006 誘拐、そして始まり【あたりを静寂が支配する】
「…?」
あたりを静寂が支配する。タイミングがあって無音状態になることは珍しくはあるけれど無いこともない。それでもなぜか今回の無音に引っかかりを覚えて冬威は足を止めた。
「どうした?冬威」
「え?あぁ、いや何でもないよ。ただ、突然静かになったなって、思っただけ」
偶然だろう。すぐに元に戻るはず。そう深く考えこまずに立ち止まったせいで開いた距離を縮めるべく1歩2人に近づいた。
“パキン”
踏み出した先で何かを踏んだ音がして視線を落とした。小枝でも踏んで折っただろうかという軽い気持ちだったが、そこに広がる模様に気づいてわずかに眉を寄せる。
自分たちを取り囲むように広がる円形の模様は、漫画やゲームなどでよく見る魔法陣のようにも見えた。誰がこんな悪戯を…と、思いながらこの模様を指さす。
「なぁ、夏輝、地面に何か書いてあるぞ?」
「ん?…あ。ほんとだ。でもさっきまで無かったような…気づかなかっただけか?おい春香!これ何の落書きかわかるか?」
「え、どれどれ?…あ、この丸い奴…何かの陣かな?美少女博士、眼鏡ちゃんに出てくる変身の陣に似てるけど、違うわね!」
「なんだそれ?有名なアニメなの?ってかわからないの?春香は自他ともに認めるオタクだったはず…」
「ちょっと!?冬威私に喧嘩売ってるわけ?…確かにいろいろ好きで漫画もアニメも見てるけど、そこまでコアなファンじゃないわ」
「なんだろう。オタクっていうとすごい粘着質なイメージがあるけど、ファンだと全然悪く感じないな」
「意味は似たようなものなのにね」
「男子2人でなに悪口言ってるのよ。オタクって根暗ってイメージがあるのかもしれないけれど、深く知識を極めた人っていう称号なんだからね!名誉なんだからね!」
だんだんと地面に書かれた落書きから話題がそれて、じゃれあいになっていく。3人で軽口を言い合っているうちに先ほど感じていた無音状態の違和感も忘れかけていた時だった。
“ピカッ!”
「うわっ!?」
「いきなり光って…」
「足元だ!とりあえずこの落書きの外へ…」
会話を中断させるかのように突如光を放った足元の陣。3人ともその中にいて、湧き上がる光に視界が塗りつぶされていく。慌てて魔法陣から出ようと判断した夏輝の指示にしたがい、一歩遅れて動き出した春香と冬威だったが、踏み出した足が地面に乗ることはなかった。
「う、嘘だろぉ!?」
「きゃぁあぁ!!!」
色すらわからない強い光の中、重力に引っ張られるようにして落下を始めた春香と冬威。その声に1人魔法陣の外にたどり着いたらしい夏輝が振り返り、驚愕に目を見開くのが見えた。
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「いったぁ!!」
何が起きたのかいまいちわからなかったが、落下している時間はそれほど長くはなかった。何かに躓いてすっころんだくらいの感覚で石畳のような場所に到着した冬威は、全身を打ち付けた衝撃に悶えながらもハッと顔を上げる。
「春香!?夏輝!」
「と、冬威?…いたた、無事だったのね」
すぐそばで聞こえた春香の声に冬威は安堵しながらも体を起こして近づいた。彼女も冬威と同じように横たわった状態から上半身だけを起こしていて、打ち付けたらしい腕を痛そうな顔でさすっている。
「春香!良かった、けがはないか?」
「うん、ちょっと肩ぶつけたみたいで痛いけど、血は出ていないみたい。冬威は?」
「俺も大丈夫。そうだ夏輝!…夏輝は?」
さっきまで3人でいたのに、夏樹の姿が見当たらないと首を回して、ここで初めてこの場所を見る余裕が出てきた。窓がない正方形の部屋はさほど広くもなく、地下なのか窓はない。薄暗いと思ったら電気はついておらず、床に直接ろうそくがたてられていた。しかもあの時足元で光った魔法陣のようなものと同じ柄が書かれている。
「冬威、これって…」
「まて、春香。誰かいるぞ」
「え!?」
自分が倒れている床の模様に目が行っていたらしい春香はすぐに冬威に意見を求めようと口を開いたが、それよりも広範囲を見ていた冬威はある1点を見つめていた。唯一の出入り口らしい木製の扉、そしてその前にある大小2つの人影。ローブを纏っているのか黒い布に身を包んだその人たちは、顔どころか性別すらうかがえない。
「…誰?」
「わからない、けど離れるな、春香」
警戒心あらわにその人影をにらんでいた冬威。その視線に気づいたのか小さい方の人影が1歩前に進み出て軽く頭を下げるような動作をした。
「ようこそおいでくださいました」
「…は?」
会釈と同時にかけられた言葉は歓迎しているように聞こえる。実際ようこそと言っているのだから、間違いないのだろうけれど、思わず聞き返してしまうくらいには冷静じゃなかった。鈴がなるような声とはこういうのをいうのだろうと思えるほど、綺麗でかわいらしい女性の声色に、小さい方は女の人だと分かったが、それでどう返事を返したものかとオロオロしていると、彼女がもう1歩近づこうとする。しかしそれを大きな影が引き留めた。
「姫様。危険です」
「ですが、彼らは私たちの勝手な都合で来ていただいた客人ですよ?礼は尽くさねばなりません」
「客人とはいえ、部外者であることに変わりないのです。姫様に危険が及んでは元も子もありません」
「…ですが…」
「姫様が心優しいのは存じております。ですが、もし何かあった時悲しむのは周りの人間ですよ」
「…はい」
ヒソヒソと小さな声で話そうとする女性とは違い、大きな影が明らかに警戒しているような感じで声を潜めようとはせず、逆に聞かせようとしているかのようだった。今の時点で分かるのは、女性が“姫様”であるという事。ただそれだけである。何が起きているんだ?とぼうぜんと2人のやり取りを見ていると、春香がそっと顔を近づけてきた。
「冬威、姫様だってさ。本当にお姫様なのかな?」
少しだけからかっているような雰囲気があることから、春香も2人の会話を信じてはいない様子。内緒話をするように耳元で囁かれて少しだけくすぐったく感じながらも冬威がフッと肩をすくめて笑った。
「まさか。自分の娘に“姫”をつけて呼んでる近所のおばさんだっているんだぜ?だいいち現代日本に姫なんて…いたらおかしいって」
まだ日常が続いていると思っていた俺たちは自分たちの常識がまだ通用すると信じていて、聞こえるように話していた2人の会話を聞き逃したことを後で後悔することになる。