076 乙女達の祈り
「何なの…これ…」
彼らの出発の日。
ギルドマスターに掛け合って、やや強引に同行メンバーにねじ込んで飛び入り参加を果たしたシャロンは、集合場所となっている西門にやってきていた。しかし、そこに彼らの姿はなく、あるのは荷造りに使ったと思われる鞄が2つ、そして装備として用意していたらしい剣が1本。
デザインは普通の物で…たしかジュリアンは自分が持ってきていた剣を引き続き装備していくと言っていたから、この武器はおそらく冬威の物だろう。
そして、ところどころ不自然に切り裂かれている下草と、その周囲に飛び散る赤い液体。
辺り一面を赤く彩り、緑の植物とのコントラストが不安を無性にかきたてる。
「もしかして…血…なの?」
「あ、君!…確かあの2人の監視についてた冒険者の人だよね!?」
目の前に広がる光景が信じられず、呆然と立ち尽くすシャロンに背後から声がかけられた。
パッと身を翻して声のした方へ顔を向けると、数日前に町の東門のところまで2人を探しに来ていた人物、魔獣部隊のエリックが見え、こちらへ駆け寄ってくる所のようだ。他に人影は見えないし、声をかけたのは彼だろう。そういえば彼も旅の正規メンバーだったはず。何が起こったか知っているのかもしれないと、シャロンも足を進めて彼と距離を縮めた。
「エリックさん!これはいったい…何があったんですかぁ!?」
「…そっか。君も知らないのか。…それが、俺が来た時には既にこの状態だったんだ」
「えぇ!?」
血の海と言っても良いような目の前の惨状に最悪の事態を想像して、サッと顔が青くなったのが分かったのだろう。エリックは慌てて軽く手を振った。
「ただ、血痕の量はもっと少なかったよ」
「それってどういう…?」
「血の匂いにひかれて魔物が集まってきてしまっていて、一度軽い戦闘がここであったんだよ。だからほとんどは魔物の物さ。今は浄化もある程度済んでるから大丈夫だけどね。血液独特の臭いもあまりなかっただろう?」
「なるほど、そうだったんですね。それで、彼らは?」
「それが、行方が分からないんだ。俺らが手伝って荷造りした彼らの荷物があるから、ここに戻ってくるのでは…と思っているんだけれど、最初に残っていた血痕が彼らの物だったなら、何かが起こって身動きが取れない事も予想される」
「襲われたって事ですかぁ?でもこんな門のすぐそばまで普通魔物って寄ってきます?」
「無いとは言えないけれど、可能性は低いと俺も考えているよ」
「じゃあ、何者かに襲われたってこと?…誰か目撃者はいなかったんですか?」
「それが、かなり朝早い時間だったみたいで情報が集まらないんだ。この事態は魔物が集まってきているのをその鳴き声で近所の人が気づいたらしくて、それで通報が届いたんだよ。その知らせが来たのも日の出前だったから…」
「どれだけ早起きしてたんですかぁ!あの2人は!」
「とりあえず、ついてきてくれる?色んな人の証言を合わせて、今どうなっているか調べている最中なんだ。どういうわけか、防衛の陣も発動していなくて、人為的な何かが起きている可能性の方が高いんだよ」
「分かりました」
エリックの言葉に頷いて、歩き出す彼の後をついていくシャロン。その心は不安が大部分を占めていて、最悪の事態が脳裏をよぎる。
「(ううん、大丈夫よ。あの人達は何だかんだいって運強そうだったもの。それに2人揃っていれば、そう簡単にくたばったりしない…と思う。…もう!こんなに心配させて!後で絶対文句言ってやるんだから!)」
胸の前で手を握り、シャロンはぎゅっと唇をかみしめた。
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「はぁ…はぁ…」
「グルルル」
「いったいどうしたと言うのだ。もうオマエの前の主は居ないのだぞ」
森の中。切り立った崖の縁にザウアローレと黒い魔物が立っていた。元の主を奪った魔物で追いかけまわし、崖から突き落としたまでは良かったのだが、いざ帰還しようとした時黒い魔物はザウアローレの命令に反発するように警戒の唸り声を発し始めたのだ。
それだけならまだ良かったのだが、身体の自由を取り戻しつつあるらしい魔物はザウアローレに攻撃を加え、彼女も折角手に入れた魔物に傷をつけまいと避ける事しかできなかった。
「従属の首輪が壊れたのか?…いや、そんなはずはない。魔法陣は発動しているようだし…自力で破壊できるとでも?…いやいや、それこそ竜でもない限り、そんな事不可能だ。ではいったい何が…」
ブツブツと呟きながら頭を働かせるザウアローレに、目の前の黒い魔物が言葉を発した。
「オロカナ ヤツダ」
「…何!?お前が…喋ったのか?」
「グルルルル」
