007 誘拐、そして始まり【幾分か暗闇に慣れてきた】
幾分か暗闇に慣れてきた目であたりを再度見渡してみると、壁際に本棚のようなものや簡単な机が置いてあるのが見える。しかしどれも室内が薄暗いせいか、暗い配色のせいか、どんよりとしていて禍々しい気がした。それほど広くはない正方形の部屋の中央部に居ることに気付いて、もう一度自分たちの足元を見る。
床にあの魔法陣らしきものが書かれているが、今は特に光ったりしていない。どんな仕掛けがあったのだろうか?特撮か何かかな?
「…あの、そろそろ帰って良いですか?長居すると親も心配するだろうし」
何だかちょっと黒歴史になりそうな痛い部屋だな、なんて考えていた冬威とは違い、春香はすぐに帰宅しようと立ち上がり、2つの人影に声をかけた。そこで慌てて冬威も立ち上がり、同意するように頷く。
「俺も、あの時すぐ帰るって親にメール入れてたし、あんまり時間くってるわけにはいかないんだよね」
「帰宅…ですか?…あ、説明がきちんとできていなかったですね」
コテンと首をかしげる小さな影は、ここで初めてフードをとって素顔を見せた。
輝くような金の髪は緩やかに波打ち腰辺りまで長さがあり、前髪も同様の長さらしくセンターで分けている。2人を見つめる大きな瞳は緑色をしていて、まるで人形のような美少女だった。思わず見惚れてしまった2人には気づかない様子でまるでドレスの裾を軽くつまむかのように黒いローブをつまみ、軽く頭を下げて挨拶をする。
「改めまして。…初めまして、私の名前はツフェリアーナ・ペニキラ。この大国ペニキラの第2王女です」
「大国ペニキラ?」
「第2…王女…様??」
その動作はきれいで洗練されたものであることは一目瞭然であり、それなりに育ちが良いのであろうという事は疑いようもないのだが、彼女の口から告げられた事に理解が追い付かず、春香と冬威はポカンとした顔で見つめてしまう。するとそばに居た大きな人影がツフェリアーナを守るように前に出て、彼女を背中に隠した。
「ツフェリアーナ姫の挨拶になんて態度だ。やはりこれらをこの世に出すわけにはいかぬ」
「お待ちなさいファギル。この方たちは世界を渡ってこられたばかり、分からない事だらけなのは仕方ありませんわ」
「しかし姫様…」
大きな影がいきなり近づいた事で思わず身がすくんでしまったが、彼の言葉は「確かに」と思える部分もあった。ようするに、高位な人間が頭を下げて挨拶してくれたのに、無反応とはなんたることか、と言いたかったのだろうと勝手に解釈し、春香はガバッと90℃腰を折って頭を下げる。
「失礼しました!えっと、いきなりで驚いてしまって。私は春香って言います。こっちは幼馴染で同級生の冬威、よろしくお願いします!」
「えぇ?!」
突然の春香の行動に、ポヤポヤと「こいつら黒歴史作ってんだな、ナウ」なんて考えていた冬威は驚いた顔で隣の春香を見る。そのまま声をかけるにかけられず「おまえ何やってんの?」と言いたそうな顔を向けると、頭を下げたままチラリと冬威を見上げた春香と目が合った。無言で睨むように目を細めて「あんたも頭を下げなさいよ!」と言うかのように視線だけで姫様たちをさすのが分かると、ハッとした様子で冬威もその場で頭を下げる。
「…俺の名前は冬威です。すいません、なんか姫様に見とれちゃって…」
「まぁ、うれしいわ。うふふ」
適当な誤魔化しをマジで受け取ったのか、姫様は少し嬉しそうに笑った。それよりも鈴がなるような声とはこういうものを言うのだろうか?彼女のちょっとした動作も綺麗で絵になる。それに美人であることは嘘じゃないし、見とれたってこともあながち間違いじゃないしな。そんなやり取りにファギルと呼ばれた男が怒りを鎮めたのか呆れた様に息を吐き出した後で1歩下がった。
