084 掟、そして特異点【フワリと音もなく飛び上がり】
フワリと音もなく飛び上がり、窓枠に音もなく着地。そのまま上半身をひねって室内に向けて手を下げると、間髪入れずにジュリアンが冬威の手を掴む。
そしてそのまま冬威が外へ出るために窓枠から斜め上方向に飛び上がれば、それに引っ張り上げられるようにしてジュリアンが床を蹴り途中で手を放した冬威が一足先に地面に足をつけ、そして入れ替わるようにジュリアンが窓枠に着地した。
なんの相談もなくやってのけたにしてはかなり息が合っていたのではないだろうか。
と、そんなことを考える間もなく。
「うふふ。確保ぉ~」
語尾にハートが飛びそうな甘ったるい女性の声がした。
今窓から地面へ飛び降りようとしていたジュリアンは、思わず身を竦めて動きを止めてしまった。それは室内から発せられたもので先ほどまで言い争いをしていたシェルキャッシュの物だったが、その言葉に対応したのは室内の存在では無かった。
小さな声だったにも関わらず何かが反応を示してガサガサと草が動く音がするが、なにも姿を現さない。視線を巡らせてから家の外壁を伝って生えていた蔦に手を伸ばせば、周囲の植物達が生物が発する熱源があることを知らせてくれる。ジュリアンは、シェルキャッシュが最初からこの小屋にだれかを匿っていると確信をもって訪れていたのだと察し、そしてその存在を決して逃がす気は無いのだろうと理解した。
「トーイ、ここは素直に…」
投降しよう。おとなしくしていよう。別に迷惑をかけようと思っていたわけでは無い。騒ぎになるくらいなら、何も言わずに去るつもりだったのだが、こうなってしまっては黙って去るだけでは解決にはならない。
「どうしよう?」という表情を浮かべた冬威が顔を向けて彼を見上げたのを見て、安心させるように落ち着いた声色で口を開いたジュリアンだったが、言い終わる前に彼は窓枠を蹴って冬威の前に飛び出した。
「え…」
冬威の顔面に向けて手を伸ばしたジュリアンに驚いて、思わずピタリと硬直してしまった冬威は、数秒遅れて目の前に何かが迫ってきていたことに気づいた。
それは木を削って鋭くした切っ先。直径1センチにもならない鋭い木の棒。しかしその先には羽のようなものがついていて、誰かが手を加えた道具であると理解する。
そしてそれに赤い筋が走り、その液体がポタリと地面に落ちた。
「ジュリアン!」
遅ればせながら気づいた。飛んできた攻撃、弓矢をジュリアンが素手でつかみ取ったのだ。掌を傷つけたのか、切っ先に向けて流れる血は止まることなく地面に赤い色を落としていく。
次の攻撃を警戒したジュリアンは、冬威を壁と身体で挟むように自分の背に隠すような位置に立って身構えた。その壁の向こう側で、トズとシルチェが声を荒げているようだが、すでに戦闘を意識したジュリアンの耳には言葉として入ってきていない。
「動かないでトーイ。これは威嚇じゃない。明確な殺意を持って攻撃された。…致命傷になりうる攻撃だった」
「う、動かないでって…」
まさか相手も初弾を止めると思っていなかったのか、ここに来て周囲に動揺というザワメキが広がる様子を感じ取った冬威は、ここで初めて囲まれているらしいことに気付いたらしくあたりをキョロキョロと見渡した。そんな気配を背中に感じながらも、ジュリアンは森の茂みを睨みつける。
「対人戦、君はあまり経験していないでしょう?」
「対人…でも、ジュリアンは戦闘力が…」
「これでもさ、兵士だったんだよ。訓練では見習い同士で打ち合いをしたんだ。魔物相手の方が、戦闘経験が低いくらいさ」
「でも、武器だって無い!」
「…本当は逃げたいけれど…包囲されてる。突破は無理だ。…ねぇ、トーイ」
「な、何!?」
気にする言葉を投げかけていたも、やはり対人戦には抵抗があるらしい冬威は無意識にジュリアンの陰に身を寄せてしまっていた。名を呼ばれてハッとするが、今更移動をすることは出来そうにない。
「リンク、つなげておいてくれないかな」
「…でもそうしたらスキルが俺に流れちゃうから…」
「発動したまま待機。そうすれば俺、自分の傷は自分で治せる」
「でも…でも!」
スキルをどんどん取得して、魔物と戦っても勝てていた現状に強くなっていると思ってうれしくなっていた。実際レベルも上がってきていたし、強くなったことは勘違いではないだろう。でも、それは魔物に対してで、国民性のおかげでお人よしな冬威は人と争う事が苦手だった。他者を傷つけたくない。
ましてや、大切な友達が誰かを傷つけるのも見たくない。だいいち相手はおそらく複数らしい。戦闘能力が冬威より低いジュリアンに何とかできるとは思えず言い縋るが、風を切る音に反応して掴んだ矢を持つ腕をジュリアンが素早く振るった事で思わず言葉を飲み込んだ。
周囲を囲んでいる見えない敵からの追撃だった。攻撃方法は最初と同じ弓矢。周囲から飛来する矢を、右手で持つ同じく矢で払い落とすジュリアンに開いた口がふさがらない。
「僕、気づいたんだ」
振り返ることはせずに腕を動かすジュリアンは、前を睨みながら冬威に声をかけた。
「君がリンクを発動していれば、君に蓄積される疲労や傷が僕に移る。もっと使いこなせるようになれば、僕がおとなしくしていることで君がいつまででも行動できるようになるかもしれない」
「うん。それは俺も、考えたことがある」
リンクが発動条件が多いジュリアンのスキル『献身』。それに発現した「スケープゴート」と「自己治癒強化」を調べた時に考えたことだ。ひゅんひゅんと風を切る音を聞きながら、全く止まる気配のない攻撃の中で何故か不安はひっそりと落ち着いていき、ジュリアンの背に守られているという安心感が冬威の心を鎮めていく。
「それでね、思ったんだよ。リンク発動が条件のその効果、僕にも適応されるんじゃないかな?って。そのための自己治癒強化なんじゃないかって…どうかな?」
何が言いたいのだ?とポカンとしてしまった冬威。
そういったジュリアンは上体を少し崩して、わずかな隙間からジュリアンを飛び越し冬威に当てようとした矢を何も持っていなかった左手でつかんだ。
今グダグダと話をしていても仕方ない。どちらにせよリンクに頼ってしまう事になるだろうからと、見えないと分かっていながらジュリアンの背後で頷いてリンクを発動させた。
光の紐が2人つなぎ、あたりが明るく輝くのに、この光を見ることが出来るのが当事者である2人だけというのはどうももったいない気もする。
そしてすぐ。
2回目は上手くキャッチできたのか、左手に矢に血がにじむようなことにはなっていないその腕を前に出して構える。
それとは反対に、今まで前に出して攻撃をさばいていた右手を依然として前を向きながら戻して、軽く上げて掌を背後の冬威に見せるように開いた。
開いた手からポトリと部分的に赤く染まった矢が落ちるが、その掌に傷はない。
どうやらリンクを発動させたこの短時間で、塞がってしまったようだった。




