073 堕ちる、そして落とされる【早朝。】
早朝。
まだ太陽が完全には昇っておらず、あたりはまだ夜の闇がぼんやりと残る。東の空はだんだんと明るくなり始めていて、早起きな鳥たちが囀り、飛び交っていた。
そんな清々しい空気の中で、ゆっくりと両手を広げて大きく息を吸い込めば、ひんやりとしながらも澄んでいる空気が肺に満ちる。
今日はあの話し合いからちょうど3日後。
ジュリアンが決めた旅立ちの日。
狙ったわけでは無いけれど、天気も良くて新たな門出を世界が祝ってくれているような気分になる。
冬威は横に広げていた手を戻しながら、吸い込んだ息をゆっくりと吐きだした。そしてクルリと振り返る。視線の先には、相棒の姿。彼は足元に2匹の魔物を侍らせながらも、冬威をまっすぐ見つめていた。
「なぁ、ジュン」
声をかければ少しばかり首を傾げて返事とする。どうしたの?と雄弁に語るその視線に、分かりやすいな、と感じながら苦笑いを浮かべた。
「俺たち…早く起きすぎたかな?」
「…うん、その可能性は否めないかな」
冬威の質問に、首を縦に振りながらジュリアンは答えた。
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3日後を旅立ちと決定したあと、持っていくべき必需品の事を聞いたり、必要な書類などの受け取りなどで何度か魔獣部隊を訪れた。その際にヘレンがくれた、空間魔法がかけられた鞄は荷造りに大いに役立ったものだ。「古い物だが」と言われたそれは意外としっかりした革製品だが、見た目は小さなA4サイズの物が入る程度の大きさ。しかしいざ収納してみると、その中に入る容量は約5立方メートル程で、大体軽トラックの荷台と同じような大きさが有るというまさに空間マジック。しかも重さも軽減されるようで、一度試しに川に落として満タンに水を入れてみたが苦も無く運ぶことが出来たため、かさ張る寝袋や野宿用のテント、調理器具や火種用の炭などの重い物、後は2人のアウターや着替えを数着これに入れている。ただ、入口はこの袋の口に入る大きさが限界で、大きなものを無理やり押し込むことは出来ないし、時間経過も普通にするようで、食材等も放置すれば腐るので要注意らしいが、これは致し方ない事だろう。
それでも生活魔法で水が出せるジュリアンが居るため持っていくべき荷物は大幅に減っていて、そのスペースに別のものを置く事が出来るから比較的旅は楽になるだろうエリックに言われた。
それとは別に、簡単な薬だったり、タオルや軽食などは各自で用意した鞄にも入れているのだが。
異世界トリップにありがちな、アイテムボックスが使えればなぁ…と冬威は愚痴っていたが、無いものは無いのだから仕方がない。それでもこの鞄をもらう事が出来ただけラッキーだと思わなくては。
そして出発前夜。
最終確認のため、ヘレンがギルドに赴いて、デルタを交えて話し合いを行った。
その時に、出発は「明日の朝。早朝に西門に集合」という事になったのだが、正確な時間というものを把握していないことに就寝間際になって気づいたのだ。
「兵士の方が居るから、早朝って言ったら本当に早い時間かと思ったんだけど…」
「ジュンが『早朝』って言われたらどれくらいの事?…あ、この世界の「丑三つ時」みたいな独特な言い回しはよくわからないから、地球の時間で言って」
「僕の基準だとこの国じゃなくてペニキラの話になってしまうけど…そうだね、大体3時くらいじゃないかな?」
「え。それって…朝なの?まだ全然明るくないでしょうが」
「そうだけど…良く知ってるね」
「いや、普通に考えてまだ真っ暗っしょ!?それに俺運動部だから。早朝マラソンとかしてたよ」
「あぁ、そうか。ごめん、何となく君が早起きするってイメージわかなくて。…この星…いや、ペニキラの土地の位置なのかもしれないけれど、結構明るくなるのは早いんだよ、あの国。でも日の出は大体6時くらいだから、明るくなり始めてから太陽が出るまでかなり時間がかかるんだ。何気に完全に日が出るのは8時くらいじゃないかな?それに比べて日の入りはあっという間に暗くなるのだけどね」
「へぇ。…じゃあ、この国の早朝って何時かな?」