「ハルカ様とトーイ様ですね。いつまでもこんなところではなんですので、上へ参りましょう。詳しい説明もしなくてはなりませんし、お食事の用意もしてあります。…ファギル」
「はい、姫様」
「食事!?いえ、何もそこまでお世話になるわけにはまいりませんよ。ね?冬威」
「そうそう。どういうカラクリなのかは分からないけど落っこちてきただけだから、まだあの道の近所でしょ?ってことは俺たちの家の近くだから…いや、ですから、なるべく早く帰りたいかなって…」
ツフェリアーナとファギルの後ろにあった唯一の扉、声をかけるとスッと動いてファギルが扉を開くのをさも当然とばかりにツフェリアーナが見つめるが、春香はツフェリアーナの言葉にあまり差し支えないように断ろうとし、冬威もそれを援護する。しかし簡単に敬語が外れてしまうとファギルに思いっきり睨まれ、慌てて口調を直そうとするが使い慣れない言葉にしどろもどろになってしまい、そんな慌てる様子を見てツフェリアーナがクスクスと笑った。
「すみません、面白い方ですねトーイ様。…帰還に関しては問題ありません。今まで何度も勇者様をおよびしております。とりあえずはまず先に、現状を把握していただきたいのです」
「…はぁ…」
笑ってしまったことに謝罪をしながら、ツフェリアーナは扉の向こうにあった階段を上がっていく。その後ろ姿を見ながらどうしようかと春香と冬威は顔を見合わせるが、ここにじっとしているわけにもいかない。どちらにせよ唯一の出口である扉はくぐらないといけないのだ。それでももたもたとしていたら、ファギルに睨まれてクイッと顎で「進め」と言われたので、暴力に訴えられる前に2人は足を進め階段を上り始めた。
「…なぁ、春香もしかして信じちゃってるの?」
「まさか!さっきのは穏便に済ませようと話を合わせただけ!」
「でも、結構こういうの好きだっただろ?本だってたくさん持ってるじゃん」
「ラノベで読む分には大変大好物でありますが、自分が体験するってなると…。冬威はどうなのよ?RPGではよくあるパターンでしょ?」
「あれはゲームであるから良いのであって、実際なりきってる人を見るのはちょっと辛い!しかも俺たちのご近所さんかもしれないと思うと…動揺が隠せないです」
「それは私だって同じよ!時と場合を考えないコスプレは周りの見ている人だって心が痛いんだから!」
小さな声でギャイギャイと言い合いながら階段を上がっていくと、だんだんと明るくなっていくのが分かった。どうやら太陽光が入る場所まで来たようだ。とりあえずこの建物があるのはどのへんだろうか?ここから帰るとしたらどれくらいかかるかな?なんて軽い気持ちで窓の前を通過するときに外を見た冬威は、広がる風景に思わず窓に駆け寄った。
「なっ!?」
「何?どうした…うぇ!?嘘!?」
地下かと思った部屋は実際には窓が無かっただけで3~5階程度の高さのある部屋だったようだ。いや、そんな事よりも。目の前に広がるのはヨーロッパのような古風な家が立ち並ぶ街並み。自分たちが居るのはそれらを見下ろせるほど高さのある建物。
どうなっているんだ?
ここは何処だ?
疑問が浮かんでは声にならずに消えていく。しかしツフェリアーナは2人の心中を察した様子で、再度同じことを口にした。
「先ほども申しました通り、私の名前はツフェリアーナ・ペニキラ。この大国ペニキラの第2王女です。ここはペニキラ城、王宮であり、わたくしの住まいでもあります」
ギギギと音がしそうなほどぎこちない動作でツフェリアーナを振り返った2人は、ここで初めて彼女が言っていることが嘘ではなく真実なのではないだろうかと思い始めた。