071 落ちる、堕ちる。シャロンが落ちる。
無言で自室に帰ってくると、シャロンはローブを脱いで椅子の背もたれにひっかける。時刻は夕方で、ちょうど夕飯時。借りている1室の窓を開けると、活気あふれる街の声が飛び込んでくる。
普段ならこの賑わいに空腹も手伝って、すぐさま食事に繰り出すところなのだが。
「…はぁ。あと3日、か」
考えるのはギルドマスターからの依頼でひっついていた冒険者2人。
1人は一般人と言っていながら剣術スキルのレベルが高く、もう1人は兵士と言っていながら戦闘にはノータッチ…あ、いや。雑魚を倒すのは率先してしていたかもしれない。
しかし、攻撃力を上回る状況把握と判断力は、普通の兵士とはちょっと違うと感じた。
「王都に行って、国境を越えるために旅券をもらって、それから…」
窓の外を見ながらぽつりぽつりと彼らがたどるだろう未来の道筋を口にしてみる。
どうしてこんなに気になるのだろう?はじめは任務も嫌々だったのに。というか、つい先程、今朝までは「本当にどうして自分がこんな事しなければいけないだ!?」と愚痴っていたはずなのに。
「どうしちゃったっていうのよ。別にいつも通り、気にする必要なんて…無いんだから」
窓枠に肘をついて掌に頬を載せると、夕暮れ時に窓際で憂い顔の美女が完成だ。意図してこの格好をしたわけでは無いのだが。
一度その場を離れてコップに水を入れ、喉を潤す。ずっと身体を動かしていたこともあり、ごくごくと一気に飲み干してから、もう一度水差しからコップに水をつぐ。そしてそのコップを持って、部屋にある机の椅子を引き、ストンと腰を下ろした。その衝撃で水面が揺れて、少し机に水滴が飛ぶ。それをジッと見つめていたシャロンは、水滴に人差し指を浸した。
「ここがファルザカルラで…」
机の上に水で丸を書く。
“○”
「隣にあるのは、世界中から魔法を勉強しに行くほど、魔法の研究と技術が発達している国、『デンタティタル』国があって…」
丸の隣に星を書く。
“○☆”
「その隣にあるのが魔族の国、『ギド=グルエル』。…でも、悪の魔王はもう居なくて…」
星の隣に三角を書く。
“○☆△”
「その隣にあるのが人間だけが優遇される国、『レシロックアーサ』。ちょっと前まではこの4か国が主要だったけど…」
三角の隣にバツを書き加えて、指を止めた。
“○☆△×”
「このレシロックアーサで迫害されていた獣人たちが力を合わせて『アカアカ』を独立させたのよね。…それにしても、ずいぶん遠くから彼らを呼んだものだわ。正反対じゃないの」
図に書き出してみると分かる。
“○☆△× ●←アカアカ。目的地”
一般人も見れる世界地図は、超簡易的な落書き程度の物なのだが、どれもこれもファルザカルラ国が一番左。そしてそのほかの国はすべて陸でつながっている。ただ、星は丸いと知っていれば、逆回りに行けば一番近い場所なのだが、その間にある大海原のおかげでそちらのルートは未探索なのだ。
「彼らの目的地は故郷なのよね。…帰ったら、それで終わりなのよね。戻ってくることは…無いのよね…」
思い返すのは、戦闘の中でだんだんと剣筋がしっかりしてきた冬威の姿と、誤解が解けた時にふわりと笑んだジュリアンの顔。ちぐはぐに見える彼らだが、どうしてか彼らを取り巻く空気は穏やかで、どことなく暖かい。
それが何故だかどうしても離れがたく感じさせる原因なのかもしれない。今まで見てきた彼らの別の1面を見ることが出来て、少し彼らを知ることが出来た気がする。距離が少し縮まったような感じがして何となくうれしい気がするのだが、しかしそれを素直に認めたくない。
「…はぁ。何でそんな急に決定しちゃうのよ。私たちに相談してくれても良かったんじゃないの?…ってないか。仲間らしい事全然してこなかったし、チームを組んでるわけでもなかったわけだし。あぁ~。男性にしては変な目で見てこないし、もうちょっと一緒に行動してあげても良いかな?って思ってたのにぃ」
本心とは裏腹に口から出るのは上から目線の言葉だった。本当に自分はどうしてしまったんだろう?
シャロンは深いため息を吐いてから持ってきていたコップを傾けて、水を一気にあおる。
そして、ふと気が付いた。
「…あれ、ちょっとまって。確か、契約は1か月だったわよね。まだ残り半月ほどあるじゃない。でもあと3日で出発って事は…」
日程が余る。ギルドマスターに指名されたし、報酬も高いし、監視兼世話係として安全に生活させて、それ以外はついて回れば別に自分が戦闘に参加して戦わなくてもかまわないという結構いい条件だったから、とりあえず1か月は頑張ろうと思っていたのだ。
「これは確認してこないとダメね。途中でキャンセルなんて私の名前に傷がつくわ。…よし、こうなったらついていくしかないじゃないの。魔獣部隊からエリックさんが同行するって連絡来てたみたいだけど、冒険者と軍人じゃ畑が違うのよ。私じゃないと分からないことがあるはずだわ。…こうしちゃいられない!荷物を用意して…あ、ギルドマスターに話を…それは明日でいいか。あぁ、もうここの宿も長いから、要らないもの処分しなくちゃじゃない!すぐ出発って事にならなくて良かったわ」
ガタリと立ち上がって先ほどとは打って変わって忙しく動き回る。デルタに確認をして「やめても良い」と言われても「頑張ってみろと言ったのは貴方でしょう」と難癖つけて自分も国を渡る旅券発見のメンバーに入れてもらうつもり満々だ。
口では「困ったものね」なんて言っているが、その表情はどこか楽しそうだった。
別に、彼らともう少し長く一緒に居られる、なんて思ってない。