「もう明るくなってるから、一応早朝に入ると思うよ。日の出はまだみたいだけど」
「場所、間違えてないよね?俺ら」
「何度も確認したから、大丈夫だと思うよ。こっち側来たこと無かったけど、門らしい門も1つしかなかったし」
「クーン」
少し不安になってあたりを見渡すジュリアン。と、それまで静かに伏せをしていたシロが切なげな声を出して足に頭を擦り付けてきた。耳がヘショリと垂れていて、心なしか振っている尻尾も普段より速度が遅い気がする。
「…ん?どうしたのシロ。…もしかして早起きしたからお腹すいた?」
「ワン」
ジュリアンの言葉に何度も頷くシロ。もう何が言いたいのか大体把握することが出来てきたジュリアンは魔獣部隊ではない冬威から見ても魔物を従える素質があるように見える。それに合わせて同じく伏せをしていたクロが前足を伸ばしてお座りの姿勢をとると、ジュリアンの顔をまっすぐ見上げた。
「グルルル『我も腹が空いたぞ。まだ時間があるようだし狩りに行ってきても良いだろう?』」
「ワンワン!」
『迷惑かけちゃダメとな?こやつには迷惑などかけておらんだろうが』
「クーン」
『そばを離れちゃダメ?なぜそんな事になるのだ。自分の獲物くらい自分で取らねばそれこそ迷惑をかける事になるだろう?』
「…ワン、ワンワン」
『なに?こやつはものが食べれないだと?だから傍に居ないと助けられない?そんな馬鹿な…確か毎日その連れと一緒に食べ物屋に…入っておらなんだか?』
一緒に居たからすでにクロ(竜)も察しているかと思ったが、思った以上にうまく食べ物をシロに与えることが出来ていたようだ。探るような金の瞳に思わずたじろいで苦笑いを浮かべると、ジュリアンは腰を折ってその場に身をかがめ、シロとクロを抱き込むようにしてワシャワシャと撫でまわしながら小さな声で呟いた。
「キューン」
『な、なにをする!フェンリル、おぬしも人間に撫でられたくらいでそんなにデレデレと…』
「クロ。後でちゃんと説明するね。僕の言葉なんて理解していないと勝手に思っていたからシロにも話をした事がないんだ。だから、一緒に説明させて。でもトーイ…彼には内緒にしておいてほしいんだ」
「ワン!」
『任せろ、だとさ。…それにしても内緒話か。あの連れにも言えぬことなのか?』
「そうだね。できる事なら、言いたくないと思っている」
『仲間では無いのか?』
「…仲間だから。大切だから、言いたくないんだ」
『何故だ?…よく分からんな』
短時間の付き合いではあるが、まっすぐな性格を持つクロは何事もスパッと口にするようで、嘘をついたりオブラートに包んだ物言いは好まないらしい。しかし自分に非があると感じればジュリアンに対してもすぐ謝るし、こういった性格は実は何気に好ましい。クスクスと笑うジュリアンに、冬威が近づいてきた。
「腹減ったって?確かになぁ。俺も小腹がすいてきたよ」
「早起きしたせいかな?皆と合流してから考えようかと思ったけれど、まだ時間がかかるならどこかで済ませたほうが良いね」
「俺が持ってるパン食べる?」
「いや、まだ町に居るんだ。携帯食はあまり消費させたくはないな」
「じゃあ…こんな早くに店やってるか?」
「うーん…ギルドまで戻れば、食事処は開いてると思うけど…」
「あぁ!メンドクセェ!携帯でもあれば、パパッとメッセージ送信してフラフラ出来るのに」
その間に誰かが来るかもしれないと考えると、むやみにこの場を離れられない。とりあえず周囲に誰かいないか確認しようかとかがんだ体制のままジュリアンは下草に手を伸ばし、情報を集めようとした時だった。
「おや、早いね。もう来ていたのか」
声がかけられて顔をあげる。同じタイミングで冬威もそちらへ視線を向けた。
「もしかして、出発が楽しみで早起きしてしまったのかい?」
「いや、まぁ…そんなとこ?」
「ザウアローレさん…どうしてこちらに?」
旅のメンバーには入っていなかったと記憶していたのだけれど。スッと腰を上げて立ち上がったクロに一度視線を落としてから、ジュリアンも立ち上がってザウアローレに向き合う。彼女は穏やかに微笑んでいて、手に持っていたバスケットを軽く掲げて見せた。
「いや、なに。旅立つ君たちのお見送りと、ちょっとした餞別を渡そうと思ってね」




