169 つながる、そして隠れる【ジャナーフの言葉は】
ジャナーフの言葉は真実か、嘘か。それを判断するには材料が足りない。
勇者として夏輝がこちらに連れてこられたという実例があることから「数多の星を、渡ってきた」という言葉はもしかしたら本当かもしれない。まぁ、彼の話自体も信じるには少し危険な気もするが、彼の場合は魔力適正が無かった。そのことから信じても良いのではと思ったのだ。
だからと言ってこちらの情報を開示する必要があるかと言われると頷けない。ペニキラは扇子を口元に当てて目を細めた。少女の表情はもしかしたら涙を流しそうな悲壮感を漂わせているが、同じ女としてそんな技術には引っ掛かるつもりはない。
「何を言っておるのやら分からぬ。異界、とはどういう事じゃ?まさに異世界、異なる世、とでもいうつもりか?」
「はい。異なる世、まさにその通り」
泣くのをこらえている様子で、ジャナーフは押し黙ったまま口を開くことは無かった。それを分かっていたのか、バルシューンがペニキラの言葉に返事を返す。
「そうか。しかしのぉ、私は見たことも聞いたことも無かった」
「そうですね、想像するとしたら、夜の星、でしょうか」
「夜の星、とな?」
「えぇ、あの星1つ1つが、この星のように生命体を抱えている、といった感じでしょうか」
「…よく、分からぬが…もし天体の星全てに生物が居るなら、それはそれは沢山の星、異なる世が存在するようじゃの」
魔法という不思議な力が使える代わりに、この世界の科学技術はいまいち発展していない。自分たちが居るこの大地が、星の1つであるという概念もないペニキラには難しい話だったが、気づいているのかいないのか、バルシューンは訂正したり修正したりせずにそのまま続けた。
「信じてもらえないのは重々承知しております。今回はこちらの言葉を届けるために、俺たちが使者として使わされただけです」
「使者…とな」
「はい。俺たちはチームの使いっぱしり。只の下男。先ぶれです」
「先ぶれとは。では、本体が後から来るという事か?」
「その可能性は高いです。それほどまでに、異界に居る、異界の存在が気になるようで…」
なおも言い募るバルシューンの言葉を遮るように、わざと音が響くようにパチンと扇子を閉じて、スッとそれでバルシューンを指す。
「そもそもじゃ」
勇者として召喚されて、このあたりで脱走したという情報が出回っているならばこの辺に居るかもしれない、とは思うかもしれない。しかし、ピンポイントでここに来たこともそうだが、逃げているなら1つのところに留まらないだろうとも想像できるはずだ。少しでも距離を稼ぐ、そのために移動する。そう想定して動いてもおかしくはないはず。
「世界は1つではないと仮定して、なぜ、ここに異界の存在があると思ったのじゃ?何処からそれを聞いて、ここに来たのか」
その視線は鋭く、普段は愛らしい容姿も今はまるで氷の女王のような気迫に包まれている。バルシューンも思わずごくりとつばを飲み込んで、僅かに視線をさまよわせたが、結局は自分に向けられた扇子の先に視線を留めた。
「勇者の話を聞きました。人間の国で、です」
「じゃろうな。…で?」
「…すいません。これ以上は俺の判断では…」
「気づいておるか?今、おぬしを不敬罪で今この場で切り捨てることも可能ぞ?」
その言葉にずっと黙っていたジャナーフがパッと顔を上げる。威圧の恐怖か目は潤んでいるが、キッと睨むその顔はバルシューンの身を案じていることが見ただけで分かる。プルプルと震えているが、ぐっと小さいこぶしを握って立ち上がった。
まぁ、立ち上がったところで小さな身長では座ってた時とあまり高さは変わっていないのだが。
「何も、悪い事してない!」
「…悪い事、とは?」
「え?…えっと、痛い事するとか、嘘つくとか」
「貴族の問いに、ただの下男が応えなかった」
「そんなの…」
「それだけで王政の世では罪なのじゃ。民がおかしいと思っても、それがまかり通るのが貴族の世。まさか、そのようなことも分からぬのに、使者として選ばれたというのか?」
言っている意味が理解できないからと喚き散らすことはしないジャナーフに、少しは教養があるようだと考えを改めたペニキラは再び視線をバルシューンに向ける。この男は発言を戸惑う事はあっても困ったような態度を見せていない。いきり立つジャナーフなだめるように背中をトントンと叩いてあげてから、彼もまたその場に立ち上がった。
「今回は、こちらの言葉を届けることが使命」
ギリギリ失礼ではない言葉。しかし先ほどまで極力自身が下となるように発言していた様子から一変して、ぽつりと零すその様子は独り言を言っているかのようだ。
そして何の断りもなく彼は出入り口へ歩いて行った。さすがにこれは貴族の世では失礼だと眉を寄せるが、ここを出て行けばもう会う事も無かろうとペニキラは止めることをしない。それを見ていたガラはペニキラの側に立って控えるだけで、当然ドアを開けてあげようとはしなかった。
「差し出す用意を。あの人は、欲しいと判断したものを必ずその手に掴んでしまう」
そう、背中を向けながらジャナーフが告げて、右手をそっと横に伸ばす。するとその手の中に風の渦が生じ、取り上げたはずの刀が収まっていた。武器を持ったことにファンパブロが警戒をあらわにするが、ジャナーフはそのまま出入り口へ歩いていく。
「邪魔をしました。願わくは、次会うときも争うことなく別れたいものです」
肩越しにチラリと向けた視線はとても哀れみの色が強かった。そして2人が出て行った扉はぱたりと閉じる。無礼を働いた、と追いかけていくこともできたはずなのに、なぜかその場の空気にのまれて無言のまま動けなかったペニキラ達3人を見守るように、窓の外の木々がそっと揺れて葉を落とした。