083 掟、そして特異点【何か誤解しているんじゃないか?】
「何か誤解しているんじゃないか?シェル。シルチェは何も…」
「そいつの名前を呼ばないで!」
かわいらしい声であるのに、そのセリフはちょっと危ないヒステリックな女のもの。ごくりと喉を鳴らしてつばを飲み込み、気遣うような視線を戸口に立っているシルチェに向けた冬威だったが、彼は気づかないのか、あえてこちらを向かないようにしているのか、まっすぐ隣の部屋を見たままだった。
たぶん、気づいていながら無視しているのだろう。変に注目されている彼が行動を起こしてしまえば、ジュリアンと冬威はすぐに見つかってしまうだろうから。
「トズ姉さまは優しすぎます。こんな卑しい血を引く男をかばいだてするなんて。…やはり、あの時半分はエルフだからと情けなんてかけないで始末してしまえばよかったのよ!」
「シェル!…それ以上言うと、許さないよ」
「なぜですの!?どうして姉さまは私にばかりひどい事を言うのです!?」
「シェルがしようとしていることは、私たちがひどい目にあわされていたあいつ等と同じだ。なぜ半分はエルフなのだから仲よくしよう、と思えないの?」
「半分はあいつらの血が流れているって事じゃないの!…なぜ仲良くしようなんて思えるのか私分からないわ!」
当事者であるシルチェの前で行われる言い争い。それを聞いていた冬威は自分自身の中で考えた。
ラノベなどで定番の展開であるならば、おそらくきっとエルフは美形ぞろいだ。そして人間に攫われて、ひどい事もされていたのだろう。そして会話からして確実にシルチェはエルフと何かの混血。想像が正しければ、人間とエルフのハーフ。
そう考えれば、森の中ではあるが集落から離れているだろうこんな場所にポツンと1人で住んでいることも、そんなシルチェを心配して、トズが押しかけてきているのだという事も納得が出来る。
「だいいち、シルチェの事は長が決めたことなんだ。今更覆るはずはない」
長の言葉は絶対。そんな決まりがあるのかもしれない。トズがシェルキャッシュに諭すように言った言葉だったが、それで理解を示すことはなく自信満々な彼女の声が返された。
「そうですわね。私たちが生まれる前に決定された事、そんなことを今更掘り出してきたところでなんの意味もありませんわ」
「そうだろう。とりあえず今日はひとまず帰って…」
「ですが!…今日は別件ですの。忘れました?昨夜木々がざわめいていたという事。その理由、原因を見つけ、報告するようにと長に言われて来たのです」
「長に?」
横顔しか見えないシルチェだが、その表情がわずかに歪んだのが分かった。
長…とは、エルフの長だろう。それにしても木々がざわめくってどういう事なのか。思わず冬威は隣に居るジュリアンの腕を突っついた。
「…?」
視線を向けたジュリアンに一瞬迷ってから、自分自身ですら聞き取れるか聞き取れないかくらいのとても小さな声で語りかけた。彼が持つ『超聴力』に期待しての行動だったが、予想通り問題なく届いたようだ。
しかしジュリアンが同じようなことをしても冬威の耳には入ってこない。仕方なく、ハイかイイエで応えられる質問に切り替える。
「ざわめくってどういう事か分かる?」
ジュリアンは首を横に振った。しかしこれはジュリアン自身の植物を媒体とする固有スキルのせいではないかと何となく予想がついているが、ざわめきを感じたことは無く、どういう意味か分からないというのは本当の事だ。
「『昨晩』って言ってた。もしかしなくても、俺たちの事…かな?」
考えるように首をわずかに傾けてから、自信なさそうに頷く。
いいタイミングで別の何かが起きていない限り、十中八九自分たちの事だろう。しかし、断言はできない。
「…迷惑かけてるよね。早く出て行った方が、良いんだよね」
これには迷うことなく頷いた。エルフと人間の関係がどんなものか分からない。ただ、何となく良いものでは無さそうだ。少しばかりショボンと気落ちした様子の冬威の肩を、軽くたたいてやる事で慰めようとした時。
