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082 掟、そして特異点【その場に流れた緊張の空気】

その場に流れた緊張の空気の中。

大きく1歩を踏み出したシルチェに警戒して、すぐに動けるように腰を深く落とした冬威と、前世で何度も活用していた体術の構えをとったジュリアンだったが、彼は2人のそばで立ち止まってチラリと台所を覗いてから顔を2人に戻した。


「時間が無い。直ぐにここから…」

「ダメだよシルチェ。もう向こうがこっち来てる」


切羽詰まった様子シルチェげ小さな声で語りかけるが、それをすぐさま同じ様子のトズが遮った。害を与えようとしているわけでは無いらしい2人の様子に徐々に警戒が薄れていき、ジュリアンと顔を見合わせてから冬威は口を開く。


「何か起きてるの?」


数秒口をつぐんだトズが返事をしようと口を開きかけた時。


“コンコン”


木を固いもので叩かれる、ドアのノック音がやけに鋭く響いた。

玄関のドアだ。緩みかけた緊張が、再び一気に引き絞られる。そんな中ギュッと拳を握って玄関に向かおうとしたトズをシルチェが彼女の肩に手を置いて引き留めた。


「ダメだ。俺が出る」

「でも!」

「ここは俺の家だ。お前、黙って来てるんだろう?」

「そうだけど…」

「なら静かにしておけ。下手に動いて状況を悪化させることに…」


ヒソヒソと小さな声でのやり取りだったが、この状況はトズとシルチェも望んだものでは無いのだと感じ取れ、ここは抵抗するよりおとなしくしていたほうが良いだろうと思った時。“バンッ”と玄関のドアが強引に開かれる音がした。そして数名の足音が入ってくる。その中でもツカツカとヒールが床を叩く音が耳に強く響いた。


「わわっ!どうする!隠れる!?」

「隠れるって言っても…何処に!?」


焦ったようにジュリアンの腕をつかんで数歩後退した冬威は台所の中に隠れるように引っ込む。それに引っ張られたジュリアンも当然台所に引き込まれるが、それを見ていたシルチェが扉の様にその前に立って2人の存在を隠した。おそらく同時に台所へ何者かが来るのを妨げるための防波堤となるためだろう。その行動を見たジュリアンは冬威の肩に手を置いて口元に人差し指を立てた。


「落ち着いてトーイ。静かに」

「…む」

「何かまずい事が起きてるみたいだ。僕たちには何が起きてるのか分からないけど、シルチェさんが隠してくれてる。壁際に寄って、顔を覗かせない限り見られないように、なるべく小さく…」


自分は壁。

自分は家具。

そんなことを考えながらピッタリと壁に身体を張り付ける。だんだんと近づいてくる足音に緊張に自分の鼓動の音が耳にうるさく響いており、なるべく小さくなるよう意識している2人の耳に聞こえていた足音が“カツン”と大きな音を立てて止まった。


「わたくしが自ら足を運んできたというのに、出迎えも無しなんてどういう事なのかしら」


隣の部屋に響いたのはそんな女の声だった。声の質は悪く無い。それで消極的な性格をしている子だったら「守ってあげたい」なんて思われるだろう柔らかい印象を受ける。しかしその発言のせいで台無しであるのだが。


「すまないな。食事の後片付けをしていて…」

「まぁ!トズ姉さま!なぜこのような場所にいらっしゃるのです!?」


軽く頭を下げて謝罪を述べるシルチェだったが、新たにやってきた女はさらっと無視をしてトズに近寄った。現場を見ているわけでは無いので隣の部屋を歩くヒールの音で想像するしかないのだが、あながち間違っては居ないらしい。いつもの事なのか、バレないように、しかし確実に呆れた様に小さく息を吐くシルチェに「苦労しているんだな」と思わず苦笑いが浮かんでしまった。


「このような場所って…シェル、仮にも私たちと血のつながった叔父さんの家なんだよ?」

「血のつながった?…そんなの認めていませんわ。この男とは他人です」

「他人?なら私だってそうだろう。どちらかというと、シルチェの方がシェルに近い血筋なんだよ?」

「そんな事ありませんわ。だってこんな男、わたくし知りませんもの。そんなことよりトズ姉さま、どうして昨日のお茶会にいらしてくださらなかったの?せっかくローズマリーのクッキーを焼いてお待ちしていましたのに」

「私は行かないと言っておいただろうに。それより、まずは家主に挨拶をするのが基本だろう?ほら、キチンとあいさつして…」

「あら、何をおっしゃるの?トズ姉さま。此処はずっと昔から空き家でしたわ」

「…」


どうやらこの3人は血がつながっているらしい。同い年のように見えたトズとシルチェは、もしかして夫婦なのでは、もしくは恋人同士かも?なんて思っていただけに衝撃が走る。ただ、トズはシルチェを認めていて、シェルと呼ばれた女性は彼を認めていないようだ。まぁ、複雑な家庭の事情に首を突っ込むつもりもないジュリアンと冬威は、ただ黙って様子を伺うだけにとどめていた。

と、ひたすらにシルチェを無視してトズに話をしているシェルに別の人間の声がかかった。


「シェルキャッシュ様、お話はそのくらいで…」

「あら、そうだったわ。私としたことが」


まだ若そうな男性の声。しかし、トズとシルチェのこともあり、年齢がかなり上の人だったとしてももう驚かないぞと口を引き結ぶ2人。そんな中で先ほどとは少し違い、凛とした声でシェルは口を開いた。


「昨夜から、この森が騒がしいのに気づいたと思います」

「そういえば、木々がざわめいていたわね」


何のことだ?と首を傾げたジュリアンだったが、冬威は「木々がジュリアンを心配していた」というセリフを聞いていた。そのため心配そうな視線を目の前の相棒に向ける。


「そして今朝。心配のざわめきは一転して、安堵のささやきに変わりました」

「それは…」

「当然お姉さまも気づいたでしょう?そして発信地はどうやらこの山小屋。何か…ありましたね?」


黙ってしまったトズとシルチェ。何を言うべきかと思案しているようだ。しかしシェルはパチンと手を叩いて嬉しそうに笑った。


「なるほど!だからこちらにいらしていたのね、トズ姉さま。で、この男は今度はどんな罪を犯したのかしら?」


心の底から楽しそうに笑う。

そんな彼女の声に、ゾクリと背筋に冷たいものが走った。

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