001 死亡、そして始まり
…痛い。
痛みを感じるという事は、俺は肉体を手に入れたという事だ。
辺りに飛び交う叫び声や物が壊れる音に、そっと目を開けようとするが、まだ完全に自分の物では無い肉体では思うように身体が動かせず、十分に光が入らない瞳では当然なにが起きているのかなんて把握出来るはずもない。
太陽が完全に落ちる前の日の光は、不気味な紫色にかがやいていて、目の前に広がる血だまりの赤と妙にマッチしていて綺麗だと思ってしまった。
でも…今回も、ハズレかな。
そう早くも結論付けた俺は、再び力を抜いて目を閉じた。
ごく一般のマンモス校で大学生をしていた俺、八月一日アコンは、突然『星の捕食』と呼ばれる災害…いや、引き起こした人物がいるのだから、人災と言うべきか…に仲間とともに巻き込まれた。
そこで行われた脱出ゲームは、自分の身体を探すというもの。
しかし、仲間と合流が出来ず、自分の身体も見つけられなかった俺はその場で死んでもおかしくない状態だったと思う。だけどその時に助けてくれたのが、捕食した星の住人である船長だった。
自分の体に戻るまで。
…自分の肉体が朽ちる前に。
自分の故郷に帰るため。
…自分の心が死んでしまう前に。
部室が繋がる場所を追いかけて、何度でも世界を渡っていく。
1人きり、魂のみで世界間を飛ぶ事になってしまった俺には、当然ながらメリットとデメリットが存在した。
まずは、魂のみでの移動の為、前の世界からの持ち物はゼロ。そして世界に降りる時に新たな肉体を必要とするという事。それは世界に降りた時と同じタイミングで死んだその星の人で、再び移動する際にはもう一度死んで魂が抜ける必要があった。たまに獣だったりもしたが、殆どが人、または人型の生物だった。
ただ、痛覚は正常に働くもんだからそれはかなり苦痛を伴う旅であり、たまに「このまま目覚めなければ良いのに」とほんの少しだけ、思った事もあった。
次に、新しく降りた身体で1晩眠ることでその人の記憶が頭に入るので、その世界で使える言語や常識といった一般教養が直ぐ理解できるという事は便利だった。マナーに関しては大体どこも同じような感じなのだが、言葉が通じ、文字が読めるというのは大切な事だと思う。
そして俺はあくまで一度死んだ『死体』に寄生している状態だ。
肉体が腐敗するのを防ぐために呼吸と脈は復活するが、食事や睡眠はとる事が出来なかった。攻撃を受けて気絶したり、薬によって強制的に意識を落とされる事はあっても、それは睡眠とは違う物だった。どれ程大怪我をおっても、どんな大病にかかっても、何も口にできず、魂の定着のための1晩以降は再び世界の移動で死ぬまで眠りにつく事が出来無い。適度に水分であればは口にする事が出来る事が分かったが、固形物は全てに拒絶反応が出るようだった。
いったいどうやって身体を維持しているのだろう?光合成でもしているのだろうか。
それでも怪我をした時は早く患部を直そうと無理に食事を身体に押し込んだりもした。結局全て戻してしまったが。
そして最大の注意点が、1つの世界に3年程しか居られないという事。
最初のうちは偶然だと思っていたが、なにをどう頑張っても3年以上1つの世界で生きられなかった。ある時は病気で。健全であっても突然の事故で。必ず死が訪れて、再び世界を移動する。
何故なのかは分からなかったが、恐らく異物を取り込んだ世界の、我慢の限界だったんじゃないかと勝手に思う事にしている。
死の瞬間は確かに痛い。痛覚だけはほぼ正常に、やや敏感に感じるのだ。
でも部室がつながらないなら長く存在していても仕方ない。
ならば早く死んで世界を渡った方が良い。
自ら命を絶つなんて鬱になるかと思った負の連鎖だが、死を繰り返して移動する事が10回を超えた辺りで慣れが生まれてきた。そのため今更不便にも思っていないのは良い事なのか悪い事なのか分からない。
瀕死の状態から生還し、そして再び死ぬ事で世界を渡る。
今回。この世界のように争いの最中の死体に降りた世界では、1日もしないで再度殺されることもあったため、きっと今回も直ぐ移動になるのだろうな。
ならば慌てて逃げ出したところで無意味である。
『三大欲求である食欲・睡眠欲・性欲が欠落しているのは、今の八月一日アコンが死人であるから。昇進欲・金欲が欠けているのは直ぐに必要無くなると分かっているから。今お前の中にあるのは「自分の身体を取り戻す」という目的と、仲間であり、家族であり、親友である部室メンバーを元の世界に戻したいという思いだけ。…お願いだから、諦めてくれるなよ』
ある時…いつだったか。はっきり覚えていないけれど、部室で船長に言われた言葉を思い出した。
彼は俺をかなり心配してくれていた。巻き込んでしまったという自責の念もあったのだろうけど、部室が繋がって顔を合わせるとホッとしたような顔を見せる時がある事に気付いていた。
笑ってごまかして皆を頼むと頭を下げたら、一度うなづいただけで終りにしてくれたけれど。
…君が…心配だよ…
薄れる意識の中、思い出されるのは部室の仲間たち。
次の世界ではきっと再会できる。
死ぬ前に必ず思う願いにも似た感情を抱きながら、俺は落ちていく闇に身をゆだねた。
*****
「…ん」
再び目をあけたその先に、飛び込んできたのは白い天井だった。ボヤっとしていた視界も、しだいにはっきりとしてくる。日が出ているようで、開け放たれた窓から入って来る爽やかな風がカーテンをゆっくりとなびかせて心地よかったが、身体を動かすのはひどく億劫で視線だけ動かして明るい外を見た。
あの後再び死んで、今度は病院で重病の末期患者が死んだ瞬間に降りたのだろう。死因が病の相手の場合、睡眠がとれたか取れなかったかがイマイチはっきりしないのが難点である。とりあえず状況を正確に把握しなくては。まずは名前を…と記憶を探ろうとして、眉を寄せた。
「あ…れ?」
あの日の記憶が残っている。
太陽が落ちる瞬間の紫色にそまった不気味な山も、目の前で人が殺される瞬間も、襲ってきた犯人の姿も。殺られてから降りたのだから犯人の姿を見ていないはずだし、あの後魂が身体に定着する前に移動したならこの記憶は持って来れないはずだ。
唯一世界を渡る際に持って行けるものが、記憶と経験だけなのだから。
「あぁ…死ねなかったのか…」
記憶があるという事は、そういう事なのだろう。
揺れるカーテンを見ながら呟けば、隣から声がかかった。
「…死にたかったのか?」
酷く頭がボヤっとしていて、隣に誰かいるなんて分からなかった。首が動かせずに視線だけでそちらを見れば、赤茶の短髪に茶色い瞳の男性が椅子に座っていた。大分疲れた顔をしているがその表情は柔らかい。見舞いに来てくれた人だろう。新たに取得した記憶の中で検索をかけてみると、難なく情報を探り当てる事に成功する。彼はそれなりに付き合いのあった人だった。
「副隊長…無事でよかった」
「無事じゃないのはお前の方だろうが。…眼が覚めた事を報告してくる。医者を呼んでくるから、暫く待っていろ」
自分が彼に対して語りかけた事に今にも泣きそうな顔をしたが、かなり安堵した様子で椅子から立ち上がった。その背中を無言で見送る。
今度こそ病室…たぶんここは病室?…に1人。
視線を再び外に動かして、そのまま医者がやって来るまで記憶の整理をする事にした。