人語を理解する魔物はそれこそ何処にでも居る雑魚とは違う。竜を筆頭に、精霊であったり、妖精であったりと、強い力を持つ個体である場合が多いのだ。突然の発言に驚き空耳じゃないかと一瞬考えはしたが、ザウアローレは自分が手に入れたこの黒い魔物が予想以上に大物であることに喜びを隠しきれず、喋った内容を理解するより先に口の端が上がり笑顔になるのをこらえられなかった。
しかし。
「ガウ!!!」
「うわ!」
いったいどこに潜んでいたのか。
もう1体、あの2人を守るようにしていた白い魔物がザウアローレの後ろから飛び出してきた。とっさに避けたが最初から狙いはザウアローレではなく黒い魔物の方だったようで、勢いよくその首元に食らいつく。それを見てザウアローレは慌てて腰に下げていた剣を抜いた。
「お前!何をしているんだ!…くそっ、一緒に落ちたところは確認していなかったが、まさか復讐でもしに来たか!」
振り上げて、勢いよく下ろした剣はしかし途中で威力を落とす。
怒りでカッとして首をはねようと真っ直ぐに下ろそうとして、ある程度のけがを負わせればこの白い魔物も従えることが出来るのでは?と考えたせいだ。致命傷は避けて、しかし完治すれば今後の活動に響かない程度の怪我を…と考えている間に白い魔物はパッと離れて距離をおいた。ピョンピョンと跳ねる様に駆けて、ザウアローレの後ろに回り込む。しかし彼女も視線を外さず、剣先を向けたままで対峙した。
「…なんだ?どうした、怖気づいたか!?…っ!??」
挑発してみるザウアローレだったが、横から衝撃を受けて思わず前に倒れて地面に手をついた。しかしその反動を利用して身体をひねり再び大地に両足をつけて顔をあげれば、体当たりをしてきたらしい黒い魔物と目が合う。
一瞬いぶかしんだが、次の瞬間にはザウアローレの顔は苛立ちに歪んだ。白い魔物の攻撃を受けて、首輪はズタズタのボロボロになってしまっていたのだ。そのおかげで大分拘束が緩んだらしく、黒い魔物の瞳の色は本来の物に戻りつつある。
「お前…狙いは黒い奴の命ではなく、その首輪か。魔物風情がよくも…」
「グルル!ガァ!」
パッと駆け出した黒い魔物。それから逃げるために身を翻したザウアローレは、崖を背にして森の中へと走っていく。
「失敗?この私が失敗しただと!?いいや、そんなの絶対認めないぞ。あれは既に私の物だ、ぜったいにいう事を聞かせてみせる。諦めないからな!」
剣を握って喚き散らしながら走っていくザウアローレを、牙を剥いてうなりながら追いかけていく黒い魔物。その途中で一瞬足を止めて白い魔物を振り返った。
“フェンリルよ助かったぞ。これであの人間を八つ裂きに…”
「クーン…」
“…。分かった、すぐに戻る。ジュリアンたちの捜索はその後だ。待っておれ”
「ワンワン」
そして走り出すクロ。僅かに開いた距離を、そのスピードで追い上げてあっという間に縮めていく。その背中はすぐに見えなくなり、森の中に女性の悲鳴が響いた。
**********
ユラユラと揺れる。
あたたかな風に包まれているよう。
…表現が変かな。風…というか、海と言った方が良いのかも。
-貴方は、だあれ?-
声が…聞こえる?
誰の声?分からない。
-貴方は、だあれ?-
空耳では無いみたい。
私の名前?
私…私は…
「ハルカ」
…だったはずだよ。
閉じていた目を開ける。
冬威とジュリアンが落下した崖の上。
心配で何度1人…いや、1匹で飛び降りようとしたか分からない。しかし、クロの言いつけ通りその場所に伏せの状態で待っていたシロは、ふと気配を感じて立ち上がった。
“待たせたな。それでは参ろう。あやつの気配は記憶しているが…この森では難儀するだろうよ”
「大丈夫。早く行こう」
そう返事を返した時。一瞬きょとんとした顔をしたクロは、次の瞬間には穏やかに笑った。
獣の顔なのでそんな感じがした、程度の変化しか見て取れないのだが。
“言語を理解し、発することが出来るようになったか”
「そんな事より、早く行こう!早く探してあげなくちゃ!」
“分かった分かった。とりあえず下まではわれの翼で降りるとしよう。ゆくぞ”
瞬く間に黒い魔物の姿から本来の竜の姿に戻ったクロは、静かに首をおろし、背にシロを乗せた。そして風をつかみ舞い上がるべく、大きく両翼を広げる。
いざ飛び立とうという時にペチペチとシロが前足を使ってクロを叩いた。
「ねぇ…殺したの?」
誰を、という言葉は抜いた問いかけであったが、正確に理解したクロは喉を鳴らして笑って見せた。
“いいや”
その返事が本当か嘘か、現場を見ていないシロは判断できない。
血の臭いがしないことは確かだが、身を清める時間も十分にあった気がする。だが次の瞬間にはジュリアンと冬威を陥れたそんな奴の事はどうでもよくなり、「そう」と短く返しただけだった。