「シェルキャッシュ様。物音がします」
シェルキャッシュの付き添いできたらしい男性の声が耳に響いた。思わずびくりと2人して肩を揺らして固まる。顔の向きは変えず、視線だけでシルチェを見ると、彼もチラリとこちらを一瞥し、再びまっすぐ前を向いた。
「バレタ!?」
静かに慌てる冬威に、ジュリアンも慌てて彼の口に指を立てた。エルフは妖精と言われている(日本の小説などでは)そのため、人間離れしたことが出来る可能性もある。あの大きな耳が飾りではないならば、耳が良いという事も想像できる。
「あらぁ?…まさかこっそり拾って“キャッチ&リリース”するだけじゃなく、首輪でもつけて飼ってしまっているのかしらぁ?」
甘ったるいシェルキャッシュの声とともに、カツカツという足音が近づいてきた。シルチェが自然な動作で1歩前に出て台所に顔を覗かせないようにしたため、ギリギリの位置で足音は止まる。
「どんな毛色の子なのかしら。ぜひ見せていただきたいわ」
「何を言っているのか、分からないな」
「貴様、シェルキャッシュ様になんという物言いか!」
「構わなくてよ。…わたくし、心が広いもの。これくらい許して差し上げるわ」
「シェル!いい加減にしなよ!」
直ぐ傍で言い争いが始まった。ちょっと腰を折るだけで、顔を台所の中に居れることが出来るだろう。このままではまずい。
ジュリアンはサッと身体を起こすと、台所にある唯一の出入り口付近にいる彼女たちの視界に入らないように注意しながら、少しだけ高い位置にある窓の側に近づいた。
冬威もこっそりと静かに後を追い、窓の下に身を寄せる。
「どうするつもり?」
「台所を覗かれたらまずい。隠れる場所もないし、移動できる出入り口はシルチェさん達でふさがれてる。…窓から外に出られるか確認してみる」
「確かに…そこ開く?嵌め殺しじゃないの?」
そっと窓枠に手を伸ばすジュリアン。そして静かに開けようとゆっくりと力を入れるが、木の窓枠はぴったりフィットしているのか半端な力ではビクともしない。
「溝はある。という事は、明けられるはずだ。…でも…ちょっと待って」
サッと窓枠を手でさすって状況を調べ、両掌を指先が窓枠に掛かるように手を広げてから、窓の日本の物より濁っている窓ガラスにピッタリと手を当てて目を伏せた。
自分が持っている中で今使えるもの。この状況を打開できるもの、使用出来るスキルは生活魔法、その中の“冷却”。本来ならば肉や料理を保存するために瞬間冷凍をする魔法。これが攻撃に使えたらかなり威力が高いと思われるが、自分自身が触れている必要があり、なぜか生きているモノには聞かないという謎システムが働く。
“ピキ…ピキッ…”
空気中の水滴が窓で結露し、小さな音を立てて凍っていく。熱で水分を飛ばすことも考えたが、冷たいものは耐えられても熱い物に両手を触れている事は正直耐えられる自信が無かった。今回はそれほど大きな木枠でもなかったしこの方法を選んだが、確実にサイズを小さくするには熱した方が良かったかもしれない。
しかし今はそんな事をグダグダと考えている時間はない。そして…
“ミシッ…”
冷えたことで微々たる違いだが収縮した体積。僅かに歪む木の音を聞いて、ジュリアンは先ほどまで全くと言って良いほど動かなかった窓をスライドさせた。するとまるで油を指した機械の様に音もなくスッと開き、穏やかでさわやかな風が入ってくる。
思わずポカンとしてしまった冬威だったが、ジュリアンはすぐに膝を曲げて腰を落とし壁に背を付けて安定させると、両手を前で組んだ。
「トーイ!」
小さな声で、しかし鋭く呼ばれてハッとする。そうだ。今は時間が無い。そして窓から外に飛び出すために、迷うことなくジュリアンが組んだ手に足を載せて、彼の腕の力を借りて飛び上がった。
現実では出来なそうな事だってできるんだ。
物語だから!
…そろそろ、無双したい。




