046 人樹(ジンジュ) デルタ
ギルドマスターの部屋で一人椅子に座って日々の雑務をこなしているデルタ。
室内には誰も居ない。手はスルスルと動かしつつも、その脳内に浮かんでいるのはあの2人組。片方は物理、もう片方は魔術に適性のない、本来ならばあり得ないステータスデータをたたき出した子供たちだった。
…いや、もう子供、という年齢では無かったか。人の子の成長は早いものだ。
デルタは人型をとってはいるが純粋な人間ではない。
この世に獣人や竜人と言った獣との混血種、エルフやドワーフといった精霊の血を持つ者、全てのベースと言われる人間といった様々な人種がある。そしてデルタはその中の1つである人樹という種族だった。
その名の通り、樹木が血に交じる特殊な一族で、正確には生物ではなく植物に近い。
生まれ方は、ある程度成長した木が強い自我を持ち、さらに歳月を重ねて人型をとれるようになると生まれるとされている。人樹にはそれぞれに本体である大木があり、寿命も一番長い。さらに人型にとれるようになるまでに最低でも100年はかかることから、人型として生まれた姿が既に老人という事も珍しくはない。
本体の木が水を吸い、土から栄養を得る事で生きていけるが、分身である人型が人と同じような食事をとる事でも命を維持することが出来る。ただ一つの欠点として、本体から遠く離れることが出来ないという事があげられるため、世界中に居るだろう人樹だが、人樹同士が遠出をして出会う事は珍しい。
そしてデルタは、人樹として生まれてから500年は生きている存在で、木だったころを合わせると1000年近い時を生きている存在であった。1本の木で種を増やせる人樹に性別の概念は無いのだが、なぜか「ばあさん」と呼ばれ始めてそれが定着している。
まぁ、特別嫌な気分になるわけでは無いので構わないのだが。
と、そんな時。控えめにドアがノックされる音に意識が引き上げられる。
「マスター、私です。レイリスです。今お時間よろしいですか?」
「あぁ、レイリスかい。大丈夫だよ」
軽く頭を振ってそう返せば、静かにドアが開かれて少女の顔がのぞいた。
「失礼します。…マスター、お客様がお見えになっていますが、お通ししてもよろしいですか?」
「客?いったい誰だい」
「魔獣部隊の方々です」
「ほーう。…いいよ、こっちに通してやりな」
「わかりました」
ぺこりと頭を下げてドアを閉め、いったん離れていく足音を聞きながら、どんな要件で来たのかと薄っすら笑みを浮かべた。
「…まさか、あの2人がペニキラから来た、なんていうとはねぇ…」
思わずこぼれた独り言。そのまま執務用の椅子から、接客用のソファーへと移動した。
結局あの2人は外に「ぽいっ」と放り出すのは危険という事で、ギルドの1室を貸してまず常識を教えることから始めることになった。最初は呼び出してしまった魔獣部隊のヘレンが責任をもって預かると言っていたのだが、国の軍という事で一般人を入れるのは情報漏えいなどを疑われる危険性がある。外部の家で生活していれば住まわせることも出来ただろうが、寄宿舎暮らしの彼女たちでは難しかった。そこでデルタがギルドの宿泊施設を提供したのだ。ここでギルドカードの使い方はもちろん、この国のお金や、入ってはいけない店、近づいてはいけない道など、この世界で暮らしていれば普通にしみ込む常識をまずは教えてやらねばならない。
「で?座学はこっちで何とか出来るよ。既に色々教えているしね。後は戦闘、魔術なんかだねぇ」
ソファーに座って、デルタは反対側に座る魔獣部隊隊長ヘレンを見た。その後ろにコーダとエリックが立っている。長い話になるんだから座ればいいのにと毎回思うが、進めたって素直に腰を下ろすことはしないのだ。疲れたら勝手に座るだろう。この3人は定期的に2人の様子の確認に訪れていた。
「剣術であれば、私たちが教えることが出来ると思うわ。1人は兵士だったらしいし、身を守れる護身術程度ならすぐ何とかできるでしょう。繰り返し練習するかは彼らの意志に任せるとして…あと騎獣して戦う時に使う槍なども教えられるけど…」
