072 落ちる、堕ちる。ザウアローレが…
木々の間を風が抜けて、サワサワと木葉が揺れる音がする。
視線を上げれば真ん中よりは上の方を途中からバッサリと切られている樹木が見えるが、どういうわけか鋭い切り口からはすでに新芽が出て、細い枝もニョキニョキと頭を出していた。
「いくらなんでも、早すぎるだろう」
竜が通ったその道を観察するために戻ってきたザウアローレは、視線を上げて眉を寄せた。冬威とシャロンを助けた際に少し見えた竜の後ろは、切り倒された木々のおかげで視界を遮るものはなく、青空が大きく見えていたはず。それなのに今は切断面も柔らかく小さな葉が覆っていて、切り倒されて落ちている倒木が無ければ切断されたなんて分からないくらいに回復していた。
「さすがは竜といったところか。幼いと思っていたが、人間とは違い自然と共に生きる魔物はこういったアフターケアも万全らしい。…だが…困ったな。これでは足取りを掴むのは難しそうだ」
何せ彼らには翼がある。ひとたび空へ舞い上がってしまえば、地面を離れる事の出来ない人間では追いかけるなど不可能なのだ。
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周囲を何度も行き来し、小さな横穴やそれこそ小さな湖の仲間で徹底的に調べては見たのだが、結局あの竜を見つけることは出来なかった。やはりあの冒険者たちと合流する前に、1人で戻って捕獲に乗り出すべきだったのだ。肩を落としてトボトボと帰路につく。そして魔獣部隊の本部に戻ってきた時、ちょうど来賓用の正面玄関が開くのが見えた。
誰か来客があったのだろうか。
重要な会議があるとか、誰かがここを訪れるとか、そんな話を聞いてはいないが今の自分の任務は幻の地から来たあの冒険者2人を監視する事。連絡の伝達時にここに居なかったであろう自分にも非はある。
とりあえず、このまま歩いていたら出てくる人物と鉢合わせるだろうし、どれほど高位な身分の人間か分からない。普段ならば敬礼をして通り過ぎるのを待つところなのだが、意気消沈の今そんな行動も煩わしく、傍の物陰に身を隠した。
「…ではそういう事で…」
「…迎は…それまでには…」
「あ、お伺いしたいことが…」
おや?
何となく聞いたことがある声。
最初に口を開いたらしい方は知っていて当然だ。我らが魔獣部隊の隊長、ヘレン隊長。そして自分の先輩でもあるコーダ。
そして彼らに声をかけた、本日の客。その男性の声が記憶に引っかかった。
そろり、と顔を物陰からのぞかせる。そこに立っていたのは先ほど別れたばかりの冒険者、冬威とジュリアンの2人だった。
「なぜ彼らがここに?」
その疑問も最もなのだが、彼らが本部に来たことによって自分が側に居ないという事が部隊の人間に知られてしまったという事に気づいてハッとする。慌てて身体を引いて物陰に完全に隠れてから、視線を伏せて胸元に片手を当てた。
「…いや、落ち着くんだ。確かに彼らの側を離れてしまった。しかし、それはそうしなければならない理由があったからだ。話せばきっと、分かってくださる」
一瞬にして上がった心拍数を、深い呼吸を繰り返す事で落ち着かせる。そしてそのままもう一度、顔をこっそりのぞかせて様子を窺った。
竜に追いかけられていた冬威は、彼を助けた後合流したあの冒険者たちと一緒に居たのだろう。無事生還出来て何よりだ。森の入り口に放置してしまったジュリアンもうまく会う事が出来たらしい。体調不良に見えたが、今はそうでもなさそうだ。持病でも持っているのだろうか。
と、ここで彼の足にまとわりつくように歩き回る2匹の魔物に気づいた。
1匹はザウアローレも知っている白い魔獣。オオカミのフォルムのシロと呼んでいたのを記憶している。しかしもう1体は記憶にない。
「まさか、あの短時間でまた新たな魔物を従えたというのか?あの彼が…」
黒い毛並みにシロと同じような大きさの体躯。耳や尻尾を見るに、猫…というよりヒョウや虎に近いフォルムをしている。しかし、姿形などは問題ではない。重要なのは、なぜ彼が2体目の魔獣を従えることが出来たのかという事だ。
「なぜだ。…何か秘密があるのだろうか。…だって彼から目を離したのはほんの数時間だ、その間にまさか、新たな魔物を…」
いや、だがちょっと待て。
あの森に、あんな魔獣が居ただろうか?シロは彼らと一緒に…いや、彼らがシロの召喚に巻き込まれてしまったという話だったから、ここら辺で見かけないというのも頷ける。だが、あの黒い魔物は…
グルグルと考え込んでいるところへ、エリックの声が響いた。
「…あぁ、まだ居てくれたか。良かった!」
「…で…どう…」
走って追いかけてきたのか、最初の一言は大きめな声量で聞き取れたが、その後の会話は気持ち抑えられてしまってこの場からでは聞き取れない。何故かむしょうに気になって、物陰から物陰へ移動しながら距離を縮めていく。この辺はさすが部隊のトップレベルと言ったところか。わずかな物音すら立てずに近くに寄ることに成功すれば、会話はぐんと聞こえやすくなった。
「…またまた、冗談を。俺たちですら2体の魔物との同時契約は不可能なんだよ?」
「いえ、だから契約をしているわけでは…」
「ふむ。それは私も気になるな。原則1人1体という軍の規定ではあるが、実際には2体との契約は出来ないとされているための約束事だった。しかしここで2体同時契約の方法が解明されれば…」
「だから、僕は契約しているわけでは無いと…」
「戦力アップだな。エリック、詳しく調べてみたのか?」
「それを調べるには彼の協力が必要不可欠なんだ。だって、彼以外に2体の魔物を従えている者なんていないんだよ?」
「あの、契約で縛り付けているわけでは無いのですが」
「だからジュリアン君、それは不自然だって何度も説明しただろう?魔物は獣、人間を見れば襲ってくるのが常なんだよ。それなのに、この2匹はどうだい?かなりおとなしい。これは主という首輪がはめられている証だ」
「…そんなはずは…」
2体の、魔物。
やはり、ジュリアンはあの黒い魔物を新たに従属させているに違いない。どうして彼ばかり選ばれる?しかもこの森においてクロヒョウフォルムのあの魔物は、見たことが無い。という事は希少種かハグレ、どちらにせよ激レアと言っても過言ではない。
あの時ジュリアンを放置しなければ、ザウアローレにもチャンスはあったかもしれないと悔しさに表情を歪める。
「運?…いや、まさかこれが、幻の地の力…」
しかも、契約はしていないと言っていた。ならば…
あの魔物、私のモノにできないだろうか。
胸の内にジワリと広がる欲の闇。
物陰で彼らの今後の動向を盗み聞きしながら、ザウアローレはニヤリと笑んだ。
しかし、そんな彼女が隠れている物陰を、黒い毛並みを持つ竜が変化した魔物、その金色の瞳がじっと見つめていたのには、誰も気が付かなかったようだ。




