの事が分かるようだ。その声に反応するようにシルチェがわずかに深く頭を下げる。
「彼が我らの里に居れるのは皆が不安になるでしょうから拘束させてもらいました」
『まったく、貴方って子は』
心配そうな声とは対照的に、シェルキャッシュはつとめて明るく言い放った。まるでこうすることが正しい、自分が正義であると疑っていない様子。そんな彼女を見ているのが何となく痛く感じたジュリアンは視線を彼女から反らして森の奥を見つめる。進行方向の鬱蒼と茂る緑の奥。ピリピリとしびれる右手がその先に大きな存在があると教えてくれていた。
“貴方が昨晩、子供たちが騒いでいた人ですね”
神樹と呼ばれた声が語り掛ける。だが、なんと答えるべきかとわずかに迷ったジュリアンは何と答えようかと冬威の様子を伺いつつ口を開きかけて、ピタリと動きと思考を停止させる。
確かに先ほど話しかけられた。
だが、この脳内に響く感じに覚えがある。クロが居た時に会話した方法だ。現に先ほどの言葉に反応したエルフは居ないし、冬威も全く反応を示していない。つまりはたぶん、聞こえていないのだろう。
一度テレパシーで会話していた時の様に脳内で「子供とは?」と語り掛けるが返事が無かった。どうやらクロの使っていた物とは別の力らしい。そこでわずかに顔を下げて右手を口元に当てる。
「(子供が何をさすのか分からないので、判断をつけかねます。ですが、確かに僕たちは昨晩、こちらに来ましたよ)」
極々小さな声を出してみた。周囲の植物との感覚をつなげてくれているらしい、右手に刺さったままのトゲに語り掛ける様に意識してみれば、今度はそれで返事の仕方は合っていたようですぐに返事が返ってきた。
“良かった。『死んでしまう、助けなくては』という強い庇護の意志を感じたのです。最悪な事にならずに済んだのですね”
「(意思を?それはこの森が、ですか?…といいますか、なぜ僕たちの事を?)」
“それが分からないのです。植物とは本来ならば何事にも周りの影響に流され、その中でただ貪欲に生きる為の進化を繰り返すものなのです。植物ですからね、意識がしっかりしていないので、完全な他者を思いやる事が出来な子たちなのですよ。それは仕方のない事なのですが、今回初めて森から私に声が届きました”
そういわれて考える。昨晩川に流されながら、捕まる事が出来そうな場所を探していろいろな場所に手をついた…気もする。それの多くは川を挟む崖の壁の岩だったけれど、たまに木の根っこの様な物にも触れた。
その時に意識して力を使っていた記憶は無いけれど、助けてほしい、助けなくては、と強く思っていたのは事実だ。
「(子供…って、この森の事なのですか)」
“正確には、この森の植物に限定されますけどね”
「(子だくさんですね)」
“えぇ。皆可愛い子孫たちです”
成程な。この声が森の頂点だとして、この木々はそのものの子孫であるなら。そして矢を作っていた木材も、この森で伐採された木から作られていたのだとしたら、同じ血族…と植物に言って良いのか分からないけど…の影響で少し強く力が働いた可能性もある。
と、納得していると皆に聞こえるように神樹が声をだしたようだ。
『彼らは私の客です。どうか丁重にもてなしてください』
それに反応したのはシェルキャッシュだ。何故だ!と不快そうな顔を隠しもせずに伏せていた顔をあげて冬威とジュリアンを睨むように見つめる。
「お言葉ですが、このものは森の掟を破り、正門以外の入り口から侵入しました。本来ならば神樹様のところへお連れする事もあってはならない事ですわ」
『恐らく知らなかったと推測します。そのことを聞くためにも…』
「「知らなかった」ですべてが許されるなら、エルフの里に自衛するための兵など必要ないはずですわ。神樹様はお忘れですか!?彼らによって蹂躙されたわたくしたちの故郷の事を!」
『忘れた事はなどありません。シェルキャッシュ、里を守ろうという貴方の心は、とても大切なものだと感じます』
「ならば」
『ですが、守るだけでは里の発展にはつながりませんよ』
「…掟は、守るべきものです!特例など作ったら、それこそ滅びにつながってしまいますわ!」
一応素直に此処まで連れてきてくれた様子だったが、シェルキャッシュは今になって拒絶を示した。これで困ったのは神樹様だ。困ったような、しかし声を荒げるシェルキャッシュとは対照的な落ち着いた声だけが森の中に静かに響く。
『では、誰が彼らの話を聞いてくれるのですか?』
「聞く必要もございません。すぐさまこの森から追い出すか、処刑してしまえば良いのですわ!」
『理解していますか?そういった考えは、貴方が嫌厭する輩と同じですよ』
「いいえ!わたくしは攻め入っていませんもの。彼らが先に手を出した。こちらは防衛したにすぎませんわ!わたくしはエルフの、ひいてはこの森の掟に従い害なすものを排除する。それだけですわ」
掟とはいったい何だろうか。想像するならば、森を守るとか、必要最低限の狩りしか行ってはいけないとか、木を傷つけてはいけないとかだろうか。だが、冬威は考える。確かに境界を無断で跨いでしまったかもしれない。でもそれだけだ。狩どころか、木を切ったり森を傷つけるようなことをしたという認識はない。あの時点で土がある場所を歩いたことすらしなかったのだから。
そして姿の見えない声はどちらかというと友好的な印象を受ける。
エルフといえども、一枚岩ではないのかもしれない。トズとシルチェ、そして神樹様は穏健派、シェルキャッシュ筆頭に周囲のエルフは過激派なのかもしれない。
「わたくしたちは森を守る者。それこそ神樹様と同格の、古代竜でもなければ簡単に掟を歪めるなんて事できませんわ」
出会った瞬間から何となく攻撃的でキャンキャンと自分の良いように発言する彼女に冬威は苦手意識があった。けれど、会話を聞いてその過去や背後関係を想像して、客観的になって改めて考えてみると、彼女のその言葉は里を守らなくてはという使命感にあふれていた。まぁ、ちょっと過激思考な気もするけれど。
時を同じくして彼女の言葉に意識をはぐれてしまったシロとクロを思い出して思考を飛ばすジュリアン。
あの2匹は大丈夫だろうか。クロはずっと野生だったみたいだし、心配いらないだろう。問題はシロだ。自分になついてくれていたけれど、はぐれた事をこれ幸いと、クロがどっかに連れていくような気もする。
まぁ、自由に生きてくれるなら、それで全然かまわないんだけど。
害あるものと言っておきながら、話し合いに夢中で放置気味の2人はタイミングを合わせたわけでは無かったけれど、同じタイミングでため息を吐いた。
そして目の前の神樹様とシェルキャッシュの声色だけは穏やかな言い合いを聞きながら、ジュリアンは右手に刺さったトゲをためらうことなく引き抜けば、ピリピリと感じていた刺激もピタリと止まった。
やっと掟関係の話が出てきた…
サブタイトル、つけ間違えた気がすごくしている(焦)