「まずはどれくらい動けるのか確かめてからの方が良いだろうねぇ。何せ、2人ともどちらか片方の適性が無いんだ。普通に動けているのがおかしいくらいさ」
「その事なのですが、彼らがアンデットであるとか、死者からの蘇りであるとか、負の存在である可能性は無いのですか?」
横から飛んできたエリックの言葉には、今更何をと思いながらも軽く肩をすくめつつ視線を向ける。
「さてねぇ。一応教会には入れたから、完全に負の魔物ってわけじゃないだろうよ。普通の人間とも思えないけどねぇ」
「教会に連れて行ったのですか?」
「あぁ。この国では結構影響がある宗教だからね。知らずに変な事言って目をつけられたりしたら大変だろうから先に礼拝マナーを教えたんだ。それに片方の子、ジュリアンって言ったっけ?…あの子のカード、文字がおかしなことになってたんだよ。報告が行っているだろう?」
デルタの言葉には、3人が頷いてから少し深刻そうな顔で押し黙った。
「察しの通りさ。ああいう現象が起こるのは特別珍しい事ではない。ただ、生きている奴のカードがああいう風に変化するのは珍しい。強いて言えば、あり得ない事。…知ってるだろう?…冒険者が死んだときに、死亡証明として使われるカードが、ああいう風に表示が崩れている事があるってことを」
「はい。見たことがあります。まさか彼は、死人…」
「それを確かめるために、神聖な場所で、祈りという行為をさせてみたんだ。まぁ、特別どっかがおかしくなったとか、そういう反応は示さなかったから、とりあえずは普通に生きているんだろうとは思うがね」
「やはり、幻の地「ペニキラ」が関係しているのでしょうか?」
確認するようなエリックの言葉に腕を組んで、デルタは背もたれに深く寄りかかった。
「…聞くけどさ。あんたたちはペニキラと言われて、それが何か分かっているのかい?」
「え?何かご存じなのですか!?こちらも資料をあさっているのですが、そのワードは1つも見つからず困っていたのです」
エリックが興奮した様子で身を乗り出すと、ヘレンが落ち着きなさいと言うように片手をあげて制する。慌てて身を正すが、それくらい良いだろうにとデルタは苦笑いをむけると、それを受けてコーダがエリックの肩をたたきつつ口を開いた。
「あのジュリアンって奴が持っていた剣に、伝承にある勇者が掲げたとされる紋章が刻まれていた。ペニキラってのは勇者関係の事だと思っていたが…違うのか?」
「確かに勇者関係のワードさね。ただ、私もまだ人型を取る前の話だ。自我もはっきりしない頃の話だから、今から言う事は本当に正しい事を正確に記憶しているのかは分からないよ」
そう前置きをしてから背もたれから身体を放し、逆に前かがみになるようにして顔を3人に近づけた。
「ペニキラ。それは私の記憶と意識を信じるならば、魔王軍との争いが終わりに近づくにつれて、聞かれるようになった人名だったはずだ」
「人名…ペニキラは人名だったのですか…」
「あぁ。娘だった」
「娘?」
「そう。魔王軍、そのトップである魔王の娘。それがペニキラだったはずだよ」
「何!?」
「なんですって!」
「そんな!…では、彼らは…いや、しかし教会に入れたという事は、魔族ではない?」
デルタの言葉に驚愕を隠せない3人。先ほどは前に身を乗り出すのを制したヘレンでさえ、顔を寄せて身を乗り出した。
「今まで伝説や物語、伝記といったいわゆる聖なる記述を調べていたのなら、見つからないのも道理さね。別の視点から探ってごらんよ、偏った目、偏った意識による記述には、都合の悪い情報は残っていないだろう」
そう。
ペニキラの名前は確かに魔王の娘だったはず。
そして世界の争いに胸を痛めていたはず。
魔族の侵略を食い止めた聖なる戦争、これはこちら側からの見方だ。
どうやって争いが始まったのか、それを知るには生まれるのは遅すぎた。その時代に意識が無いのだ。生きていたはずなのだが、どうしてこうなったのかは分からない。
「真実は一つだけだとしても、それを語る者が変われば、見え方も変わってしまうものさ。…まずは、魔族に関する情報を、集めることだね」




