080 絆、そして拒絶【思わず身震いをした】
思わず身震いをした冬威をシルチェはまっすぐと見つめていた。
“トントン…”
と、その時頭上で何やら物音が聞こえて、パッと顔を上げた。一定のリズムのそれは、何かの足音だろう。
「…この家、2階があるの?」
「あぁ。あるよ」
「ほかに誰か、居るの…ですか?」
「あぁ。いるよ」
会話を続ける気が無いのか、シルチェの返事は短い物ばかり。逆にこれが普通だとしたら、先ほどのジュリアンの会話は彼にとっては通常運転だったのかもしれない。
そんなことを考えている間に、足音はあの一定のリズムのままで階段を下りてくる。何処に階段があっただろうか?と考えて、今更ながらにここが他人の家であることを強く自覚し「速く戻ってきてくれジュリアン!」と良いタイミングで出て行った相棒を思った時、ドアのところに影が立った。
いったい何が出てくるかと戦々恐々していたが、ドアを開けて現れた姿に思わずポカンとした顔で見とれてしまう。
「おや、起きられたのか。身体の方は問題なさそうかい?」
そこに居たのはハスキーボイスが格好いい長身の女性だった。
顔のパーツはどこかシルチェに似ている気がする。肩にかかるくらいの長さの鮮やかな金の髪に、やや細めの眼には緑の瞳。空色のバンダナを巻いていて、それと同色の袖のないトップスはおへそが出るくらいの短さ。胸のサイズは大き過ぎず、かといって貧乳ではない形のいいものだ。そして袖の代わりに小手の様に同色の布を両腕に巻いていて、下は黒いロングキュロットに同じく黒いブーツという恰好。
露出は多めに感じなくもないが、決していやらしい印象は受けない。それは精霊のような印象を受ける尖った耳の特徴と、姉御っぽい彼女の空気のせいかもしれない。
「…。…へ、あ、俺か」
マジマジと視線を送ってしまった冬威から返事が返ってこない為、彼女が軽く首を傾げて返事を促せば、ハッとして思わず立ち上がった。
「おかげさまで、もう大丈夫です。家を貸していただいて、ありがとうございました。あと…えっと、はじめまして、俺は…」
「なんだい、初めて顔合わせたわけじゃないのに、初めましてなんて酷いんじゃないかい?」
彼女の返事にきょとんとしてしまえば、シルチェから助け船が出される。あまり口数は多くない様だが、空気が読めないとか、気配りが出来ないとか、そういう風でなないらしい。
「仕方ない事だろう。話を聞いた限りでは、彼は意識が朦朧としていたようだった」
「でもねシルチェ、確かに暗かったけど顔は合わせたと思ったんだよねぇ。だって彼は自分の足で立っていたんだよ?なぁ?」
初対面では無い。毒を盛られてフラフラしている間に出会っている。しかも1人になって居た時というと、誰かに出会った記憶がある場面は1つしかなかった。
「あの、もしかして貴方は川で出会った…」
思い出した冬威に満足そうな笑みを向け、そして一度大きく頷いて見せた。フワリと広がる優しい空気に知らず知らずのうちに張っていた緊張がほぐれる。
「やっと思い出したのか?…そうさ。私の名前は「トズ」見た通りエルフで、ここに住んでるんだ。あんたを探しに行って、連れてきたのは私だよ」
満足げに言い切ったトズの言葉に「住んでいる?おしかけて来ているだけだろう」とシルチェがぼやくが、聞こえていないのか、あえて聞こえないフリをしているのかトズは気にせずに冬威の向かい側の席に近づいた。
その場に座っていたシルチェが立ち上がって、狩ってきた獲物を抱えて移動していくと、その場所にストンと腰を下ろして冬威にも座るように手で合図を送る。それに素直に従って再び椅子に腰かけると、トズは長い脚を優雅に動かして足を組んだ。
「昨晩は森の木々がざわめいていてね、シルチェが川からジュリアンを拾ってきたときは驚いたものさ。森が人間を心配するなて、長く生きている私たちも初めての体験だったからね」
「森が?ジュンを心配していた?」
「たぶんね」
「植物の言葉が、分かるって事?」
「まさか。ドライアドじゃあるまいし、そんな明確に分かるわけじゃない。ただ、私たちは森の民。森と共に生き、森に守られている一族。そのおかげで…なんていうのかな。雰囲気っていうの?そういった空気を感じる事が出来るんだよ」
「ドライアド…」
日本に居た時に聞いたことがあるワードが飛び出してきた。神話のキャラクターでファンタジー系の物には、まぁ定番と言えるかもしれない『ドライアド』という存在。春香が騒いでいるのを気を付けて聞いていたはずなのに、興味があまりない話だったのかあまり記憶に残っていない。しかし確か植物人間的なものだった気がする。と、ここまで考えて、思い出されるのは冒険者ギルドにいたデルタだ。
確かあの人も植物が人間になったとかそういう存在だったとチラリと聞いたはず。まぁ、詳しい事はさらりと流して忘れてしまったので、後でジュリアンに尋ねよう。
そう考えた時、ちょうど彼が戻って来た。
「…あ、おはようございますトズさん」
「おはようジュリアン。水を汲みに?」
「えぇ。昨晩トズさんがおいしい湧き水があるって言っていたので、気になって」
「成程。でも教えた場所は川の近くだっただろう?この雨で砂が巻き上がって水は濁っていただろうに」
「そうなんですよ。だから川まで行ったけど結局井戸から汲んできました」
「どちらも湧き水という点では変わらないと思うけどって言ったよね?」
「何となく、井戸の水より川の水の方が新鮮なイメージがあります」
「そうかい?それは…良く分からないね」
日本で生まれ育ったせいだろう。たとえ同じ湧き水であるとしても水が留まっている井戸より流れている川の方が綺麗なイメージがある。ただ、これは個人の感覚だろうと分かっているので頭ごなしに否定するのではなく、ジュリアンは『自分はこう感じている』という事を強く出しているわけだけど。
「まぁ、そんなことより。よく休めたのかい?」
「おかげ様で」
「どうだか。…1晩中彼についててあげたんだろう?疲れが残ってるんじゃないの?」
「いえ、椅子に座ったまま僕も眠りこけてしまっていましたから」
「…そうかね」
スッと細められるとまるで突き刺さるような探るような視線が向けられる。しかしジュリアンは苦笑いを浮かべてから手の水瓶を抱え直して、軽く会釈をした後何も言わずにシルチェのいる台所と思われる方へ歩いて行った。
その背中をじっと見ていたトズは視線を冬威に戻す。
「彼は人間かい?」
「そうだよ?」
「森に好かれる人間か。…そういえばいつまでここに居るつもりだい?」
突然の話題転換。そしてその内容は今まで心配してくれていた先ほどとは少し雰囲気が違い、早く出て行ってほしいと言っているように感じた。




